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「なぜ私を加護してくれないのか」迷信にすがる共産党幹部

2014年05月15日 14時34分43秒 | 国際・政治

 先月29日、中国四川省共産党委員会の李春城前副書記が汚職で摘発され党籍を剥奪されたニュースは全国で大々的に報じられた。今のご時世、高官1人が汚職で摘発された程度のことは別に驚きでも何でもないが、メディアが興味津々なのは、公表された数々の悪行の中に、「権限を乱用して迷信活動を行った」との項目があったことだ。

 李氏は四川省の党副書記在任中、親の墓を省内の名所・都江堰に移した際に1千万元(約1億6千万円)を使って風水師を招き「道場(道教的祈祷(きとう)式)」を行わせたことが「迷信活動」とされた。一度の法事のためにこれだけの大金を注ぎ込んだのだから驚きだ。

 もちろん、親のために「道場」を催したこと自体は汚職にはならない。彼の場合、共産党の幹部としてそれをやったことがおとがめの理由となった。建前上、共産主義を唯一の信仰とする共産党は、党員幹部の「迷信活動」を禁じているからだ。

 しかし、建前とは裏腹に今は中国共産党の幹部こそが“迷信深い”人たちとなっているのである。

 たとえば山東省泰安市共産党の胡建学元書記は、高名な占い師に「橋を造れば運が回ってきて昇進できる」といわれると、市の公共プロジェクトとして無用の鉄橋を造らせた。山西省交口県の房吉華元党書記は風水師に党委員会ビルの風水を見てもらって「交口県地理風水報告書」まで作らせ、ビルの大改造工事を行っている。

 汚職で摘発された広東省韶関市の叶樹養元公安局長は、公私問わず、何かを決めるときに占い師に伺いを立てるのが長年の習慣となっており、凶悪殺人犯の行方を追うときでも占い師の教えを請うた。

 風水や占いなどだけでなく、仏さままで彼ら汚職幹部がすがる対象となる。内モンゴル自治区赤峰市の徐国元元市長は賄賂を取るのが好きだが、賄賂金が入ってくる度にまずそれを家の仏壇の下に入れて、夫婦で線香を立てて拝むのが日課だったという。

 黒竜江省政治協商会議の韓桂芝元主席の場合、自らの汚職容疑が取り調べられている最中、家に安置された仏像を拝みながら、「仏さまよ、なぜこの私を加護してくれないのか」と泣きついたと報じられている。

 このように、今の共産党幹部の多く、とりわけ汚職幹部の多くは自らの昇進・出世のために風水や占いに助けを求めたり、仏さまを引っ張り出して汚職の「ご加護」をしてもらったりして、私利私欲のために迷信にも宗教にも何にでもしがみつくありさまである。

 人民日報社運営のニュースサイトの人民網がこの問題を取り上げ、「迷信や宗教に心を奪われた党員幹部は全国に大勢いる」と嘆いたことから見ても、この現象はかなりの広がりをもっていることが分かる。

 かつて毛沢東時代、「無神論」が党の信条とされていた中、神仏を何とも思わない幹部たちは悪行でも何でも平気で行ってきた。共産主義のイデオロギーが完全に崩壊したいま、彼ら共産党幹部自身が迷信や神仏にすがろうとしている。

 しかし、それはけっして彼らの「改心」を意味するものではない。彼らはただ、悪事を働く自分たちの「救い」として迷信や宗教を道具に使っているだけだ。神仏を信じようが信じまいが、この悪党集団のやっていることはいつも同じである。

