中学生の頃「連れション」に行くのがとても嫌だった。
休み時間ともなると・・
「ねぇ。一緒にトイレに行かない?」っと声を掛けられる。
自分は行きたくないと思いながらも連れだって行く。
中学生時代は、皆がそれぞれ人に依存し合っていた。
つるんでいないと仲間はずれにされている感があったりして、
ただ群れているだけで安心感を得ようとしていたのかもしれない。
一頃、学校内で「無視」がはやっていた。
特に理由がある訳でもなく、まるで持ち回りのように代わる代わる人を替えて無視されていた。
やがて・・私の番に。。。
クラス中の人が私と関わりをさけ、口を聞かない日々が続いた。。
ひとしきりその「無視」は続くと、標的は別の人へと移っていった。
この一件より「連れション」から開放された。
しかし、私の心に深い穴を作った。
20代後半になって、ようやく友達付き合いがラクになった。
10代から20代頃までは、自分を理解して欲しいとアピールし・・
理解してくれないことに傷ついていたように思う。
しかし、年齢と共に・・
「別に理解を求めなくてもいい・・」と思えるようになり、
人付き合いにも力が抜けるようになった。
私はとても友達が少ない。
しかし、それで十分だと思っている。
高校時代は、部活でとかく意見があわず対立していた、
TとN。。
高校卒業と同じくして、
お互いの価値観が共通していたがために対立していたことを知り、
すっかり親友となった。
今でこそ、1年に1度会うか会わないかなのだが・・
はっきりと親友と呼べる。
違う高校だったが、英会話教室で同じだったM。
とびっきりの美人で、同性ながらも見とれてしまうほど・・
しかし、彼女にはどこかしら私との間に壁があり、
その時には友達へは発展しなかった。
そして、ある友人の結婚式で再会した。
この再会をきっかけに急接近した。
出会ってから10年以上の年月を費やし、
深く付き合ってからは2年くらいしか経っていないのに、
まるで身内以上のように感じる。
文字通り何でも話せる。
お互いに会いたいと思っていると、どちらかからお誘いがきたり・・
落ち込んでいたりすると、またどちらからかメールが届いたりする仲だ。
精神的レベル以上の友達だといえる。
30代から友達を作るのは大変だと聞く。
しかし、私は逆にとても楽だと思える。
若いうちは時間をもてあましているので、暇な人同士が集まったりして、
ただ時間の共有するだけの仲間で、時間のみが消費され、あとに何も残らない。
しかし、年齢を重ねるごとに、自分に与えられる時間はわずかになる。。
貴重なこの時間は有意義に過ごしたいと考える。
誰とどこでどのくらいの時間を使うかは、やはり吟味されるのである。
そうすると、やはり友達関係はより狭くそして、深くなってくる。
もうワイワイ騒ぐだけの人たちは自然と友達の枠からは出て行くことになる。
新しく出会った人でも直感が働く。
今までの人生経験とでもいうのか・・
この人とはビジネス上のみの付き合いか、それとも友達となりうるのかが
案外瞬時に判断される。
立場やステイタスのみを利用しようと近寄ってきたりするのは、
感じとれてしまうのである。
これからも様々な人との出会いがあると思う。
瞬間瞬間を大事にして・・出会いは大切にしていきたいと思う。
しかし、友達は数ではなく、質である。
ネットワークもそうだ。
横の広がりも大事だが、より深さの方が大事だと思う。
これからの自分の将来・・
まだまだ楽しい出会いが待ち構えていそうな気がする。
とっても楽しみだ。
出会った相手の友達リストに自分の名を刻むことができるよう。。
自分をもしっかり磨いていこうと思う。
顔晴れ!自分