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工房「あかほ」の作業日誌

管理人の趣味である鉄道模型の加工・改造日誌です
どうぞごゆっくりご観覧ください

寝台特急富士・はやぶさに乗ろう!の旅 in 2008.8.7~8.9 Ⅲ

2011-02-12 23:57:43 | 出張撮影記
※長らくお休みしていた企画ですが、思い立ったのでまた書き始めます。

名古屋駅で富士・はやぶさを待つ間もちょこちょこ撮影。





深夜だったからであろうか
東海を代表するターミナル駅にしては人気が結構少なかったように思える。

そして到着十数分前、4番線に待機。
同じホームには親子連れがちらほら見られた。

どうやらその人たちも富士・はやぶさ待ちらしい、大きなカバンを持っている。


やや慌しくアナウンスが鳴り響きだした頃、
眩いばかりのライトがゆっくりとホームに入ってくる。



ホームの照明に照らされる、艶々とした青色の車体!
そして14系のディーゼル音!





定刻で下り富士・はやぶさが入線。
方向幕・「SOLO」のロゴマークを撮影し、ようやくブルートレインに乗車する。

その第一歩は、これまでの夢でもあった一歩。
ブルートレインに乗りたい!!と思ってから何年経ったであろうか・・・。

あの頃の自分は、まさかブルトレ初乗車が一人旅だとは夢にも思わなかっただろう(笑)


いざ乗り込むと、まずは香りが印象的だった。
この言葉ではあらわせない香り・・・。

そして暗いデッキ。
暗い通路。

もうすでに11時前なので減灯されているらしい。

自分の個室に入ると、質素だがきちんとリネン類が畳まれ置かれていた。
ここが一晩の宿になる。
想像していたよりも広々していたのでテンションも一気にアップ!!

車掌さんから検札を受け、鍵を受け取り
さぁお菓子を広げて自分の空間を展開!



ブルートレインで車掌を眺めながらお酒を飲む(未成年なのでジュース持参)ことが夢であった。
そのくだらない夢が、ようやく現実の物となっている!

しかし既に長旅の疲れが重なって、隙あらば睡魔が襲ってくる。

まさに鉄道ファンなら誰もが体験するであろうジレンマである。
寝台列車なのだから寝ることこそが本意だろう
いやいや寝るのは惜しい、寝る暇があれば少しでも寝台列車の旅を楽しむべきだ・・・

僕は後者をとった(笑


ベッドに座っていると、いつの間にかグッスリ言ってしまいそうなので
編成の最後尾を目指す。



開放式B寝台ではお酒を持ち寄って宴会する家族なども居て
まさに自分の思っていた夜行列車の雰囲気を堪能できた。

最後尾からは流れる夜景を独り占めできる。

米原~姫路まではずっとここにいた気がする。













姫路駅では上り富士・はやぶさとすれ違い。

さすがに寝ないときつくなってきたので
岡山を過ぎたあたりで布団をかぶった。

寝台特急富士・はやぶさに乗ろう!の旅 in 2008.8.7~8.9 Ⅱ

2010-08-09 01:34:39 | 出張撮影記
※この記事は旧ブログの記事をリメイクした物になります。
 通常の日記と言うよりも記録用の旅行記といった感じになっています。ご了承ください。
 

駅に到着後、富士に乗る時の乗車券と青春18きっぷを購入。
後から知った話だが普通乗車券は学割を使った方が格段に安かった(汗

ホームに下りると乗車予定の221系が停まっていた。
221系は自分の中ではデザイン・乗り心地、どこをとってもナンバー1の車種なので
テンションもアップ・・・と言っていたのも束の間、ダイヤに乱れが発生しているとの放送が。
車掌さんに詳しく聞いてみると
甲子園口の近くの信号が故障して山陽電車で振り替え輸送を行っているらしい。
振り替えには正規の切符が必要とのことなので、18キッパーの自分は復旧を待つしかない。
とりあえず自分の乗った221系は中間地点の姫路に到着。

さすがはお盆前ともあり姫路駅はごった返していた。
30分ほど待っただろうか、ようやく復旧したということで姫路で足止めを食らっていた
満員の新快速が出て行った。
もともとこんな事態も想定して計画を立てていたので次の新快速で姫路を出る。
皆、復旧直後にでた列車に殺到したために、こちらの新快速は嘘のように空いていた。
そこからは長い長い東海道本線をひた走ってゆく・・・。
今まで「米原」という行き先表示の新快速は飽きるように見てきたが
終点まで乗るのは初めてだ。

琵琶湖が見えたのは、もう夕日が沈む寸前だった。

少々うたた寝もしながら、米原へ到着した。21時ごろだっただろうか??
しかし、休む暇なくまた「新快速」に乗り換える。
これまで乗ってきた「Special Rapid」ではなく「New Rapid」へ。
既に知っている人も多いかもしれないが
JR東海とJR西日本とでは「新快速」の英語表記が若干違うのだ。
JR西日本の新快速は「Special Rapid」になっているが、JR東海の新快速は「Special」の称号を
特別快速に譲っているので「New Rapid」とそのまんまの英語表記になっている。


