WIND 「blog」STATION

徳島県の手話サークル「藍話サークル」の情報を含め、ちょっとだけ「聞こえ」にこだわったブログです

「災」の年に当たって・・

2004-12-29 16:11:21 | 更新情報!
新潟での地震を受けて、「WIND STATION」では
地震に関する日記を書いた事の多い1年(というか・・三ヶ月)でした。
その中で、10年前の阪神大震災での体験として、
新潟地震直後にけろっぴが、当時の体験を書いた長文日記。
ならびに、12月に講演会で聞く事が出来た、
現地の聴覚障害者の方の体験談を、
UPしました。

年が明けると・・神戸に10回目の1・17がやってきます・・。
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今から10年ほど前・・・(講演会でのお話)

2004-12-29 16:04:20 | けろの聞こえ系日記
12月5日に行なわれた、「県立防災センター体験学習会&講演会」を
通して、けろっぴ(健聴者)が感じた事を・・
はじめにお断りですが・・けろっぴは「健聴者」です。
従って、ここでの書き込み内容が、聴覚障害者の方達の
「災害時の苦しみ」を正確に表わしていない事を先に申し上げておきます。

講師は「兵庫県聴覚障害者協会」理事の、
岩本重雄さん(聾者・尼崎出身)でした。

講演の内容は、岩本さんの「阪神大震災」体験談から、
災害の時の聴覚障害者が当時置かれた状況などを中心に進められました。
ここからは、岩本さんのお話の内容を・・

1995年1月17日、3回の縦揺れで目を覚ましたが、身動きも出来なかった。
家の中の本棚からは、本が文字どおり「飛び出し」
さらに、ヘッドホンから伝わる振動を利用して好きな音楽を楽しむための
ステレオは、「倒れるのではなく、宙を舞うように」床に落ちた。

早速、自分の親類(兄弟)の安否を確認しようとするが、
当時は携帯も普及しておらず、ファックスが寸断された時点で連絡手段が
断たれてしまい、一人一人、「自分の足」で家に向かい、安否を確認した。

しかし、耳が聞こえないため、中で人が返事をしても聞こえない!
結局、扉を蹴破り、家の中にいる親類の安否を確認していった。

中でも(岩本さんの)弟さん夫婦を家の中で見つけたときには、(伊丹市)
ライフラインが寸断され、家の中で弟さん夫婦がキャンドルで
明かりと暖をとっていた。
「なぜ逃げない?」と(岩本さんも)尋ねたが、
「どこに逃げていいのか分からない」と・・早速避難所へ案内した。

何とか親類全員の無事を確認し、やれやれと思いたいところであるが、
早速次に、安否の分からない「仲間の捜索」に取り掛かった。
芦屋にある聴覚障害者の作業所「たつのこ作業所」の6人の
仲間の捜索は、親類の捜索とは比べ物にならないくらい
困難だった・・・

芦屋に向かう道路は寸断され、バイクで何日間も作業所周辺の避難所、
仲間の家を回ったが、所在がつかめない・・
そんな中、ようやくとある避難所で手話通訳者の姿を見つけた。
そのときには思わず大泣きしその通訳者と抱き合った。
そして、その協力によりようやく6人の無事を確認できた。
その後・・彼らを含む「聴覚障害者」への情報提供を
「直接会って、手話で話す」ことで行い、東奔西走の毎日。

そんな中、色々な相談を受けた。
その中で、1組の聾者の夫婦にまつわる話があった。
相談は聾者の夫婦から受けたのだが、斜向かいに住んでいる人が、
しきりに、自分たちの家のほうを指差し、その後両手で大きく「×」印を・・
それを何回も繰り返す・・。
聾者の夫婦はその意味が分からず、尋ねて欲しいと言うのだ。

早速通訳者と同行し、その「斜向かい」の住人に経緯を尋ねようとしたが・・
いきなりものすごい剣幕で怒鳴り散らされた!

