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ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをまとめています

ああ恵み  grace untold

2020-08-11 | 讃美
1 Marvelous grace of our loving Lord,
Grace that exceeds our sin and our guilt! 越える
Yonder on Calvary’s mount outpoured, あそこに
 There where the blood of the Lamb was spilled.流す
罪にみてる世界
そこに住むよびとに
いのち得よとイェスは
血潮流しませり
Grace, grace, God’s grace,
Grace that will pardon and cleanse within;
Grace, grace, God’s grace,
 Grace that is greater than all our sin!

ああ恵み! 
はかりしれぬ恵み!
ああ恵み! 
我にさえおよべり

2 Sin and despair, like the sea waves cold, 絶望
Threaten the soul with infinite loss; 脅す、無限の
Grace that is greater, yes, grace untold, 計り知れない
 Points to the refuge, the mighty cross.
 [Refrain]
罪は海のごとく
わが心おおえど
神はさらに強き
恵みもて救えり

3 Dark is the stain that we cannot hide; しみ・汚点
What can we do to wash it away?
Look! There is flowing a crimson tide,  深紅色の、潮
 Brighter than snow you may be today. 
[Refrain]
たれぞ我の罪を
ことごとく洗ろうは
見よ血潮はなれを
雪よりも白くせん

4 Marvelous, infinite, matchless grace,無限の、無比の
Freely bestowed on all who believe! 授ける
You that are longing to see His face,
 Will you this moment His grace receive?
 [Refrain]
たえにくしき愛を
限りなき恵みを
今ぞたれも受けよ
ためらわずそのまま


Marvelous Grace (Grace Greater Than Our Sin)




特別讃美  Living Hope

2020-08-11 | 讃美
礼拝での特別讃美は、アメリカ人3人、日本人2人での讃美した。
リモートで練習して、5人に一緒に歌うのはこの時が始めただとのことでした。
意味がよくわからなくて、メロディーとハーモニーだけで味わいました。

感染対策で、数カ所に分かれて、ライブ配信されているテレビ画面を見て礼拝をしていますが
私はちょうど先週は会堂で礼拝することができたので、生で聴けて良かったです

ただ、歌詞が映されることもなく、意味が全くわからなくて残念でした
まあ、歌詞が見えても、読めなかったでしょうけど。
そこでネットで歌詞を捜しました。読めても意味が分からない部分は残るが、わかるところで讃美します

Phil Wickham - Living Hope (Official Music Video)



[Verse 1]
How great the chasm that lay between us 
How high the mountain I could not climb
In desperation, I turned to heaven 苦しまぎれに切実な思いで、私は天を仰ぎ
And spoke Your name into the night
Then through the darkness, Your loving-kindness
Tore through the shadows of my soul私の魂の闇を打ち破った
The work is finished, the end is written
Jesus Christ, my living hope
[Verse 2]
Who could imagine so great a mercy?
What heart could fathom such boundless grace? このような限りない恵みを誰の心が理解しえよう
The God of ages stepped down from gloryとこしえの神は栄光を捨てられた
To wear my sin and bear my shame
The cross has spoken, I am forgiven
The King of kings calls me His own
Beautiful Savior, I'm Yours forever
Jesus Christ, my living hope

[Chorus]
Hallelujah, praise the One who set me free
Hallelujah, death has lost its grip on me
You have broken every chain
There's salvation in Your name
Jesus Christ, my living hope
Hallelujah, praise the One who set me free
Hallelujah, death has lost its grip on me
You have broken every chain
There's salvation in Your name
Jesus Christ, my living hope

[Verse 3]
Then came the morning that sealed the promiseそして約束を証明する朝が来た
Your buried body began to breathe
Out of the silence, the Roaring Lion
Declared the grave has no claim on me主は、墓はもう私を縛ることがない、と宣言した
Then came the morning that sealed the promise
Your buried body began to breathe
Out of the silence, the Roaring Lion
Declared the grave has no claim on me
Jesus, Yours is the victory, whoa!

[Chorus]
Hallelujah, praise the One who set me free
Hallelujah, death has lost its grip on me
You have broken every chain
There's salvation in Your name
Jesus Christ, my living hope
Hallelujah, praise the One who set me free
Hallelujah, death has lost its grip on me
You have broken every chain
There's salvation in Your name
Jesus Christ, my living hope...

