
千と千尋の神隠しには、ヘドロまみれの神様が出てきます。オクサレ様です。


オクサレ様は、実は名のある河の主。龍神様で、とても優しい性格の神様でした。
みんなにその汚い姿で近寄ることも避けられますが、最後は綺麗さっぱり。金貨をザクザク落として去っていきます。汚い時は嫌われて、金貨を巻いたら群がる、、なんだか人間の世界みたいです。
そんな「名のある河の主」である優しいオクサレ様が綺麗さっぱり姿を表して、見送ってみんなでお祝いするシーンで、無邪気なオオトリ様が喜んで飛び跳ねていたり、蚕の神様おシラ様がほのぼのとしている姿は微笑ましいです。

オクサレ様ですが、河を汚したのは人。神様をヘドロまみれにし臭くしたのは人なんですけどね。。泥まみれになった人間の千尋を助けたりと優しいです。
ヘドロまみれで臭くて近寄り難いオクサレ様が、ふと、拈華微笑の頭陀第一と言われた大迦葉と重なりました。大迦葉は、衣食住に関して少欲知足に徹した修行をされた御方です。
その身なりの汚さや臭さにより嫌われたり悪口を言われたりしたでしょうが、心は錦だったわけです。
同じ人が汚い服を着、また、次の日に煌びやかなブランドものを身に付けたとして、その人を周りの人は同じと気づかないことが殆どではないでしょうか。
オクサレ様がヘドロまみれだった時は、みんな近寄るのも避け、本当の姿をあらわし金貨をザクザクまき散らすと、それに集る姿は、まるで、監督の社会への皮肉のようにも見えます。
なんら、その人の本質は変わらないにもかかわらずです。身なりでなく人の本当の心の輝きを観る目が欲しいです。
見た目や、身につけているものは、目を眩ます一因ですが、お釈迦様は見抜きます。大迦葉こそが自分の教えを言葉なくわかる人だと。

オクサレ様の正体を千尋が見抜き、本当の姿を現したオクサレ様が放った一言が、よきかな、です。
オクサレ様が纏っていたのは、ポイ捨てや不法投棄によって川に集められたゴミ。オクサレ様はそれらが積もりに積もった姿でした。
千尋が自転車を引っこ抜いてくれたおかげで オクサレ様は大量のゴミから解放され、本当の姿を現すことができました。
すっきりした川の神様は油屋に大量の金を落とし、千尋にはニガダンゴをプレゼントしました。
そして老翁の顔に竜の姿となって高笑いしながら帰っていくのです。
喜きかな。
良きかな。
名前を奪われたハクはニギハヤヒコハクヌシ。ハクも白龍神でした。
御祭神名を書き換えられて御神威を発揮出来なくなったり、傷ついてボロボロになった姿が描かれます。

川を汚す、御祭神を書きかえる、、
そういう歪みが令和の時代には
正されると
よきかな
と思います。
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