周囲の家々を回っても同じような反応。不思議に思っているうちに、
その中の1軒の住民が経緯を話してくれた
「斜向かい」の住人が「指を指していた」のは、聾者夫婦の家ではなく、
その手前=両者の家の中央にある貯水タンクのことだと言う。
その貯水タンクが、地震によってひび割れしたため、
近隣住民で「話し合って」水道の使用を自主制限しているのだが・・
あの家だけはそれに応じず、水を普段通り使っているから、
近隣住民が怒っている!とのことだった。
当然そんな「申し合わせ」のことなど、聾者夫婦は知る由もない。
当然、貯水タンクが壊れていることも気づいていない。
彼らは「普段どおり」の生活をしているだけのこと・・

早速聾者夫婦にその「申し合わせ」の内容を伝え、
近隣の家々にお詫びに回った・・
そんな中、その1軒に住んでいた若い健聴者・・
彼は「手話」で話しかけてきた。近隣に手話の出来る人がいたのである。

地域のコミュニティーの「もろさ」を思い知らされた(と、けろっぴは思った)

行政との交渉にも動きまわった。
救援物資の搬送や、情報提供のためにと、国道を通る許可証を
発行してもらうべく、災害対策本部に電話を入れてもらった(電話通訳で)
一旦は断られたものの、粘り強く交渉したところ、
今度は「市の障害福祉課」へ文書を送って欲しい、
その内容で災害対策本部が「検討」する。
との返事・・・
その時通訳者が「対策本部は誰のためのあるのか?」と問い詰めたところ、
「市民です」との返事。
「じゃあ、聴覚障害者は市民じゃないのか?」とさらに問い詰めると・・
黙り込んでしまった・・。

また、別に「聴覚障害者の安否確認、救援体制などの状況把握は
どのように行なっているのか?」と尋ねたところ・・
行政側は「できない」と言う・・。
これを同行していた通訳者は「難しい」と言う手話表現を使わず、
「怠ける」と言う表現であらわした。
通訳者の(名翻訳?迷翻訳?は皆さんに判断をまかせますByけろっぴ)
表現を見て、行政への怒りはピークに達し、猛然と抗議をした。
そのとき、改めて「手話通訳」の重要性を知ったような気がする。
)「市役所」とは、「市」民の「役」に立つ場「所」ではないのか?
その思いでいたのに・・

しかし、この経験で、行政には要望を出していかないといけないことを
改めて思い知らされた。

もし、明日地震が起きたら・・
まず1週間は「自分の力で生き延びて欲しい」
とにかく、生き延びてその後、
支援体制、情報保障のネットワークを作って欲しい。
その時、手話サークルなどでは、災害時も
「情報を求めて、誰かが来るかも知れない」と思って、
勉強会に使っている会場に張り紙をするとかの方法でいいから、
「サークル」を開いて欲しい。
(実際に勉強会をするのではなく、誰か来ると仮定して待っていて欲しい!)

と、言った内容でした。

その後の質疑応答で、けろっぴは改めて、
「災害時、サークルレベルで健聴者が出来ることは何ですか?」と
聞いてみました。
回答は「中央機関」=ろう協、難聴協、通研に安否情報などの連絡が出来る、
体制作りが一番重要!
そのために、サークル内でのネットワークをしっかり作って欲しい(災害前に)
とのことでした・・。

今も、岩本さんが言われたことの中で、
けろっぴが深く考えてしまうことがあります。

岩本さんは講演会の中で「ライフライン」の話をして下さいました。
私を含め健聴者の間で、災害のときの「ライフライン」と言えば、
「電気」「水道」「ガス」の3つ。
岩本さんは言います、
聴覚障害者には、「4つ」のライフラインがある!
そのうち3つは当然「電気・水道・ガス」
そしてもう1つ・・・「手話通訳=情報」

そのときにふと思ったのが・・
電気には「電線」、水道には「水道管」そして、ガスは「ガス管」
それぞれの「管や線」が供給の元(発電所、貯水池、ガス会社)から
張り巡らされているから、私たちは普段これらを使って、
生活が出来るわけです。

情報(手話通訳などによる情報保障とけろっぴは解釈してこう書きますが)も、
同じように「ネットワーク」と言うものが必要な訳です。

あちこちで、情報保障が行なわれたとしても、それはあくまで「いくつかの点」に
過ぎなくて。
それらの「点」が繋がってこそ、本当の意味での「情報保障」
いや「情報の共有」が出来るのじゃないか?

