今日は、いつものSKI仲間たちと焼肉デー女の子10人、時間厳守というお店のお達しにもめげずに全員きっちり集まりました!月島の「凛」というウワサのお店、ボリューム満点で食べ方にもこだわりがあり、指導のもと美味しくいただきました!!NZやAZのスキーから帰ってきた人たちのお土産話を聞きながら、ジュウジュウお腹いっぱいです
さて・・・本日もSOの想い出part3です
【白馬で過ごした1週間】
ボランティア休暇を取得し、職場の皆さんには快諾してもらって本当に感謝金曜日に仕事を終えて長野新幹線に乗り込み・・・長野駅に到着すると、そこは開会式前夜祭に沸くSOムード一色!同じ新幹線にもアスリート団やファミリーなど、様々な国の”それらしき”人たちが乗り合わせていたけれど、改札口ではボランティアたちが証である白いユニフォームを着て待ち構えていて、彼らを歓迎していました。ユニフォームはユニクロがボランティア用に無償提供しているもので、背中にはSOマークの大きなワッペン、そしてスキーを履いたミッフィーがシンボルマークとして左胸についていて、とてもカワイイのですユニフォームを着ている人を見るだけで、同じようにこの大会を支えていくんだ、という親近感というか一体感を覚えました。駅前の特設ショップで、大会オリジナルグッズのフリースとピンバッチを購入!これらの収益も一部寄付されます。さぁ、いよいよ白馬村へ!
白馬村へ向かうバスの中でも各国語が飛び交って。大会期間中、長野は全国で最も国際色豊かな県になっていたでしょうね。白馬も、受入先の宿や駅・会場近辺では外国人アスリートやファミリーたちがたくさんいて。まるで長野オリンピックのときのよう
ボランティアは圧倒的に地元の方たちがほとんどで、私のように県外から来る者は会場近くの宿に滞在している人が多かったけど、私はいつもお世話になっている八方の旅館白馬ひふみに泊めていただき、本当にいろいろな面で協力してもらいました。慣れないボランティア活動の日々でも、安心して快適に過ごすことができたのは温かな旅館の方々の支えがあったからです。朝食の時間を特別に早めてくれたり、一日の活動を終えてグッタリ帰ってくると温かいお茶とおにぎりや甘いお菓子を出してくれたり。夜中にこっそりビールで乾杯したこともあったっけ・・・「せめてボランティアしてる人にやってあげられることで、協力しないとね」と言ってくれた女将さんの言葉がとても嬉しかった。時間を惜しんでナイター練習に向かうときもゲレンデまで送ってくれたり、日々お世話になりっぱなしで本当に感謝しています。それに、疲れをほぐしてくれる温泉に美味しい食事。私にとって本当に居心地のよい、まるで故郷に帰ってきたみたいな空間でした
大会期間中の1週間は、休みなしのスケジュールびっしり!競技は毎日=もちろん表彰式も毎日あるのです。
私の一日は、起床6時温泉で目を覚まして、朝食をとって、7時には元気に「行ってきます!」バスターミナルからは、スノーハープまでのシャトルバスが出ているので、応援するファミリーや観客たちと一緒に乗り込んで会場へ向かいます。八方から佐野坂にあるスノーハープまでの15分程の道のり。朝の澄んだ空気のなかで雄大に輝く白銀の山々・・・毎日毎日眺めた目の前に広がる景色は、今でも目に焼きついて忘れられません来れてよかった、今日も一日がんばろうって思えるのです。
会場につくと点呼を済ませ、アナウンスブースで音響担当さんに挨拶したあと、運営室へ行き、県から派遣されている責任者たちとスケジュール確認。実は・・・6名の表彰式アナウンサーチームのなかで私はリーダーの役割を担うことになったのです。なぜって。日本語担当の3名は信州大学の学生たち、英語担当のほかの2名は日本語全く分からずのアメリカ人英語教師たち・・必然的に取りまとめ役を仰せつかったのですが・・・これがまた、苦労の連続・・大枠のマニュアルはあるものの、実際にはやってみなければ分からないことがたくさん!!米国人2人には全ての説明を間に入って伝え、学生たちには仕事の分担を指示し・・上手く軌道にのるまでの数日は、本当にテンテコマイだった!!それでも、少しずつ皆が協力的になり、効率よく進むように一つ一つ改善していきながら、怒涛の表彰式をこなしていったのです。。。
