さっき見たカエルは二度嗤う

ちょっと一言いいたい、言っておかねば、ということども。

○究極の選択を迫られる我が家の異臭さわぎ

2008-01-20 23:41:29 | ○日々のさざめき
その日帰宅すると、台所で中学の娘がカレーを暖めていた。あらかじめ言っておいたように、鍋底がこげつかないように、お玉でかきまわしながらあたためている。その姿に、なにかこちらもあたたまる思いであった。しかし、彼女はどうも、私の帰宅する玄関の音を聞いてから台所にたったらしく、まだまだそのときはあたためはじめであったようだ。

外出着を脱いだ私はいつものようにトイレに入り用を足した。においが少し気になり、スプレーをかけたあと、トイレを出ると、私はめんくらった。あれ、このにおいは? なにゆえ?
私より先に、テーブルでパソコンを打っていた息子が「なんか、臭くね? このにおいは…」と言いかけて、妹が暖めているものを見て口ごもった。わたしもそれを察して「どうした? カレーこがしてないか?」と娘の背中に問いかけた。娘はまさにかきまわしながら
「こがしてないよ、かきまわしてるから」とこたえるのだが、どう考えてもこのにおいのもとはその鍋の中のものらしいのだ。

いままでに二日目のカレーをあたためて堪能したことはずいぶんあるが、こんな異臭がしたことはない。どうもアノにおいとしか言いようがないのだが、まさか自分のトイレのせいかともう一度トイレをのぞいたが、さわやかな芳香のにおいしかない。においはどんどん強まっている。

そうこうする間に娘は暖め終わったカレーをごはんにかけて息子と私と3人分用意し、自分がせっせと食べ始めた。急いでいるのは書きかけの小説を続けたいからに違いない。
息子は黙って目の前の大好きなカレーをみおろしている。私はおそるおそる口に運んでみた。すると多少濃いめというか粉っぽいが味はまさしくカレーだったものだから安心して食べ始めた。「おう、大丈夫大丈夫、<味>はカレーだから」
言うと、息子もようやくカレーにスプーンをつっこみ、ひどく緩慢な動きで口に運び始めた。

そこへ妻が帰ってきたのだった。玄関あけるなり、叫んだ。
「うう、なにこのにおい、どうしたの? う○このにおいじゃない?」
息子が凍り付いた。みんなが口に出さなかったのに」
「カレーを食べているのにカレーがう○こくさいというのは最悪だな」
と、やぶれかぶれに言う私。
妻は部屋に入るとますますさわいだ。
「うわー、くさい。なに、これ、ほんとにカレーのにおい、これ?」
「いや、焦がしてはいないんだけどさ」
「焦がしたって、こんなにおいしないよ、ふつう。もしかして、腐ってたんじゃないの」
スプーンが止まった。

私が「そういえば、今日は3日めだった!」と言うと、
「やめなやめな、もう、なにやってんのみんな」
と妻が皿を回収して行った。
「えー、わたしもう食べちゃったよ」と、書きかけの小説の続きを書きたくて既に食卓を離れてパソコンを打っていた娘が言う。
私も半分くらい食べた所だったので残りは捨てた。
息子はなんと用心深く、ほんの少し口を付けた程度だった。カレーは息子の大好物なのだ。
娘が「なんか、お腹いたくなってきた」と言う。
「気のせいよ、そんな大丈夫だから」妻は自分の言動でかえって騒動をひきおこしてしまったから、今度は鎮静させようとしていた。

便秘気味の私はその後、2度もトイレに行き、息子は別のものを食べ、娘は寝てしまった。
その夜中に、娘は2度トイレで吐いた。
やはり、腐っていたのだろう。

というわけで、我が家は期せずして、あの有名なカレーにまつわる究極の選択劇をやらされたわけだが、以前は想像で、カレー味のう○こよりう○こ味のカレーをとると思っていたが、経験してみると、う○こ臭のカレーはなんとか食べられるということがわかった。だからどうだということもないが。まあ、味がカレーであってくれたことはとても大きなアドバンテージであった。

▼【セレブ似ティ】第32回戦 火野正平 vs アンソニー・ホプキンス

2008-01-15 22:52:36 | ▼ザ・セレブ似ティ!
知ってました? 怖い怖い、あのレクター博士と、ちゃらちゃらプレイボーイでならした
わが火野正平が何となく似ていたってこと。

というわけで、ひさびさの第32回戦は、
火野正平 vs アンソニー・ホプキンスだぁぁぁぁぁあっ!



