Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

夏休み3日目・八月ノートvol.1「スロウ・カーヴ」を聞きに行く

2004年08月13日 | 舞台芸術その他
行ったのは12日の夜。JRの中央本線というのは、東京側の
中野とか三鷹まで位がずっと高架線で走っているけど、名古屋方も
すこしだけそうなのです。会場はその高架下のカフェ

「K・D Japon(ハポン)」。マンゴーラッシーと、
野菜サンドで塞がった手にもらったパンフレットを引っ掛けて、
けっこうギリギリの体勢になりながら始まりました。

リーディング公演なんですね。
つまり、「読む」ことが表現の主体になるわけです。
でも、だからといって俳優の体が全く使われなくなるというわけ
でもなく(当然だけど)、ただ客席に届けようとする表現の中の、
「配分の比率」が変わるということなのだと思います。

その「配分の比率」が、通常の演劇公演と全く変わっていな
かった出演者もいれば、見事に「読む」ことだけで、情景描写
に成功していた出演者もいて、その到達点は本当に様々でした。

さて、まず私は「ラ」行を何とかしなければ…。
道のりは遠く、残された時間は少ない。うむむ。

《写真=チケット近影》
slow

夏休み2日目・坂手洋二さんの講演会に行く

2004年08月12日 | 舞台芸術その他
昨日、「明日から」と言ったのですが、実は2日目の夏休み。
深夜と付けて、日付が変わってもだらだらと重ねる時間に
一区切りを付けて、掃除洗濯洗い物の午後です。

その11日、愛知県中小企業センターで名古屋演劇観賞会(名演)
主催の坂手洋二さんの講演会に行ってきました。

伊丹のAI・HALLで今日から始まる「だるまさんがころんだ」
「私たちの戦争」の仕込みを抜け出して会場に到着した坂手さん
はとにかくテンションが高いまんま、早口でまくしたてるように
語り、あっという間の90分間でした。

公式ページに報告が載るかもしれませんので、私のメモに残された断片を以下に紹介します。

・自分(自身)を出すことだけで、新しいものを作ったと思って
 しまう
・「演出家」という役割は(舞台現場に)かつてからあった
 人間に役割として振られたのはつい最近
・制作、照明といったスタッフにも俳優的要素はある
・見られることに立ち向かうたの「角度」を持たねばならない
・この時代の当事者であることは、人はひとりではないということと
 同意
・表現に所有格はないのではないか
・「自身の表現」という言葉に含まれるうぬぼれがある。
・誰かの表現、私の表現といううぬぼれからいかにして抜け出すか
・表現欲求とは、ひたすら自由になろうとする欲求
・フリー(の役者)になるということは、よりバカでかい「日本の
 演劇」という大きな枠組にからめとられることに他ならない
・演劇において、(役者は)いつでもリアクションの存在、絶対
 的自由はない
・とにかく面白い出来事があればよい
・抑圧に対して反抗することと。じっと耐えて受け止め続けること
 は等価であることに気付かねばならない。


まさに、熱に当てられたような感じでした。

質疑応答の時間になりました。
時期が時期だけに、あの話題についても質問がありました。
劇作家協会東海支部から質問状が出されたということもあり、
また会場内には名古屋市文化振興事業団のプロパー職員の方も
散見され、一瞬場が凍ったような…。

坂手さんもきちんと回答されていましたが、やはり、2本立て
ということで事前に通知しており、了解がなされていたものが
なぜ1ヶ月後に突然1本のみの共催が取り下げられたのか、
そのことが解せないという言葉がありました。
(契約書の存在の有無は、話からはわかりませんでした)。

本当は、もうはっきりしてくれよいい加減!という気持ちです。
市事業団の回答が、広く周知されることを望みますし、私も微力
を注ぎたいと思います。