話題の「アクト・オブ・キリング」というドキュメンタリー映画を観た。ジョシュア・オッペンハイマーという米国人監督の作品で、1965年9月30日のインドネシアの軍事クーデター(未遂)とその後に展開されるスハルト軍事独裁体制での共産主義者、華僑らへの虐殺(9月30日事件、930事件)の加害者側、つまり「虐殺者」に「自らを主人公にした映画を創らせ、そのメイキングをドキュメンタリーとして撮影する」という奇抜な手法で歴史を振り返る。
虐殺とは?正義とは?英雄とは?
この奇抜な取材法が、監督すら予期せぬ化学反応のような結末を生み、虐殺とは何か、正義とは何か、英雄とは何か、国際政治とは何か、そしてジャーナリズムとは何かを深く考えさせ、エンタメ性も備えた傑作となった。アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門は惜しくも逃したが、世界各国のドキュメンタリー賞を総なめにしたこともあって、日本でも映画館に立ち見が出るほど観客が殺到している。
先日、友人から、中国人はこの映画を見てどう感じているだろうか、中国政府はインドネシア政府にどうして抗議しないのか、日本の南京大事件はあんなに非難しているのに、といった質問を受けた。なるほど事件当時、毛沢東はスハルトファシスト軍事政権を粉砕せよ!と、すわ人民戦争だ!というほどの勢いでインドネシアを非難し、国交を断絶した。
だが1990年に国交が回復したのちは、ほとんどこの歴史事件は振り返られない。1998年の華人排斥暴動(5月暴動)で、女性・子供も含めた1200人以上の中国系インドネシア人が虐殺された。これも当時から報道が抑制され、2013年の事件15周年も、追悼報道などほとんどなく、ネット上では事件のキーワードが削除対象になった。今なお、インドネシアには華人蔑視が根強い。なのに、最近のインドネシアの華字新聞「千島日報」では、インドネシア政府への批判ではなく、「日本の占領時代の虐殺の歴史を忘れるな」といった記事が掲載される。
これはなぜなのか。「アクト・オブ・キリング」は中国でも、ネットでそれなりにダウンロードされて観られているようだが、なぜ華僑同胞のために、インドネシア政府に賠償責任を、といった世論が起きないのか。今回は、そういうことを少し考えてみたい。
930事件とはどういう事件だったか。
オランダの植民地支配からインドネシアを解放した建国の父・スカルノ政権下で、主要な政治勢力は3つあった。スカルノ大統領、インドネシア陸軍、そしてインドネシア共産党だ。
スカルノ政権は独立後、植民地時代の遺産否定の立場から、外資排除を徹底し、農村改革を行い、民族資本の発展を目指した。だが、この経済政策は失敗、厳しいインフレと食料不足に見舞われた。こういう状態で、国民の団結を誘い、不満を外部にそらすために、外交上は対外強硬姿勢をアピール。隣国にできた親英国・マレーシア連邦を相手に「コンフロンタシ」(対立)と呼ばれる軍事・外交衝突を繰り返し、ついには国連を脱退した。インドネシア国内ではエコノミストや右派政治家、特に軍主流派の間でスカルノ政権の迷走に危機感を募らせていた。
内政が不安定化する中、スカルノはインドネシア共産党(PKI)勢力の支持に全面的に頼る。最盛期、PKIは党員500万人、共産主義青年団300万人、支持者1000万人と、非社会主義国中で最大規模の共産党に成長していた。中ソ対立後は中国側に立ち、当時のインドネシア共産党書記アイディットは5回も毛沢東と直接面会し、自らを「毛沢東の小学生」と名乗った。スカルノとしては、共産党の力を借りて陸軍勢力を牽制して政権の安定を探ろうとしていたのだろうが、当然中国側にはジャカルタを拠点に紅色革命を輸出し、東南アジアに共産主義政権を樹立したい思惑はあった。
クーデター未遂後、犠牲者300万人
