2012年発刊の品川歴史館特別展図録「品川鉄道事始」を「日本の古本屋」から入手しました。「高輪築堤」の地元である港区教育委員会と品川区教育委員会の文献史資料によって、国特別史跡級の歴史的重要性が益々明らかになってきました。
付録其の一
付録其の二
佐賀県山口祥義(よしのり)知事は、萩生田文科大臣と面会する前に、初めて高輪築堤の現地を訪れ、海岸と沖合を行き来する船のため、築堤の一部を切る形で設けた水路の跡などを視察し、「あんなに素晴らしいものを壊すとすれば、佐賀県人として耐えられない」と力説しました。佐賀県出身の大隈重信は1872(明治5)年に新橋―横浜間に鉄道を開業させた旗振り役の1人。当時の兵部省が高輪周辺の所有地を鉄道用に拠出しなかったため、現在のJR田町駅―品川駅間約2.7キロは東京湾の浅瀬に堤を築き、上に線路を敷く決断をしたと伝えられています。「品川鉄道事始」に「佐賀藩鍋島家の蒸気機関車研究」がありましたので、大隈重信は、若いときから鉄道の知見が充分にあったと思われます。『高輪築堤保存に大隈重信が登場!佐賀県知事が萩生田文科大臣と面会』
「安政二(1855)年、国内初となる蒸気車の雛形の製作を開始し、完成させた。日本の鉄道開業の原点は佐賀にあり、その気運も同藩から起こったといえるだろう。」
佐賀県政策部の担当者は、「佐賀県には一番列車の座席表がある」と電話で話をしていましたが、このイラストだったようです。傍線を引きましたが、明治天皇の車両には、鉄道頭井上勝が説明役として乗車しています。列車の四両目には、鉄道事業を推進してきた最高責任者の大隈重信と鉄道建設に反対してきた西郷隆盛が一緒の車両です。六両目には渋沢栄一が乗車、七両目には明治天皇の実母中山慶子の父親中山忠能と尾張徳川家当主徳川義勝(墓は新宿区6丁目西光庵)が乗車していることが分かります。
このイラストに矢印を付けましたが、港区教育委員会の出土図面の写真2(3街区)の部分です。
(了)