当然、そこには「情報の供給元」が必要となる訳で。
その供給元が、2つも3つもあると余計に情報が混乱してしまう。

また、情報と言うものは、供給元から一方的に流されるものではなく、
受け手から発信される情報も吸い取って、
周囲の人たちに「正しく」知らせなければいけない。
当然災害時には「なるべく早く」と言うことになる。

そのためにも、ネットワークの中心。
キーステーションが必要となるわけですよね。
その「キーステーション」になるのが
「手話通訳」であり「聴覚障害者の団体」である訳です。
そして、その末端で地域の情報を集め集積していくのが
「災害時の手話サークル」の役割と言うことになるのではないか?

分かりやすく言えば、「テレビ局」の仕組みです。
東京のキー局から、全国に番組は発信される。
私たちはその「ネットワーク」の中の「地方局」でそれを見ている
(東京の方は別ですが)
そして、地方で起きた事件も地方局から配信された情報が、
東京のキー局に送られて、全国に配信される。

つまり、災害時に聴覚障害者に対しての「情報センター」があって、
その「センター」が情報保障に当たる。
そして、地域のサークル、また情報保障に向かった先で、
聴覚障害者から得た情報をまとめ、再発信する。そのシステムが必要!
そして、その為に今のうちにネットワークを作っておかないといけないのですが・・

その為の「ツール」が徳島にはありません。
だから・・考え込んでしまうんです・・
まず・・サークル間の「横のつながり」
私も一応サークルの代表なるものをさせてもらって、もうすぐ4年になりますが、
定期的に交流会を持っているサークルは
1つだけです。
ちなみに、徳島には約40のサークルがあるのですが・・
こんなことを書くと「苦しい言い訳」になってしまうのですが、
直に会っての「交流」となると、事前の準備、日程調整などで手間がかかる
と言うこともあります。しかし、
これが必要なんだと言うこと(今まで怠慢をしていた私が言うのもなんですが)

そして・・やはりインターネットでしょうか?
災害時には、インターネットも有効に活用されるか否かは、
災害のタイプにもよるし、電気が止まれば
すべてを失う危険性は大きいのですが、
平時においては、交流、情報交換の有力なツールであることは、
言うまでもないはずです。
サークル間の「情報交換」としては、これを活用しない手はないのでは・・

しかし・・県内約40サークルでHPを立てているのは・・
うちと、文理大と、クゥさんのサイト(天からの贈り物)だけ?
(ヤフーで「手話サークル 徳島」で検索した結果)

そして、「キーステーション」になる所も「決まっていない」現状・・・
ちなみに、徳通研(全国手話通訳問題研究会徳島支部)の
会長さんはおそらくスケジュールの都合だとは思うのですが、
岩本さんの講演会の時には居られませんでした。
個人的には、ぜひ岩本さんの話を聞いて欲しかったと思います。
徳通研が「キーステーション」の核になることは分かっているはずですから・・
それはさて置き・・

最初にも書きましたが、
私けろっぴは健聴者です。
従って、実際に聴覚障害者が災害時に味わった
「情報が無く、聞こえない状態での恐怖感」については書くことは出来ません。
しかし、私自身もこうした「パニック状態」の中で
1人きりで生きていく自信はありません。

緊急時に「一緒にいる人間」それは、家族であり、
親類であり、近所の人であり、「仲間」である訳です。

情報があっても、おそらく不安を完全に取り除くことは出来ないでしょう。
しかし、「ともに話す」ことで、その不安を「共有」出来るのではないでしょうか?