そういう状況下で事件は起きた。インドネシア政府の公式見解によれば、1965年9月30日深夜、大統領親衛隊第一大隊長のウントゥン・ビン・シャムスリ中佐率いる国軍左派部隊が陸軍トップ6人を殺害し、革命評議会設置を宣言。だがこのクーデターを、戦略予備軍司令官スハルト少将が速やかに制圧し、クーデターは未遂に終わった。
この事件の関与を疑われたスカルノはスハルトに治安秩序回復の全権を委譲、スハルトは革命評議会と呼応した共産党勢力の一掃をはかる。このとき、「赤狩り」に動員されたのは兵士ではなく、一般市民から構成される民兵集団だった。特にプレマンと呼ばれる親米のチンピラたちの虐殺手法は凄惨を極めた。100万人規模とも300万人規模ともいわれた、この時の虐殺犠牲者の中には推計30万~40万人の華僑が含まれる。だが華僑たちの少なからずが、実は共産主義者ではなく、親中華民国の商人たちだったといわれている。貧困にあえぐ市民たちが、裕福な華僑商人を妬んでいたことが背景にあった。
クーデターを制圧し「共産主義の脅威から国を守った」スハルトは1966年にスカルノから大統領権限を委譲され、スカルノは軟禁される。プレマンら「虐殺者」たちもインドネシア政府にとっては国を守った英雄だ。今も彼らは共産主義者をいかにやっつけたかを正義として語る。その現実が映画に映し出されている。
この事件は謎が多いといわれるが、ゴシップ的にいえば、クーデターを裏で指揮していたのは中国共産党だ、いや米国中央情報局(CIA)がスカルノを失脚させるために仕組んだシナリオだ、といった陰謀説が多々ある。いずれも具体的な証拠があるのではなく、国際情勢の分析が根拠となっている。
仕組んだのは中国か米国か
CIA工作説については、1990年に米退職外交官やCIAオフィサーが、インドネシア軍に共産党指導者名簿を提供して、その名簿をもとに虐殺が行われたという証言や、インドネシアが旧ソ連からロシア製ミサイルを購入し照準をオーストラリアに据えているとの情報を、CIAがインドネシア軍内に潜伏するスパイからつかんでいた、といった米国報道があり、それが事件への米国の関与があったとされる根拠となっている。
当時のCIAはキューバやイラクでクーデターや政権転覆支援(未遂も含む)を行っていたので、十分ありえる話ではある。いずれにしろインドネシア軍内は米中対立の縮図のような内部分裂がもともとあり、9月30日事件は、インドネシア内政の事件というよりは、アジアにおける米国西側自由陣営VS中国社会主義陣営の構図で起きた国際事件という解釈だ。この結果、東南アジアはASEANという西側反共自由主義同盟の名のもと結束し、アジアに大きな転換をもたらした。スハルト政権は32年に及ぶ開発独裁でインドネシア経済を成長させ、日本などもこの恩恵にあずかった。
こういったアジア情勢変化の中、中国も米国、日本と国交を回復。冷戦構造は崩れ、中国はグローバル経済の重要な一員となった。インドネシアとの関係も改善。1990年の国交回復前後から大型投資を続け、日本とアジアの盟主の座を争うまでになった。インドネシアというマラッカ海峡に面する資源大国との緊密な関係は、「世界革命」をあきらめた今なお、中国の野望、例えば大国として米国と対峙する、ための必須条件である。当然、930事件も1998年の5月暴動も、華人虐殺の歴史をほじくることはしない。中国にとっては、インドネシアの「虐殺」といえば、1940年代前半の旧日本軍による住民虐殺を指す。
つまり、中国にとって「虐殺」とは規模の問題でも人道・人権の問題でもなく、政治・外交宣伝のカードである。そもそも「中国人を殺害した」という一点について考えれば、その規模において毛沢東の右に出る者はない。毛沢東は文化大革命の最中、インドネシアから中国に引き上げてきた「反動勢力と命がけで戦った愛国の華僑同胞」ですら反革命罪の名のもと、迫害したのだ。いや、中国を少し弁護すると、国際政治においては、どの国でも人道とか正義という言葉自体が、政治・外交宣伝のカードである。
