【安倍首相の8月15日】 6月23日の東京都都議選で完勝した安倍自民党が、
7月の参議院議員選挙に弾みをつけたことは疑いがありません。アベノミク
ス経済政策の民意を問 う形になった都議会選挙で候補者全員当選という快挙
を達成したのですから、国民の安倍首相に対する期待も一層ふくらんだこと
でしょう。
しかし、安倍首相の唱える「日本を取り戻す」ためには、経済政策では不十
分なことはいまさら言うまでもないことです。本当に「日本を取り戻す」た
めにやるべきことは、国民が正しい歴史認識を持つことです。戦後GHQの
検閲によってゆがめられてきた歴史認識を正すこと、すなわち東京裁判史観
からの脱却こそが、戦後の日本の歴史を変えることになるのです。これが戦
後レジームからの脱却の真髄と言っても過言ではありません。
8月15日に安倍首相は靖国神社参拝を
では、歴史認識を正す方法は何でしょうか。答えは簡単です。安倍首相が
8月15日に靖国神社に参拝することです。首相自らが日本国家に殉じた人々
の霊を慰めることです。これなくして、日本国家の本当の復活はありません。
私たち国民が今日の生活を享受できるのは、ひとえに国に殉じて散華した多
くの人々の尊い犠牲があったからです。ただこの歴史の単純な真実にすら国
民のコンセンサスが得られていない現状は、日本が精神的に独立国でないこ
とを示して余りあります。国民世論の分裂はどこに原因があるのでしょうか。
日本国民の世論を分裂させ、対立させることによって、いったい誰が利益を
得ているかを究明すれば、分裂・対立を策している犯人が見えてきます。
日本の世論が分裂・対立することによって利益を見出しているのは、中国
と韓国です。
中国と韓国は、日本を弱体化するための外交カードとして、また彼らの政権
の正統性を補強する自国民向けのパフォーマンスとして、靖国参拝に反対し
ているに過ぎないのです。いわば彼らの自己保身です。中韓両国は、自国の
諸困難を日本という外国のせいにする以外に、自らの権力維持の正統性を国
民に効果的に示すことができないのです。彼らが非難するから靖国参拝を避
けるべきであるという議論は、本末転倒です。
わが国にとって英霊の慰霊は、外交カードでも国民向けのパフォーマンス
でもありません。純粋に国民の魂の問題です。
私たちが英霊に感謝の誠を捧げることによって、日本人であることのアイ
デンティティを皮膚感覚として感じることができるのです。英霊の慰霊を通
じて私たちの歴史がつながるのです。私たちの歴史がつながるということが
極めて重要です。なぜなら、国民の歴史は断絶してはならないからです。
8月15日以前とそれ以後が断絶すれば、同一の国民の歴史にならないからで
す。私たちは日本が2000 年以上の歴史を持つ国であることを信じています。
東京裁判史観は、日本が侵略国家であると刷り込むことによって、2000年の
日本の歴史への国民の信仰を壊そうと意図したものです。私たちは東京裁判
史観の隠された意図を見破らなければなりません。
安倍首相が8月15日に靖国神社を参拝すれば、中韓はどのような反応を示
すでしょうか。
中国については、大々的な反日デモや暴動は起こらないと思います。なぜな
ら、中国のような独裁国家ではデモの自由はありませんから、多かれ少なか
れ官憲が背後で糸を引いた官製デモですが、昨今の中国経済の危機的状況
(不動産バブルの崩壊、幹部の汚職や腐敗、環境破壊など)に中国大衆の不
満は爆発寸前の状態にあり、反日デモを組織しても当局のコントロールがき
かなくなって反政府デモに転化する可能性が高いからです。韓国はそもそも
靖国参拝に反対する理由がありません。にもかかわらず、中国と一緒になっ
て靖国参拝反対を唱えるのは、中国の行動に従うのが正しいという一種の事
大主義がなせる業でしょう。いずれにしても、両国にとって靖国参拝に反対
しなければならない理由はとぼしいのです。私は、安倍首相が8月15日に靖
国に参拝すれば、一時的に中韓が非難しても長続きはしないと思います。
中国も韓国も靖国といった自国の権益に直接かかわりのない問題に長くこだ
わる余裕はないはずです。両国とも経済の崩壊という差し迫った危険がある
からです。従って、中韓の反応は無視していればいいのです。日本を揺さぶ
る効果がないとわかれば、彼らの非難はそのうちに沈静化します。
植民地主義者気質の日本人がガン
そう考えれば、靖国問題の本質は中韓の非難にあるのではありません。
日本人の中に靖国参拝に反対している勢力がいることです。これらの日本人
は、日本人を分裂・対立させ弱体化しようと企図している隣国などの意図を
どう考えているのでしょうか。
日本を分裂・対立させようというやり方は、国内を分裂・対立させて統治す
るという、植民地主義者の悪名高い「分割統治」の鉄則です。日本人の中で
靖国参拝に反対している人々は、いわば植民地主義者の代弁者になっている
ことに気づくべきではないでしょうか。
私が先に日本は精神的に独立国ではないといったのは、このような植民地主
義イデオロギーの代弁者が国内にいることなのです。自らの行為が植民地主
義イデオロギーの所産であることに気づかず、 靖国参拝反対を唱えている
とすれば、これほどの喜劇はありません。にもかかわらず、こうした人々は
自らが喜劇を演じていることを悟ろうとしないとすれば、マインドコントロ
ールにかかってしまっているとしか言いようがありません。
このような確信者を気づかせる方法は、人間はいずれ必ず死ぬ存在であると
いう厳粛な事実を共有することです。私たちは死ぬ存在であることにおいて、
皆平等なのです。
「死ぬ存在である」との認識を共有できれば、死者に対する慰霊について合
意に達することができるのではないでしょうか。 死者に対する慰霊はイデ
オロギーの問題ではありません。人間の生命に対する畏敬の問題です。
人は自らの死という未知の世界を考えるとき、謙虚にならざるをえないでし
ょう。謙虚になることができるならば、イデオロギーの呪縛から逃れること
ができるはずです。死者(英霊)に対する慰霊は、私たちが死者と心を重ね
合わせることを意味します。そこにイデオロギーの介在する余地はありません。
もう1点、いわゆるA級戦犯合祀の問題があります。A級戦犯が合祀され
ているがゆえに、靖国参拝に反対する人が少なくないからです。しかし、日
本国内法上A級戦犯は存在しないことを再確認する必要があります。彼らは
国際法上不法な東京裁判によって死刑になったに過ぎません。私たち日本人
にとって彼ら7人は決して戦犯ではないのです。
A級戦犯問題を持ち出して、靖国参拝に反対する自らの政治活動を正当化す
るような行為は、死者への畏れの念を欠く不誠実な態度です。ましてや、イ
デオロギーに基づく行為の正当化に死者を利用するという行為は、自らの品
位をおとしめていることに気づくべきでしょう。死者への畏れの念を欠くこ
とは、何よりも自らの命を卑しめる自己否定につながるからです。
このように考えると、安倍首相の靖国参拝に国民のコンセンサスを得るこ
とは可能です。
隣国の意向に日本が左右されている限り、隣国の対日態度は好転しません。
隣国の態度を変えようとするのではなく、日本自身が変わればよいのです。
日本が変われば、隣国も変わらざるをえないのです。安倍首相をいただいて
いる今がチャンスです。安倍首相が8月15日に靖国神社に参拝されるその無
言の姿こそが、日本人の精神の復活を何よりも雄弁に物語るものです。今年
の8月15日は、日本人が自らの歴史を取り戻した日として永遠に記憶される
ことでしょう。