ミリヤムとアロンは、モーセの権威に嫉妬していたが、そのことを正面から話さないで、モーセの妻のことで文句を言った。
私も、教会の中で、あれこれと指示を出す若い役員の女性の、個人的な弱点や家庭のこと等を非難したくなる気持ちになることがある。また、他の人がその方について話をするのを聞く時も、モヤモヤした感情があった。それは、ミリアムとアロンと同じであって正しくないと気づいた。
ミリヤムは罰として、ツァラ―とになったが、7日間で戻ることができたのは、主の温情によるものでしょう。ミリアムとアロンは、モーセに対する姿勢だけでなく、神に対する姿勢の間違いに、ちゃんと気付いて悔い改めるようにという、神からの訓練の途中に置かれているしるしです。
私自身、かつて大きな失敗をした時、その時には自分の本当の姿に気づいていなかった。体調がすぐれなくなり、しばらく教会に行かずに部屋で休んでいた期間があった。そのうちに、その原因が自己中心、高慢、見栄っ張り、不信仰であったことに気づいた。少しずつ教会生活に復帰できたが、貴重な訓練の体験だった