昨日の午前中は五島美術館へ。
本日(10/19)まで開催の『絵画・墨跡と李朝の陶芸』を観賞。
運よく、国宝・紫式部日記絵巻も拝見できたが、興味はやはり高麗茶碗。
井戸茶碗の銘『美濃』(重要美術品)が迫力。
4つの井戸茶碗はそれぞれによさがあった。
粉引、熊川、柿の蔕、斗々屋、伊羅保なども一通り展示されてあり、見応え。
御本雲鶴はわざわざ「筒茶碗」としていて、よく見る雲鶴より更に大きく縦長。
腰のところが丸味を帯びていて、高台が高く割り高台になっていて。
茶碗というよりは火入にした方がよいようにも感じた。
また、ここでも佐竹本三十六歌仙絵の1枚~清原元輔像~に遭遇。
この秋はこれで3枚目か4枚目? ※参考
ラウンジで『月刊淡交』や『なごみ』を読んで、しばしゆっくり。
(ここは本当に落ち着く)
午後は畠山記念館へ。
機会に恵まれて、学芸員さんの講義を受けた後、展観することができた。
(社中の師匠の希望で、稽古を中止して8名“御一行様”の団体参加)
テーマは益田鈍翁と畠山即翁。
秋季展『益田鈍翁 -心づくしの茶人-』
畠山記念館の沿革、コレクションの内容に始まり、
創設者の畠山一清(即翁)の人となり、鈍翁との関係。
益田鈍翁とは如何なる人物で、数寄者としてどういう功績があったのか。
参加者の大半が茶道具観賞ビギナーだったので、とてもわかりやすい内容。
たいへん興味深く、面白く聴講できた。
この下地があって、今回の展示内容の見どころを説明して下さるので、
最後の方は「質疑応答より、早く展示室に行きた~い」
(相弟子から「珍しく、質問しなかったですねぇ」と言われ、苦笑)
即翁が鈍翁のために開いた茶事の道具組の再現(一部)がとてもよかった。
柿の蔕茶碗・銘『毘沙門堂』にこめられた思い。
(邸内の茶室『毘沙門堂』には茶会で入ったことがある。
「そういう経緯だったのか~」と今更ながら知る喜び)
床に掛けられたという秀吉の消息。
母の大政所に宛てたため、すべて平仮名。
私には「うれしい」の部分しか判読できず。
でも。この手紙の気持ちがそのまま亭主が正客への思いでもある~
うーーーむ。深い軸選びだぁ。
渡辺喜三郎(二代)作の太夫棗。
仕服は明治天皇の拝領したもの。
(こちらには行幸されたことがあるので、それで)
茶事を終えた後、鈍翁が即翁に宛てた書簡。
“知ってみる”と理解の深さが全然違うねぇ~と社中一同、感服する。
他にも見どころがたくさんあり、すべてを紹介しきれない。
例えば鶴首の花入。
本歌は水戸徳川家にある古銅の大名物、銘『鶴の一声』。
これを鈍翁のお抱え陶工だった大野鈍阿が陶器で写したものが展示されていた。
あらかじめ聞いていなければ、古銅と見間違えるほど精巧。
この形をよく焼き物で再現できたものだと感心した。
同じく鈍阿作の黒楽茶碗・銘「鈍阿弥」。
これは「鈍翁」の由来となった黒楽茶碗の銘「鈍太郎」を写したもの。
って、あれ?たしか先日、三井記念美術館で観たゾ。
そういえば、宮崎寒雉作の宮嶋釜の写しもあった。
三井の特別展 茶人のまなざし「森川如春庵の世界」とリンクする面が多い。
是非、どちらも観賞されることをオススメしたい。
あと、少々悪趣味ではあるが、「布き冨草紙」は笑える。
と、こんなところかな。
展示は前期と後期に分かれている。
私自身は後期にも訪れる予定だ。
【参考~このブログにおける過去の畠山記念館の記事】
2007.11月 『茶の湯の美 利休から宗旦へ』前期
2007.12月 『茶の湯の美 利休から宗旦へ』後期
2008年3月 『花によせる日本の心 -梅・桜・椿を中心に』
2008年4月 『細川井戸と名物茶道具』
2008年8月 『夏季展 夏のやきもの -金襴手・万暦赤絵・古赤絵・南京赤絵』
