アキピロの愉快な日々

引っ越してきました。
皆さんよろしくです。

家の修理が終わりました。

2011年04月27日 | 日記

今晩は、アキピロです。

今日、家の修理が完了しました。

忙しい所を真っ先に来て貰って、工務店と大工さんありがとう

おかげで、実家に避難している家族をやっと呼べます。

因みに、床のフローリングは前と同じパインの無垢フローリング

    

そんなに良い物じゃなくても良いと、言ったんだけど結局直ぐに手配できる資材がこれだったと言う事で

でも、一つ違うのは塗装

    

以前のキヌカ塗料は、肌触りはとっても良いけど、汚れやすいの

 

で、やっぱ手入れが簡単な方が良いとなりまして、ウレタン塗装になりました

炭で汚れやすいストーブの前はコルクタイルを敷く事にしています。

所で、被災者生活再建支援制度って知ってます?

どうやらこの制度で、うちの場合大規模半壊と言う事で150万円まで助成されるそうです

おおー、やるじゃん菅総理って思ったら19年度改正とある。

この法律作ったのは自民党時代だったわけで、民主党は何もしてないのだな

まったく、政治主導とか言って、官僚の仕事の邪魔してぐだぐだにしてるだけじゃん

もともと、民主党は嫌いだけど、外交政策とかが特に

それに何故外国人の子供にまで子供手当を支給する必要がある?

日本の政府なんだから、国民の為のサービスだけで良いのだ、文句があるなら帰化すればいいのに

まぁそれはさておき、おかげであらかた助成金で修理費は賄える事になりました。

良かった良かった

所で、ママ読んでるかな?

ママの仕事沢山とってあるから掃除頑張ってね

 


人間万事塞翁が馬

2011年04月20日 | 日記

人間万事塞翁が馬

【読み】 にんげんばんじさいおうがうま
【意味】 人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。

用例

前に住んでいた中古住宅を、5年で別な家を建てて引っ越したが前に住んでいた中古住宅を「あんなど田舎の山奥の家、誰も買う人なんて居ない」と言っていたが今回の津波被害で、「無ければずっと避難所暮らしで大変な事になっていた」と感謝されたり売れずに不良資産になるんじゃないかと心配していたが、此処に来て優良資産に大化けした事

まぁ、

人生何が幸いするか分かりません。

って事で、一昨日から兄夫婦が前に住んでいた山奥の家に引っ越しています。

僕も兄貴たちのおかげで、旧宅の片づけがやって貰えてとっても感謝しています。

新しく家を建てるまで、ゆっくり住んで納得の行く家作りをして欲しいです。

もっとも、注文住宅を建てるのってすごい時間が掛かるって、知ってるのかな?

所で、妻の車を大変ラッキーな事に納車前だったので、ディーラーが代わりの車を探してくれるそうです。

問題はパパの車

職場の班長が、あちこちの中古車販売店を自転車で回って結局〇〇カツ自動車で、8年落ちのフィット買ったそうです。

5万キロで車検は7月まで(ほとんど車検なしに近いよね)で69万したらしい。

さすがアベ〇〇自動車、やることがエグイ

その話を聞いて、うーむ中古車は出遅れてるしいっその事新車かぁ?

所が、欲しかったフィットシャトルは東日本大震災で発売延期

仕方ないので、次善の策でカローラフィールダーか?

自転車で1時間半かけてディーラーに行ったら、どの車も納車は早くてお盆過ぎらしい

むむむぅ・・・

最後に何時もお世話になっている車屋さんに聞きに行って見ました。

で、結局フィットになりました。

18年式で6万キロ、車検2年付で65万

うむ

普通の値段で安い!と言うほどではないかも知れないけど、こう言う時に当たり前の値段をつけてくれるって大事だよね

こう言う時こそ信用できる会社なり人が分かると言うもの

実家の母の車の車検とか頼んでいた〇○〇オートなんて、廃車した車の自賠責と税金の残り期間の返金がある筈なのに、無いと言い張ってるし

挙句に半分浸かって調子の悪くなった義姉の車の廃車の依頼をしたのに、その車を代車に使っているらしいし

まぁ、昔自分のオデッセイの車検を頼んだらエンジンを壊されてから、この会社は駄目な会社のレッテルを貼ってますが

 


ヘドロのかき出し作業

2011年04月15日 | 日記

昨日は夜ね勤明けで、帰りに農協に寄って住宅ローンの振込みについて、話してきました。

後、地震保険の申し込みに

所が、今回の地震津波で新規の申し込みはストップしているとの事

困ったなぁ、近い内にまた津波が来るかも?ってホンマでっか?な学者先生の話もあるし

まぁ、テレビで武田先生が言ってたけど、地震学者は社会的に無意味って発言、大いに共感します。

だって、来る来るって言ってた東海地震は何十年たっても来やしないけど、今回の大地震の可能性に言及した学者先生って僕の知る限り一人も居ない。

100の発言をして一つも当たらないって、どう言う事だ?

