阿見AC日記

阿見アスリートクラブで起こった出来事、試合速報、お知らせ、などなど

クラブ20年の思い⑱ 東日本大震災 クラブとは

2020年01月09日 | 楠康夫 理事長
2010年の勢いをそのまま、2011年度シーズンへと思った時でした。その時に起きた
2011年3月11日 千年に1度あるかないかの東日本大震災が起こり、世の中が大変なことになりました。
その直後に起きた大津波
そして、福島第一原子力発電所の大事故
地域貢献、社会貢献活動とは何か?迷いましたが、クラブに出来ることは、地域を元気にすることと、このクラブを続けることだと思い、節電などで夜グランドが使用できないこともありましたが、1週間後から土・日の練習会をスタートさせました。
私のNPO法人としてのスタンスが明確になりました。

その影響を受けたまま、2011年のシーズンは始まりました。
クラブとしては、この年は、競技面においても狙っていただけに、どうなることかと、その時は心配したものでした。
J:COM茨城 初めてのフルマラソン教室 
その目標のかすみがうらマラソンは、中止になりました。

インターハイが、岩手県北上市で開催される予定でしたので、それもどうなることか?心配になりました。

練習も節電の為、たつのこフィールドのナイター練習会は、5月上旬まで開催できず。
阿見ナイターは9月まで使用できませんでした。
週5日の定期練習会もこの時期は、変則的に週4日で行いました。
あ~厳しいな~~と思ったものでした。

地域貢献・社会貢献活動とは、何だろう?
阿見町にも避難者が来ており、私は、その皆さんとボランテイアとして接していました。
その皆さんが、私の姿を見て感動してくれました。
そして、クラブに興味を持ち、高校のインターハイ予選 県南、県大会、関東大会と、避難所から康成や瑞稀の走る姿を楽しみに見に来てくれました。
これは、本当に私の励みになりました。
そうか?こういう時にこそ、頑張る姿を見せることなんだと強く思いました。
それが、阿見アスリートクラブのできること!

福島に仮住まいということで戻られてましたが、福島で試合がある時等は見に来てくれました。
今も、年に数回ですが電話等でお話する機会があります。
お元気そうなのが、何よりもうれしいです。

私は、自然対策に関して、個人でやることなどの努力はできますが、大きなことに関しては何もできませんが。
自分の命のある限り、人を元気にする組織を作り続けていく。
そんなエネルギーがクラブにはある、それをやり続ける事こそが
私の使命だと強く思いました。

そして、2011年のシーズンが開幕しました。

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