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常識とは何?何気なく使う言葉の危うさ。噛みつき亀風味でもの申す。脱線ご容赦。あくまでもお馬鹿な私の私論です。最近ボケ気味

福祉とは介護とは

2011年12月18日 16時10分34秒 | 追想
私の家の植木プランターに季節外れのトマトが花を咲かせています。
寒さに贖う術は無くその葉は至る所で枯れてしまい、満身創痍。それでも、小さな花が咲いた後には親指程の実を結んでいます。
植物は寒いからといって場所を変えることはできません。然し葉を出す位置や、茎の方向を変えて、少しでも太陽が当たるようにして木枯らしに耐え果実を実らせています。無論最後には枯れてしまいますが、精一杯生きて、自身が滅びても次の世代への継承をするあらゆる生態系の循環式の一つの分担を果たすべく頑張っていると私は感じています。季節はずれに芽を出してしまったのは、その前の実がこぼれたからで、母は抜いてしまうよう言います。大半の人は同じ事を言うに違いありません 然し頑なに私はそれを拒んでいます。 たった一本のトマトが、今全力で老いと戦っていると言い換えてみたら・・・皆さんはどう捉えるでしょうか?
とくに福祉という仕事に携わる上での大きなヒントここにあると私は思います。 母が季節はずれのトマトの花を指さした時に残念ながら多くの人は、
「季節外れだからどうせ駄目だね」と仰います。
其れが最も妥当な事は謂うまでもないのですが、私は「季節はずれでもがんばっているね。お手本に頑張りましょう」と云ってくれる人が少しでも多くなることを願ってやみません。
かなり観念的過ぎるかもしれないですし、実際の福祉の現場を見ていないと言われるかもしれません。
また個人の資質等も関係するのかもしれません。仕事としての福祉業界を選んだ人も多いかもしれません。 しかし、それは様々な理由で介護を利用しなければならなくなった人達には全く関係ないことです。
私が思うのは、今にも枯れそうな一本の幹を互いに応援する力、ひいては果実を実らせようとする気持ちこそが大事だと思う次第です。 それが、思いやりであったり優しさや奉仕の心、ひいては利用者の生き甲斐に繋がるもの、また喜びを共有できるものだと私は考えています。でも、福祉もビジネスである。と私は考えています。決して奉仕活動ではないし狭義の慈善活動でもない。
スピリッチュアルな部分は別ですが。
よって、事業はどんどん大きくしてもらいたいのです。母胎が大きくなればなるほど利用者に最終的には還元されるものもあるに違いないと思うからです。
大きくなる為には、利用者の満足度という要因が大きなウエイトを占めます。 それをファジーなものとして捉える所、人はせいぜい現状維持できるかできないかと言ったところでしょう。会社での地位や資格等は利用者には関係ない事だというのはいうまでも無い事ですが、案外勘違いをしている場合が多いようです。というのは、その資格が生かせるのは利用者あって職場があるからで、ことで利用者にとっては所長だからとかヘルパーだから等で云うことを使い分ける必要はなく、利用者の意見に応じて事業体内部で調整するだけの話だと思います。その簡単な事がわからないと感じた人は各メーカーなどのお客様相談室に電話してみると良いでしょう。大企業であろうと無かろうと、絶対に口にしないことは、顧客は沢山いるのでとか、じゃあ取り替えればいいのですか、そういうことを云うのはお客様だけです等です。クレームと区分される中には貴重な意見もあるのです。私がゴミ収集について、第1、3週という表記を、月の1回3回目という表記にした方が良いと市に云い
ました。12月の第3週と言えば11日~17日ですが、粗大ゴミの収集はないのです。しかし3回目と言うとうちの場合は21日になります。
話がそれましたが、介護する人される人は同じ尊厳である事を肝に命じ、日々今日は何人の笑顔がみれるかな?と思って仕事をしていただければと思う次第です。どうすれば良いか?
答は簡単です。いつも精一杯、全力投球。一生懸命仕事をしている姿は、必ず伝わります。私はそう信じているしそうあって欲しいと願っております。

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