そっとすることはできないのかな。
テレビをほとんどみなくなって
そのかわり、スマホで情報をとるように
なって久しい。
しかし、有名人のことなんか、あれやこれや
嫌でも目に飛び込んでくる。
明らかに、病んでいることなど
わかりそうなものを。
書いて書いて書き立てる。
もし、自分が精神を病んで、
本来の自分からかけ離れたことを
してしまった時、そこに焦点をあて
あれやこれや書き殴られたら、
どうだろう。
マスコミも、ネットも
心に傷をもった人への刃物が多い。
そんな突き立てた刃物は、
いつの日かそれは来世かも
しれないけれど自分にむけられる。
刺したり刺されたり。
そう思う。
精神を病んでしまう人が100人に1人とか
もっといる気もするのは、刃だらけの
狂気じみた世界だからかな。
そっとしてほしいときに
静かにそっとする優しさが
広がる世界になれば、
心を病む人も少しずつ穏やかになるのかな
なんて思う….
津野山の神様のことを教えてくださった山さんが高知から関東の我が家に来たことがありました。出張を兼ねてで、2年ほど前です。
色んな話しをした中、これから米がなくなる🌾時代がくるという話しをしていました。
その時は、四方山話の中のひとつくらいにしか思っていませんでしたが、ちょうどその前の年末に冨士阿蘇山大神宮に妹と行き、これからは米作りが大切、自分で米を作ろうという話を宮司さんから聞いていた時でしたし、それでは、米を作ろうと妹とバケツで作りはじめました。
感想、こめづくりって大変。農家さんに感謝、😅でした。
あれから2年、山さんの預言どおり?店頭に米が並ばなくなりました。
コロナマスク騒動の次は、米騒動かと、意図的に操作されたものなのかなぁというぐらいに今は思います。
店頭に沢山並んでいたものが、ゼロになり、多くの人を困らせることを意図的にする力がある、、
意図的にしか思えない、しかも、予定された未来をそのまま行おうとする力があるのかなと思い、なんだかなぁと思う一方、農家さんのことを考える良い機会になりました。
農家さんたちは、国内コメ消費の減少になやまされています。政府は農産物を海外からどんどん輸入し、安価な食との競争を強いられています。天候の影響による不作などもあり、高齢化や人手不足の問題など、様々な問題とずっと向かいあっています。
農家さんの悩みの問題の原因、誰が作ったわけでなく、私自身も深く関わっている、と思えました😔
我が家の米が尽きた話をしたら、大阪にいる夫が米を送ってくれました。2リットルペットボトルに入れたものと5キロの袋の米を。
米があるだけで少し安心しました。
そして、ダンボールに、大米騒動の紙が。
母とか書いてるし。。笑。
確かに、この騒動には、電話で意図的だ😡と力説しました。💢
九州地方の知人の話だと、何割も値上げされているとかいいます。💢
こんなふうに主食を店頭からゼロにしたかと思うと、何割も値上げして、ジリジリと地方から売り出す。
もはや、日本の主「食」ですら、不安を煽る😈。コロナ禍でマスクの値段を釣り上げる。
私たちの心が、不安を作る予定通りの決まった「意図された」行いのなか試される、そんな時なのかもなんて思います。
怒りではなく冷静に、👿の不安の作り方をみて、そして、踊らされないような自分をつくるチャンスにしたいと思います。
そして、食を作ってくださる農家さんに感謝したいと思いました。
ハンセン病元患者の竪山さん。
差別の歴史は長く、強制隔離の歴史も長いです。
13歳で隔離された竪山さん。
13人のらい予防法原告団は、天が遣わした使者だと私は思っています。
日本のハンセン病療養所の数も13箇所。
自分のこととして
自分がされたらどう思うか
自分が家族だったらどう思うか
果たして耐えられるか
15分弱の動画です。
ご覧ください。
気を落とさないで、頑張ってね。とかいう日本語は、さりげなく使うけれど、気は、落ちたり上がったりするということを気づかせてくれる表現だなぁと思いました。
眉山という地名が目にとまり、それについて少し調べていると、妹が実は最近行っていたようで、またまた驚きです。
徳島にある神社のようですが、九州の雲仙にも眉山があります。まさに、天草四郎率いる島原の乱がおこった地です。
キリシタン拷問の地として知られる雲仙地獄温泉があり、その拷問たるや、熱湯漬けの他、穴吊り、等、筆舌しがたいものだったようで、江戸幕府の弾圧に耐えかねて蜂起したのが島原・天草一揆(島原の乱)です。
舞台となった原城跡には、古戦場を見下ろす丘に、名もなき殉教者たちを悼むマリア観音が立っているようですね。
殉教者たちが亡くなった地には、重い「気」が残っている気がします。その蓄積は、雲仙の地を噴火させたり、大地を揺るがせたりするのかもしれません。
重い「気」を落とすような出来事が、日本だけでなく世界中で起きています。
そうして、重くなって悲しみの果てに散ってしまった気を鎮めるのが、日本に多くの神社が建立された理由かも、など最近は戦争のドキュメンタリーなんかを目にしながら思います。
人が生きてきた歴史は、戦いの歴史。勝てば官軍、真実だけは天のみぞ知る。たたりを鎮める、それは、人が落とした気を鎮めることかもです。
日本の地、悲しみの蓄積の地、そういう重くなった地が癒されて、浄化されて大地が鎮まるといいなと思います。
神社では、もらおうとするのではなく、純粋な祈りを捧げる、純粋な「気をあげる」と、共に浄化につながるのかもです。
ところで、お盆は娘たちを連れて帰省しました。高知と愛媛の県境、母の実家のある天狗高原にいくと、土砂降りの雨のあと大地が浄化されたかのように幻想的な美しさを魅せてくれました。
母が大病により1ヶ月前から入院していました。今回、父を迎えるためお盆で帰省し、おばも初盆のため、津野山にもいきました。恵比寿様の麓にあるおばさんの家で手をあわせてきました。
初盆のおばさん(サンちゃん)をお祀りするため従姉のヒデコさんが関西からきていました。母娘とも太陽に縁ある名前だなぁ、なんて思いました。
私たちが津野山に参拝した次の日に、母は退院しました。奇跡の回復力です。5人兄妹の母は末っ子。最後のひとりになりました。年の離れた兄姉をもつ母には、ずっとずっと長生きしてもらいたいです。
まだまだ、身体には気をつけないとですが、母の笑顔は格別でした。この夏、母の笑顔に会えたことは一番嬉しかったことです。
ワッハッハと笑う。そんなお盆に、あがり盆で帰省した父も楽しかったことでしょう。
高知の実家に母がいる。癒しだなぁと思いました。
そして、母の今回の入院で気が動転して、重くなっていた私たちにかわり、母のために祈ってくださった御方に、心から感謝したいと思いました。