虐殺は人道問題ではなく政治カード
「アクト・オブ・キリング」という映画のすごさは、「インドネシアの大虐殺を告発し、虐殺者とインドネシア政府を糾弾する」といった薄っぺらな人道主義がテーマになっていないことだ。
主人公の虐殺者、アンワル・コンゴへの取材者の接し方は極めてニュートラルで、素直に観れば、彼は好々爺で、悪人には見えない。孫をかわいがり、命を慈しむ。ふつうの人が、政治の潮流の中で殺戮者にさせられただけなのだ、と同情すらわく。虐殺者の一人が言う。「あれは虐殺じゃなく、共産主義との戦争だ。虐殺かそうでないかは、戦争に勝った方が決める」。「アメリカもフセインは核を持っているとウソをついてイラクを攻撃した」。930事件最大の受益者で勝利者が米国はじめ西側自由主義陣営であるから、この大虐殺事件が国際社会で糾弾されることもなく容認されてきた。ポルポトの虐殺が国際社会で語り継がれるのは共産主義が敗者だからである。虐殺者が英雄になることは、インドネシアだけの現象でも、中国だけの理でもない。虐殺が肯定され、虐殺者が英雄になる仕組み、国際政治が容認すれば虐殺も正義の戦争となる、そこが真に恐ろしいのだと気付かせる構成になっている。
中国の知り合いの元愛国反日青年が「アクト・オブ・キリング」を観たというので、感想を聞いてみたのだが、最初の感想は「南京大虐殺に匹敵する大虐殺事件」だった。だが、スハルトけしからん、米国けしからんという話から途中で、インドネシア独立前の旧日本軍の蛮行、最後に南京事件の糾弾、それを認めない安倍政権批判へと話が変わっていく。
なぜ、矛先が最後に日本に向かうのか。理由は聞かなくてもわかる。中国にとっての敗者が日本であり続けるからだ。あるいは日本を敗者と位置付けることが、中国共産党政権の正統性を主張するよりどころだからだ。60年代の自由主義と共産主義の戦いで敗者となり、のちの改革開放によって国際経済のけん引役のポジションに立ってからは自由主義陣営の「勝ち組」に準主役級で招き入れられている中国共産党にとって、唯一の共産主義としての勝利は抗日戦争だけだからだ。インドネシアの事件については、敗者としても勝ち組としても、糾弾することは難しい。だが、日本に対しては勝者として糾弾し続けなければ、中国共産党の存在意義すら揺らいでしまう。
情緒を超えて、歴史に迫れ
20世紀に行われた数多くの虐殺の中で、南京事件の規模がどの程度のものか、という精査はもはや必要とされなくなり、30万人という数字が事実のように国際社会に定着しつつある。それを許したのは、正直に思うところを言えば、「人道」を政治・外交カードではなく、情緒としてとらえがちの日本人の性質だと思う。犠牲者の規模に関わりなく、非道は非道であったと反省する。私自身もそういう情緒の人間だ。だが、政治家・外交官のレベルになると、そういう情緒の「人道」だけを唱えるだけではダメだろう。
過去の虐殺・戦争犯罪について検証するジャーナリズムは日本にも多々あるが、たいていは、取材者が単純に悪行を断罪し、責任を糾弾するタイプの情緒的な構成になる。だが本当は、いくつもの国家の思惑、権力闘争、時代の潮流とタイミングが重なって起きる歴史事件に、善悪の色を付けること自体が難しい。
米国も関与、利用した930事件について、こんな風にニュートラルに、虐殺の構造と心理に迫りながらエンタメ性の強いドキュメンタリー作品を作った米国のジャーナリズムの実力を見ると、日本のジャーナリズムになぜこういう取材ができないかと思う。虐殺のおぞましさへの吐き気を覚えながらも、虐殺者はなぜ虐殺者となったか、断罪ではなく、その背景と真理をとき明かそうとすることが、未来に起きるかもしれない虐殺を防ぐ有効な手立てだというのに。
日本が過去の敗戦の歴史を心理的にきちんと清算できずに、いまだ敗者ポジションに甘んじ続ける状況にあるのは、日本のジャーナリズムの未熟さだといわれても仕方ないのか、という感想も持ったのも付け加えておく。