 その一方、現世利益を約束しないキリスト教に精神的救いを求めている中国の民衆は既に1億を超えており、民心が共産党政権からますます離れていることが分かる。

 いずれ、独裁政権が中国の大地から消え去ったとき、中国人民に本当の救いがやってくるであろう。


「赤旗や聖教新聞じゃないからセーフ」… 靖国参拝批判出題を容認する発言を繰り返した都立高校長

2014年05月14日 08時49分53秒 | 受験・学校

 東京都八王子市の都立松が谷高校の「政治・経済」の学期末試験で、安倍晋三首相が昨年12月に靖国神社に参拝したことを批判的に報じた毎日新聞の紙面を添付し、意見や説明などを求める出題をしていた問題が波紋を広げている。国会では下村博文文部科学相が「極めて不適切」と批判。東京都教育委員会も指導や処分を検討中だ。だが、校長は問題発覚当初、この出題を「悪くない」と言い切り、不適切さにまったく気付いていなかった。

「イデオロギー教育で極めて不適切」

 「一面的な評価だけを提供し、予備知識のない高校生にとっては靖国参拝批判に誘導されかねないようなイデオロギー教育になっている。極めて不適切だ」

 4月16日の衆議院文部科学委員会。義家弘介(ひろゆき)氏(自民)が、この問題について「これがイデオロギー教育の現実だ」と指摘した上で見解を問うたところ、下村文科相は強い口調でこう批判した。

 さらに、苦々しい表情でこうも付け加えた。「こういう教育が現在、行われていること自体、ゆゆしき問題だと思う。適切に対応しないといけないと思う」

 この問題は、同日付で産経新聞が報じた。出題されたのは今年1月に行われた3年生の「政治・経済」の学期末試験で、出題したのは50代の男性教諭だった。

 添付された紙面は「靖国参拝 首相が強行」「政権1年周到準備」「米政府『失望した』」「失われた国益大きい」との見出しで、首相の靖国参拝を批判的に報じたもの。

 設問は「安倍首相の靖国参拝に対し、中国・韓国は厳しく批判した」と説明。その上で(1)「自分の思うことを自由に書きなさい」(2)「中国・韓国はなぜ批判しているのか。中国・台湾・韓国と日本との関係は『戦略的互恵関係』にあるが、それを無視してまで、なぜ安倍首相は参拝したのか。アメリカはなぜ『失望した』のか。説明しなさい」-と尋ねた。

「職員室で購読していたのがたまたま毎日新聞だった」

 産経新聞は4月14、15の両日に、電話で同校の平野篤士(あつし)校長に取材した。記者は「確かに首相の靖国批判へと誘導する恐れのある不適切な問題だった」といった趣旨の回答がかえってくるものと考えていたが、平野校長の回答は予想とは正反対だった。

 報道では、紙面の都合上、平野校長の見解をすべて掲載できなかったので、取材の主なやりとりを掲載することで補いたい。

 記者「問題を出題したのは間違いないですか」

 校長「そうです。毎日新聞を使用した経緯についてですが、私どもの職員室で購読しているのがたまたま毎日だったということです。特に銘柄指定で、という意味で使ったわけではないということでした」

 記者「記事は総理の靖国参拝を批判するものです」

 校長「そうですね。どちらかというと『失望した』とか、『失われた国益が大きい』という書き方の記事ですよね」

 記者「この記事だけをみると、やはり、記事にあるような批判的な見方でしか答えが見いだせない」

 校長「なるほど。新聞によって確か批判的な論調で書かれている新聞、そうでない新聞がありましたよね。仮に、載せた記事が、赤旗など特定の政党の機関誌や、聖教新聞など特定の宗教の新聞だったらまずいと思いますが、一般的な全国紙6紙の中の一つなので、新聞のチョイス(選択)自体は、公平的で、問題ないと思います」

 「(1)の『自由に意見を書きなさい』という出題もセーフだと思いました。(2)の設問は、最初から問題ないと思っていました。つまり『説明しなさい』ということは『是か非かを述べなさい』ということではないですよね。『自由な意見を書きなさい』だったら、これには反対とか、これには賛成とか。実際に、ほとんどの生徒が、是か非かの意見を書いた。まったく是非を書いていない生徒もいたそうです。非で書いた方の生徒は、いわゆる内政干渉という問題で書いたそうです。是の方は、要するに、この(記事の)意見を切り取った形で『確かに国益を損なった』と書いた生徒はいたそうです」

