愛なる日常

大阪府枚方市に住んでいます。
地球でのお仕事は、茶道教授&ピアノ講師。
目に見えない世界のお話が好きです。天秤座。

「玄庵」へのキセキ④

2019年12月16日 | 幸せ話

夫から
「家の裏庭に小さな小間なら・・・」と言われて
小躍りした私ですが

建てるとなると

実際いくらくらいかかるのか・・・

我が家に残っているお金で
どれほどのものが建てられるのか・・・

そもそも
こんな新興住宅地の中に
純木造建築を建ててもいいのか

よく知らないけど
建ぺい率とかなんとか
何か制限があるかもしれないし・・・

それに
たとえ小間ができたとしても
そこで使う道具がなければ
何の意味もありません
何をどう買ったらよいのか・・・


とにかくわからないことだらけです


それでも
私は暇さえあれば図面を書き続けていました

ついには
方眼紙を切って
起こし絵図のようなものまでこしらえて
にじり口や茶道口から
中をのぞき込んで一人で遊んでいました



→「玄庵」へのキセキ⑤



「玄庵」へのキセキ③

2019年12月15日 | 幸せ話

「どこかに土地を探して小間を作りたい・・・」

地方に旅行に出かけて
古いお茶室があれば足をのばして見学に行き

美術館に設えられた小間のガラスに
鼻の頭をくっつけてのぞき込んで
「いいなあ・・・」とため息をついていました

茶室の本が目に付けばついつい買い集め
ぱらぱらと眺めては
「作るとしたらこんなのがいいかな~」と
白昼夢にふけり・・・



方眼紙に勝手な図面を書いては捨て
書いては捨てを繰り返し。。。






そんなある日
近所の比較的大きな家が売りに出ました

その間取り図を見ると
今時の家には珍しく
二間続きの八畳間と六畳間があります


それまで全く思ってもいなかったのですが
「ここにお稽古場を移そうか・・・」という
考えが浮かびました


当時自宅の六畳間を稽古場にしていたのですが
急転直下!
その家を購入して
稽古場を移設する運びとなりました


そして平成27年の秋
コンサートサロンとピアノレッスン室
そこにお茶の新しい稽古場が併設された
北山茶露音ができました


それは大変うれしいことではありましたが
結局「小間の夢」は
そこで断たれてしまい
夢は夢で終わるかに見えました

ただその稽古場ができあがり
師匠から
「私も呼んでくださいよ」と
思いがけないことを言われた日

咄嗟に私の口から出たのは

「将来小間を作りますからその時にお呼びします!」

という言葉でした


「わかった・・・何年後?」

「ご・・5年後です!」


もちろんこの時には
小間を建てることは
夢の夢のような話でした


ところが
その後しばらくたったある日
夫から「小間はもういいの?」と聞かれました


そんな資金の余裕は
もう残っていないと思っていたのですが
「家の裏庭に小さい茶室を建てるくらいだったら
できるかも・・・」と言われて

私の心の中に再び小さな火が灯りました

→「玄庵」へのキセキ④






「玄庵」へのキセキ②

2019年12月14日 | 幸せ話

そもそも私が
小間のお茶室を建てたいと思ったきっかけは
何だったのだろう・・・

記憶を過去へと遡っていくと
それは
今から15年ほど前
お茶事のことが勉強したくて3年間通った
茶事教室での数々の体験が
起爆剤となっていたような気がします






それではなぜ私は
その頃通っていた茶道教室だけに飽き足らず
時間とお金をかけて
お茶事の教室に通いたいと切実に思ったのか・・・


それはおそらく
私がまだ学生だった今から40年ほど前
当時習っていた先生が相伝の際に
催して下さったお茶事での
原体験があったからだと思います


母に勧められて
何となくお茶のお稽古に通い始め
数年たった頃

何の予備知識もないままに
突然訪れた「お茶事」の体験は
まるで天と地がひっくり返るような経験でした

何せ
「お茶なのに」お料理が出てきて
しかもあの怖いコワイ先生が
仲居さんみたく料理を運んできて下さる。。。


食べ終わったら
一斉にお箸を落として合図する???

