「世界秩序の崩壊」といえるような事態が進んでいる。この1カ月間だけでも、内外から伝えられるニュースに多くの日本国民は驚きを禁じ得なかったはずだ。
各地に広がる衝撃と懸念
6月9日からの1週間の間に、まずロシアと中国の海軍艦艇が、時を同じくして、尖閣諸島の領海のすぐ外側の日本の接続水域に侵入した。ついに尖閣周辺に中国海軍が「出てきたか」との思いとともに、「中露連携」の可能性は当然ながら大いに気になるところだ。しかもその数日後、中国海軍の軍艦が今度は鹿児島県の口永良部島の領海を通過し、さらに16日には沖縄県北大東島の接続水域にも侵入した。もはや、その「メッセージ」は明らかで、恐れられていた事態がついに現実になったのである。
参院選公示の翌々日の6月24日、英国の欧州連合(EU)離脱を決定した国民投票のニュースが日本をはじめとする世界のマーケットに激震を走らせた。
しかしそれ以上に、この出来事は「戦後世界の秩序の支柱」であったEUの「終わりの始まり」と目され、それと表裏一体の存在である北大西洋条約機構(NATO)の安定も大きく揺るがすことになるのでは、との懸念が今、世界中に広がっている。アメリカを中心とする戦後世界の代表的な安全保障の枠組みであるNATOが動揺すれば、日米安保体制にも影響するのは必至だ。こうしてEU離脱は、地球の裏側にまで歴史的な波紋を及ぼす、という声まで聞かれ始めた。しかし、さきの中国海軍の動きを見れば、それはあってはならない事態である。
そして7月1日の夜、突如としてバングラデシュの首都ダッカでのイスラム過激派によるテロで日本人7人の貴い命が奪われた、という衝撃的なニュースが飛び込んできた。これほどの日本人の犠牲者を出したのは、2013年1月のアルジェリアのガス田施設でイスラム武装勢力によって10人の日本人を含む多数の犠牲者を出したテロ事件以来だ。しかしこの翌々日にはイラクのバグダッドでも、過激派組織「イスラム国」(IS)の仕業とみられる爆弾テロが起こり、5日までに250人に上る死者を出している。
秩序は崩壊のプロセスに入った
まさに4月8日の本欄でも書いたように「テロの大波」が地球を覆い始め(「『妖怪』生んだ米国の戦略的過ち」)、ついに本格的にアジアにまで波及し、日本人にも繰り返し悲惨な犠牲者を出すようになったのである。
「冷戦後の世界秩序」と称されたものが、今や本格的な崩壊のプロセスに入っていることは明らかだ。
実は、今から20年余り前の1990年代半ば、国際政治の担当教員として京都大学に赴任したときから、私は毎年4月の学年はじめに「冷戦後の国際政治の動向」と題し次の5つの趨勢を列挙して講義をスタートさせた。いわく、(1)中東秩序の崩壊とテロの蔓延(2)ロシア民主化の反転(3)中国の膨張と軍事大国化(4)EU統合の挫折(5)唯一の超大国アメリカの衰退と「孤立主義」化-である。
このように話し出すと、はじめは神妙に聞き入っていた学生たちも(3)から(4)に及んでくると、「この先生は教授とのことだが、果たして大丈夫か」と心配げになり、そして(5)に至ると、もう腰を浮かせ「他の授業を見にいこう」と教室を出ていく。はじめの内はなぜだか分からなかったが、考えてみると当時、日本のメディアや学界・経済界で広く大勢になっていた見方とこれはあまりに違いすぎる。さすがに京都大学の学生は優秀で、世間に流布している情報はよくフォローしているな、と妙に感心したものだ。
回避し続けた憲法9条改正
しかし、これは学者としての確信に基づく持説だから、如何ともしがたく2012年の定年退職まで一貫して私はそう論じてきた。そして、とりあえず今のところ(5)を除くと、これらの私の予測は大筋で的中しているのではないか。
これは何も、自らの予測の正しさを誇示して言うのではない。むしろ私自身、他のだれよりもこうした事態の到来を何とか避けることができれば、と心から願っていた。どれ一つとして、この日本という国にとって耐えうる事態ではないからだ。
それにもかかわらず、この二十数年間、日本は「眠り続けた」のである。日本にはなぜ、かくも先見の明が欠けていたのか。それは安全保障、外交の自立、とりわけその大前提である憲法9条の改正に真剣に取り組むことをひたすら回避し続けてきたからである。
しかも他の国ならいざ知らず、日本だけはこうした世界情勢の悪化にことのほか耐えられない国であるにもかかわらず、この全く初歩的かつ自明な課題にすら解決の努力を怠り続けてきたのである。世界の変化を見落としたのも当然のことだった。