 「(2)の『説明しなさい』については、政治的背景を説明しろということで、私の見方としては、高校3年に出すには少し難易度が高いきらいはある。ただ是非を問うものではなく、『説明しなさい』ですので、政治的背景を分析させることについては、問題としては決して悪くないと思います」

 記者「学校で購読しているからとか赤旗でないからとかではなく、この問題は一般紙の中でも議論が分かれている問題です」

 校長「なるほど。私は6紙全部見ていないので。私は読売だったので、読売は特に問題ないという論調でした」

 記者「議論が分かれている問題の、一方の記事だけを載せて説明を求めると、こっちの方が正しいのかと生徒が誤解しかねない。載せるのであれば、もう一方の記事も載せるべきではないですか。これだけを読むと、何の情報も持っていない生徒にとってみれば、これが正しいのかと受け止めてしまいかねない」

 校長「なるほど。それは、教員の立場から言うと、6紙全部比較して、これに賛否の意見があるということを知って、テスト問題に、例えば6紙のうち賛成のものと反対のものと、賛否を明らかにしていないものを全部問題として入れるのはなかなか難しいのではないかと」

 記者「私はそんなことを言っているのではないです。6紙とかではなくて、先生方なら議論が分かれている問題と当然把握しているはず。一方の意見だけを載せるのはフェアではないのではないですか」

 校長「そういうふうにお考えということなんですね。なるほど。ごめんなさいね。当然、把握しているとおっしゃっているが、産経新聞さんは、もしかすると、私の想像なんですけど、まったく(参拝は)問題ないという記事を書かれているのかなと類推するんですが。私も当然、新聞は一紙しか読んでいないから。だから類推の上で、もしかしたら、賛成的に書いている新聞もあるかもしれないし、ないかもしれないし、非常にそこは難しい。一般的には、私どもは6紙については、極端にどこが偏向しているとか、どこをっていう形ではなく…」

 記者「6紙なんて別に一言も言っていません。議論が分かれている問題で、一方の批判的記事だけを載せて、生徒に問うのは誘導的なものがあるのではないかと聞いているんです」

 校長「私は特にはないと思います。そういうことを誘導する意図では出題してはいないと思います。誘導する意図はないし、本人もその意図で新聞をチョイスしていないと言っております。あくまで公費で買った新聞の記事を引用しただけ。たまたま手元に公費で購入したのが毎日新聞であって、その毎日新聞が批判的な記述だったということです」

再取材に「今は誤解を与えかねない問題だったと思っている」

 採点は、どうやって行われたのだろうか。平野校長は「(首相の靖国参拝の)是も非も、是非をいっていないものも、意見の記述量によって採点しており、まったく公平中立に行っているということだった」と説明しており、採点に不備はなかったようだ。

 一方、関係者によると、この男性教諭は授業中に「君が代を歌う社会科教師はいない」とも語っていたとされるが、平野校長はこう釈明した。「彼が『かなり前の時期なので記憶は曖昧だが』と断った上で言ったのが、『社会科の教員の中では、君が代を歌う先生は少ないのではないか。もしくは、あまりいないのではないかという自分の推測で言ったことはある』ということだった。『あなたは歌いますよね』と尋ねたところ、『当然、歌います』と言っていました」

 平野校長は取材の最後に「念のため、申し上げておきたい」と断った上で、こう述べた。「私は校長として、先生方に『公教育ですので教育内容の公平中立は必ず保ってください』という話を常々しています」

 だが、そうであるなら、なぜ平野校長は、下村文科相や都教委がそろって「不適切」との見解を示したこの出題を「悪くない」と言い切ったのだろうか。平野校長の言う「公平中立」とは、一体何なのだろうか。

 5月1日、改めて平野校長に見解を尋ねた。

 記者「今も不適切な出題ではなかったという見解ですか」

 校長「あの(報道の)後、多数のいろいろな意見をいただき、冷静に考えてみると、出題した教諭本人に誘導する意図はなかったとはいえ、誘導しているという誤解を与えかねない出題だったと今は校長として思っています」