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ここでは、古今東西、私が個人的に発見した≪似たもの同士≫を紹介していきます。これは映画やドラマを見ているうちに、ふとひらめいたものを、いつか、どこかで他の人にも知らせたいと思い、なんとなくストックしておいたものです。そっくりさんとはちょっとニュアンスが違い、厳密には似てないのかもしれないが、どうしても、総体として、「似てる!」と唸らせるような、雰囲気似のようなもの、まあ、言葉ではどうも表しにくいが、いくつか見ていただくうちに、ははあ、とうなづいて頂けるものと思います。なお、個人的な見方ではありますが、多くの人の中にはやはり同じ感性をもつ人もいるわけで、ネタ的にだぶったりすることもあると思いますが、決してまねやぱくりではありませんので、ご了承ください。どちらがまねしたとかでなく、同じことを感じたということだと思います。
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●アリエナイ話を作るアリエール

2008-01-14 01:20:28 | ●CM放談
今オンエア中よりも一つ前にやっていたアリエールのCMで、草薙剛が「毎年妻の誕生日には洗濯機の掃除をしてあげる」という、気持ち悪いCMがあった。
誕生日に洗濯機の掃除をしてくれてうれしいわ! と歓喜の雄叫びをあげる奥さんがいたら手を挙げてください。

これを考えたヒトはおそらく、結婚をしていない若い男性であろう。およそ、洗剤を買ってくれる奥さんに向けてこれほど的外れな攻め方はない。
妻は洗濯女ではない。家に洗濯を専門とする家政婦がいて、その人の誕生日に洗濯機の掃除をしてあげるのなら、わかる、ともやはり言えないなあ。
たとえ、洗濯女であっても、自分の誕生日には洗濯機の掃除なんかでなく、ほかのものが欲しいと思うよ。
むしろ洗濯が専門であれば、洗濯機自体の掃除も自分の仕事と言う自負が有るはず。

ここで大事なことは、全国の妻たちの「女を馬鹿にしている、家事を女の仕事であると断じている!」「してあげるという言い方がおしつけがましい」とかの感情的な批判ではなく、<誕生日に>というところに目を向けることである。
要するに、誕生日と言う夢のある楽しげでロマンチックな日のお祝いに、洗濯漕の淵の奥にこびりついた洗剤滓をこそぎとる行為が、ふさわしいものであるかどうか、そのへんをとくと考えてほしいのである。当の妻なら「誕生日にそれかい!」とさけびたくもなろう。

このCMを救うとしたら、草薙は妻の誕生日云々をいわず、黙って洗濯機の掃除をしている、それをかげから見ている奥さんがいる。製品の説明がはいる。さいごに妻を前に誕生日のケーキ、そして、引き絵のボケで草薙が渡すプレゼントのシーンの上に商品がのれば、よい。
洗濯機の掃除のくだりは気持ちのおまけ程度にしてしまえばいいだろう。

同じP&Gのボールズはあんなに突き抜けたCMを作っているのが不思議でならない。荒くれ男たちの頬にやさしい感触のタオルのシズル感というのがとてもよくわかるし、何より洗剤CMに荒くれ男たちをもってきた発想がすばらしい。ユーモアを交えながら、基本の効能効果をしっかり伝えているあたり、よくできたCMである。

●森永「ダース」のCMはなんだかなあ

2008-01-05 13:56:01 | ●CM放談
★お断り★
当方の都合によるブログの整理統廃合のため、今回は過去に他サイトで発表済みのものをアップします。(念のため初出のブログ名と年月日を記載しておきます)


 森永「ダース」のKinKi Kids出演のCMがちょっと。光一編の方はまあいいとして、気にかかるのは剛編の方だ。
 会社帰りの電車の中。疲れた様子で吊革につかまって立つ堂本が前に座っているカメラ(同僚? 後輩?)に向かって「やめちゃえば」といいながらダースを差し出す。