[Outro]
Jesus Christ, my living hope
Oh God, You are my living hope


失格者とならないように・・・私は甘かった

2020-08-10 | 礼拝説教
自分は、もう、救われている。神の導きと守りの中にいると、Ⅱテモテ4章7.8節を読んで、なんとなく安心していたのですが、間違いであったことが示されました。
Ⅱテモテは、困難、苦難の中を走り切ったパウロが遺言のようにして書いた手紙でした。

今、信仰の走路の途中にいる私は、次のことばに目をとめなくてはならない

ピリピ3:13 わたしは、自分はすでに捕らえたなどと考えてしません
Ⅰコリント10;12 立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
Ⅰテモテ4:16 そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。

主日に語られた説教も、榊原康夫先生の注解書も
「自分は失格者になるかも知れない」という恐れを持って、いつも緊張して、走らなくてはならないという結論に導いていました。

自分は楽したいという、自己中心の思いがみことばを読む時に、みことば理解を微妙に歪めようと働いている。



足腰が弱って来た私ですが、走り続けます

2020-08-10 | 礼拝説教
「ああ、宣教のためには、厳しいトレーニングを頑張らないと、賞はもらえない。せっかく信仰を始めても、結局地獄に行くことになるのか。
こんな、怠けているような自分は、すでに失格者だ。もう駄目だ!!」  

もし、このように思うなら、きっとそれは、読み間違いだと思います。
私は疲れやすくて、よく昼寝をします。座って立つという動作でさえ、だんだん難しく感じるようになっています。

パウロがコリントの人々に書いた手紙を読んでこう思ったのでした。
9:24 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。
 9:25 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
 9:26 ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。
 9:27 私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです

冠とはどういうことだろうかと、検索して、同じくパウロがテモテに書いた手紙を読んで考えました。

賜物に応じて、聖霊の導きと促しに応えて、精一杯お仕えし続けよう。途中で不適格、不合格と自ら判断した、信仰生活から退くことのないようにして、勇敢で忍耐しているなら信仰が全うされることに希望が持てると思いました。

Ⅱテモテ
4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
 4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。



父と子の関係を見た

2020-08-08 | アンドリューマーレ―
ヨハ 5:19 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。

ヨハ5:30 わたしは、自分からは何事も行うことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。

ヨハ 6:38 わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなくわたしを遣わした方のみこころを行うためです。

ヨハ 7:16 そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなくわたしを遣わした方のものです。

ヨハ 7:28 イエスは、宮で教えておられるとき、大声をあげて言われた。「あなたがたはわたしを知っており、また、わたしがどこから来たかも知っています。しかし、わたしは自分で来たのではありませんわたしを遣わした方は真実です。あなたがたは、その方を知らないのです。

ヨハ8:28 イエスは言われた。「あなたがたが人の子を上げてしまうと、その時、あなたがたは、わたしが何であるか、また、わたしがわたし自身からは何事もせず、ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していることを、知るようになります

ヨハ 8:42 イエスは言われた。「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わしたのです。

ヨハ 8:50 しかし、わたしはわたしの栄誉を求めません。それをお求めになり、さばきをなさる方がおられます。
ヨハ
14:10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありませんわたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。

ヨハ 14:24 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。




牧師から、1年以上前になりますが、父なる神とイエス・キリストの関係に注目して、ヨハネの福音書を通読することを勧められからたことがあった。
そこで、忠実に読んではみたが、結局、その時は、牧師の言われた真意がよくわからなかった。

今回は、イエス・キリストが自らの意思を主張したり、自分の力をことごとく否定しておられることを確認しました。
全面的に父なる神様が働かれると言っている。
イエス様は、すべてを明け渡して、父なる神のみこころに従って、依存している。
そのような関係が、平和な関係であり、私達クリスチャンの模範であることを知りました。

しかし、すべては神から始まり、神が進め、神が完成してくださると、完全に自分を否定して無にすること、空の器になることは、簡単ではない。
私が今、持っているものすべては神から来たものであり、神のみこころに沿って用いるべきものであることを、聖霊に満たされて、実際に体感して、神の栄光をあらわす生活に変えられていくことに希望を持ちます。