おはようございます。
アキピロです。
ようやく、この頃ブログを書く余裕が出来てきたので、あの日にあった事を、書いてみようと思います。
あの日は、日勤で職場に居ました。
2時46分、おっ地震だ!
最初はよくある地震と思っていたのが次第にとんでもない揺れに
ボイラーの停止ボタンを押さなくちゃいけないと思ったけど怖くて、ボイラーに近づく事が出来なくて事務所のドアにしがみついてました。
揺れの周期がやや遅い方な為、随分長い間感振器が作動せず運転してました。
ようやく、長いゆれが落ち着いたかと思ってドアを離れた途端にまた揺れが大きくなって来て、結局終わるまでドアから離れられなかった。
3分ぐらい揺れていたそうですが、こんなに長いしかもこれだけの大きな揺れの地震は初めてでした。
これで終われば、笑い話で済むのですが・・・
地震の被害は何年か前にあった宮城県北部連続地震と同程度もしかしたらそれより少ないぐらいでした。
地震の後、思ったのは我が家は大丈夫だろうか?でした。
ちょうど、日がかげって寒くなってきた所で地震だったので、多分薪ストーブを焚いている筈この地震で、薪ストーブが動き回ればただでは済まない・・・火事とかならなければ良いけど・・・
心配だよ
地震の後、施設の点検をしたら重油タンクの中身が揺れて天井の通気口から重油が噴出しています。
油の流出には神経質な所なので、これは報告しないとって思って電話が使えないので、本部に行ったら何をやっている直ぐに津波が来るのに備えて避難しろ!と言われて直ぐに戻って、職場の全員集まって指定されている、庁舎の3階に移動
何、直ぐ戻れるさと思って何も持たずに避難したんです。
まさかあんな事になるとは思いもせず
何でも、大津波警報が出たらしい?
でも、去年のチリ地震津波の時もチャポンチャポンだったし、直ぐ戻って火事が心配だから早く家に行きたいと思ってました。
しばらくたった15時20分頃、外を見ていた人達からどよめきが聞こえる
あわてて、窓に駆け寄ると真っ黒いまるで地面が動いて来る様な津波が、実家のある大曲地区方向から押し寄せてきています。
直ぐ全員屋上に昇る様に指示があり、全員屋上へ
とても寒くて吹雪が舞っている中、ゴー バリバリと音を響かせ津波が押し寄せていました。
サイレンもずっと鳴っています。
唖然として、眺めていました。
今にして思えば、津波対策で避難計画を作る事を決めた人は卓見だったというしかありません。
大げさ過ぎると思っていたけど、この避難計画が無ければ自分もボイラー室で津波に呑まれていた事だと思います。
不安な夜を過ごした後、水がひいたなら家族の安否確認に行って良いと言う事で昼頃やっと家に向かいました。
普段なら自転車で30分で着く道を瓦礫をかきわけ2時間がかりで、着くとおお家は無事だ
家に前に妻が立っていました。
家は床上浸水で水はひいたけど、ヘドロが厚く積もり見るも無残な様子に妻は泣いてましたが、娘達は無事と聞いて安心しました。
家族が無事なら家などいくらでも建て直せば良い、俺が何とかするから心配するなと言って、職場に戻りました。
そうなると心配なのは、実家の大曲だ。
兄貴は職場が女川原発だから、まぁ大丈夫だろう。(実際大丈夫だったけど、たまたま高台に建設されたからでもう少し低い所に建っていたら、福島第一原発のようになっていた可能性もあったと聞かされて運が良かっただけなのだと思い知らされました。)
義姉は仕事の筈だから、会社なら適切に避難する筈(本当は家に帰る途中で危機一髪だったそうだ)
問題は母だと思ってました。
結局母は、実家で見つかりました。
その事を知ったのは、三日後の14日若しかしたら避難所に逃げているかもと、市内の避難所を自転車でくまなく回って、手がかり無く職場に帰った後兄貴夫婦が職場に来て教えてくれました。
その日から1週間特別休暇を貰い、兄貴と実家に行き遺品回収や位牌や遺影を回収したり、家の片づけをして家族を避難所から出て家で住める様にしていました。
ただ、こういう仕事をしているので、何かあった時は何も出来ないので出来るだけ早く多賀城の妻の実家に避難させようと思っていました。
忙しく動き回って、もうあっという間に一週間が過ぎ最後の休みの日に、避難所に居た仙台から来ていた人が帰る時に、親切にも多賀城なら、乗せて行ってくれると言ってくれたので急遽、家族を避難させる事が出来ました。
所で、先日義父に乗せて貰って、妻と娘達がやってきました。
みゆきは久々に会えて嬉しそう。パパも嬉しいぞ♪
楓花は、随分首がすわって来ました。
相変わらず可愛いぞ
で、前から見たいと言っていた大曲の実家へ連れて行ってきました。
真ん中に写っている平屋の家が実家です。
家の隣にも、前にも家が建っていましたが基礎を残して跡形も無く流されていました。
まるで映画のセットのような現実感の無い景色に、娘も妻もショックを受けてました。
実家の敷地には瓦礫でいっぱいの為、子供を連れて入れるような状態ではないので入りませんでした。
敷地の正面入り口です。
ついでに、実家から近くの漁港にも行ってきました。
漁港の岸壁に大型漁船が乗り上げています。
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