ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

使徒2章14節のメッセージから、適用へ

2021-01-11 22:37:34 | 使徒の働き
2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。
 
知ったことーーペテロが立ったのは、立つ、進み出る、推挙するの受動態。自分からというよりも聖霊に押し出されて立った。十一人の弟子と一緒。その回りには百二十人くらいの信者がいる。ここでのペテロの話が、教会のスタートの時です。
適用ーー私が伝道をしようとする時、個人で勝手に始めずに、聖霊の満たしを祈りもとめ、また教会で分かち合い、祈られて、進み出て行こう。
 
知ったことーーペテロは①声を張り上げた ②はっきりと言った
適用ーー語る内容に確信と使命感をしっかり持てるように、日頃から祈り備えよう。祈る時、語る時など、必要な時には、大胆に大声ではっきり語ろう。
 
「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
知ったことーー二つの命令 ①知っている状態であれ ②私の言葉レーマをしっかり聞いてください
適用ーーただその時、話を聞くだけでなく、聞いた後もずっと、内容を思い巡らしているように勧めよう
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主日の説教の予習を原典からやってみた

2021-01-09 18:13:51 | 使徒の働き
明日は使徒2章14~21節から語られるので、予習をしました

2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
聖霊に満たされたペテロが大声で宣言した。その回りには同じ聖霊に満たされた他の11使徒が立っていた。聖霊に満たされた者たちは一致して行動するとわかる。
耳を貸してくださいと命令形で言っている。マタイのたとえ話を聞く時の耳は単数だったがここでは複数形。両耳でしっかり注意深く聞けと言っている。
 

2:15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。
どういう状態なのかよくわからない時、人は、自分の知恵で考えたり想像できる範囲で、勝手な判断するるものです。よく洞察する必要がある。
 

2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
神のもとにあった霊が、神の元から注ぎ出される。幻を幻視し、夢を夢見る。面白い表現です。
 

2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
霊は、身分が低いとされていた者たちにも注がれる。娘(町の女たちと訳せる)、青年(下僕とも訳せる)。しもべ、女性のしもべにも。
 

2:19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
天での不思議なわざ(テラス)、しるし(セーメイオン)、どちらもいせ預言者、にせキリストもすると辞書に書かれていた。
理解できない不思議なことが起こった時には、自分なりの勝手な判断をして決めつけることなく、それが真の神からのものか、サタンから来ているものなのかを洞察しなくてはならない。
 

2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』
主の大いなる輝かしい日、その日は、私が生きている間か、死んだ後かは分からないが必ず来る。これは、旧約聖書に書かれていたことです。
今は聖霊の時代です。神の霊、イエス・キリストの霊、聖霊が、私たちのうちに住んでともにいてくださいます。
日頃から、自分勝手に物事を考えないで、聖霊に満たされて、主の名を呼び求めて、祈り、神との交わりの中で神に聞いて、神により頼んで、すでに救われている者として、日々の生活を続けます。
 
 
どんな説教が語られるか、強調されるところはどこか、どんな応答が求められるのか、とても楽しみです。
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教場Ⅱで 心眼」の額を見た

2021-01-04 10:29:56 | 喜び
心眼」とは、どういう時に用いられる言葉でしょうか?
昨夜のテレビ番組教場Ⅱの最後の場面で
木村拓哉が暗い道場で一人で長い時間、剣道をしていた。
 
壁にはは、「心眼」と書かれている額が見えた。
片目が義眼の彼が、神経を集中して竹刀を振る時
離れたところで起こっていることを感じ取っているようだった。
 
私は緑内障やその他、目に支障があって見えにくい。
医師によると、見えなくなった部分の視力は回復しないとのこと。
もし、視力がどんどん失われて来たら、寂しいと思っていたが
「心眼」という言葉を知って、
細かくよく視ることができるようになり
視力意外の感覚も合わせて研ぎ澄まされるようになったら
それも、なかなか面白いのではないかと、思えた。
しかし、心眼を得るためには、
苦しみの伴う、継続的な訓練が必須であるように感じた
 
私はこれまで「心眼」という言葉を聞いたことも、使ったこともない。
霊的洞察力というのと似ているのでしょうか
 
霊的な視野を持つことができたら
・神のことばを、自分の生活に適用するべき点が見える
・楽しいこと、嬉しいことの中に隠れているサタンの誘惑が見える
・話している相手の気持ちを感じ取ることができる
 
そうなって来たら、信仰が深まり、伝道をしても
相手の方を悪霊の支配の中から救い出す働きに用いられるだろう
 
教場Ⅱでは「心眼」について、考えさせられたが
ストーリーについては、よくわからないところが残った。
本なら読み返すことができるが、テレビはどんどん進んでしまい
ちょっと残念です
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火事だ! 三軒先の家が燃えた 

2021-01-03 18:35:24 | 喜び
10時過ぎ、消防車の音がけたたましく鳴り響き
すぐ近くで止まったようだった。
数台の消防車やパトカー、救急車がたくさん来ていたと、すぐ後で教会に来たひとが言われました。。
 
そこで、教会の三階の分散礼拝の部屋の窓から外を見たら
黒煙が上がり、赤い炎も見えた。
 
それが、何と、私が住んでいるアパートのすぐ後ろに見えた
もしかして、延焼するのではないか、
消防車によって水が大量にかけられているかもしれない
と、一瞬心配をしたが、すぐに神に委ねて、10時半からの礼拝に集中した。
 
説教では、ヨハネの福音書16章22節が語られた。
 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
 
もし、家事や水害で住む場所や持ち物を失うことがあっても、
私自身に聖霊が内在していてくださっていて、主の導きを信頼をしているので、
たとい、焼き出されても、神の国とその義を第一にしているなら、何の心配もないと思った。
実際には、少し先の一軒家が火事で、私のアパートは無事でした。
 
 
 
私は、数年前に、田舎の家や持ち物を処分して、身軽になって教会に来た。
今日は、もう一度、神様は私にチャレンジを与えてくださいました。
さらに、持ち物が削ぎ落されても、それでも、喜び、感謝して信仰を全うしますかと
 
私の罪の贖いのために十字架にかかり、昇天されたイエス様が、聖霊を遣わしてくださって、
日々、キリストとともに生きていて、心は喜びに満たされています
この喜びが奪い取られることはありません。
 
牧師がチラッと言ってくださいました。そんなことになっても、教会が助けますと。
今年は、ますますキリストに、教会に献身して、兄弟姉妹に一致して、さらに熱心に仕えようと思います
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