手話、筆談、その他色々方法はあります。
ともに「情報を共有」して、
「不安」も「笑顔」も「涙」も「怒り」も「悲しみ」も「共有する」
その為の情報保障が、本当の情報保障と言うことになるのでは
ないでしょうか・・・

そして・・その為にも、今から
「不安」も「笑顔」も「涙」も「怒り」も「悲しみ」も「共有する」
仲間作り=ネットワーク作りが必要なんですよね・・・

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今から10年ほど前・・・(けろっぴの体験)

2004-12-29 16:00:22 | けろの聞こえ系日記
1995年1月17日5時46分
その日、けろっぴは今まで生きていて、
「感じた事がない」揺れに目を覚まし、
ベッドの足元にあった「本棚」から「ビデオカメラ」がベッドに落ちて来た
瞬間に飛び起き、
今にもテレビから落ちそうになっている
衛星放送用のチューナーを抱え込んでいた。
約1分ほどだったと思う。
揺れがおさまって、みんなのいる部屋に行くと、
食器棚が倒れ、その中に当時飼っていた猫が
「閉じ込められて」いた。
幸い猫は、丁度食器を入れるスペースに
すっぽり入っていて、無事。
「すごかったね~」の一言の後
テレビを付けたのが6時頃と思う。
「神戸で震度6 徳島(けろのいるところ)震度4」
その情報のみを聞き、けろっぴは7時前職場に向かった(当時はスーパー勤務)

職場では散乱(と言っても少しですが)した商品の片付けもすでに
ほぼ終りかけ、いつもの様に開店準備に
取りかかった。
商品の陳列もほぼ終り、開店時間(9時30分)しかし…
いつもなら、開店すぐに来てくれている
お客さん達が来ない…???と
思っていたら…
勤めていたスーパーの社長の奥さんが
号外を持って飛び込んで来た!(10時前)
そこには、横倒しになった「阪神高速」の
高架橋の写真が!
「これは…みんなテレビ見てるな‥」
職員一同。当然朝のニュース以来テレビなんか見ていないから、
その時神戸で何が起こっていたか知る由もない…
12時。昼休み…休憩室に入り、テレビを
つける…
「え~~っ!」
それが、けろっぴの「震災現場」を見て(テレビで)の第一声だった…。
長田周辺の火災映像。そして、短時間で
増え続ける死者の数は…この時点でははっきり覚えていないが
すでに100~200人と発表されていたと思う。
食事を取りながら「すごいな~」と話す私達。
その中で、テレビから「次は伊丹市からの中継です」の一言。
伊丹市に祖父がいる私&母親(当時同じ職場に勤務)はテレビに目を向けた。
「こちらは、駅舎が倒壊した阪急伊丹駅前です!」
けろっぴの記憶は…その瞬間から「飛び飛び」になっている…今も…
「伊丹市でも死者が出ている模様です…」
「伊丹市でけがをして病院に運ばれた方の名前です‥」
おそらく、「伊丹市」という言葉がテレビから流れる度に
画面を見つめていたんだろうが、その時の映像は全く覚えていない…
そして…休憩後ちゃんと仕事をしていたかも覚えていない…
何せ何時に仕事を終えたかも覚えていない
(おそらく、客もまばらだったし、伊丹市の事もあって早帰りしたと思うのだが…)
次に記憶に残っているのは家に帰って
夕方のニュースを見た時(19時前)だと思う。
「今朝、神戸市を中心に発生した地震による死者は1000人を超える…」(超えていたかも知れない)
次の瞬間、誰から言い出すでもなく。
電話の受話器を取り、伊丹の祖父の元に
電話をかけ続けた…
1995年1月17日20時を回っていた。
電話をひっきりなしにかけるものの、
「ただいま、おかけになった地域の電話は大変込み合っております…」の
アナウンスのみが聞こえるだけ。
増え続ける「死者・負傷者」の名前に
祖父やその家族の名前がないか、
それだけが、その時点で私達が入手出来る「安否情報」だった…
半ば「錯乱状態」になり始めた母親を
なだめていたとは思うのだが、
どうやってなだめていたか…記憶がない
地震報道にも食い入る様に見る訳でもなく
(と言うより見れなかった…恐怖のあまり)
長い…長い…震災当日が終ろうとしていた
時計の針が24時を指そうとしている事にも全く気付かずに…
その夜から熟睡出来ない日々が始まった。
夜中も当然テレビは付けっぱなし。
その夜は、自分自身も「今何が起きているのか」分からなかった。
ベットの中で必死に「1月17日」という日を整理しようとするのだが…
「地震で目が覚めた…伊丹の駅が潰れた‥爺さんと連絡がつかない‥」
その事以外…考える事が出来なかった…
あくる日も…その次の日も…

