水谷修先生の夜回り日記
第54回 明日の夢さえあれば
先週は、長崎で筑紫哲也さんとの仕事でした。緊張の連続でしたが、筑紫さんの優しさと思いやりでまずまずの仕事はできたと思います。ところで、長崎では二晩、夜回りをしました。私が夜回りをした日は、長崎のランタン祭りで、大変な人混みでした。そして、夜遅くまで多くの若者たちが街角で固まっていました。
一組一組と、ていねいに話し合いながら、数時間の夜回りをしました。うつろにビルの階段に座り込む女子中学生たちは、なかなか帰ってくれませんでした。「どうせ、親は心配してないよ。あきらめてるよ」。哀しい言葉でした。
歯を見ると、すでにシンナーで溶けてしまっている10代の少年たち。私のシンナーの害についての話を神妙に聞いていました。病院と、薬物依存症者のリハビリ施設「ダルク」を紹介しましたが、行ってくれるのやら。
駆け寄ってきた一人の母親は、少年院から戻ってきたばかりの自分の17歳の娘の覚せい剤乱用について、必死に相談してくれました。長崎でも、シンナーを中心として覚せい剤まで、広く薬物が子どもたちの間に広まっていました。哀しいことでした。
初日の夜回りは、午後11時半過ぎから午前2時ごろまで、思案橋付近を広く回りました。街角のあちらこちらにたむろする若者たち。その側を何の違和感もなく、足早に通り過ぎる大人たち。哀しい風景でした。
今、日本中のどの町で夜回りをしても、若者たちが必ずたむろしています。しかも、うつろにさびしげに。本来なら、昼の世界で、太陽の下で、明るく明日を夢見、明日のためにいきいきと活動しているべき子どもたちが、夜の町に沈んでいます。道にたむろする若者たちが、夜の町の当たり前の景色にまでなってしまっています。
それに対して、東京都は厳しい警察による取り締まりで排除に。私の住む神奈川県は、深夜業の店舗への法規制や指導要請で対処しようとしています。
長崎で夜、出会った若者たちは一様に言いました。「もういいんだ。どうせ、昼の世界は相手にしてくれないから」。
夜の世界の子どもたちは、明日の夢を失っている子どもたち。明日の夢さえ、昼の世界で作ることができれば。だれが子どもたちに明日の夢を作るべきなのでしょう。大人の責任です。
2005年2月23日
【プロフィール】1956年横浜市生まれ。上智大学文学部哲学科卒業。83年横浜市立高校の教師になり、98年から市立戸塚高校定時制社会科教諭、04年4月から市立横浜総合高校教諭。同年9月、横浜市の高校教諭を辞職。中・高校生の非行防止と更生、薬物汚染の拡大防止のために、夜の繁華街をパトロールする。薬物防止の講演では全国を駆け回る。03年東京弁護士会第17回人権賞受賞。著書は、「夜回り先生」(サンクチュアリ出版)、「夜回り先生の卒業証書」(日本評論社)など。
バックナンバー 一覧
2月23日 第54回 明日の夢さえあれば
2月16日 第53回 「先生は、さみしくないんですか?」
2月 9日 第52回 うれしいメール
2月 2日 第51回 投薬
1月26日 第50回 過去に苦しむ人たちへ
第54回 明日の夢さえあれば
先週は、長崎で筑紫哲也さんとの仕事でした。緊張の連続でしたが、筑紫さんの優しさと思いやりでまずまずの仕事はできたと思います。ところで、長崎では二晩、夜回りをしました。私が夜回りをした日は、長崎のランタン祭りで、大変な人混みでした。そして、夜遅くまで多くの若者たちが街角で固まっていました。
一組一組と、ていねいに話し合いながら、数時間の夜回りをしました。うつろにビルの階段に座り込む女子中学生たちは、なかなか帰ってくれませんでした。「どうせ、親は心配してないよ。あきらめてるよ」。哀しい言葉でした。
歯を見ると、すでにシンナーで溶けてしまっている10代の少年たち。私のシンナーの害についての話を神妙に聞いていました。病院と、薬物依存症者のリハビリ施設「ダルク」を紹介しましたが、行ってくれるのやら。
