歴史と自然への訪問記

福岡を中心に探索・活動しています。歴史と自然が好きです。日々感じるまま綴っていきたい。

名護屋城を歩く

2010年08月30日 | 歴史

肥前名護屋城跡に行ってきました。史跡は城を中心に陣屋跡が広範囲に広がっているので、今回は城址の本丸と陣屋の一部を見てまわります。他の史跡も今後何度か来て探索する予定にしています。また、城址の隣には名護屋城博物館があり常設展示は無料で見学できました。城址と各大名の陣屋跡23箇所が国の指定史跡となっています。

名護屋城は豊臣秀吉が文禄・慶長の役の時に肥前国松浦郡名護屋に築いた城です。築城以前より松浦党の支城があったようで、標高87mの垣添山または勝男山と呼ばれる山です。東西600m、南北350メートルの広さがありました。
場所は現在の佐賀県唐津市の旧鎮西町・旧呼子町・旧玄海町に城址・陣跡はあります。東松浦半島の先端に位置し玄界灘を眼下に、はるかに朝鮮半島を臨む場所にあります。車で行くには呼子を目指して行くとたどり着きます。

1591年、秀吉は自らの御座所として肥前名護屋に総石垣の城を築きました。普請には加藤清正、寺沢広高、黒田孝高など九州の諸大名を動員し、突貫工事で約8ヶ月の短期間で完成しました。
城は本丸、二の丸、三の丸、東出丸、水手曲輪、弾正丸、遊撃丸、上山里丸、下山里丸、台所丸などから構成され、本丸北西隅には5層7階の天守がありました。
城への出入りは大手口、搦手口、船出口、水手口、山里口があった。城跡から金箔瓦が出土しており秀吉らしく豪華な城だったことが想像できます。城郭の周辺には徳川家康、前田利家、上杉景勝、伊達政宗ら160以上の大名の陣屋が所狭しと配置されており現在確認できているだけでも130箇所以上もあるらしい。


■肥前名護屋城の想像図です。巨大な城という感じです。


■城の見取り図です。


■三の丸から本丸へ通じる入り口で、大手門があった場所です。ここにあった門は伊達氏が仙台城の大手門として移築したと言われており国宝でしたが残念ながら空襲で消失しました。


■本丸です。ほんとに広い。碑のほか何も無いです。


■石が敷き詰められている場所が天守閣があった場所です。秀吉もここから玄海灘を見ていたんでしょうね。


■天守閣、肥前名護屋城図屏風に描かれています。


■天主台の図。東西19m、南北23mの長方形の広さです。


■青木月斗の句です。「太閤が 睨みし海の 霞かな 」

西国の諸大名中心で編成された15万8000の兵は、ここ名護屋を出発し、壱岐、対馬を経て朝鮮に渡っていった。城郭の周辺には東国の諸大名の軍勢と秀吉の旗本衆約10万の兵が駐屯した。文禄の役では最終的に20万以上の軍勢が名護屋から朝鮮に渡ったという。
講和交渉の決裂後の慶長の役でも14万の軍勢を、ここ名護屋から朝鮮半島へと上陸させた。


■陣屋の配置がわかる図(●箇所)探索コースが書かれている。


■陣屋の様子(堀 秀治)


■歴史探訪の道。今回はここに出ている箇所を回ってみた。

陣の場所を示している絵を史跡案内版より集めてみました。実際には、これを見ながら周りの風景を眺めて、あの辺に、あの森に、誰それの陣があったのかなとやるわけです。
下の風景の絵は実際とほぼ同じです。一番最後の絵だけ藪が生い茂っていて藪しか見えなかったです。


■↓↓付近の地図です。名護屋城より、やや下部分を回りました。


■長宗我部元親、石田三成、前野長康、藤堂高虎、宇喜多秀家 各陣


■宇喜多秀家、稲葉重通、堀 秀冶 各陣


■稲葉重通、宇喜多秀家、毛利輝元、溝口秀勝、織田信雄、鍋島直茂 各陣


■亀井茲矩、鍋島直茂、豊臣秀保 各陣


■豊臣秀保、波多親、松浦鎮信、細川忠興、南部信直、木村重隆 各陣


■津軽為信、片桐且元、木村重隆 各陣


■片桐且元、木村重隆、加藤清正、鍋島直茂、小早川隆景 各陣


■木下延俊、長宗我部元親、藤堂高虎、古田織部、宇喜多秀家、稲葉重通、木下勝俊 各陣

秀吉が死亡し、全軍が朝鮮半島より撤収したので名護屋城も役割を終わった。
秀吉が名護屋城に滞在したのはわずか1年であった。1599年、後陽成天皇より「豊国大明神」の神号を賜る。
名護屋城はその後、寺沢広高の治めるところとなったが、関ヶ原の戦いの後、唐津城の築城を開始したため、築城の資材として名護屋城を解体し使用した。その際に石垣などは破壊した。
しかし、この城は再度破壊される。島原の乱の後、名護屋城は二度と使用できないまでに徹底的に破壊された。再び島原の乱のようなことが起きないようにか、朝鮮との関係修復のためか、それとも前政権の秀吉を連想させるものを完全に消失させようとしたのか、理由はどれだろうか。


■破壊された石垣 その1


■破壊された石垣 その2


■破壊された石垣 その3



■破壊された石垣 その4。
城の石垣は、どこも、かなり破壊されてます。ここまで破壊するとは...

今回は史跡の一部しか、まわれなかったので、ちょっと残念です。
近いうち機会を作り探索に再度行きます。いや、あと数回は...
近いうち続編が書けたらいいなと思う。


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