韓国船沈没で見えた日中韓「水兵」の差

2014年05月07日 16時36分42秒 | 国際・政治

 「もう沈んでしまう…」

 韓国の旅客船《世越(セウォル)号/総トン数6825トン》が黄海で転覆した4月16日、68歳のベテラン船長と乗組員約30人のほとんどがこう怯え、今しかないと乗客を見捨てて我先に逃げ出した。結果、300人以上が死亡か安否不明となった。許されない…が、職業への誇りや意識を欠いた「醜悪な行い」は韓国人に限らない。現在の日本でも起こり得る。半面、どの国にも、いつの世にも、自己犠牲を厭わぬ「英雄」がいる。多くは歴史を素通りしただけの、名もなき人々だが、語り継ぐことで「醜悪な行い」に歯止めはかかる。事故現場北方の同じ黄海で120年ほど前、弱冠18歳の日本男児が最後まで任務を全うし、こう問うて短い生涯を終えた。

 「まだ沈みませんか…」

黄海海戦で示した愛国心

 明治二十七八年戦役(日清戦争)中の1894年9月17日、大日本帝國海軍聯合艦隊旗艦の防護巡洋艦《松島/常備排水量4278トン》は、清國海軍・北洋艦隊所属で東洋一の堅艦と恐れられた《鎮遠/常備排水量7220トン》の巨砲弾を受け、乗組員96人の死傷者を出す。戦史に名高い《黄海=鴨緑江海戦》である。

 血だるまで横たわる三等水兵・三浦虎次郎(1875~94年)も戦死する28人の一人となる。三浦は通り掛かった松島副長に、北洋艦隊旗艦で鎮遠の同型艦《定遠/常備排水量7144トン》が沈んだかを「声をしぼりて」(佐佐木信綱作詞の軍歌・勇敢なる水兵の一節)尋ねた。副長が戦闘不能に陥った旨を説明すると「微笑を漏らしつつ 息絶えた」という。

 18歳の一水兵が示した愛国心と責任感に只頭が下がる。心打たれ泣けてくる。ただし、三浦のような天晴れな亀鑑は当時の日本には確かに存在した。

 松島が被弾した際、聯合艦隊初代司令長官の伊東祐亨(すけゆき)中将(1843~1914年/後に元帥海軍大将)は、自ら損害を検分すべく艦橋を下りた。と、伊東の足元に、まさに命尽きようとする水兵が渾身の力を込め這い寄ってきた。水兵は言う。

 「閣下、ご無事でありましたか」

 伊東は水兵の手をしかと握り「伊東はこの通り大丈夫じゃ。安心せよ」と応え、甲板で足踏みまでして見せた。水兵は「閣下がご無事なら戦いは勝ちであります。万歳っ…」と、最期の言葉を発して事切れる。

自己犠牲の淵源は武士道

 海戦の勝利は、日本に制海権をもたらし、中国大陸への渡海派兵など、戦局全般を有利に進める重大な分水嶺となった。国家存亡の分かれ目は、名もなき戦士による自己犠牲の数であった、と言っても許されよう。キリスト者であった内村鑑三(1861~1930年)に学べば、自己犠牲の淵源は《日本における唯一の道徳・倫理であり、世界最高の人の道》と激賞されるべき《武士道》に認む。曰く-

 《日本武士は、その正義と真理のため生命を惜しまざる犠牲の精神に共鳴して神の道に従った。武士道がある限り日本は栄え、武士道がなくなるとき日本は滅びる》

 この点、戦力で全く上回る北洋艦隊だったが、水兵は言うに及ばず一部艦長までが怖じ気づき敵前逃亡を図る。北洋艦隊は母港である対岸の山東半島北東部・威海衛まで潰走する。聯合艦隊は追跡し、港湾口を塞いだ。北洋艦隊司令長官の丁(てい)汝(じょ)昌(しょう)提督(1836~95年)は脱出を試みるも、果敢に斬り込む自己犠牲の実践者はいない。むしろ、水兵らは反乱を企て、脱出作戦を封じる有り様。清國軍には、軍紀や自己犠牲を支える武士道の如き普遍的価値観が欠如していたと観て差し遣いあるまい。