駆け寄ってきた一人の母親は、少年院から戻ってきたばかりの自分の17歳の娘の覚せい剤乱用について、必死に相談してくれました。長崎でも、シンナーを中心として覚せい剤まで、広く薬物が子どもたちの間に広まっていました。哀しいことでした。
初日の夜回りは、午後11時半過ぎから午前2時ごろまで、思案橋付近を広く回りました。街角のあちらこちらにたむろする若者たち。その側を何の違和感もなく、足早に通り過ぎる大人たち。哀しい風景でした。
今、日本中のどの町で夜回りをしても、若者たちが必ずたむろしています。しかも、うつろにさびしげに。本来なら、昼の世界で、太陽の下で、明るく明日を夢見、明日のためにいきいきと活動しているべき子どもたちが、夜の町に沈んでいます。道にたむろする若者たちが、夜の町の当たり前の景色にまでなってしまっています。
それに対して、東京都は厳しい警察による取り締まりで排除に。私の住む神奈川県は、深夜業の店舗への法規制や指導要請で対処しようとしています。
長崎で夜、出会った若者たちは一様に言いました。「もういいんだ。どうせ、昼の世界は相手にしてくれないから」。
夜の世界の子どもたちは、明日の夢を失っている子どもたち。明日の夢さえ、昼の世界で作ることができれば。だれが子どもたちに明日の夢を作るべきなのでしょう。大人の責任です。
2005年2月23日
【プロフィール】1956年横浜市生まれ。上智大学文学部哲学科卒業。83年横浜市立高校の教師になり、98年から市立戸塚高校定時制社会科教諭、04年4月から市立横浜総合高校教諭。同年9月、横浜市の高校教諭を辞職。中・高校生の非行防止と更生、薬物汚染の拡大防止のために、夜の繁華街をパトロールする。薬物防止の講演では全国を駆け回る。03年東京弁護士会第17回人権賞受賞。著書は、「夜回り先生」(サンクチュアリ出版)、「夜回り先生の卒業証書」(日本評論社)など。
バックナンバー 一覧
2月23日 第54回 明日の夢さえあれば
2月16日 第53回 「先生は、さみしくないんですか?」
2月 9日 第52回 うれしいメール
2月 2日 第51回 投薬
1月26日 第50回 過去に苦しむ人たちへ
連絡とってみたいな…。
でもどこ探しても連絡先が
分かんない…
しかし先ほどもいったように、この様な悩みがいかに小さいかを先生の本を通して知りました。自分が必要とされていると思ったのは8歳の頃帰国した時です。周りの生徒は帰国子女だからという理由で特別扱いもせず、自然とむこうの方から友達になってくれました。
現在も父の仕事の理由でアメリカの地にいます。前回の友達もいたし、英語もそこそこできたため、英語には苦労しませんでしたが、来たばかりの頃は1年間孤独状態でした。英語ができるから友達もできるというのは甘い考えで、一つのグループに途中から入るというのはとても難しいことでした。しかしながら、今は友達もでき悩みは一つもないに等しいです。
一人で悩まず相談する。これが僕の一つの目標です。
初カキコです。
あの,水谷先生に相談したいんですけど。
電話じゃなくてメールでしたいんですけど。
どうしたら相談できますか?
そして、はじめてここに書きます。
水谷先生に相談したいんですけど
どうしたら、相談できるんですか?
電話じゃなくてメールでしたいです。
すごく哀しいです。
先生に相談したいことがあるのですが、
直接、先生へのメルアドはご存知ないでしょうか?
では、また。
この本を読んでなにげなく、心の隅でしょうか、タバコの本数を減らして、クラスのみんなに接するよう、何処がいけないのか?など様々なことを逃げてきた分、積極的に取り組んでいきたいと思います。
水谷先生、これからも、頑張ってください。そして、ありがとう。
http://www.sanctuarybooks.jp/mizutani/info.html
(↓)うれしいメール
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kokoro/yomawari/news/20050206org00m100003000c.html
受け付けてるなら相談したい事があるんです…
では。