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徳島県の手話サークル「藍話サークル」の情報を含め、ちょっとだけ「聞こえ」にこだわったブログです

今から10年ほど前・・・(講演会でのお話)

2004-12-29 16:04:20 | けろの聞こえ系日記
12月5日に行なわれた、「県立防災センター体験学習会&講演会」を
通して、けろっぴ(健聴者)が感じた事を・・
はじめにお断りですが・・けろっぴは「健聴者」です。
従って、ここでの書き込み内容が、聴覚障害者の方達の
「災害時の苦しみ」を正確に表わしていない事を先に申し上げておきます。

講師は「兵庫県聴覚障害者協会」理事の、
岩本重雄さん(聾者・尼崎出身)でした。

講演の内容は、岩本さんの「阪神大震災」体験談から、
災害の時の聴覚障害者が当時置かれた状況などを中心に進められました。
ここからは、岩本さんのお話の内容を・・

1995年1月17日、3回の縦揺れで目を覚ましたが、身動きも出来なかった。
家の中の本棚からは、本が文字どおり「飛び出し」
さらに、ヘッドホンから伝わる振動を利用して好きな音楽を楽しむための
ステレオは、「倒れるのではなく、宙を舞うように」床に落ちた。

早速、自分の親類(兄弟)の安否を確認しようとするが、
当時は携帯も普及しておらず、ファックスが寸断された時点で連絡手段が
断たれてしまい、一人一人、「自分の足」で家に向かい、安否を確認した。

しかし、耳が聞こえないため、中で人が返事をしても聞こえない!
結局、扉を蹴破り、家の中にいる親類の安否を確認していった。

中でも(岩本さんの)弟さん夫婦を家の中で見つけたときには、(伊丹市)
ライフラインが寸断され、家の中で弟さん夫婦がキャンドルで
明かりと暖をとっていた。
「なぜ逃げない?」と(岩本さんも)尋ねたが、
「どこに逃げていいのか分からない」と・・早速避難所へ案内した。

何とか親類全員の無事を確認し、やれやれと思いたいところであるが、
早速次に、安否の分からない「仲間の捜索」に取り掛かった。
芦屋にある聴覚障害者の作業所「たつのこ作業所」の6人の
仲間の捜索は、親類の捜索とは比べ物にならないくらい
困難だった・・・

芦屋に向かう道路は寸断され、バイクで何日間も作業所周辺の避難所、
仲間の家を回ったが、所在がつかめない・・
そんな中、ようやくとある避難所で手話通訳者の姿を見つけた。
そのときには思わず大泣きしその通訳者と抱き合った。
そして、その協力によりようやく6人の無事を確認できた。
その後・・彼らを含む「聴覚障害者」への情報提供を
「直接会って、手話で話す」ことで行い、東奔西走の毎日。

そんな中、色々な相談を受けた。
その中で、1組の聾者の夫婦にまつわる話があった。
相談は聾者の夫婦から受けたのだが、斜向かいに住んでいる人が、
しきりに、自分たちの家のほうを指差し、その後両手で大きく「×」印を・・
それを何回も繰り返す・・。
聾者の夫婦はその意味が分からず、尋ねて欲しいと言うのだ。

早速通訳者と同行し、その「斜向かい」の住人に経緯を尋ねようとしたが・・
いきなりものすごい剣幕で怒鳴り散らされた!