地震から2~3日経っていたと思う。
NHKが「安否情報放送」とやらを始めたと聞いた。
テレビをつけると、アナウンサーが代わる代わる、
被災地にいる人の名を呼び続けていた。
テレビでも、情報の受付番号は伝えていたと思うのだが、
その告知を待てず、私はNHKの徳島放送局に電話した事を覚えている。
親切にも電話に対応してくれた方が、申し込み用の電話番号を知らせてくれ、
間髪入れず、安否情報の申し込みをした。
その夜から…ずっと教育テレビかけっぱなしの日々がまた2~3日続いた…
その間も当然、伊丹市の祖父の元に電話をかけ続けてはいた。
しかし…電話回線が復旧したとの報道後も
呼び出し音は鳴るものの、応答はなく所在は掴めないままだった…
やがて…震災の日から1週間が経とうとしていた…。
阪神大震災の本震から1週間ほど経っていたと思う。
震災関連のニュースの中で、郵便局から
被災者に「ハガキ」が無料配付されたという報道があった。
その翌日だったと思う。
けろっぴは仕事が休みだったので、1つの行動に出てみた。
じっと情報を待っているだけの状態に心身共に限界が来ていたのだろう。
今を思うと無謀な「賭け」としか言い様のないので、
今回の新潟地震について(今後の災害時においても)
同じ様な行動は控えていただきたいと先に注釈しておきたい。
その行動とは「安否の分からない祖父宛に小包を送る」というものだった。
避難所にいれば、ハガキはあるはず。しかし、そのハガキは届いて来ない。
また、ハガキを配ると言う事はある程度
郵便事情も復旧しているのでは?と勝手に判断して。
ボールペン、そして「追加」のハガキ、下着などを、まとめ
祖父の家宛に送った…当然郵便局からは
「届くかどうかは分かりません…それでもいいですか?」
と念を押されたが…

祖父宛に届くかどうかも分からない小包を送った後、
なぜか「一息ついた」ような気がした。
これでダメなら、電話の復旧を待つしかない。
ある種の開き直りがそうさせたのかも知れない。
そして、もう一度「1月17日」のことを
思い返すだけの精神的な余裕も
出てきていた‥
そして…ふと思った…
「もし、祖父との連絡が即座についていたら…自分にとってこの地震は他人事で終っていたのでは?」
実際、今その日を思い起こしても、倒壊した伊丹駅の映像を見るまでは
まったく「他人事」としてニュースを見ていた。
そして…当然周囲と口調を合わせて
「こっちはたいした事がなくてよかった…」などと言っていた。
そんな自分に腹が立ち始めた…。
そして、震災発生時は自分も同じ様な事を言っていたはずなのに…
周囲の声(こっちは‥)に声を荒げた事もあった。
そして声を荒げた自分にも腹が立った…。
小包郵送後、そんな日々が3~4日続いたと思う…。

震災からやがて2週間が経とうとしていたある日。
ポストの中に1枚のハガキが届いた。
消息を掴めずにいた祖父からだった。
「いろいろと気を使ってくれて有難う。今は親類の家に身を寄せている、
送ってくれたハガキやボールペンは近くの避難所に避難している人たちに
配った。これで、手紙が書けると喜んでいた」
早速、ハガキに書かれた親類の家に電話をかけた。
約2週間探していた祖父の声を、ようやく聞く事が出来た…。
未だに、これだけ長い日々を送った経験はない。
今になって祖父との「音信不通」の期間が
「2週間」と書けるのだが、震災後何年か、この話をしている時には
「3週間」と話していた事がある。
何年か経って、ふと、アメフト好きの自分がその年の「スーパーボウル」を
安堵感に包まれながら見ていた事を思い出した。
「スーパーボウル」が開かれるのは毎年1月の最終日曜(当時は。今は2月最初の日曜)
その事に気付くまで、ずっと「音信不通だったのは3週間」と思い込んでいた。
それだけ長い日々だった…

