展示場で撮影した写真が、八咫烏の一枚だけ残った不思議。

烏食い神事を調べました。イザナギ流の祭りのある高知だけかなぁ、と調べていると、宮島にあります厳島神社にあるようですね。厳島神社では、神の使者である「腹の白いカラス」に団子を食べていってもらう神事のようで同じです。
山口の、岩国市美和町の阿賀の明神様でも、「烏喰い神事」が行われており、これも、厳島神社から伝わったとありました。
また、美和町という地名の由来は、活玉依姫を身ごもらせた若者の素性を探ろうとした父母が、麻糸を通した針を男の裾に刺しておいたところ、その糸は鍵穴を通って神の社の前まで続いていた。
その麻糸が糸巻きに3巻だけの残っていたことから、この地は美和(三輪)と名づけられたとあり、このお祭りは、三輪山の大物主とも関係があるかも、なんて地名から思いました。
カササギは、カラス科だし腹の「白い」カラスとは、カササギみたいですが、腹の白いカラスはカササギの他にもいるようですね。

あいつは、腹黒い、とか、見た目だけで判断出来ない中味について腹黒は使いますが、腹白のは、真逆ですね。オセロみたいに、黒は白に。白は黒に。色んなことは、トキがたつまでわからないものですね。😌
七夕で織姫と彦星に橋をかける鳥がカササギ(鵲)です。昔は、このお話、男女の和合、陰陽、黒白の統合の話のように思っていましたが、2者の恋愛話だけでなく、坐をする私には、自ら自然に坐して身体の器が内鳴るものに和することだと感じています。
人の身体の腹側の任脈と背側の督脈を繋ぐために、坐中に舌を上顎につけることを鵲(カササギ)橋とも呼びます。
本当に大切なものを守るためには、他の何かを犠牲にしてもやむを得ないことを意味することわざが「背に腹はかえられぬ」です。ただ、「お腹が空いては戦さはできぬ。」わけです。
人は、食(腹が満つ)があるからこそ生きていける。その食への感謝、食を生み出す大地や海、国土に感謝する、そうして、腹は背に、背は腹にかえしながら、感謝の渦で身魂を満たすこととも感じます。
陰は、陽に。陽は、陰に。人の気が周り、大地のキとも和する。先ずは自ら和する。人の身体は、実は感謝により陰陽を中和させるための器なんだと、感じます。落とすなら感謝の気を。なるだけ気はあげる⤴️。
腹の白い、背は黒いカラスに団子や餅を食べてもらう神事は、人が生きる根源である食を生み出す大地や海への感謝に繋がります。
土佐神社で祀られる、加茂族の祖神アジスキタカヒコネ神は、八咫烏であり、アジスキタカヒコネは、ニギハヤヒと同一神かなぁ、なんて、昨日書きました。
ニギハヤヒは、日の出の神であり、事代主であり、また、恵比寿様。
また、三輪山は、日の出の神に感謝を捧げる、何モノかが御坐す大地。大物主神を祀ります。
日本には、八百万の神がおられ、沢山のご神名がありますが、名前は人がつけるもので、大元は名前などなく一つに統合される大地の運行かな。当たり前ではなく、何モノかが御坐さなければありえない。
その大地の鎮まる中で命が生かされていることに、今を生きる人が、ただ感謝する。
日本に残る奇祭といわれる烏食い神事は、そんな神事のひとつなのだと感じました。