 悩みか愚痴かをうち明けられた後のリアクションというわけだろうが「やめちゃえば」とは、ずいぶんとかんたんに言ってくれちゃってると思うのだ。その言い方のニュアンスがまた、いかにもかったるそうで、投げ出すような、無責任きわまりない感じなのだ。

 実際にいま会社でイヤなことがあったりして悩んだり疲れたりしているときに、先輩や同僚からこう言われたら、どんな気がするだろう。しかもチョコレートをさし出されたら。

 ここにはメーカーや制作者側が意図しているような癒しなどは感じられない。まして「前向きに生きていくことを提案」(森永のCM裏話より)しているなどとはとても思えない。なぜなら「やめちゃえば」という言葉には、慰めるとか癒すとかではなく、これ以上あなたの愚痴や悩みにつきあいたくはない、という拒絶の底意が感じられるから。

 リアリティを装った表現ながら、これほどリアリティのないものはないのではないか。
 せめて「少しやすんだら」とか「やすんじゃいなよ」とかにしてほしかった。フリーターやニートが騒がれる世相をいかにも反映したような内容だ。

 たった今、現実に会社をやめるかどうしようかと思い詰めるほどの岐路に立っている人が見たとき、不快の念を禁じ得ないだろうと思う。
 ターゲットに当たる20代前半の女性たちは堂本剛のこの言葉をどう受け止めているのだろう。

(2005.5.13:ameblo)

●いい加減にしてくれ、小林製薬!

2008-01-03 18:56:05 | ●CM放談
たしかに、最初は小林製薬のCMをかっていた。他社のそれとはあきらかに一線を画し、体のいいイメージ音楽はいっさい使わず、言いたいことをかっちりとしゃべりまくる。こうした独自のスタイルが小林製薬CMの特徴である。以前そのよさをこのコーナーでほめたばかりである。(「やよ、君は見たか小林製薬の超リアリズムCMを」参照)

流されないから、目はとまり、耳は立つ。メッセージはしっかりと受け止めてしまう。まじめに聞いていると、そのような気がしてくる。CMであることを忘れてしまうのかもしれない。
その魔力ある作り方に一目置いてきたのは事実だ。

しかし、である。どうもそうした評価の声が小林自身にも聞こえているらしく、最近図に乗っている節がある。これは看過できない。
前回もいったが、小林製薬のCMを見ていると、訴える症状や現象がじんとくる。ホントに痛そうだし、ホントにかゆそうだし、ホントに臭そうだし、総じてつらそうなのだ。
ほかのどんなCMよりも同じ症状のつらさをよく語っている。つまり見ている方もつらくなる。それがインパクトなのだといえば、誠にその通りだが、それにしても、限度があるのではないかと、最近思うのである。

いったい、私たちはテレビを見て笑い、楽しんでいる。なのに、その気持ちのいい映像や音楽の流れをぶったぎって、画面はめいっぱいつらさを訴えかけてくる。かゆいよう! 痛いよう! 臭いよう! そしてその痛そうな痒そうななまなましい患部、臭そうな表情。
いいかげんにせんかい! と言いたくもなるのである。そこまで、言うか、と抗議したくもなるのである。指の関節のしわが切れて赤身がのぞいている映像を見て、不快に思わない人はいないだろう。いくらなんでもやりすぎでないか。小林製薬!

さて、もうひとつ、これは細君の逆鱗に触れたらしく、ぜひぜひ言っておけとの厳命を受けているので付け加えるが、熱のある時にさましてくれるような気がする、額に貼る冷感シートがあるが、あのCMの設定によると、奥さんは熱を出したが、晩飯の時間になり。シートを額に貼ってがんばり、見事、家族みんなの食事を用意できた、という美談になっているのだが、画面の右端に映っている肘から先の部分が、細君どうしても許せなかったらしいのだ。

この手はなんだ、と。誰の手だ、と。奥さん額に青いシート貼った姿でいじましくもほほえんでいるというのに、この手の持ち主は何をしているんだ、なぜ黙ってすわっている? なぜ席を立って手伝わない? 子どもは仕方ないそんなものだ。しかし、旦那だったら奥さんのつらさがわからぬはずはないではないか。肘から先の腕がじっとしていることにいたくお怒りなのである。

これは小林製薬、ぬかったのではないかな。