って言う話をして妻を安心させたけどね。

帰ったら、床下のヘドロのかき出し作業やっていました。

思っていたよりヘドロの厚みがありました。

2~3センチぐらい溜まっていました。

お疲れ様です。

もう一日で、ヘドロのかき出し作業が掛かりそうです。

それが終われば、乾燥させて床板の貼り直しで復旧です。


2011.3.11

2011年04月15日 | 日記

おはようございます。

アキピロです。

ようやく、この頃ブログを書く余裕が出来てきたので、あの日にあった事を、書いてみようと思います。

あの日は、日勤で職場に居ました。

2時46分、おっ地震だ!

最初はよくある地震と思っていたのが次第にとんでもない揺れに

ボイラーの停止ボタンを押さなくちゃいけないと思ったけど怖くて、ボイラーに近づく事が出来なくて事務所のドアにしがみついてました。

揺れの周期がやや遅い方な為、随分長い間感振器が作動せず運転してました。

ようやく、長いゆれが落ち着いたかと思ってドアを離れた途端にまた揺れが大きくなって来て、結局終わるまでドアから離れられなかった。

3分ぐらい揺れていたそうですが、こんなに長いしかもこれだけの大きな揺れの地震は初めてでした。

これで終われば、笑い話で済むのですが・・・

地震の被害は何年か前にあった宮城県北部連続地震と同程度もしかしたらそれより少ないぐらいでした。

地震の後、思ったのは我が家は大丈夫だろうか?でした。

ちょうど、日がかげって寒くなってきた所で地震だったので、多分薪ストーブを焚いている筈この地震で、薪ストーブが動き回ればただでは済まない・・・火事とかならなければ良いけど・・・

心配だよ

地震の後、施設の点検をしたら重油タンクの中身が揺れて天井の通気口から重油が噴出しています。

油の流出には神経質な所なので、これは報告しないとって思って電話が使えないので、本部に行ったら何をやっている直ぐに津波が来るのに備えて避難しろ!と言われて直ぐに戻って、職場の全員集まって指定されている、庁舎の3階に移動

何、直ぐ戻れるさと思って何も持たずに避難したんです。

まさかあんな事になるとは思いもせず

何でも、大津波警報が出たらしい?

でも、去年のチリ地震津波の時もチャポンチャポンだったし、直ぐ戻って火事が心配だから早く家に行きたいと思ってました。

しばらくたった15時20分頃、外を見ていた人達からどよめきが聞こえる

あわてて、窓に駆け寄ると真っ黒いまるで地面が動いて来る様な津波が、実家のある大曲地区方向から押し寄せてきています。

直ぐ全員屋上に昇る様に指示があり、全員屋上へ

とても寒くて吹雪が舞っている中、ゴー バリバリと音を響かせ津波が押し寄せていました。

サイレンもずっと鳴っています。

唖然として、眺めていました。

今にして思えば、津波対策で避難計画を作る事を決めた人は卓見だったというしかありません。

大げさ過ぎると思っていたけど、この避難計画が無ければ自分もボイラー室で津波に呑まれていた事だと思います。

不安な夜を過ごした後、水がひいたなら家族の安否確認に行って良いと言う事で昼頃やっと家に向かいました。

普段なら自転車で30分で着く道を瓦礫をかきわけ2時間がかりで、着くとおお家は無事だ

家に前に妻が立っていました。

家は床上浸水で水はひいたけど、ヘドロが厚く積もり見るも無残な様子に妻は泣いてましたが、娘達は無事と聞いて安心しました。

家族が無事なら家などいくらでも建て直せば良い、俺が何とかするから心配するなと言って、職場に戻りました。

そうなると心配なのは、実家の大曲だ。

兄貴は職場が女川原発だから、まぁ大丈夫だろう。(実際大丈夫だったけど、たまたま高台に建設されたからでもう少し低い所に建っていたら、福島第一原発のようになっていた可能性もあったと聞かされて運が良かっただけなのだと思い知らされました。)