本日(10/19)まで開催の『絵画・墨跡と李朝の陶芸』を観賞。
運よく、国宝・紫式部日記絵巻も拝見できたが、興味はやはり高麗茶碗。
井戸茶碗の銘『美濃』(重要美術品)が迫力。
4つの井戸茶碗はそれぞれによさがあった。
粉引、熊川、柿の蔕、斗々屋、伊羅保なども一通り展示されてあり、見応え。
御本雲鶴はわざわざ「筒茶碗」としていて、よく見る雲鶴より更に大きく縦長。
腰のところが丸味を帯びていて、高台が高く割り高台になっていて。
茶碗というよりは火入にした方がよいようにも感じた。
また、ここでも佐竹本三十六歌仙絵の1枚~清原元輔像~に遭遇。
この秋はこれで3枚目か4枚目? ※参考
ラウンジで『月刊淡交』や『なごみ』を読んで、しばしゆっくり。
(ここは本当に落ち着く)
午後は畠山記念館へ。
機会に恵まれて、学芸員さんの講義を受けた後、展観することができた。
(社中の師匠の希望で、稽古を中止して8名“御一行様”の団体参加)
テーマは益田鈍翁と畠山即翁。
秋季展『益田鈍翁 -心づくしの茶人-』
畠山記念館の沿革、コレクションの内容に始まり、
創設者の畠山一清(即翁)の人となり、鈍翁との関係。
益田鈍翁とは如何なる人物で、数寄者としてどういう功績があったのか。
参加者の大半が茶道具観賞ビギナーだったので、とてもわかりやすい内容。
たいへん興味深く、面白く聴講できた。
この下地があって、今回の展示内容の見どころを説明して下さるので、
最後の方は「質疑応答より、早く展示室に行きた~い」
(相弟子から「珍しく、質問しなかったですねぇ」と言われ、苦笑)
即翁が鈍翁のために開いた茶事の道具組の再現(一部)がとてもよかった。
柿の蔕茶碗・銘『毘沙門堂』にこめられた思い。
(邸内の茶室『毘沙門堂』には茶会で入ったことがある。
「そういう経緯だったのか~」と今更ながら知る喜び)
床に掛けられたという秀吉の消息。
母の大政所に宛てたため、すべて平仮名。
私には「うれしい」の部分しか判読できず。
でも。この手紙の気持ちがそのまま亭主が正客への思いでもある~
うーーーむ。深い軸選びだぁ。
渡辺喜三郎(二代)作の太夫棗。
仕服は明治天皇の拝領したもの。
(こちらには行幸されたことがあるので、それで)
茶事を終えた後、鈍翁が即翁に宛てた書簡。
“知ってみる”と理解の深さが全然違うねぇ~と社中一同、感服する。
他にも見どころがたくさんあり、すべてを紹介しきれない。
例えば鶴首の花入。
本歌は水戸徳川家にある古銅の大名物、銘『鶴の一声』。
これを鈍翁のお抱え陶工だった大野鈍阿が陶器で写したものが展示されていた。
あらかじめ聞いていなければ、古銅と見間違えるほど精巧。
この形をよく焼き物で再現できたものだと感心した。
同じく鈍阿作の黒楽茶碗・銘「鈍阿弥」。
これは「鈍翁」の由来となった黒楽茶碗の銘「鈍太郎」を写したもの。
って、あれ?たしか先日、三井記念美術館で観たゾ。
そういえば、宮崎寒雉作の宮嶋釜の写しもあった。
三井の特別展 茶人のまなざし「森川如春庵の世界」とリンクする面が多い。
是非、どちらも観賞されることをオススメしたい。
あと、少々悪趣味ではあるが、「布き冨草紙」は笑える。
と、こんなところかな。
展示は前期と後期に分かれている。
私自身は後期にも訪れる予定だ。
【参考~このブログにおける過去の畠山記念館の記事】
2007.11月 『茶の湯の美 利休から宗旦へ』前期
2007.12月 『茶の湯の美 利休から宗旦へ』後期
2008年3月 『花によせる日本の心 -梅・桜・椿を中心に』
2008年4月 『細川井戸と名物茶道具』
2008年8月 『夏季展 夏のやきもの -金襴手・万暦赤絵・古赤絵・南京赤絵』
こちらこそ、久しぶりに御一緒できて、よかったです。
また、機会あれば一緒にフリークしましょ。