マリヤがイエス様に注いだ純粋な香油を考える (ヨハネ12章1-11節)
- イエスをメシヤ(油注がれた者)という預言を成就した。イエスは王であり、預言者であり、大祭司に就任する油注ぎを受けたことを意味する
- イエスの埋葬の準備ともなった。
- 300グラムの純粋な香油の香りは、イエスだけでなく、マリヤにもマリヤと一緒にいた人々にも移って、過越しの祭りの間、エルサレムの町中に広がっていた。
マリヤは自分のやっている意味をよく知らなかった
しかし、マリヤは、どこまで考えていたかはわからなかっだろう。
ただ、信仰によって、ここぞという神の時に、彼女のできる精一杯のささげものをして、信仰・献身をあらわしたのだった。
私も信仰によって、感謝をあらわそう
私も、必要が示された時に、賜物のすべてを大胆にささげよう。礼拝・デボーション・献金・奉仕・伝道・・・
- そもそも、ささげるもののすべては、命さえも、神から受けたものである。
- これまで私も、何度も様々なささげものをする時があったが、この世においても十分すぎる祝福を受け続ける経験をしている。
- ささげることで、信仰から信仰へ、祝福から祝福に、喜びと感謝が積み重なってきている。
その結果がどうなのかを知らなくても
私の知らないところでも、私のささげものが影響を与えているのかも知れないが、結果は神にゆだねる。自分で詮索する必要はない。(例:東方の博士たちの黄金・乳香・没薬)
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