 一方日本の側は、伊東自身が武士道の実践者であった。丁に書信を送る。

 《僕は世界に轟鳴する日本武士の名誉心に誓い、閣下にむかいて暫く我邦に遊び、もって他日、貴国中興の運、真に閣下の勤労を要するの時節到来するを竢たれんことを願うや切なり。閣下、それ友人誠実の一言を聴納せよ》

 伊東は丁に対し、捕らわれても後に軍功を立てた幾多の先例を示しながら「活躍の場が必要とされる清國再興の時節到来まで、日本に亡命し待ってはどうか」と「武士道に誓い、友人の誠から」切々と訴えたのだった。丁は深く感じ入るも、丁重に断り服毒自殺を遂げ、北洋艦隊は降伏する。

極限でこそ見える国柄

 伊東の武士道は尚続く。丁の棺が粗末なジャンク船で帰国すると聞くに至り、伊東は鹵獲した清國側輸送船を提供し、丁の亡骸の後送に充てる。葬送の日、聯合艦隊各艦は半旗を掲げ、松島は弔砲を撃ちて弔意を表した。タイムス誌が「丁提督は祖国よりも却って敵に戦功を認められた」と報ずるなど、伊東の武士道は国際が絶賛する。清帝は丁の財産を没収し、葬儀も許さなかったのだ。予期したかのように、丁は降伏に臨み「将兵らを赦し、郷里に帰還させてほしい」と要請。祖国ではなく、伊東の武士道を信頼している。

 しかし、中国は今も昔も武士道の価値が理解できない。帝國政府や海軍中央の叱責に腹切る覚悟で葬送を決心した伊東の、追認した政府・海軍の、それぞれの武士道が理解できない。丁への仕打ちの持つ蛮性に気付きもしない。中国に中華思想を植え付けられ「擬似中国=小中華」に堕ちた韓国も同じ。

 拓殖大学の呉(オ)善(ソン)花(ファ)教授(57)は4月21日、九州正論懇話会での講演で、韓国の反日感情の背景に潜む文化・歴史に触れ「文治主義の韓国は武士道の国・日本を野蛮な国と蔑視し『われわれが正さなければ軍国主義が復活する』と思っている」と語った。

 「真の武士道とは何か」を、中韓に説いて聴かせねばならない。呉氏はまた、沈没事故で乗組員が真っ先に逃げ出した事実を指摘し「極限状態でこそ社会の在り方が見える。韓国人は反日の時は団結するが、愛国心はなく、徹底的な利己主義だ」と言い切った。

 都合良く歴史を捏造・粉飾し、恥と思わぬ中韓に「真の武士道とは何か」を説く虚しさも、深く感ずる。それでも《武士道がなくなるときは、日本の滅びるとき》と予見した内村の警鐘を真正面で受け止め、日本人自身が武士道を国際で体現しなければ、中韓の「醜悪な行い」をあぶり出せない。


「三流国家」「韓国社会にごまんといるセウォル号船長」…韓国メディアが“自虐報道”を続けている

2014年05月03日 06時37分44秒 | 国際・政治

 韓国全羅南道の珍島沖合で4月16日に起きた旅客船「セウォル号」の沈没事故は同国史上最大の海難事故となった。行方不明者の捜索が難航する中で、旅客船運航の安全意識の低さや政府対応の甘さなどが次々に明らかになっている。そのたびに増えているのが、韓国メディアの“自虐ぶり”だ。「韓国は三流国家」「韓国社会にごまんといる『セウォル号の船長』」「韓国の恥ずべき自画像」。「反日」報道を振りかざし、居丈高で独善的だった姿勢はそこにはない。

