さっき見たカエルは二度嗤う

ちょっと一言いいたい、言っておかねば、ということども。

○冷蔵庫内に個室が欲しい

2007-10-26 00:02:16 | ○日々のさざめき
私は無類のチョコレート好きである。ほとんど毎日食べないと気が済まないほどで、大人の男としてはちょっと珍しいタイプかもしれない。チョコレート好きは子供の頃からで、高校生の時に森永ハイクラウンを5箱ぐらい一度に食べて、鼻血を出したこともある。なぜこれほど贅をつくしたかと考えるにやはり、小学校の頃の強烈な体験があったからと思われる。

板チョコには山がある。我が家は3人兄弟だったので、一枚のガーナミルクチョコレートを三人で分けて食べた。食べる時はだから、1山単位だ。たまに贅沢する気分で思い切って2山放り込んで目をつぶり、恍惚に浸ることもあったが、1山が口に入れる1単位であったことには違いがない。ところが、ある日、私は近所の友達の家を訪れた際、そこで信じられない光景を目にしたのだ。友人がなんと、板チョコをマルで頭からかじりながら歩いてきたのだ。わたしはその場で腰を抜かしかけるほどのショックを受けた。とんでいって、この罰当たりが! と、脳天を叩きたいほどだった。
ずっとあとに、チョコバーというのが出て、そのCMで「丸かじり」という表現が使われたが、それより、ずっと以前にそいつは無謀にも板チョコをまるかじりしやがったのである。外紙が剥け、その上から銀紙がめくれ、そこから出た茶色い部分。これはそそられる。やはり、ずっとあとに、そうした板チョコの姿がポスターか中吊りになって登場した記憶がある。
腰を抜かすほどのショックから立ち直ったわたしはこのとき思ったのだ。いつか、おれも必ず板チョコをまるかじりしてやる、と。(ここで暗転。「5年後」と文字スーパーがはいり、ハイクラウン食べて鼻血を流しているシーンにつながる)

子供の頃好きだからとむやみに食べた反動で、おとなになって、かえって嫌いなものになる、ということをよく聞くが、私にとって、チョコレートはそうはならなかった。2児の父となっても相変わらず好きで、弱っている。おそらくは子供たちよりも好きであり、困るのはそのことである。

スーパーで買ってきたチョコレートを、誰がいくつ食べたかとけんかになるのは、大人の方からすると、かっこわるい。だって、子供同士ならよく見かける光景だが、そこに親父までまきこまれているのは珍しいではないか。恥ずかしいけんかをなくすためには、板チョコをひとりにひとつずつ、というのが望ましいのだが、それでは毎日のように買う我が家にとってあまりに不経済になってしまう。
やはり、家族で食べるのは徳用袋が文字通りお徳だから、どうしてもそちらを買ってしまう。(さいわい、細君は辛党で、さいわいというか、これはこれで困ることもあるが、それについては本題からそれるのでまたの機会に語ることにする。)

徳用袋は娘と息子とわたしの3人で分け合うことになる。ところで、娘は成長するに連れて、味覚が母親に似てきたようで、だんだん、チョコレートに固執しなくなったが、息子は無類の甘党であり、家のなかでは宿敵に近い。コーラはほとんど毎日飲んでいる。

チョコレートは溶けると食感が落ちるので、冬でも冷蔵庫の中に入れておくことが多い。最初冷蔵庫の中のさまざまなところに隠していたが、そのうち、すぐに見つけ出されるようになってしまった。見つけた息子に「あー、こんなところに、隠してあったよ」とチョコの袋を取り出して見せられると、食卓でむつかしい顔をして新聞を読んでいる私はどんな顔をしていいのかわからなかった。

あーあ、と思うのである。情けないではないか、父親が自分のためにチョコレートを隠し、それを息子に発見され、自分だけずるいと糾弾されるのである。しかし、週末に買った徳用袋を解放しておいたら、月曜に会社から戻ったらまずなくなっているのである。楽しみに帰ってきたのに冷蔵庫を覗くと、もうすでに一つも残っていない。しかも、腹の立つことに、空き袋はそのままなのだ。
扉をとじるなり、息子、娘に怒鳴り散らす。
「空の袋をそのままにするな、ちゃんと捨てなさい!」本当は、「なんで全部食べちゃうんだ、少しは残しておけよ!」と言いたいのである。あまり、ブーたれたので、最近は申し訳程度に1個だけ残っていることもある。
このように、世の中には、人知れず大好きなものを保護したいという大人もいるのだ。