※写真は大垣で撮影。上は新快速、下は特別快速を表している。

少々は無しが脱線したが、乗り換えの列に混じって自分も東海の新快速へ向かう。
ホームには白く眩いHIDのライトを輝かせる313系が停車していた。


※写真は大垣から乗った方のガラ空き新快速。

室内はブラウンを基調とした223系とはガラリと違う、グレーの床にブルーのシート。
廃タイヤのチップで騒音を軽減しているので室内の静かさもまるで違う。
ただし、先の遅れのせいもありかなり混雑していたので途中、大垣で降りる。



大垣と言えば鉄道ファンなら聞いたことがない人がいないだろう。
この頃はまだ定期便のムーンライトながらがあった・・・。

大垣の誰もいないホームで少し体を伸ばし、後続の新快速で終に名古屋を目指す。



知らない車窓だったが、夜の暗闇であまり実感がわかない。

22時ごろ(?)名古屋駅に到着。後は本命の「富士・はやぶさ」を待つのみ・・・。

寝台特急富士・はやぶさに乗ろう!の旅 in 2008.8.7~8.9 Ⅰ

2010-07-28 01:26:26 | 出張撮影記
※この記事は旧ブログの記事をリメイクした物になります。
 通常の日記と言うよりも記録用の旅行記といった感じになっています。ご了承ください。
 それから初心者の小説家のようなくさい表現があると思いますが
 そこらへんはどうか聞き流してください(汗



終にやってきた!この時が!!
夜でも蒸し暑い名古屋駅の4番のりばに僕は一人立っていた。
思えば小さい頃に絵本で「Bしんだい」と言う物をみてからというもの
僕の中の寝台列車への期待は膨らんでいく一方であった。
そして終にその列車を体感することができるのだと思うとあと数秒の到着時間も待てない!!
ここまで興奮することはなかなかないだろう。
既に暗闇に続くホームの先には、二つのヘッドライトが輝いて見える・・・

~出発まで~
元々このプランは友達との東京行きが潰れて・・・と、もう一度説明するのは面倒だ。
詳しく知りたい人は旧ブログの九州旅行の記事を見てほしい。
無理やりプランを練り上げたのは出発日の1ヶ月ちょっと前くらいだったか、
1ヶ月前の10時きっかしに地元駅に突撃。
もともとは終着駅までの距離が長い「はやぶさ」に乗車するつもりだったのだが
窓口の駅員がモタモタしたせいで「富士」の乗車になってしまった。
帰省の時期と重なったせいもあってか
人気個室の「SOLO」は1ヶ月前でギリギリ下段の個室が取れた程だった。
やはりシーズンになると利用客はいるんだな、と。

本命は「はやぶさ」のSOLO上段個室だったのだが、廃止が予想されていると言うのもあり
「富士」の個室が取れただけでも幸運かと・・・そう心に言い聞かせながら帰宅した。
それからの1ヶ月間はこの旅行のことを考えなかった日はないくらい、
それぐらい寝台列車に乗ることが楽しみだった。
この旅行は2年前の夏休みの象徴といっても過言ではない位。

~出発当日~
その日は普通に起床。
いつもと変わらない夏休みの朝だが、部活はお休みをとっていたので
午前中に食料の買出しへ行った。
午後3時ごろに地元を出発するつもりだったが、正午からの2時間何もやることがない。
何かしようと思ってもそっちのことに気が行ってしまい楽しめないのだ。
そうしていると丁度、生徒会の子達から「中学校での作業を手伝って欲しい」と電話があったので「丁度いい時間潰しだ!」と思い学校へ出向く。
といってもベニヤ板を運んだくらいだったのだが・・・

適度に時間潰しができ、いよいよ駅へ向かう。
送り迎えは時々ヒヤッとする祖父の運転だが、それもまたドキドキする。

さぁこれから人生初となる車内泊の旅に出るのだ!!

2010年 春のぶらり東京一人旅 (回帰編)

2010-04-02 00:47:47 | 出張撮影記
数々の車両に感動しつつも、もう鉄道博物館は閉館が近づいている。
少し早いがお腹も空いてきたので、ここを後にした。

ニューシャトルで大宮駅に戻り、そこから東京へ。
途中で変な(?)おばさんに話しかけられたが、それは気にしない…
一人でぶつぶつ怒っていたのであまり深くかかわらない方がよさそうだった。

東京へ付いたのはいいものの時間は19時前…
帰りのムーンライトながら発車までは後、3時間以上の時間がある。

とりあえず駅の中を歩き回ったが
人が多くて、多くて…田舎者の僕は目が回りそうだった。

途中駅の地下にある休憩所のような場所で休んだが
それでも時間はあるので山手線に乗って時間を潰すことにした。

一周が約1時間なので2周して2時間を潰す。
1周目は比較的空いており、流れる夜景を楽しみつつ居眠りをした(笑
しかし2周目はかなりの人が乗り込んできて
それなりの満員電車に…

これをまだまだ東京の通勤ラッシュだと思ってはいけないのだろうが
それでも僕にはギュウギュウ詰めに思えた。

2周が終わったところでながらの発車まで1時間をきり
食料を買い込む。
たぶんここから赤穂までは途中で寄り道もしないだろうから
ふんだんに食糧を買っておいた。

そして22時の何分だったか…今朝乗ってきた国鉄色に乗り込んだ。
さらば東京、これから長い人生で再度ここを訪れる時
それは一体どういう目的で訪れることになるのだろう?
引越しか?それとも出張か?(笑
いつしかここも自分にとって特別ではない場所になるのだろうか?

