記念に、、、 2009年08月16日 | Weblog まあ 基本的に今回最後と言うことで うちの大御所たちに帽子にサイン貰っておきました。 かれこれ色んな有名ライダーとやっていますが自分の為に貰ったのは多分初めて 左から LC65 KS34 CV7 Y社の帽子は年末の木の実R忘年会ジャンケン大会用に頼んで貰ってきました。今をときめく二人のサイン入りで既にみんなミドファーなんですが喜んでくれるんで、、、 « やっぱりしんどい | トップ | 俺的最終戦 »
10 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (馬場文雄 (´・ω・)ノ) 2009-08-17 00:40:11 >Y社の帽子真剣で切り合うようなジャンケンになるなw 返信する マジでー!! (S治) 2009-08-17 13:50:01 ロッシじゃなきゃ意味がない!ロレンツォのうんこサインは… 返信する 俺的には (ばたやん) 2009-08-17 15:57:31 ノブのステッカーのほうがいいかな 返信する Unknown (Unknown) 2009-08-17 19:41:37 室谷信雄さんですね 返信する 室谷信雄 (木村進) 2009-08-17 20:53:00 泉佐野市立長南中学校,浪速高等学校卒業後、吉本興業に入り、白木みのる、ルーキー新一に師事する。付き人生活を終えて、吉本新喜劇に入団。やがて、木村進、間寛平らが新喜劇に入団し、若手の活躍が増えると共に室谷も、次第に薄くなってきた髪の毛のネタで脚光を浴びる。1980年頃から木村進、間寛平と共に新喜劇の主役として出演した。1982年には座長に昇格した。故郷の泉佐野市がタマネギの生産地で有名だった為に、若くして頭髪が薄かったことを「タマネギの食い過ぎ」「タマネギの祟り」などという弄られギャグや、最もインパクトの有るギャグはラバーカップ(トイレの詰まり取り)をその禿げた頭につけられ、そのまま引っ張り回されるというギャグ、また「ごちゃごちゃ言うとったら、しゃーきまっそー、わ~れ~」という泉州弁の叫び声で、当時、関西の子どもたちの間でよくマネをされていた。テレビ番組では『モーレツ!!しごき教室』にレギュラー出演し、『あっちこっち丁稚』では小番頭の役で、人気を博した。それまで病気で新喜劇を休演することは一度も無かったが、声を使いすぎたためか、咽頭癌にかかり、1985年頃に声帯を切除する手術を行った。そのため声が出にくくなり、休養の後、芸能界を引退した。2006年現在、ゴルフ場で働いているという。また、タクシー会社に勤務し、運転手を一時勤めていた、という情報もある。尚,関空建設反対運動に関わって居た漁師とも友達である。1980年代、同じく身体障害者となった木村進と共に、吉本新喜劇中の悲劇の役者といえる存在である。若かりし頃の間寛平は公私に渡って世話になったといい、現在でも『クロ兄さん』呼んで慕っている。現在でも「吉本新喜劇は観る事は出来ない」との事であるが、病気による引退とはいえ、新喜劇内での看板役者であった事実もあり、現在でも芝居の世界から引退した事実を惜しむファンも存在する。また引退して20年以上経つ現在でも太平サブローやオール阪神など室谷信雄のギャグやその舞台上でのしゃべり口調を真似をする芸人もおり、他の吉本興業所属芸人にとっても室谷の存在は大きかった事を物語っている。 返信する Unknown (谷しげる) 2009-08-17 22:28:55 私も室谷さんのステッカー希望です 返信する 木の実忘年会 (自称プロレーサーとMピーの共通の友人) 2009-08-17 22:46:07 みんな友達やったら忘年会で景品もらうことより自称プロサーファーとNピーが微妙な夫婦関係からおかしなことになったのに自称プロレーサーとMピーが微妙なライバル関係からおかしなことになれへんか心配せい! 返信する そうそう (S治) 2009-08-17 22:53:23 わしも浪高卒業。中途半端な学校やったけど有名人いっぱい出てんねんで。赤井秀和 圭修の修 鶴瓶 じゃりン子チエの作者 藤本義一 等々。いつかはわしも…おいおい。でもロッシ 返信する Unknown (Unknown) 2009-08-17 23:04:00 >自称プロレーサーと>Mピーが微妙なライバル関係ハブとマングースみたいなもんですかそれとロッシの帽子はワシが取っちゃるけんのーww 返信する ライバル (自称プロレーサーとMピーの共通の友人) 2009-08-18 22:38:20 ハブとマングースみたいな激烈なライバル関係じゃなしに、野村沙知代と浅香光代みたいなお互い軽蔑しあったライバル関係。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
真剣で切り合うようなジャンケンになるなw
ロレンツォのうんこサインは…
故郷の泉佐野市がタマネギの生産地で有名だった為に、若くして頭髪が薄かったことを「タマネギの食い過ぎ」「タマネギの祟り」などという弄られギャグや、最もインパクトの有るギャグはラバーカップ(トイレの詰まり取り)をその禿げた頭につけられ、そのまま引っ張り回されるというギャグ、また「ごちゃごちゃ言うとったら、しゃーきまっそー、わ~れ~」という泉州弁の叫び声で、当時、関西の子どもたちの間でよくマネをされていた。テレビ番組では『モーレツ!!しごき教室』にレギュラー出演し、『あっちこっち丁稚』では小番頭の役で、人気を博した。
それまで病気で新喜劇を休演することは一度も無かったが、声を使いすぎたためか、咽頭癌にかかり、1985年頃に声帯を切除する手術を行った。そのため声が出にくくなり、休養の後、芸能界を引退した。
2006年現在、ゴルフ場で働いているという。また、タクシー会社に勤務し、運転手を一時勤めていた、という情報もある。尚,関空建設反対運動に関わって居た漁師とも友達である。
1980年代、同じく身体障害者となった木村進と共に、吉本新喜劇中の悲劇の役者といえる存在である。若かりし頃の間寛平は公私に渡って世話になったといい、現在でも『クロ兄さん』呼んで慕っている。現在でも「吉本新喜劇は観る事は出来ない」との事であるが、病気による引退とはいえ、新喜劇内での看板役者であった事実もあり、現在でも芝居の世界から引退した事実を惜しむファンも存在する。また引退して20年以上経つ現在でも太平サブローやオール阪神など室谷信雄のギャグやその舞台上でのしゃべり口調を真似をする芸人もおり、他の吉本興業所属芸人にとっても室谷の存在は大きかった事を物語っている。
中途半端な学校やったけど有名人いっぱい出てんねんで。
赤井秀和 圭修の修 鶴瓶 じゃりン子チエの作者 藤本義一 等々。
いつかはわしも…
おいおい。
でもロッシ
>Mピーが微妙なライバル関係
ハブとマングースみたいなもんですか
それと
ロッシの帽子はワシが取っちゃるけんのーww