周囲の家々を回っても同じような反応。不思議に思っているうちに、
その中の1軒の住民が経緯を話してくれた
「斜向かい」の住人が「指を指していた」のは、聾者夫婦の家ではなく、
その手前=両者の家の中央にある貯水タンクのことだと言う。
その貯水タンクが、地震によってひび割れしたため、
近隣住民で「話し合って」水道の使用を自主制限しているのだが・・
あの家だけはそれに応じず、水を普段通り使っているから、
近隣住民が怒っている!とのことだった。
当然そんな「申し合わせ」のことなど、聾者夫婦は知る由もない。
当然、貯水タンクが壊れていることも気づいていない。
彼らは「普段どおり」の生活をしているだけのこと・・

早速聾者夫婦にその「申し合わせ」の内容を伝え、
近隣の家々にお詫びに回った・・
そんな中、その1軒に住んでいた若い健聴者・・
彼は「手話」で話しかけてきた。近隣に手話の出来る人がいたのである。

地域のコミュニティーの「もろさ」を思い知らされた(と、けろっぴは思った)

行政との交渉にも動きまわった。
救援物資の搬送や、情報提供のためにと、国道を通る許可証を
発行してもらうべく、災害対策本部に電話を入れてもらった(電話通訳で)
一旦は断られたものの、粘り強く交渉したところ、
今度は「市の障害福祉課」へ文書を送って欲しい、
その内容で災害対策本部が「検討」する。
との返事・・・
その時通訳者が「対策本部は誰のためのあるのか?」と問い詰めたところ、
「市民です」との返事。
「じゃあ、聴覚障害者は市民じゃないのか?」とさらに問い詰めると・・
黙り込んでしまった・・。

また、別に「聴覚障害者の安否確認、救援体制などの状況把握は
どのように行なっているのか?」と尋ねたところ・・
行政側は「できない」と言う・・。
これを同行していた通訳者は「難しい」と言う手話表現を使わず、
「怠ける」と言う表現であらわした。
通訳者の(名翻訳?迷翻訳?は皆さんに判断をまかせますByけろっぴ)
表現を見て、行政への怒りはピークに達し、猛然と抗議をした。
そのとき、改めて「手話通訳」の重要性を知ったような気がする。
)「市役所」とは、「市」民の「役」に立つ場「所」ではないのか?
その思いでいたのに・・

しかし、この経験で、行政には要望を出していかないといけないことを
改めて思い知らされた。

もし、明日地震が起きたら・・
まず1週間は「自分の力で生き延びて欲しい」
とにかく、生き延びてその後、
支援体制、情報保障のネットワークを作って欲しい。
その時、手話サークルなどでは、災害時も
「情報を求めて、誰かが来るかも知れない」と思って、
勉強会に使っている会場に張り紙をするとかの方法でいいから、
「サークル」を開いて欲しい。
(実際に勉強会をするのではなく、誰か来ると仮定して待っていて欲しい!)

と、言った内容でした。

その後の質疑応答で、けろっぴは改めて、
「災害時、サークルレベルで健聴者が出来ることは何ですか?」と
聞いてみました。
回答は「中央機関」=ろう協、難聴協、通研に安否情報などの連絡が出来る、
体制作りが一番重要!
そのために、サークル内でのネットワークをしっかり作って欲しい(災害前に)
とのことでした・・。

今も、岩本さんが言われたことの中で、
けろっぴが深く考えてしまうことがあります。

岩本さんは講演会の中で「ライフライン」の話をして下さいました。
私を含め健聴者の間で、災害のときの「ライフライン」と言えば、
「電気」「水道」「ガス」の3つ。
岩本さんは言います、
聴覚障害者には、「4つ」のライフラインがある!
そのうち3つは当然「電気・水道・ガス」
そしてもう1つ・・・「手話通訳=情報」

そのときにふと思ったのが・・
電気には「電線」、水道には「水道管」そして、ガスは「ガス管」
それぞれの「管や線」が供給の元(発電所、貯水池、ガス会社)から
張り巡らされているから、私たちは普段これらを使って、
生活が出来るわけです。

情報(手話通訳などによる情報保障とけろっぴは解釈してこう書きますが)も、
同じように「ネットワーク」と言うものが必要な訳です。

あちこちで、情報保障が行なわれたとしても、それはあくまで「いくつかの点」に
過ぎなくて。
それらの「点」が繋がってこそ、本当の意味での「情報保障」
いや「情報の共有」が出来るのじゃないか?