やがて、祖父の方から頻繁に便りが送られる様になっていた。
大黒摩季も歌ではないが
「コンビニ募金の宛名が変わった」9月の末…
サークルの勉強会に参加していた私のもとに、
電話が入った…
急いで社協の電話を取ると…母からの電話だった…。
「伊丹の爺さんが亡くなった‥」

翌日、仕事を休み飛行機で伊丹へ向かった
着陸体勢に入る頃、眼下には一面、
ブルーシートで覆われた町並みが広がっていた。
そして、伊丹にいる私のおじ(当然亡くなった祖父の息子であるが)の
案内で空港から葬祭場に向かった。
その時初めて、震災の当時の話を聞く事が出来た。
震災の日、築後数年の家が全壊し、手紙にあった家に、祖父母は身を寄せ、
他の家族は仮設住宅生活を続けていた事。
新しい家の完成も間近で、死の直前には孫娘の結婚式に元気で参加し、
久々に親類一同が顔をあわせる事が出来たと喜んでいた事。
それら全て、私達は知らなかった…
祖父からの手紙には、「地域の世話で忙しくしているが…落ち着いたら、徳島に行く」
としか書かれていなかったからだ。
実際、地域の老人会の役員などをしていた
祖父の事だから、震災から亡くなるまでの間、
あちこちと走り回っていたのだろう。
「最近、血圧の調子が悪い‥」と手紙を
送って来た時、「無理をするな」と一声かけようと、
電話をしてみたが、その時も出かけて不在だった。
しかし、壊れた家の事、家族が離ればなれになっている事、
それらは最後まで、祖父の口からは聞く事が出来なかった…。
葬儀が終わり…祖父はまだ畳を敷いたばかりの
新居に「帰ってきた」‥
そして…新潟の地震が起きた。
当日から2~3日テレビから流れる映像が
10年前の「断片的」な記憶を蘇らせた。
もし、今自分がフリーランスな身分なら
今頃新潟にいるかも知れない。
そのくらい、「何かさせてもらいたい!」と言う思いと、
仕事、家庭の事情で何も出来ない自分との間で今も挟まれている。

はっきり言ってしまうが、今回の新潟地震は正直、私にとっては「他人事」である。
新潟に知り合いや親類がいる訳でもない。
しかし、今の私にとって、脱線した新幹線の映像は、
「阪神高速の倒壊した高架橋」に見え、
倒壊した町並みは「三ノ宮」「伊丹の駅」に見えるのだ。
これまでも、各地で大きな地震は何度かあった。
しかし、今回の様な気持ちは正直湧いて来なかった。
「何かに突き動かされている」
そんな気がしてならない‥
もしかして、この日記を書いているのは
私ではなく…今から10年ほど前に亡くなった「祖父」なのかも知れない‥
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ちびけろ。「初クリ?」  at 2004 12/25 21:10

2004-12-26 11:43:53 | けろの「もっと」思いつき日記
ってなことで・・。
少々酔っ払いながら(シャンパンで!)書いてます!(笑)
あ~遊んだ遊んだ!(笑)我が家のクリスマス!

ちびけろ・・やってくれますわ・・
ケーキかぶりつき!(爆)
笑いを分かってるな~。1歳2ヶ月で!