そんなお行儀の悪いこと。。。

しかし私にとってこの時の原体験は
今思えば
あの十牛図の三番目に訪れる
「見牛」に例えられるのではないかと思います

つまり
いつも繰り返しているお点前の稽古が
茶事というひとつの流れの中の
ほんの一部分であったことを知り

茶道とは
ただお点前を覚えることだけではないことに気づき
茶道の本質を少し垣間見たように思ったのです


その時の新鮮な驚きが
「茶事をもっと知りたい」という
私の心の中で小さな火種となってくすぶっていて

その後20年近くたって
しばらく中断していた茶道を再開した時
一気に炎をあげて燃え始めたような気がするのです

→「玄庵」へのキセキ③



「玄庵」へのキセキ①

2019年12月13日 | 幸せ話


フォトブック「『玄庵』席披きへのキセキ」
表紙の写真:桑島薫



令和元年 11月22日

自宅の裏庭に
茶室「玄庵」が建ち

師匠をお招きして
席披きのお披露目をいたしました


小さなお茶室を建てることは
私にとって長い間の憧れであり
夢でありました

単なる夢だったお茶室が
色々な「奇蹟」が絡み合いながら
時間をかけて
今ここに具現化いたしました

その不思議に感謝の思いを込めて
今ここで少し立ち止まり
その「軌跡」を
ゆっくりと振り返ってみたいと思います

少し長くなりそうですが
よかったらお付き合い下さいませ

→「玄庵」へのキセキ②


桑島薫さんとの出会いのキセキ

2019年12月05日 | 幸せ話

江戸時代から大坂の中心だった船場

そこは一歩足を踏み入れると
古き良き時代の懐かしい香りがします

今日は
その船場にある丼池繊維会館に
行ってきました



丼池繊維会館



この建物は大正11年に
愛国貯金銀行として建てられたのだそうです



202号室にて 桑島薫写真展(2019/12/5~11)


桑島薫さんは
先日のお茶席披きの際に
竣工・記念写真を撮っていただいた
フォトグラファーです


人と人との出会いには
時に神の力が関与しているのではないかと
思わせるような特別な出会いがあります


桑島さんとは
そんなキセキのような偶然に導かれて
出会うことができました



・・・・・・・・・・・・・・・・
2019/4/7
鶴屋八幡で催した茶会にお越しいただいた
百名ほどのお客様の中に
J氏夫妻がいらっしゃいました

J氏が正客に座って下さったので
お話をすることができました


ご夫婦で私のブログを読んで下さっていて
この日はお二人でお越しいただいたそうです

旅行代理店にお勤めで
特にフランス旅行のお仕事をされ
私と同じ仏文科卒ということで
話がもりあがりました




2019/9/3
お茶の師匠が
京都で釜を掛けられ茶席に出かけた折
円山公園の辺りで偶然J氏と再会

腕に「茶道雑誌」の腕章をつけていて
どなたかと思いきや
茶会の取材に来ていたということで

あらためてお話をきくと
1ヶ月前に茶道専門の出版社に転職されたとのこと

「今後ともよろしく・・・Au revoir!」




2019/9/13
京都の表千家家元の行事に参加した後
京都美術倶楽部で行われていた
茶道具店展示会会場に出かけました

エレベーターで会場のある階へ上がると
誰もいないしーんとした長い廊下があり
その片隅のソファーに
一人の男性が座っていました

それがなんとJ氏でした!

円山公園で偶然再会した翌週だったので
お互いに驚きました

その時探していた道具が展示会で見つからず
思いがけなくJ氏の懇意にしている大阪の道具屋に
連れていっていただくことになりました


その際に
建築家の先生から
まもなく完成する茶室の竣工写真のことを
聞いていたことをふと思いだし
写真撮影をお願いできないかとおたずねしてみました

すると
知人のフォトグラファーがいるからと
ご紹介いただきました
それが
桑島薫さんだったのです


2019/9/20
京都美術倶楽部でJ氏と再々会した
ちょうど1週間後
J氏が桑島さんを連れてきて下さいました


活動的な女性を想像していたのですが
とても控えめな方で少し意外でした


でも
この方に撮影をお願いしてみたいと思いました


2019/10/31
茶室「玄庵」竣工写真撮影

2019/11/6
「玄庵」習礼茶事撮影

2019/11/22
「玄庵」席披き茶事 並びに
「洗心亭」薄茶席 撮影

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いくつかの偶然が重ならなければ
彼女と出会うことはなかったと思うと

本当に不思議・・・

そして感謝です *(^人^)*