当然、そこには「情報の供給元」が必要となる訳で。
その供給元が、2つも3つもあると余計に情報が混乱してしまう。

また、情報と言うものは、供給元から一方的に流されるものではなく、
受け手から発信される情報も吸い取って、
周囲の人たちに「正しく」知らせなければいけない。
当然災害時には「なるべく早く」と言うことになる。

そのためにも、ネットワークの中心。
キーステーションが必要となるわけですよね。
その「キーステーション」になるのが
「手話通訳」であり「聴覚障害者の団体」である訳です。
そして、その末端で地域の情報を集め集積していくのが
「災害時の手話サークル」の役割と言うことになるのではないか?

分かりやすく言えば、「テレビ局」の仕組みです。
東京のキー局から、全国に番組は発信される。
私たちはその「ネットワーク」の中の「地方局」でそれを見ている
(東京の方は別ですが)
そして、地方で起きた事件も地方局から配信された情報が、
東京のキー局に送られて、全国に配信される。

つまり、災害時に聴覚障害者に対しての「情報センター」があって、
その「センター」が情報保障に当たる。
そして、地域のサークル、また情報保障に向かった先で、
聴覚障害者から得た情報をまとめ、再発信する。そのシステムが必要!
そして、その為に今のうちにネットワークを作っておかないといけないのですが・・

その為の「ツール」が徳島にはありません。
だから・・考え込んでしまうんです・・
まず・・サークル間の「横のつながり」
私も一応サークルの代表なるものをさせてもらって、もうすぐ4年になりますが、
定期的に交流会を持っているサークルは
1つだけです。
ちなみに、徳島には約40のサークルがあるのですが・・
こんなことを書くと「苦しい言い訳」になってしまうのですが、
直に会っての「交流」となると、事前の準備、日程調整などで手間がかかる
と言うこともあります。しかし、
これが必要なんだと言うこと(今まで怠慢をしていた私が言うのもなんですが)

そして・・やはりインターネットでしょうか?
災害時には、インターネットも有効に活用されるか否かは、
災害のタイプにもよるし、電気が止まれば
すべてを失う危険性は大きいのですが、
平時においては、交流、情報交換の有力なツールであることは、
言うまでもないはずです。
サークル間の「情報交換」としては、これを活用しない手はないのでは・・

しかし・・県内約40サークルでHPを立てているのは・・
うちと、文理大と、クゥさんのサイト(天からの贈り物)だけ?
(ヤフーで「手話サークル 徳島」で検索した結果)

そして、「キーステーション」になる所も「決まっていない」現状・・・
ちなみに、徳通研(全国手話通訳問題研究会徳島支部)の
会長さんはおそらくスケジュールの都合だとは思うのですが、
岩本さんの講演会の時には居られませんでした。
個人的には、ぜひ岩本さんの話を聞いて欲しかったと思います。
徳通研が「キーステーション」の核になることは分かっているはずですから・・
それはさて置き・・

最初にも書きましたが、
私けろっぴは健聴者です。
従って、実際に聴覚障害者が災害時に味わった
「情報が無く、聞こえない状態での恐怖感」については書くことは出来ません。
しかし、私自身もこうした「パニック状態」の中で
1人きりで生きていく自信はありません。

緊急時に「一緒にいる人間」それは、家族であり、
親類であり、近所の人であり、「仲間」である訳です。

情報があっても、おそらく不安を完全に取り除くことは出来ないでしょう。
しかし、「ともに話す」ことで、その不安を「共有」出来るのではないでしょうか?

手話、筆談、その他色々方法はあります。
ともに「情報を共有」して、
「不安」も「笑顔」も「涙」も「怒り」も「悲しみ」も「共有する」
その為の情報保障が、本当の情報保障と言うことになるのでは
ないでしょうか・・・

そして・・その為にも、今から
「不安」も「笑顔」も「涙」も「怒り」も「悲しみ」も「共有する」
仲間作り=ネットワーク作りが必要なんですよね・・・

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