という感傷に浸っていたのは、実はこのブログを書いている時であり
リアルタイムではとてつもなく過酷な夜を迎えていた…

昨日の夜に腰を曲げて寝ていたせいで、腰が悲鳴を上げており
普通に座っているだけでも辛く感じてくる。
行きがグレードアップの10号車で贅沢をしていたため
余計に狭く感じてしまう…9号車。

寝た気がしない睡眠を何度も繰り返し、やっとこさ空が青くなった大垣へ着いた。

しかしここで終わりではない。

この駅では、かの有名な「大垣ダッシュ」という催し物が開かれる(苦笑
大垣ダッシュとは、ムーンライトながらから降りた乗客が少しでも早く西を目指そうと
向こう側のホームに停まっている快速列車へと走っていく
いわばセキトリ合戦のことである。

その戦いに備えてか大垣到着前には、数々の戦士たちが前の方の号車へ移動していく…
ドアが開くと…最初は穏やかに見えるが、連絡橋を上った辺りから皆マジになる。

結局、後の方で出た自分は席が取れず
新快速に乗り換える米原までは立ちっぱなしだった。もう死にそうだ。

京都・大阪を過ぎた辺りから新快速の車内は静かになってゆき
ここで初めて安眠を得た。
この堅くて角度のついたシートのほうが居眠りには適しているらしい。

そんな感じで馴染みの土地へ帰ってきた。
播州赤穂着が丁度10時くらいだったから、昨晩から11時間の長旅…
もう体に残っている体力を使い果たしたのではないかと言うくらい疲れた。

家に帰ってからの風呂は、また格別な物だった(オヤジかw)

そんな感じで今回の東京一人旅は終わったのだった。

これまで幾度となく見知らぬ土地へ挑戦してきたが
やっぱり日本の首都は何か特別な物がある。

この思い出も2年前の九州一人旅同様、忘れることはないだろう。

しかし、やっぱり座席夜行は疲れる…(笑

                                   おわり

2010年 春のぶらり東京一人旅 (鉄道博物館編)

2010-03-31 22:00:04 | 出張撮影記
秋葉原から京浜東北線で大宮へ向かう。
もちろん鉄道博物館へ。


 *京浜東北線の車窓から。様々な路線が広がる景色は、まさに新都心。

JR大宮駅からはニューシャトルを乗り継いで鉄道博物館へ到着。

入場するためのカードを買い、いざ中へ!
改札のような入り口から入場し向かって右側にはヒストリーゾーンが。

この博物館の目玉でもあるヒストリーゾーンには
これまでの鉄道の歴史を支えてきたような名車両たちが展示されている。
また展示車輌のサイドには、その時代のプラットホームも再現されている。


 *マイテ39の横には当時の東京駅が。一体いつの時代なのだろう?

さて、2階へ上がればまずはこの景色…


 *2階はヒストリーゾーンを一望できるように真ん中がぽっかり開いている。

3時間ほど歩き回ったが、本当に感動した。
やはりこの感動は実際に行って確かめてもらいたいので
写真は控えめにする(実は、ぶれている物が多くて載せられないという事情も(苦笑い)









もちろん中に入れる車輌も多数あり
自分が生まれた時には既に現役を引退してしまった車両たちにも乗ることができる。


 *オハ31 26の車内。電球色のレトロな雰囲気を漂わせている。


 *ホンモノの網棚を見るのも、初めてかもしれない。



数々の列車を見てきたが、自分が一番感動したのは「御料車」である。
もう、なんと言っていいか…恐れ多いと言うか、
直接見たら「目が潰れる!!」と言うぐらい、厳かで…上品で…

本当にこれはあなたの目で見ていただきたい。
実際に見ないとこの感動は味わえないだろう。


 *これは写真だが、この目の前には本物の御料車が展示されているのだ。






鉄道、それは単に人を乗せるためだけの物ではないというのは
鉄道ファンなら誰もが分かっていることだろう。

しかし、それを一番に感じることができたのがこの博物館だ。
「鉄道車輌」というただ単なる物に吹き込まれた職人たちの魂が今も行生き続けている。

時を越えて受け継がれてゆく鉄道文化、
それを大切にするのも鉄道ファンのすべきことではないのだろうか?

そういうことを知っている人たちは、列車を止めたりしないだろう。