1960年11月、マサチューセッツ州ハイアニスポート。アメリカ大統領選挙の開票が進む頃、あの一族がその結果を今か今かと固唾をのんで見守っていました。そのシーンの一つ一つを丹念に撮り続けたのがJack.Lowe。彼の写真を通して、我々は権力の頂点に向って正に「極める」一族の力の結集のさまを今も鮮やかに感じることが出来ます。王室を持たないアメリカにあって、今なお伝説として、また生きた伝説として衆目を集める’The Kennedy’s’’。
長兄亡きあと、一族の期待を一身に受け、ついに民主党大統領候補となった次男ジョン、その妻ジャクリーンは第二子の誕生を間近に控えていました。三男ロバート、その妻エセル、そして四男エドワードとその妻ジョウン。後にケネディ王朝と称された一族の栄光の歴史がいよいよその最高潮を迎えようとしていました。鮮烈な印象を残す兄弟とその妻、しかし王朝はそれだけで築き上げられたものではありませんでした。
ケネディ家の最も長い夜に一族の地所に集ったもう最強の支持者、それがケネディ姉妹でした。ユーニス、パトリシア、ジーンと彼女らの配偶者は、それぞれジョンの大統領選挙活動の重要な柱として一族の悲願に邁進していたのです。
Patricia.Kennedy.Lawford(1924.5.6-2006.9.17)は、マサチューセッツ州ボストンのブルックラインで生まれました。パトリシアの美貌は姉妹の中でもよく知られ、また父ジョゼフは、「パットは我が子の中で一番ビジネスに長けている」とその才覚を評価していたといいます。大学を卒業し、世界をめぐる日々を送る中、姉ユーニスの紹介で知り合ったのが、英国出身の俳優ピーター・ローフォードでした。ピーターは当時、スター女優とも多く共演する人気俳優で、フランク・シナトラやサミー・デーヴィス・ジュニアらとの親交も深く、まさに黄金期を迎えていた華やかなハリウッドを演出する一人でした。2人は交際を始め、ほどなくして結婚を決めますが、信仰に特に篤かった母ローズはピーターが俳優であること、また何よりプロテスタントであることに難色を示しました。生まれてくるであろう子供たちをカトリック教徒として育てることにピーターが同意したため、ほどなくしてローズは結婚を認めました。
かつてローズは、次女キャスリーンが英国貴族との結婚を望んだとき、同様の理由で猛反対しあくまで自らの意思を貫いたキャスリーンを絶縁しました。デボンシャー公爵夫人となったキャスリーンでしたが夫は戦死、やがて別のロマンスも囁かれたものの飛行機事故によりその短い生涯を終え、ローズとの和解はついぞ叶いませんでした。ローズにとってこの出来事は生涯痛恨の記憶として強く残っており、宗教に対する強硬な姿勢に柔軟さがもたらされていたともいわれています。
1954年4月、ニューヨークの聖トマスモア教会で2人は挙式、教会の外は大勢の見物人で溢れたといいます。式にはケネディファミリーも勢揃いし、華やかな宴がプラザホテルで催されました。その後、夫妻は西海岸に移り新婚生活をスタートさせました。黄金期を迎えていたハリウッドの煌びやかな世界に話題を提供する一方、パットはあくまでケネディ家の一員でした。東海岸では兄ジョンの合衆国大統領選出馬への計画が着々と進められていました。
*The Plaza…Central Park South & Fifth Ave
*The Roman Catholic Church of St Thomas More…65.E89th
長兄亡きあと、一族の期待を一身に受け、ついに民主党大統領候補となった次男ジョン、その妻ジャクリーンは第二子の誕生を間近に控えていました。三男ロバート、その妻エセル、そして四男エドワードとその妻ジョウン。後にケネディ王朝と称された一族の栄光の歴史がいよいよその最高潮を迎えようとしていました。鮮烈な印象を残す兄弟とその妻、しかし王朝はそれだけで築き上げられたものではありませんでした。
ケネディ家の最も長い夜に一族の地所に集ったもう最強の支持者、それがケネディ姉妹でした。ユーニス、パトリシア、ジーンと彼女らの配偶者は、それぞれジョンの大統領選挙活動の重要な柱として一族の悲願に邁進していたのです。
Patricia.Kennedy.Lawford(1924.5.6-2006.9.17)は、マサチューセッツ州ボストンのブルックラインで生まれました。パトリシアの美貌は姉妹の中でもよく知られ、また父ジョゼフは、「パットは我が子の中で一番ビジネスに長けている」とその才覚を評価していたといいます。大学を卒業し、世界をめぐる日々を送る中、姉ユーニスの紹介で知り合ったのが、英国出身の俳優ピーター・ローフォードでした。ピーターは当時、スター女優とも多く共演する人気俳優で、フランク・シナトラやサミー・デーヴィス・ジュニアらとの親交も深く、まさに黄金期を迎えていた華やかなハリウッドを演出する一人でした。2人は交際を始め、ほどなくして結婚を決めますが、信仰に特に篤かった母ローズはピーターが俳優であること、また何よりプロテスタントであることに難色を示しました。生まれてくるであろう子供たちをカトリック教徒として育てることにピーターが同意したため、ほどなくしてローズは結婚を認めました。
かつてローズは、次女キャスリーンが英国貴族との結婚を望んだとき、同様の理由で猛反対しあくまで自らの意思を貫いたキャスリーンを絶縁しました。デボンシャー公爵夫人となったキャスリーンでしたが夫は戦死、やがて別のロマンスも囁かれたものの飛行機事故によりその短い生涯を終え、ローズとの和解はついぞ叶いませんでした。ローズにとってこの出来事は生涯痛恨の記憶として強く残っており、宗教に対する強硬な姿勢に柔軟さがもたらされていたともいわれています。
1954年4月、ニューヨークの聖トマスモア教会で2人は挙式、教会の外は大勢の見物人で溢れたといいます。式にはケネディファミリーも勢揃いし、華やかな宴がプラザホテルで催されました。その後、夫妻は西海岸に移り新婚生活をスタートさせました。黄金期を迎えていたハリウッドの煌びやかな世界に話題を提供する一方、パットはあくまでケネディ家の一員でした。東海岸では兄ジョンの合衆国大統領選出馬への計画が着々と進められていました。
*The Plaza…Central Park South & Fifth Ave
*The Roman Catholic Church of St Thomas More…65.E89th