9歳でデビューした美空ひばりさんは、昭和22年に地方巡業をしている途中、高知県高岡郡大豊町でバス事故に遭い九死に一生を得ました。
その後、町内にある国の特別天然記念物「杉の大杉」に「日本一の歌手になれるように・・・」と願をかけたようです。
帰京後、美空ひばりさんは日本一のスターへの道を歩み、14歳の時に、当時お世話になった方々への挨拶をかねて大豊町を訪れ、日本一の誓いも新たに「杉の大杉」に参拝しました。
その後、昭和歌謡史に大きな足跡を残したひばりさんは、平成元年、日本中のファンに惜しまれながらこの世を去りました。激動の昭和を彩った歌姫でした。
津野山の耳の神様の大掃除が終わり、次の日はウダウダとしてようかなぁと思っていたら、エネルギッシュな姉が甥っ子と室戸の空海さんゆかりの地に行こうかと話していました。私もそれならと同乗して3人で行く事にしていました。
すると、妹が室戸は行ったし、大豊なら行こうかなと急に言い出しました。
実は妹に1ヶ月前素戔嗚尊の植えた木が大豊にあり、見に行きたいとLINEをいれていました。妹は忙しくて覚えてなかったけれど。
東日本一の大杉は千葉の天日津久神社に妹と見に行ったことがあるので、日本一の杉が高知にあるなら是非行かないとと思っていました。
姉も、偶然大豊の大杉のことは知っていて、それでは、室戸から行き先を大豊に変えて車で姉妹3人と甥っ子で行こう!という話しになりました。
かなりの田舎道をいくと八坂神社がありました。八坂神社に行く途中、行列のできる店がありました。ひばり食堂といい、巨大なカツ丼なんかの美味しい食事を出す店のようでした。姉も妹も知っていましたし、妹は経験ずみ。ミニでも食べきれ無かったと。笑。寄らずに神社に向かいました。
八坂神社に着きました。まず境内右手には七福神をお祀りしている摂社がありました。黒アゲハがまたヒラヒラと飛んできました。
鳥居をくぐると、明らかにそこはそれはもう御神気が凄かったです。
巨大スギる2本の「杉」は、実は根っこがひとつというのです。杉の周りを歩きながら、素戔嗚尊の息吹がかかる木って凄いんだと感動でした。
♪知らず知らず歩いてきた
細く長いこの道
振り返れば遥か遠く
故郷が見える
でこぼこ道や曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ
時の流れのように
緩やかにいくつもの時代は過ぎて
ああ
川の流れのように
とめどなく 空が黄昏に 染まるだけ
ああ
川の流れのように
おだやかに
この身をまかせていたい
ああ
川の流れのように
いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら♪
美空ひばりさんの名曲、川の流れのようにのメロディーが、まるで川のせせらぎのように八坂神社で流れていました。
みんなそれぞれ家族ができて、自分の両親(本流)から支流となり、そこからまた子供達への支流へと、川の流れのように広がっていきます。
木でいうと、祖先が根っこ、夫婦がひとつとなり大木がどんどん分かれて、そして枝や幹へと広がっていきます。
姉妹3人歳も近く、両親、祖母と共に生活していた時期は若すぎて、それがとても貴重だったことを当時はわかりませんでした。しょうもないことで沢山姉妹で言いあったりしました。
しかし、みんなが別々に独立し、なかなか会えなくなると、当時喧嘩も沢山したけれど、楽しかったなぁ、面白かったなぁ、家族で良かったなぁと感じたりします。
何げない日常の中で、こうして会えば冗談を言って笑いあえる姉妹の縁も有難いです。四国のほぼ真ん中の大豊の八阪神社。
高知のかなり田舎にあるこの地にそびえ立つ杉が、川の流れのような人々の人生を、今までも、そして、これからも見守り続けていくのだと思いました。