「待たせてごめんね~」
ギャリーは謝りながらドアを開けた。
部屋はギャリーの趣味でかわいいもの、趣味のいいもので一杯だ。
小物や家具は色彩も年代も様々だが、絶妙なバランスで調和している。いつ来ても面白い。
上品で綺麗な自分の部屋もいいけれど、こんなキッチュな部屋に住みたいなぁと、いつもイヴは思う。
「アヴ~ウ」
遅いぞとばかり唸ると、飼い猫のピートがギャリーの足元に飛び降りた。
「こんばんは、ピート」
イヴの足首をスルリと擦り、ピートはギャリーの脚にまとわりついた。
「わぁ、かわいい猫でござるな!」
猫好きのアピールとばかり、ジャンは手を伸ばした。
が、ピートはその手を思い切り引っ掻く。
「あ、痛っ!」
「大丈夫? ごめんね、すぐ手当するから」
「だ、大丈夫でござる」
が、猫の爪の出血は派手だ。
「私がやるわ、ギャリー」
「そう、悪いわね。じゃ、ご機嫌斜めのピートにご飯上げてくるから」
救急箱をイヴに渡し、ギャリーはまとわりつくピートに歩行の邪魔をされながらキッチンに向かう。
「手出して」
イヴは器用にジャンの手当を始めた。
「バカね。ピートは来客が嫌いでとても気難しいのよ。
猫は撫でていい時と悪い時があるんだから、気をつけなきゃ」
「あたた! 染みるっ!染みるっ!」
「男の子だったら、泣き言言わないの」
イヴは手早く手当を終えた。
看護婦のような綺麗な仕上がりに、ジャンは惚れ惚れと眺める。
「うまいものでござるな。かたじけない。
まさかイヴ殿に手当してもらえるとは思わなかったでござる。皆に自慢せねば」
「大袈裟ね。第一、ジャンの本命は私じゃないでしょ?」
「いやー、イヴ殿はライバルが多すぎて、それがしなど…」
ジャンは照れたように鼻の頭を掻いた。
「え?」
ギャリー一筋で他の男子など眼中になかったので、イヴは驚く。
「でも、これで二人の距離がグッと縮まったでござる」
「ジャンは気が多すぎ」
イヴは呆れて溜息をついた。
「あらあら、二人とも仲いいのね~」
ギャリーがお茶とお菓子を二人の前に置く。
「やめてよ、そんなんじゃないって!」
「いや~、照れるでござる」
二人の不協和音が木霊した。ジャンは目を細めてギャリーを見つめる。
「でも、ギャリー殿の大人の魅力もなかなかでござる」
「あら、嬉しい。ありがとう」
ギャリーは軽く躱して、二人の前に腰を下ろした。
「イヴの制服姿は初めてね。
何かそれだけでいつもと違って見えるわ。女の子って不思議ね」
「そ、そう?似合ってるかな?」
イヴは頬を桜色に染めた。それだけで花より輝いて見える。
「とっても。新入生だからちょっと大きめでしょ?だから、余計に初々しいわ。
でも、すぐピッタリになっちゃうんでしょうね。
この歳の女の子はビックリするほど早く大きくなっちゃうから。
最初出会った時から、随分背が伸びたわよね、イヴ」
「ギャリーには全然追いつけないけどね」
「アタシより大きくなったら困っちゃうわ」
ギャリーは笑って、マカロンをつまむ。
イヴがいつ来てもいいように、いつも用意してあった。
「あ、これ、ギャリー殿でござるか?」
二人の会話に割り込むように、ジャンは劇の写真の切り抜きを指さした。
「アハハ、端役だけどね。いつも脇役止まり。
でもね、次、頑張ったら主役がもらえそうよ、イヴ」
「ホント、ギャリー!」
イヴは思わず身を乗り出した。
「ええ、イヴも知ってるでしょ? 美術館の受付のエリク。
あの人、劇の演出家もやっていてね。
今度のお芝居の主役のイメージがアタシにピッタリなんですって!」
「凄い、ギャリー! 夢がかなうのね。おめでとう!」
「まだ決まった訳じゃないのよ。オーディションも受けないといけないし。
でも、結構いい線行ってるんですって。
新しいバイトも決まったし、いい春になりそうだわ」
「バイト?」
ギャリーは微笑んだ。
「古い書庫の整理をしないかって。これも主役の話と一緒に薦めてもらったの。
二週間程度だけど、結構金額いいし決めちゃった」
「大丈夫? 劇の稽古は?」
「ちょうど公演が終わって、間が空いたから却って助かるの。
でも、しばらく会えなくなっちゃうわね。ごめんね、イヴ」
「ううん、いいの。二週間だもん。稽古が始まったら、また見学に行くね」
「イヴならいつでも歓迎よ」
ギャリーはウィンクする。ジャンは首を傾げた。
「ギャリー殿は何故そんなにバイトをするのでござるか? 役者に専念すればよいのに」
「アハハ、小劇団じゃ殆ど食えないのよね~。
大きい劇団なら市の助成金も入るんだろうけど。
他の団員も殆ど掛け持ちよ。バイトの選り好みはしてらんないわ」
「だから、うちに下宿すればいいのに」
イヴは唇を尖らせたが、ギャリーはいつものように苦笑して、やんわりと断る。
「気持ちは嬉しいけど、イヴんちは立派過ぎて申し訳ないわ。
ピートもいるしね。あんな綺麗な家具に爪を立てたら大変。
アタシはずっと一人暮らしだし、気楽なのが性に合ってるの。
ここの花屋のおばさんとも仲良しだしね」
決して裕福ではないギャリーには有り難い話だ。家賃分が浮けば、レッスンも増やせる。
だが、自立心が高いギャリーは甘えてはいけないと強く思うし、肌合いの違う生活は気詰まりだ。