思えば・・去年。家に帰ってきて間もないちびけろに、
恐る恐る「生クリーム」を唇に塗っただけの、
「クリスマスパーティ!」と比べて。
今年は・・振り回されました!(爆)

とにかく・・食べる事。食べる事・・
ま、今年がある意味「初めてのクリスマス」だものね~!
ちびけろ!
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けろの「デフリンピック」講座!5

2004-12-26 11:37:36 | 「デフリンピック2005」
続いてのけろっぴ注目種目紹介は・・「水泳!」(ばしゃばしゃ・・)
アテネ五輪の競泳陣の活躍・・すごかった。
しか~し!こっちも注目よろしくです!

競泳にエントリーするのは3選手(女子2人、男子1人)
少ない?・・・いえ!少数精鋭といってください!(ばしゃばしゃ!)

この「デフリンピック」競泳陣。けろっぴが、勝手につけた「キャッチフレーズ」は
「若さと経験!で・・ばしゃばしゃ・・」

男子の早川選手は前回の銀メダリスト。大会も4大会連続出場のベテラン。

そして女子の2人!自由形の今村選手、そして背泳の高岸選手は共に「10代!」

ってことで・・(ばしゃばしゃ・・)
水泳は1月8日から14日(10日は休み)に行なわれます!
(ばしゃばしゃ・・)

そしてもうひとつ!「サッカー!」(けりけり!)

オリンピックでもそうですが、
サッカーは「デフリンピック」でも「開会式前」に競技が始まります。

先に競技日程!サッカーは1月4日開会式前日からスタート。
そして、16日の大会終了まで行なわれます。

で、当然、「デフリンピック」でも「予選リーグ」からスタート!

さて、参加16チームが戦う予選リーグ。日本はグループAにいるんですが・・
日本が決勝トーナメントに駒を進めるために戦う相手は!
「アルゼンチン」「ロシア」「オランダ」
しかも初戦は「アルゼンチン!」(けりけり!)
「日本VSアルゼンチン」なんです!サッカーやるんです!(けりけり)
どうも・・このカードを見ただけで、興奮してしてしまうのが、
サッカーファンの宿命です(笑)

確かに、「聴覚障害者」というカテゴリーの中の話かも知れませんが。
「日本VSアルゼンチン」という言葉を聴いただけで・・く~~っ!(けりけり!)
マラドーナ世代にはたまらん話!く~~っ!

という事で、デフリンピックのサッカー日本初戦「対アルゼンチン」戦は
1月4日です!
(今日は今までで一番解説になってないな・爆)
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けろの「デフリンピック」講座!4

2004-12-26 11:34:35 | 「デフリンピック2005」
という事で!来年1月5日からオーストラリア・メルボルンで開催される、
聴覚障害者のオリンピック「デフリンピック」情報その5!
もうお分かりでしょうが、今回の大会は「夏季」大会です!だって・・
南半球は夏だから~~!(ふ~毎度お付き合いありがとうございます)

では、今日の注目種目!「バスケットボール!」
で、今までの戦跡ですが・・残念ながら今までこの種目で、
日本はメダルを獲得していません!(泣)
しか~し!けろっぴが注目してしまうのは何故か!
それは、今回初めて日本女子チームが出場するからであります!
当然男子も前回の「全敗」という結果のリベンジに燃えています!
こういう「未知数」の力を持った人たちが・・
「本番ではやってくれるんです!はい!」
と願っております・・(どうも)

さて、バスケットボールの日程は、1月6日から16日まで!13日はお休み!です。

ところで・・
ただいま全日本ろうあ連盟では、選手たちの「派遣費用」のカンパを
募っています。
約8200万円が必要とされる、「派遣費用」ですが、
今のところ「2000万円」ほど不足しているとのこと。
詳しくはこちらにて!
同協会の「カンパ募集」のHPです!
よろしくお願いいたします!

