たまり場ぶろぐNEO

 奈良県在住、天里友香のブログ。
 漫画・ゲーム・同人等のオタク系話題と日常、時々は真面目な話です。

三河武士たちのいた場所へ(番外)

2015-10-12 13:18:20 | 旅行
 岡崎城の周辺で懐かしいキャラ発見!!
「同じ愛知県だからね!!」
 キャラと言えば、ゆるキャラグランプリの投票期間なので
浜松ではあちこちに『出世大名家康くん』推しのポスターが貼ってたんですが
「そんなに家康を推してるんなら、
居城の浜松城にはどう行けばいいかとかも宣伝してよ!!」と
行き当たりバッタリな観光客としては
内心八つ当たりしてました(苦笑)

三河武士たちのいた場所へ④

2015-10-12 12:37:27 | 旅行
 岡崎を出て「これまたかなり時間ギリギリになる」けど、
JRはフリーだし、せめて浜松城だけでもと半分は賭けのつもりで浜松へ。
 駅を降りてみると、音楽フェスティバルをやっていてとても賑やか。
「そう言えば、浜松ってヤマハとかもイメージあるな」
 で。浜松城に行きたかったわけですが、
これまた駅から多少離れてるらしいのに
どうも道が分かりにくく
「なら、バスで」と思ったのでバスに乗車しようとするも
イベントの人混みもあり乗り場が分かりにくかったのには参りました。
 着いてみると浜松城も周囲は公園になってましたが
この公園でもやはり何か催しをやってて
人混みで通りにくく案内板も探しにくく、すぐには天守閣に行けず。
 天守閣に着いたのが16時10分頃で、かなりギリギリ。
「時間がないから、まず上に昇って下に降りるといいですよ」と言うのでそうしたのですが、
また1階に戻ってみると何やら地下があり、
そこは井戸の跡と…
「えぇっ!?『センゴク』の宮下英樹先生の原画が展示されてるって?!」
 慌てて降りてみると、突き当たりに
『三方ヶ原の戦い(まさに当時、家康は浜松城が本拠地)』のシーンのカラー原画が有って
「おおお!!」と思ってたら、突如灯りが消えて。
「?!16時30分…」この時間が『入城時間』と思ってたら、
どうも片付け始める時間でもあったらしく(苦笑)
地下なので灯りを消されてはどうしようもなく
「なんと言うか…少しだけ
『ルーベンスの絵を垣間見たネロ』みたいな(苦笑)」
 やはり、時間にもっと余裕があるようにしなきゃダメですね。
 楽しかったけど
「見たいものがあるなら、移動時間を金で買うのをケチるな」と実感した旅でもありました。

三河武士たちのいた場所へ③

2015-10-12 11:47:58 | 旅行
 大樹寺を出た後、徒歩で岡崎城に向かうことにしました。
 なぜ徒歩かというと、
単に貧乏旅行だからというのもありますが(苦笑)
約3㎞なら色々想像しながら歩いてみるのもいいかなと。
 かつて、三代将軍徳川家光が
「寺から祖父の生まれた城が見えるよう」街を整備したそうで
この区間を現在は『ビスタライン』と呼んでるそうですが、
現在は規制が厳しくないからか、
むしろ岡崎城前の高層マンションの方が城へ向かう目印になってたり(苦笑)
 岡崎城に着いて、前日は入れなかった『三河武士のやかた 家康館』へ。
 岡崎城二の丸跡に建てられた
『家康と彼に仕え支えた三河武士団についての展示館』で
おそらく最近作ったからでしょうが、
キレイで展示や解説などがわかりやすくて面白かったです。
(ただし、仕方ないけど収蔵品などは複製がほとんど)
 ここでもリュックサックを背負ってたら
「よければ無料ロッカーがありますよ」と、
自分から何も言わないうちに教えてくれました。
『人生は重い荷物を背負って坂道を登るようなもの』と遺訓を遺してる家康ですが、
はからずも彼の生まれ故郷の街の人々から「荷物が軽くなるよう」親切にしてもらえて、
なんとも嬉しくありがたく感じられました。