表彰式が始まるまでの間は、その日訪れる表彰メダル授与者(プレゼンテーター)や競技内容を確認。まず、プレゼンテーターの名前と役職を全て英訳しなくてはいけません。日に15回以上表彰式はあるので、プレゼンテーターも総動員。長野県議員から白馬村長、郵便局長、婦人会長、地区長など・・・地元の名士の方たちがずらり。間違えたらまずいけど、かといって全ての正式名称、役職など確認できないので、地元の方の協力を得ながら勝手に訳しちゃいましたが・・・そして、出場選手名の読み方確認。なるべく母国語の読みで・・・と思うけど、なんせ英語圏以外のヨーロッパ諸国の選手たちがほとんどで、読めない!!米国人教師たちもお手上げで、なんとかカタカナの振り仮名を参考に読み合わせ。
表彰式が開始すると、その舞台裏はまるで戦場のようで・・・
リザルトを受け取ると同時に、即座に選手名と順位、そして割当のプレゼンテーターを確認し、すぐにスタート。日本語、英語のペアで交代でやるけれど、連続して行なうので休む間はなく、一日終る頃には声も枯れかけ、、、ノド飴と水を片手に、それでも、一つ一つの表彰式に思いを込め、想い出に残る感動的な式を演出しようと、ボランティアたちの心は一つでしたそして・・アスリートたちの飛び切りの笑顔を見ると疲れもふきとび、「頑張ったね、おめでとう!」と心から祝福のエールを贈りたくなるのです。SOのアスリートたちはじっとしていられなくて、メダルを首にかけたまま、ぐるぐる回ったりする子もいるけど、全身で喜びを表現し、それを温かく祝福する観客たちの声援と拍手に包まれた表彰式会場は、本当に温かい雰囲気に満ちていました
昼食を取るのもままならず、競技そのものをじっくり観ることもできなかったけど、合間合間にアナウンステントから抜け出して近くのゴール付近へ行き、やっとの思いでゴールして歓声のなか迎えられるアスリートたちの栄誉を称えました。スペシャルオリンピックスでは、ハガーと呼ばれるボランティアがいて、競技を終えたアスリートたちを抱きしめるのです。とても素晴らしい光景でした
毎日毎日が感動の場面の連続。アスリートたちのゴールへ向かう力強い眼差し、ゴールしたとき、メダルを受け取ったときの喜び、それを支え温かく見守るたくさんのファミリー、観客、ボランティアたち・・・一日の仕事を終え、帰りのバスに乗り込むときは身体はクタクタでも、心はスッキリとして清々しい気持ちでいっぱい本当にあっという間だったけれど、一日一日かけがえのない日々でした。
次回は、SO世界大会を通して出会った人たちとのふれ合いをお伝えします!
さて・・・本日もSOの想い出part3です
【白馬で過ごした1週間】
ボランティア休暇を取得し、職場の皆さんには快諾してもらって本当に感謝金曜日に仕事を終えて長野新幹線に乗り込み・・・長野駅に到着すると、そこは開会式前夜祭に沸くSOムード一色!同じ新幹線にもアスリート団やファミリーなど、様々な国の”それらしき”人たちが乗り合わせていたけれど、改札口ではボランティアたちが証である白いユニフォームを着て待ち構えていて、彼らを歓迎していました。ユニフォームはユニクロがボランティア用に無償提供しているもので、背中にはSOマークの大きなワッペン、そしてスキーを履いたミッフィーがシンボルマークとして左胸についていて、とてもカワイイのですユニフォームを着ている人を見るだけで、同じようにこの大会を支えていくんだ、という親近感というか一体感を覚えました。駅前の特設ショップで、大会オリジナルグッズのフリースとピンバッチを購入!これらの収益も一部寄付されます。さぁ、いよいよ白馬村へ!