さて、というわけで。
冷蔵庫メーカーにお願いしたいのだが、冷蔵庫に小さな個室をいくつか作れないかということである。その個室には、キープレートがついていて、パスワードを入力すると解錠できるのだ。こうすれば、家族の被害にあうことなく、大人も子供も、自分の好きなものを守ることが出来るのだ。すばらしいアイデアだと思うのだが、いかがだろうか。

●ジャッキーチェン出演もむなし不明CMーVISA

2007-10-21 22:42:13 | ●CM放談
またしてもVISAである。
どうして、こう、わからないことをしてしまうのか。広告主と、広告代理店と制作プロダクションと、多くのスタッフが関わってできていくのがCMだが、誰も疑問に思わないのが不思議なくらいだ。

ジャッキーチェンが突然北京オリンピックに行きたくなり、オリンピックにいくために、卓球やサッカーの選手になるべくすぐに特訓を始めるが、結局ダメ。そこにスーパーで、「もっと簡単な方法が、ありますよ」。それ以外は一言のナレーションもなく、忙しそうな音楽が流れるだけ。そうしてジャッキーはVISAでオリンピックチケットを買って北京へ。ところが、会場の席の前にバスケットボールの巨大な選手がいて、よく見えない。そこでジャッキーお得意のトリッキーな技を使って、巨人の前の席にするっとはいって、競技を観てご満悦という流れ。

これはいったい何が言いたいのか。わかるヒトは手を挙げてください。

最後のメッセージは「VISAさえあれば」あのう、ジャッキーはもともとVISA持ってるんですけど。
そのカードで、サッカーボールを買ったりしてるんですけど。
選手になって行くより、観客として行った方が楽ですよ。ということらしいが、それとVISAカードと何の関連があるのか。
VISAがなくたって、DCカードでチケット買えば、北京に行ける。

ジャッキーはもともとVISAカード持ってる訳だから、使い方がよくない、ということなのだが、それでは全体としてのCMメッセージとの関連性がなくなってしまうではないか。
そうではなく、本当にいいたいのはVISAインターナショナルは北京オリンピックの公式スポンサーです、ということだろう。だったら、こんな入り組んだ誤解の多いシチュエーションやお話をつくらず、シンプルな表現にすればいい。このCMでは、そんなVISAの思惑は全く伝わってこない。

ついでに言えば、これよりひとつ前のシリーズで観月ありさ出演の世界通貨というのがあったが、これは言いたいことがそのまま表現されていてストレートにつたわるものであったが、皮肉にも落ちがあまりにはっきりしたものだったので、一回か二回観れば十分なものであった。そのため、何度もみさせられたのは苦痛でしかなかった。それは誰も同じであったと思う。

リチャードギアのは偽善者のおせっかいを描いて女の子と消費者の反発を買い、観月ありさのはわかりきった落ちを何度も観させる苦痛を与え、今回のジャッキーでは不可解な気分にさせられただけで、いずれもVISAカードの必要性を微塵も感じられなかった。

作るCMことごとくはずれるVISAはいったい何を考えているのでしょうか。
わかるヒトは挙手願います。

▼【セレブ似ティ】第31回戦 谷中敦 vs ジョージ・クルーニー

2007-10-01 00:28:07 | ▼ザ・セレブ似ティ!
東京スカパラダイスのメンバーは全員名前と顔が一致するヒトは少ないと思います。ぱっとみてすぐ印象的にジョージ・クルーニーを連想するヒトがいたので、調べたら、谷中敦さんでした。
濃さで入ったらそれは欧米のヒトの方が上ですが、谷中さんもなかなかだと思いますが、いかがでしょうか。

というわけで、ひさびさの第31回戦は、
谷中敦 vs ジョージ・クルーニーだぁぁぁぁぁあっ!



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ここでは、古今東西、私が個人的に発見した≪似たもの同士≫を紹介していきます。これは映画やドラマを見ているうちに、ふとひらめいたものを、いつか、どこかで他の人にも知らせたいと思い、なんとなくストックしておいたものです。そっくりさんとはちょっとニュアンスが違い、厳密には似てないのかもしれないが、どうしても、総体として、「似てる!」と唸らせるような、雰囲気似のようなもの、まあ、言葉ではどうも表しにくいが、いくつか見ていただくうちに、ははあ、とうなづいて頂けるものと思います。なお、個人的な見方ではありますが、多くの人の中にはやはり同じ感性をもつ人もいるわけで、ネタ的にだぶったりすることもあると思いますが、決してまねやぱくりではありませんので、ご了承ください。どちらがまねしたとかでなく、同じことを感じたということだと思います。
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