今こそ、憲法9条の改正に正面から取り組めるような参院選の結果を心から望んでいる。
京都大学名誉教授・中西輝政
各地に広がる衝撃と懸念
6月9日からの1週間の間に、まずロシアと中国の海軍艦艇が、時を同じくして、尖閣諸島の領海のすぐ外側の日本の接続水域に侵入した。ついに尖閣周辺に中国海軍が「出てきたか」との思いとともに、「中露連携」の可能性は当然ながら大いに気になるところだ。しかもその数日後、中国海軍の軍艦が今度は鹿児島県の口永良部島の領海を通過し、さらに16日には沖縄県北大東島の接続水域にも侵入した。もはや、その「メッセージ」は明らかで、恐れられていた事態がついに現実になったのである。
参院選公示の翌々日の6月24日、英国の欧州連合(EU)離脱を決定した国民投票のニュースが日本をはじめとする世界のマーケットに激震を走らせた。
しかしそれ以上に、この出来事は「戦後世界の秩序の支柱」であったEUの「終わりの始まり」と目され、それと表裏一体の存在である北大西洋条約機構(NATO)の安定も大きく揺るがすことになるのでは、との懸念が今、世界中に広がっている。アメリカを中心とする戦後世界の代表的な安全保障の枠組みであるNATOが動揺すれば、日米安保体制にも影響するのは必至だ。こうしてEU離脱は、地球の裏側にまで歴史的な波紋を及ぼす、という声まで聞かれ始めた。しかし、さきの中国海軍の動きを見れば、それはあってはならない事態である。
そして7月1日の夜、突如としてバングラデシュの首都ダッカでのイスラム過激派によるテロで日本人7人の貴い命が奪われた、という衝撃的なニュースが飛び込んできた。これほどの日本人の犠牲者を出したのは、2013年1月のアルジェリアのガス田施設でイスラム武装勢力によって10人の日本人を含む多数の犠牲者を出したテロ事件以来だ。しかしこの翌々日にはイラクのバグダッドでも、過激派組織「イスラム国」(IS)の仕業とみられる爆弾テロが起こり、5日までに250人に上る死者を出している。
秩序は崩壊のプロセスに入った
まさに4月8日の本欄でも書いたように「テロの大波」が地球を覆い始め(「『妖怪』生んだ米国の戦略的過ち」)、ついに本格的にアジアにまで波及し、日本人にも繰り返し悲惨な犠牲者を出すようになったのである。
「冷戦後の世界秩序」と称されたものが、今や本格的な崩壊のプロセスに入っていることは明らかだ。
実は、今から20年余り前の1990年代半ば、国際政治の担当教員として京都大学に赴任したときから、私は毎年4月の学年はじめに「冷戦後の国際政治の動向」と題し次の5つの趨勢を列挙して講義をスタートさせた。いわく、(1)中東秩序の崩壊とテロの蔓延(2)ロシア民主化の反転(3)中国の膨張と軍事大国化(4)EU統合の挫折(5)唯一の超大国アメリカの衰退と「孤立主義」化-である。
このように話し出すと、はじめは神妙に聞き入っていた学生たちも(3)から(4)に及んでくると、「この先生は教授とのことだが、果たして大丈夫か」と心配げになり、そして(5)に至ると、もう腰を浮かせ「他の授業を見にいこう」と教室を出ていく。はじめの内はなぜだか分からなかったが、考えてみると当時、日本のメディアや学界・経済界で広く大勢になっていた見方とこれはあまりに違いすぎる。さすがに京都大学の学生は優秀で、世間に流布している情報はよくフォローしているな、と妙に感心したものだ。
回避し続けた憲法9条改正
しかし、これは学者としての確信に基づく持説だから、如何ともしがたく2012年の定年退職まで一貫して私はそう論じてきた。そして、とりあえず今のところ(5)を除くと、これらの私の予測は大筋で的中しているのではないか。
これは何も、自らの予測の正しさを誇示して言うのではない。むしろ私自身、他のだれよりもこうした事態の到来を何とか避けることができれば、と心から願っていた。どれ一つとして、この日本という国にとって耐えうる事態ではないからだ。
それにもかかわらず、この二十数年間、日本は「眠り続けた」のである。日本にはなぜ、かくも先見の明が欠けていたのか。それは安全保障、外交の自立、とりわけその大前提である憲法9条の改正に真剣に取り組むことをひたすら回避し続けてきたからである。
しかも他の国ならいざ知らず、日本だけはこうした世界情勢の悪化にことのほか耐えられない国であるにもかかわらず、この全く初歩的かつ自明な課題にすら解決の努力を怠り続けてきたのである。世界の変化を見落としたのも当然のことだった。
今こそ、憲法9条の改正に正面から取り組めるような参院選の結果を心から望んでいる。
京都大学名誉教授・中西輝政