白馬村へ向かうバスの中でも各国語が飛び交って。大会期間中、長野は全国で最も国際色豊かな県になっていたでしょうね。白馬も、受入先の宿や駅・会場近辺では外国人アスリートやファミリーたちがたくさんいて。まるで長野オリンピックのときのよう
ボランティアは圧倒的に地元の方たちがほとんどで、私のように県外から来る者は会場近くの宿に滞在している人が多かったけど、私はいつもお世話になっている八方の旅館白馬ひふみに泊めていただき、本当にいろいろな面で協力してもらいました。慣れないボランティア活動の日々でも、安心して快適に過ごすことができたのは温かな旅館の方々の支えがあったからです。朝食の時間を特別に早めてくれたり、一日の活動を終えてグッタリ帰ってくると温かいお茶とおにぎりや甘いお菓子を出してくれたり。夜中にこっそりビールで乾杯したこともあったっけ・・・「せめてボランティアしてる人にやってあげられることで、協力しないとね」と言ってくれた女将さんの言葉がとても嬉しかった。時間を惜しんでナイター練習に向かうときもゲレンデまで送ってくれたり、日々お世話になりっぱなしで本当に感謝しています。それに、疲れをほぐしてくれる温泉に美味しい食事。私にとって本当に居心地のよい、まるで故郷に帰ってきたみたいな空間でした
大会期間中の1週間は、休みなしのスケジュールびっしり!競技は毎日=もちろん表彰式も毎日あるのです。
私の一日は、起床6時温泉で目を覚まして、朝食をとって、7時には元気に「行ってきます!」バスターミナルからは、スノーハープまでのシャトルバスが出ているので、応援するファミリーや観客たちと一緒に乗り込んで会場へ向かいます。八方から佐野坂にあるスノーハープまでの15分程の道のり。朝の澄んだ空気のなかで雄大に輝く白銀の山々・・・毎日毎日眺めた目の前に広がる景色は、今でも目に焼きついて忘れられません来れてよかった、今日も一日がんばろうって思えるのです。
会場につくと点呼を済ませ、アナウンスブースで音響担当さんに挨拶したあと、運営室へ行き、県から派遣されている責任者たちとスケジュール確認。実は・・・6名の表彰式アナウンサーチームのなかで私はリーダーの役割を担うことになったのです。なぜって。日本語担当の3名は信州大学の学生たち、英語担当のほかの2名は日本語全く分からずのアメリカ人英語教師たち・・必然的に取りまとめ役を仰せつかったのですが・・・これがまた、苦労の連続・・大枠のマニュアルはあるものの、実際にはやってみなければ分からないことがたくさん!!米国人2人には全ての説明を間に入って伝え、学生たちには仕事の分担を指示し・・上手く軌道にのるまでの数日は、本当にテンテコマイだった!!それでも、少しずつ皆が協力的になり、効率よく進むように一つ一つ改善していきながら、怒涛の表彰式をこなしていったのです。。。
表彰式が始まるまでの間は、その日訪れる表彰メダル授与者(プレゼンテーター)や競技内容を確認。まず、プレゼンテーターの名前と役職を全て英訳しなくてはいけません。日に15回以上表彰式はあるので、プレゼンテーターも総動員。長野県議員から白馬村長、郵便局長、婦人会長、地区長など・・・地元の名士の方たちがずらり。間違えたらまずいけど、かといって全ての正式名称、役職など確認できないので、地元の方の協力を得ながら勝手に訳しちゃいましたが・・・そして、出場選手名の読み方確認。なるべく母国語の読みで・・・と思うけど、なんせ英語圏以外のヨーロッパ諸国の選手たちがほとんどで、読めない!!米国人教師たちもお手上げで、なんとかカタカナの振り仮名を参考に読み合わせ。
表彰式が開始すると、その舞台裏はまるで戦場のようで・・・
リザルトを受け取ると同時に、即座に選手名と順位、そして割当のプレゼンテーターを確認し、すぐにスタート。日本語、英語のペアで交代でやるけれど、連続して行なうので休む間はなく、一日終る頃には声も枯れかけ、、、ノド飴と水を片手に、それでも、一つ一つの表彰式に思いを込め、想い出に残る感動的な式を演出しようと、ボランティアたちの心は一つでしたそして・・アスリートたちの飛び切りの笑顔を見ると疲れもふきとび、「頑張ったね、おめでとう!」と心から祝福のエールを贈りたくなるのです。SOのアスリートたちはじっとしていられなくて、メダルを首にかけたまま、ぐるぐる回ったりする子もいるけど、全身で喜びを表現し、それを温かく祝福する観客たちの声援と拍手に包まれた表彰式会場は、本当に温かい雰囲気に満ちていました
昼食を取るのもままならず、競技そのものをじっくり観ることもできなかったけど、合間合間にアナウンステントから抜け出して近くのゴール付近へ行き、やっとの思いでゴールして歓声のなか迎えられるアスリートたちの栄誉を称えました。スペシャルオリンピックスでは、ハガーと呼ばれるボランティアがいて、競技を終えたアスリートたちを抱きしめるのです。とても素晴らしい光景でした
毎日毎日が感動の場面の連続。アスリートたちのゴールへ向かう力強い眼差し、ゴールしたとき、メダルを受け取ったときの喜び、それを支え温かく見守るたくさんのファミリー、観客、ボランティアたち・・・一日の仕事を終え、帰りのバスに乗り込むときは身体はクタクタでも、心はスッキリとして清々しい気持ちでいっぱい本当にあっという間だったけれど、一日一日かけがえのない日々でした。
次回は、SO世界大会を通して出会った人たちとのふれ合いをお伝えします!