義姉は仕事の筈だから、会社なら適切に避難する筈(本当は家に帰る途中で危機一髪だったそうだ)

問題は母だと思ってました。

結局母は、実家で見つかりました。

その事を知ったのは、三日後の14日若しかしたら避難所に逃げているかもと、市内の避難所を自転車でくまなく回って、手がかり無く職場に帰った後兄貴夫婦が職場に来て教えてくれました。

その日から1週間特別休暇を貰い、兄貴と実家に行き遺品回収や位牌や遺影を回収したり、家の片づけをして家族を避難所から出て家で住める様にしていました。

ただ、こういう仕事をしているので、何かあった時は何も出来ないので出来るだけ早く多賀城の妻の実家に避難させようと思っていました。

忙しく動き回って、もうあっという間に一週間が過ぎ最後の休みの日に、避難所に居た仙台から来ていた人が帰る時に、親切にも多賀城なら、乗せて行ってくれると言ってくれたので急遽、家族を避難させる事が出来ました。

 

所で、先日義父に乗せて貰って、妻と娘達がやってきました。

みゆきは久々に会えて嬉しそう。パパも嬉しいぞ♪

楓花は、随分首がすわって来ました。

相変わらず可愛いぞ

で、前から見たいと言っていた大曲の実家へ連れて行ってきました。

真ん中に写っている平屋の家が実家です。

家の隣にも、前にも家が建っていましたが基礎を残して跡形も無く流されていました。

まるで映画のセットのような現実感の無い景色に、娘も妻もショックを受けてました。

実家の敷地には瓦礫でいっぱいの為、子供を連れて入れるような状態ではないので入りませんでした。

敷地の正面入り口です。

ついでに、実家から近くの漁港にも行ってきました。

漁港の岸壁に大型漁船が乗り上げています。

 

 

 


昨日から、大工さん達作業に掛かっています。

2011年04月12日 | 日記

おはようございます。

昨日から、作業に入っています。

所で昨日は夜勤明け、だったんだけど7日の大規模余震の影響で職場の水道が断水していた為に、中断していた周辺住民に対する入浴支援は、昨日から再開したんだけど食堂の機能復旧がまだでそのせいで帰りが昼になってしまった。

帰ったら、大工さん達がもう床剥がし方を始めてました。

そこで棟梁から、床下の部分だが床下の天井って言うか、1階の床の裏側ですね

其処には津波の水が浸かっていなかったようです。

と言う事で、下地合板は海水に浸かっていなかったので再利用が可能だから、はずしてもう一度使いたいとの事

勿論、okをだしました。

所でシステムキッチンも撤去されてしまったので、折角買ってきた食材が調理できない・・・

実家に避難しているかみさんに、早くネット注文してそっちに届いている卓上IHコンロとか、早く持ってきて

と、お願いしたら今日の午後、義父に乗せて貰って来るそうです。

娘達に会うのも3週間ぶりだな

随分、下の妹は喋る様になったらしい。

楽しみ~

 

 


復旧工事始まります。

2011年04月09日 | 日記

今晩はです。

今日から、床上浸水の復旧工事が始まります。

まずは、家財道具の移動でした。

因みに、工事の内容は床の張替え、エコキュートの交換、土台と基礎の洗浄です。

新築して引っ越して、2ヶ月でリフォームとは、とほほほほ

それと先日、役場に行って罹災証明書と被災証明書貰ってきました。

大規模半壊との事

もっとも、地震で壊れるような家は建てて貰ってないと、地震保険に入ってなかったの・・・

兄貴には、新築なのに地震保険入らなかったなんて、有り得ない位馬鹿だ。

等と言われるも、何も言い返せない。

まさか此処まで津波が来るなんて、想像すらし無かったよ

町で出している津波のハザードマップにも載ってないし

大金掛かるよとほほほ

 


あれから、もう直ぐ1ヶ月ですね。

2011年04月06日 | 日記

 

今晩は、本当に久々になりましたが、家族4人とりあえず無事です。

仕事が公務員で、今日からやっと普通に非番の休みが貰える様になりました。

あの津波で、新築2ヶ月の我が家も床上浸水でした。

でも、一番のショックは母が津波に巻き込まれてしまった事です。

こんな事ならと、後悔ばかりが頭に浮かびます。

命さえあれば、家などまた建てれば良い

家は建てればまた元通りになれるけど、命はなくしてしまったらそれっきりなのだから

今書けるのは、それだけです。

もう少し、落ち着いたら色々書こうと思います。