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酒鬼薔薇事件・・31日観察終了と公表。 at 2004 12/25 18:38

2004-12-26 11:32:08 | けろの「もっと」思いつき日記
神戸児童殺傷加害男性 「観察満了」異例の発表 法務省「社会の関心対応」 (産経新聞) - goo ニュース

平成9年に神戸で起きた児童殺傷事件。
加害者の男性への保護観察処分を、
今年いっぱいで終了する事を、法務省が発表しました。

こうした少年犯罪の加害者についての、処分などの情報を、
法務省が公開するのは異例の事・・

こうした情報を公開する事・・
また、加害者の少年に対する意見など、
色々とあると思います。

しかし・・彼は今後もしょく罪の日々を送らないといけない。
そして周囲も「過剰反応」をしてはいけない。
でも・・事件は終わったわけではない・・(特に被害者側としては・・)

そうした複雑な思いが・・このニュースに対しての
率直な思いだと思います。

なお法務省は、今後の少年による重大事件の処遇情報などの取り扱いについて
「遺族対応、公表も含め、その都度判断する」としています。
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行きたいけど・・仕事がって人は? at 2004 12/23 18:30

2004-12-26 11:26:00 | けろの「もっと」思いつき日記
お父さんを授業参観に 少年事件続発で市長が手紙 (共同通信) - goo ニュース

今年6月に小6女児殺害事件が起きた、佐世保市の市長が、
市内の企業約1900社の社長さん宛てに、
「朝礼などの機会に、勤めている父親に授業参観への参加を勧めてください」と、
手紙を送って同市内の小中学校の授業参観などへ
「お父さん」の参加を呼びかけたそうです。

また、手紙では、「教育が母親任せになっていないか。かつて教育は
父親の絶対的な責任でした」
「家庭での教育を母親任せにせず、父親も協力し子どもの教育に
積極的に参加してほしい」との苦言も・・

当然、母親任せの教育もいけないこと、
でもね・・
普通に考えたら、仕事で忙しくしていても、子供のことをそっちのけにする
「父親」てそんなにいないと思いますよ。

つまり、「授業参観」や教育現場に出てこないから、
子供の教育に父親が「無関心」だと決めてかかるのは・・どうかな・・?

例えば、「日曜参観」ありますよね、だいたい父の日のあたりに。
日曜日に休みが取れない仕事についている父親はどうなの?

日曜や祝日は「みんな休み」とは限らないわけで・・

なんか・・問題の原因は市の教育体制にはないと言いたいだけのような
気がするのは・・私だけかな?・・

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徳島県立聾学校、盲学校内に移転へ at 2004 12/21 19:42

2004-12-26 11:22:38 | けろの「もっと」思いつき日記
もしかして・・「三位一体」改革の余波?
校舎の老朽化が進んでいる徳島県立聾学校が、
同盲学校の敷地内に移転し併置されることになりそうです。

理由は、聾学校の施設の老朽化のほか、聾・盲学校共に今後生徒数が減少する見通しである事。
また、「併置」となると施設が古くなっている聾学校を、
盲学校の敷地内に移転した方が、近隣の普通学校との交流などの面で
プラスになるのではとのこと・・

で・・けろっぴの疑問。
地元紙が報じているところでは・・
「両校とも今後、児童生徒数の減少に伴い教員数も減ることが予想されるため、
併置によって一定の教員数と教育水準を確保するのが狙い。」と
その目的を報じているんですが・・

もちろん今のところの案では同じ敷地内に「聾学校」と「盲学校」の2つの学校を建てる!ってことなんですが・・。
現場の声はどうなんだろ・・。う~ん。

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「福男!」場所取り禁止です! at 2004 12/21 19:23

2004-12-26 11:18:30 | けろの「もっと」思いつき日記
「福男」トラブル対策、西宮神社が場所取り自粛を要請 (読売新聞) - goo ニュース

毎年1月10日に、兵庫県西宮神社で行なわれる「開門行事」
一般的には開門と同時に「どどどど~っ!」と本殿に向け
走り出す人たちの映像と「福男」選びとして有名なこの行事。

今年の「福男選び」で「場所取り」が問題となって、
福男に選ばれた人がそれを返上したニュース覚えてます?
本殿に一番に駆け込んだ人が福男になるあれ!(笑)

で・・来年のこの神事では「場所取りを禁止」する事になったとか。
何事も加熱しすぎるとね~。
煽ったマスコミも責任あるんじゃ?

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