行ったのは12日の夜。JRの中央本線というのは、東京側の
中野とか三鷹まで位がずっと高架線で走っているけど、名古屋方も
すこしだけそうなのです。会場はその高架下のカフェ
「K・D Japon(ハポン)」。マンゴーラッシーと、
野菜サンドで塞がった手にもらったパンフレットを引っ掛けて、
けっこうギリギリの体勢になりながら始まりました。
リーディング公演なんですね。
つまり、「読む」ことが表現の主体になるわけです。
でも、だからといって俳優の体が全く使われなくなるというわけ
でもなく(当然だけど)、ただ客席に届けようとする表現の中の、
「配分の比率」が変わるということなのだと思います。
その「配分の比率」が、通常の演劇公演と全く変わっていな
かった出演者もいれば、見事に「読む」ことだけで、情景描写
に成功していた出演者もいて、その到達点は本当に様々でした。
さて、まず私は「ラ」行を何とかしなければ…。
道のりは遠く、残された時間は少ない。うむむ。
《写真=チケット近影》
中野とか三鷹まで位がずっと高架線で走っているけど、名古屋方も
すこしだけそうなのです。会場はその高架下のカフェ
「K・D Japon(ハポン)」。マンゴーラッシーと、
野菜サンドで塞がった手にもらったパンフレットを引っ掛けて、
けっこうギリギリの体勢になりながら始まりました。
リーディング公演なんですね。
つまり、「読む」ことが表現の主体になるわけです。
でも、だからといって俳優の体が全く使われなくなるというわけ
でもなく(当然だけど)、ただ客席に届けようとする表現の中の、
「配分の比率」が変わるということなのだと思います。
その「配分の比率」が、通常の演劇公演と全く変わっていな
かった出演者もいれば、見事に「読む」ことだけで、情景描写
に成功していた出演者もいて、その到達点は本当に様々でした。
さて、まず私は「ラ」行を何とかしなければ…。
道のりは遠く、残された時間は少ない。うむむ。
《写真=チケット近影》