(イヴのご両親はいい人達なんだけどね。
アタシを歓迎してくれるのは『近所のいいお兄さん』だからで、オオカミじゃないからなのよね。
それに…やっぱり『好きな子』と一つ屋根の下で暮らすのは、今のアタシにとっちゃ拷問だわ)
もう四年前とは違う。
イヴを異性として意識し始めたのはいつからか。
イヴは少女から女の子に変わったが、自分は男なのだ。
特に少女は日に日にその姿を変える。今日も制服姿に一瞬息を飲んだ。
線も丸みを帯びて、ただかわいい!と簡単に抱きしめていい年齢ではなくなった。
(それにまさか男の子と同伴なんてねぇ)
イヴはその気がないようだが、ジャンはイヴに興味津々のようだ。
今もチラチラ、イヴの横顔を気にしてる。
別に自分を『おじさん』なんてサラサラ思っちゃいない。
だが、やはりイブには相応の年代の男の子がいいのではないのかと思う。
(…もし、イヴが恋愛相談なんかしてきたら、アタシは頼れるお兄さんとして相談に乗ってあげないといけないのよねぇ)
よく人に悩み相談されるギャリーだが、それがイヴからだとしたら、その時どんな顔をして受ければいいのだろう。
(イヴを誰かに取られるのは悔しいけど、アタシのわがままでイヴの幸せを壊したくないのよね。
あーあ、こんな事で悩まなきゃいけない年齢にイヴも突入しちゃったのか。
実際起こってもないのに悩むなんてバカねとスルーしてたけど、目の当たりにすると結構ショックだわ、こりゃ)
ぽっちゃり型でおたくのジャンを恋のライバルとは考えにくかったが、衝撃を受けたのはやはり年齢差か。
もし、イヴが清潔そうで誠実でハンサムな少年と連れ立っていたら…とてもこうして穏やかに茶を飲んでいられなかったかも知れない。
(しかし、今更イヴに告るというのも何か違うのよね。
この関係で何の不満もなかったし。これを生臭くするのもイヤだったし)
だが、いつまでもぬるま湯の関係ではいられないのかも知れない。
潮時か。曲がり角が来たのか。
その瞬間、大きな音に全員が振り返った。
ピートが出窓に飛んできた青い蝶を捕えたのだ。
その衝撃に置いてあった小物が床に落ちた。
ピートは気にせず、蝶をバラバラにしている。青い鱗粉が飛び散った。
「もう、ダメよ、ピート」
ギャリーは立ち上がり、小物を片づけ始めるが、ピートは知らん振りだ。
獲物に興味をなくして、イヴの座っているソファの背凭れに飛び上がり、背中を丸める。
ギャリーは窓を閉めた。
「ピートは虫好きだから困っちゃうわ」
「何故、ピートって名前でござるか?」
「私が好きなSFに『夏への扉』ってあってね。
そこに出てくる猫の名前をもらったの。
怪我してた迷い猫だけど、ケンカが強くて、お酒まで飲むのよ。
猫に飲ませるのはよくないと思うんだけど欲しがると、ついね。そういうとこもピートっぽいかなって。
今じゃイヴともすっかり仲良しよ」
「へぇ」
ジャンは真横でしっぽをうねらせている雄猫を恨めし気に見た。
ジャンのイヴへの視線を阻むようにしっぽをソファに神経質に叩いて威圧している。
ジャンは本当は動物が苦手だ。この門番がいる限り、心を見透かされてる気分が抜けないだろう。
それでも、二人の気を何とか惹きたい。
ジャンは一番ホットだと思う話題を持ち出した。
「そういえば、あの三人どうなったでござろうか?」
「三人?」
ギャリーが首を傾げたのと、イヴがサッと顔を上げたので、ジャンは得意になって魔女や蝶の噂を説明する。
「…で、三人はそれを見に行ったっていうの?」
ギャリーは厳しい顔になった。
「何で止めなかったの、イヴ」
「…止めたの。でも」
「ほんの肝試しではござらぬか。そんな固く考える事もなかろう」
二人に同時に見つめられて、ジャンは戸惑った。空気が変だ。
ジャンの顔が強張ったのに気づいて、ギャリーは表情を和らげた。
「そうね、そんな深刻にとらえる必要はないかもね。
でも、もしもって事があるわ。探しに行ってみましょうか」
ギャリーはコートを掴んで立ち上がる。
「ええっ、行くって何処でござるか」
「その街外れよ。心配だわ」
「ま、待つでござる! 携帯! 携帯で連絡を取ればいいでござる!」
ジャンは慌ててギィの短縮を呼び出した。
だが、すぐには通じない。ニ、三度「あれ?あれ?」と試し直す。
イヴは羨ましかった。イヴの母親はまだ早いと言って携帯を持たせてくれない。
クラスの大半の子が持っているのに。
ようやく通じたのか、ジャンは何やらごにょごにょ話していたが、大きな吐息をつき、クルリと笑顔で振り返った。
「ア、アンリ達は携帯切ってたみたいで。
でも、皆の家に確認したら帰ってきたそうでござる。
ただの取り越し苦労でよかったでござるなー、ハハハ」
「あら、そうなの。よかった」
ギャリーは胸を撫で下ろした。二人を見下ろす。
「あんた達は絶対やっちゃダメだからね」
「えー、でも…」
「子供っぽいからしないわ」
ジャンは牽制されてムッとする。肝試し位大学生でも行くのに。
でも、嫌われるのもイヤなので頷いた。二人はお化けが苦手なんだろうなぁと軽く思いながら。
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