メトロポリタン美術館の屋上が開放される季節、階段を駆け上がりルーフに立つと視界の中心をセントラルパークの緑が、そして東西に美しい建物がずらりと建ち並ぶ光景に身を置く事が出来ます。東が5th ave、西がCentral Park West。 マンハッタンでも随一の高級住宅街です。セントラルパークウェストと72丁目といえばDakota House。その歴史と風格、セントラルパークを隣に従えたロケーションは、数あるマンハッタンのアパートメントの中でも別格中の別格といっていいでしょう。
’Dakota’、それが既に銘柄なのです。
このフランスの古城を思わせるアパートメントは、プラザホテルの設計でも有名なヘンリー・ハーデンバーフの作品で1881年に建設が始まり1884年に完成しています。この優雅な建物が建設された当時、街の中心はここから遠く離れたダウンタウンにあり、この地は’遥か遠くのDakota state’の意味合いを込めて’Dakota territory’と呼ばれていたといいます。
まだ田園風景の広がるような未開の地であったこのあたりに目をつけたのが後にシンガーミシンの2代目社長となるEdward.Clarkでした。彼は街の中心が北上してくることを予測し、500万ドルをかけて特にマンハッタン島の北西部を当時の所有者から買い占め、この地域の開発を始めます。これは当時「クラークの愚行」と揶揄されたのですが、その後のマンハッタンの開発の歴史をたどれば「クラークの先見の明」ということになります。
ダコタハウスにはレナード・バーンスタイン、ローレン・バコールら多くのセレブリティたちも居住しました。中でも有名なのがジョン・レノン。彼はここに住み、その非業の死をもここダコタで遂げます。ビートルズとして一世を風靡し、後半生は世界平和を訴えて政治活動に身を投じた彼は1980年12月8日、熱狂的なファンであったマーク・チャップマンによって、このアパートメントのエントランスで暗殺されました。
レノンはかつてインタビューでこう語っていました。
「時に不思議に思う。自分の現実を作るのは自分で、自分の進むべき道を自分で選ぶことが出来ることも分かっている。けれど例えば運命として決められてしまっていることはどれだけあるのだろうかと…。」
*Dakota(W72nd&Central Park West)
’Dakota’、それが既に銘柄なのです。
このフランスの古城を思わせるアパートメントは、プラザホテルの設計でも有名なヘンリー・ハーデンバーフの作品で1881年に建設が始まり1884年に完成しています。この優雅な建物が建設された当時、街の中心はここから遠く離れたダウンタウンにあり、この地は’遥か遠くのDakota state’の意味合いを込めて’Dakota territory’と呼ばれていたといいます。
まだ田園風景の広がるような未開の地であったこのあたりに目をつけたのが後にシンガーミシンの2代目社長となるEdward.Clarkでした。彼は街の中心が北上してくることを予測し、500万ドルをかけて特にマンハッタン島の北西部を当時の所有者から買い占め、この地域の開発を始めます。これは当時「クラークの愚行」と揶揄されたのですが、その後のマンハッタンの開発の歴史をたどれば「クラークの先見の明」ということになります。
ダコタハウスにはレナード・バーンスタイン、ローレン・バコールら多くのセレブリティたちも居住しました。中でも有名なのがジョン・レノン。彼はここに住み、その非業の死をもここダコタで遂げます。ビートルズとして一世を風靡し、後半生は世界平和を訴えて政治活動に身を投じた彼は1980年12月8日、熱狂的なファンであったマーク・チャップマンによって、このアパートメントのエントランスで暗殺されました。
レノンはかつてインタビューでこう語っていました。
「時に不思議に思う。自分の現実を作るのは自分で、自分の進むべき道を自分で選ぶことが出来ることも分かっている。けれど例えば運命として決められてしまっていることはどれだけあるのだろうかと…。」
*Dakota(W72nd&Central Park West)