三河武士たちのいた場所へ②

2015-10-12 10:42:35 | 旅行
 2日目。
 朝から雨が降ってましたが、そのうちに止んできたので
「大樹寺から岡崎城に行ってみよう!!」と計画。
 この大樹寺というのは松平家の頃からの徳川家の菩提寺で、
先祖たちと歴代の徳川将軍の等身大の位牌が安置されてます。
 また、桶狭間の戦いで属していた今川軍が敗れ
落武者のようにして帰ってきた松平元康(家康)が城を前に一時この寺に入り
「運がない自分は追っ手に討たれるより、
父の墓前で切腹する」と言い出したので
住職が「貴方はまだ若い。生きて泰平の世を作るため闘うのが使命だ」と諭して
後に旗印にする『厭離穢土 欣求浄土』の言葉を与えたそうで、
非常に家康と徳川家に所縁が深いお寺です。
 参拝するのに受付に行ったら、
自分はこの時に着替えなどを詰めたリュックサックを背負ってたんですが
「重そうだから、よければ預かりますよ?」と言ってもらえて
おかげでゆっくり拝観できました。
 混んでなかったからというのもあったのでしょうが、
親切なお気遣いがありがたかったです。(感謝!!)
 有料の奥の間にはかつて将軍や大名の控室になってた部屋や襖絵や庭、
そしてさっき書いた「位牌の安置所」がありました。
 やはり、中でも家康のは扱いが別格で位牌のほか木像も有ったり。
 二代将軍秀忠の位牌は等身大の物以外に妻の江と並んだ位牌も。
 等身大というので、だいたい160未満~150㎝代が多い中、
五代綱吉だけが120㎝代とやけに低く(8才で亡くなった七代家継の130㎝代より低い!!)
更に六代家宣の説明文には「悪政をただし」とか書いてあって
「背は事実のまま(ちゃんと遺体の身長を測る係もいて、
かなり正確に作られてる)と言え
仕方ないけど扱いが何気に悪く見えるな。(苦笑)」と思ってしまいました。
 あと、松平家の先祖たちの説明で当時で80超や70代まで長生きしたとされてる人が案外多く。
「これが正確かはともかく、
長命な体の遺伝子を家康は隔世遺伝で幸運にも継いでたのかも?」と。
(ただし、家康の祖父や父は暗殺されて若くして亡くなってるのですが)
 なかなか興味深かったです。

三河武士たちのいた場所へ①

2015-10-12 09:48:36 | 旅行
 2017年10月10日~11日に岡崎(と、少し浜松)に行きました。
 と言うのはこの連休中に3日間使えるJRのフリー切符があると言うので
『特急を使わなくてもなんとか行けそうで、
自分にとって関心がある場所で、
安い宿が取れる場所』…と考えて
「徳川家康400年で色々やってるそうだし、
岡崎(家康の生まれた場所)や、
浜松(壮年期を過ごした場所)辺りどうかな!?」
 そんなわけで、出発。
 朝から出かけたのですが
やはり新幹線や特急が使えない旅行は時間がかかり、
(途中、大垣駅で昼ごはんに降りたけど)
JRの岡崎駅に着いたのは15時過ぎ。
 一応ガイドブックなどは調べてきましたが、
正直『名古屋周辺』扱いで岡崎市はあんまり詳しく載ってなくて、
かなりの行き当たりバッタリ。
「こんな時間だけど、せめて岡崎城くらい行きたい!!」
…と、JRから更に愛知環状鉄道というのに乗って岡崎城へ。
 駅から少し離れた場所で、あんまり詳しい道案内がない
(観光案内所でもらった地図はあったけど、
正直もう少し道案内の看板とか欲しかった)ので、
キョロキョロしながら到着したのが16時。
 有料施設は天守閣と『三河武士のやかた 家康館』というのが2ヶ所あり
同じ日ならセット入場券もあったけど
「今からだと片方だけだな」と思ったので、この日はまずは天守閣へ。
 天守閣は再建されたもので、そもそも家康が生まれた当時にはない
(当時は『大きめな砦』くらいなイメージの方が合ってるかと)のですが、
せっかく『城』に来たからにはと。
 中ではパワースポットとして礎石などに触れるようにもなってましたが、
個人的には「史跡に触れるのってどうだろう?」と思ったのでそれはやめました。
 かつての城跡は公園になっていて、
家康産湯の井戸(さすがに飲み水には使えないけど、
まだ水が出ていて汲み上げた水に触れられるような設備があった)や
胎盤を埋めた『えな塚』などもあり、
若君の誕生を喜んだ城の人々の様子が想像できました。