愛猫ダイオ物語

愛猫ダイオの猫生を綴った『ダイオ編』は終了し、現在は『ニャキエ編』を更新しています。

ダイオの好きなバスローブのひも。

2013-07-11 14:26:37 | 日記
ダイオは2週間に一度の通院を経て、1ヶ月に一度の定期検診となり、
毎日、朝60ミリリットル、夜60ミリリットルの皮下点滴を続けていくことになった。
食事量もだんだんと増えていった。
少しずつ元気を取り戻し、遊んでもらいたがるようになった。

大好きなバスローブのひもをくわえています。


一緒に遊ぼうよ、のサインです。



ダイオ、生死の境からの復活。

2013-07-09 14:46:55 | 日記
ダイオが退院して1週間が過ぎた頃だった。

餌を食べている……!

その朝、ダイオは猫用の飯台に登って、餌を食べていた。
私はすぐに動物病院に電話した。
獣医師からは、「食べるだけ餌をどんどん食べさせるように」と言われた。
私たちはダイオの好きな鰹節をゴハンにまぶして、食が進むようにした。
獣医師の先生が言うには、腎臓に負担の少ない療法食を食べてくれるのが理想だが、
今はとにかく食べさせるほうが大切との事だった。

食べているということは、死なないのではないか。

私たちはダイオの復活を見守った。

数日間が過ぎ、ダイオを動物病院へ連れて行った。

血液検査の結果は、腎臓の値が下がっていた。

もう大丈夫。
腎不全の急性期は過ぎた。
皮下点滴を続けながら、経過を観察する事になった。
点滴の針を打つために、ダイオの背中を3センチ四方ほど毛刈りしてあったのだが、
針を打った痕がかさぶたになってしまっていた。
そのために、さらに毛刈りをしたところ、カミソリ負けになってしまい、
ダイオが傷口をなめて悪化させてしまうので、病院の先生が医療用品で服を作ってくれた。



横から見るとこんなふう。



丈の短いチョッキ・タイプも作っていただいた。
なかなか似合うでしょ。


2週間に一度の病院通いを続けながら、ダイオは少しずつゴハンを食べる量が増えていった。
私たちは四苦八苦しながら、朝60ミリリットル、夜60ミリリットルの皮下点滴を続けた。







退院。そして、危篤状態に。

2013-07-05 13:37:56 | 日記
ダイオは1週間入院しても、腎臓の数値は下がらなかった。
もうこのまま駄目かもしれない、という見通しだった。
私と夫は、ダイオを退院させて家でのケアに切り替えることにした。
皮下点滴が必須だったので、動物病院でレクチャーを受けた。
まず、ダイオを座らせ、背中の皮膚を指でつまむ。
つまんだ箇所に翼状針を刺して、点滴を開始する。
翼状針のチューブには注射器をつけておき、ピストンを押して点滴液を注入していく。
終わったら針を抜く。
というのが手順だった。
私がダイオを保定し、夫が点滴を打つことにした。
退院の日。
家に着いたダイオはうれしそうだった。
キッチンの間仕切りに登り、部屋の中を見渡していた。

それから私の膝の上に座って甘えた。

夜になっても甘えた。

その後、猫トイレの前に座って動かなくなった。
私は防寒のためにダイオにいろいろなものを被せた。

ダイオはごはんを食べなかった。
ぎゅっと体を縮めて丸まっていた。
たまにふらふらと立ち上がって、洗面所へ水を飲みに行った。
洗面所には猫用にコップに水が入れてあるのだが、洗面台にジャンプする時、ダイオは足を滑らせたので、私が支えて登らせた。
洗濯機の上で丸まったり、キッチンのシンクの中に入り込むこともあった。
明らかに健康な時とは様子が違っていた。
私と夫は覚悟を決めた。
だけど、最期の時がきたらどうしてやれば一番いいのか、考えても考えても分からなかった。

ダイオの入院生活。

2013-07-04 14:02:32 | 日記
血液検査による腎臓の値が下がるまで、ダイオは入院することになった。
私は毎日、お見舞いに行った。
ダイオは餌をまったく食べなかったので、入院3日目から流動食になった。
鼻から胃まで通したチューブで流動食を与えられていた。
前足に点滴を受けながら、エリザベスカラーを付け、鼻にチューブが通っている姿は哀れだった。
お見舞いに行くと、獣医師の先生からダイオの状態について説明があり、その後、小部屋でダイオとふたりきりにしてくれた。
私は毎日3時に動物病院へ行き、5時から6時までダイオのそばに座っていた。
診察台の上に載せられたダイオはよく、箱座りで座っていた。
私の手に頭をすりつけて甘えてきたり、お腹を見せて、ごろりと寝転んだりもした。
獣医師の先生は、
「普通これだけ腎臓の値が悪いと、ぐったりして動かない子が多いんですがね……」
と、ダイオに元気があるのは不思議だと言っていた。
腎臓の値が下がらなければ、危ないということだった。

家に帰ると、私は泣いてばかりいた。
もっとこうしてやればよかった、とか、ああしてやればよかった、とか考えて後悔していた。
この急性症状を乗り切れば、そのあとどのくらい生きられるのかと、私は獣医師の先生にきいた。
「だいたい1年くらい生きると思います」
先生の返事ははっきりとしていた。

今、お別れがこなくても、1年後には、お別れになる……。
私は寂しさで一杯になった。


ダイオ、腎不全の急性症状を発症する。

2013-07-03 14:05:43 | 日記
2012年2月の寒い朝だった。
ダイオが布団に入れてくれよ、と言ってきたのに、私は眠かったので入れてやらなかった。
そのことを後で死ぬほど後悔することになる。

ダイオはよく吐いていた。
ごはんを食べてすぐに、オエーッと吐いてしまっていた。
これは何かおかしい、と、私と夫はダイオを観察した。
その日の朝もダイオは階段のところで大量に吐いていた。

ごはんを食べなくなり、水も飲まなくなった。
丸一日が過ぎ、動物病院に電話で相談したところ、すぐに診せに来て欲しい、とのことだった。
ダイオをゲージに入れ、タクシーでいつもの動物病院へと向かった。

病院では、検査をするために午後まで預からせて欲しい、と言われた。
私と夫はダイオを病院に預けて一旦、家に帰った。
帰り道で病院から携帯に電話があった。
ユリ科の植物を食べていないか、という質問だった。
食べていないと夫が答えると、4時頃診療結果を聞きに来て欲しい、とのことだった。

夕方、私たちはダイオの待つ病院に到着した。
診断結果は、腎不全の急性症状との事だった。
血液検査で腎臓の値を示す数値が悪く、危ない状況だということだった。
ダイオは点滴を受けながら、このまま入院することになった。

私は泣いた。
腎不全は治る病気ではない。
10年も20年も一緒にいようと思っていたのに、それは不可能だという事だ。
ダイオはまだ6歳。
お別れするには早すぎると思った。

昨日、布団に入れてやればよかった。
私は死ぬほど後悔した。