真っ先に逃げる船長はまだまだいるらしい

 朝鮮日報(電子版)は19日付で「韓国社会にごまんといる『セウォル号の船長』」と題したコラムを掲載した。

 記事では、乗客の救命救助活動に当たらず、いの一番に避難したセウォル号のイ・ジュンソク船長(68)の行為を批判するとともに、韓国社会は、崩落事故で数十人が犠牲になった聖水大橋事故や、数百人の犠牲者を出した三豊百貨店倒壊事故の教訓を忘れたと指摘。韓国社会の安全に責任を持つべき立場の人に、セウォル号の船長のような人物がいくらでもいるとしている。

 さらに、国連のアナン前事務総長が定義した「すべての国民が安全な環境の下、自由で健康な生活を送れる国」という先進国の定義を持ち出し、「この点で韓国は依然、途上国のままだ」と結論づけた。

 そこには、日本に対し歴史問題への意識不足だなどと非難を繰り広げたり、解決済みの慰安婦問題を何度も振りかざし、強弁を繰り返していた姿はない。

 むしろ、安全を軽んじ、その上、そうした姿勢を省みて改めることがなかった自国社会の「病根」にようやく気付き、失望している姿が際立っている。

恥ずかしい…らしい

 朝鮮日報が23日付で掲載した「韓国の恥ずべき自画像」というコラムは、韓国社会の病根を指摘している。

 船長をはじめとする船員が、多数の高校生の避難誘導を適切にしなかったことを踏まえ、「ある意味、セウォル号の船長と船員は、恥ずべきわれわれの時代の自画像だ」とした。その上で、韓国社会は「生き残りたければ他人を押しのけてでも前に出るべきだ」と暗に教えてきたとし、「弱者を先に」「遅くなっても一緒に」という社会倫理や道徳は、教科書に出てくる退屈な話程度の扱いだと述べている。

 そして、韓国社会に「弱い立場の乗客のために惜しむことなく救命胴衣を脱いで渡す人間が、どれほどいるだろうか。自問してみるべきだ」と結んでいる。

 確かに韓国は何事も、他人(隣人)に配慮することがない。そして自らの利己的な主張ばかりを押し通す。協調性とは無縁の国だ。

 東亜日報(電子版)によると、船長は警察の調べに対し「(尻が)相当痛かったので飛び出してきた。救助船が目の前に到着し、救急隊員らから船に乗るよう言われ従った」などと供述している。

 運航責任者としての安全意識は微塵(みじん)もない。生命の危機にさらされた多くの人を見捨て、自らの尻の痛みをとったのだ。

 もっとも、独善的な韓国メディアとて「自虐的」にならざるを得ないのも分からないではないほど、「恥ずべき行為」に関する報道は日を重ねるごとに増えている。

 例えば、自らの対応を非難された海洋警察の課長が「80人救助すればたいしたものだ」と発言してみたり、遺体の安置場所を視察した海洋水産部の長官が、その場所で記念写真を撮影したり。教育部長官は不明者の家族がいる体育館を訪問した際、食事さえできない家族を前にカップラーメンをすすった。

とんでもない災難は終わらないらしい

 自虐報道はこれらに止まらない。

 中央日報(電子版)は、「自分がすべきことをしない人々が集まって不良共和国・大韓民国を作る。この地で、とんでも災難が終わらない理由だ」と伝えた。

 また朝鮮日報は「韓国社会には基本、規則、ルールを大切に考える人間に対し、世間知らずの堅物のように見下す雰囲気がある」とした上で、「ずる賢い手口を駆使できる人の方が有能な人間のように扱われる」とした。

 今回の事故では、韓国の海上交通の中で、基本やルールが一顧だにされてこなかったことが明らかになった。

 例えば、搭乗者数や積み込む荷物の数を増やさんがために船体を違法に積み増ししたり、コンテナの固定器具を備えておらず、ロープで縛るだけで、船体が傾いたままでも出港したり…。赤面したくなるような事実の数々が、メディアを自虐的にさせる理由だ。

 もちろん、安全意識をすぐにおろそかにするお国柄だ。今回の自虐報道もいつか忘れるに違いない。再び大事故が起こるまで。