GoingMyWay

やりたい事はやらずにおられるか!それが俺の道。そんな考えのもとで研究と資格取得を中心に毎日を生きていこうと思います。

2009年度総集編 その2

2010-03-31 13:59:59 | 大学院生活
 この記事を読まれる方は、以下のリンク先を読んでから読んでください。2009年度の1年を振り返っています。


これから目指すべき道

2009年度総集編


 研究室は、なんとか希望通りの研究室に配属になった。当初は「遠隔医療」がやってみたいと言っていたのだけど、それは医療により近い事ができると思ったからであり、必ずこれでないといけないという事では無かった。
 5月に入り、教授にインターンシップの件で呼ばれた事を覚えている。うちの大学院はインターンシップが必修科目となっており、俺はどうしたもんかと考えていたうちに呼ばれた出来事であった。

 呼ばれた内容を端的に言うと、「国立Jセンター(インターンシップ先)からプログラムできる子が欲しいという話があって、君を選びたいのだがどうか。」という話であり、期間も修士論文を書くまでの1年半の長期間(インターンシップ自体は3週間だけど、任意研修生として1年半ということ)であった。
 今もそうだが、俺は情報科学部出身ではあるがプログラミングは苦手なので、この話に手放しで喜べるわけではなかった。「勉強をしにいく」ではなくて、「仕事をしにいく・先方の戦力になる」という認識をしていたので、俺みたいなのが行って逆に足手まといにならんかなと不安に思ったのが、手放しで喜べない理由であった。しかし、せっかくの先生からのお誘いであるし、他にインターンシップ先があるかどうかも不安だったので引き受けることにした。

 インターンシップは8月中旬から始まり、9月中旬からは任意研修生としての研究生生活が始まった。前述したが、9月からは必然的に学校に行く回数が極端に減り、週4~5日学校に行っていたのが、週1~2日と7割ほど学校に行く回数が減った。
 インターンシップではメタセコイアを使うモデリングから入り、プログラミングへと移行した。当初は何をやればよく分からなくて、モデリングも中途半端なモデルしか作れず、イノシシを作ったのに「豚」と言われるし、眼球をつくったのに「かかし」と言われるぐらいのレベルであった。ただ、車のタイヤだけは褒められたと思う。

 他には研究を通して色々な先生にお会いした。滋賀県にある医大に出向いて自分の研究に関する話を2人の先生方からお伺いしたり、研究所は病院でもあるので、そこの小児科カンファレンスに出席して話を聞いたり、11月頃には広島へ医療情報学連合大会(いわゆる学会)に行き、3泊滞在して医療情報学に関する話を聴講(勉強)するなど結構な経験をさせてもらった。全てが初めてのことであり、勉強の毎日であったように思う(その割には身についていないような気がする・・・)。
 しかし、研究の速度は遅かった。先生からは「進捗が遅い。」と注意される日々が続き、精神的にまいる日もあった。具体的に言うと、先行研究が不十分であったり、プログラミングがうまくできていないということであったり、モデリングがうまくできなかったり。この研究で何がしたいのか、この研究をすれば、どういう結果が得る事が出来るのかということが分かっていなかったかもしれない。自分から考えようともせず、ずっと指示待ちだったようにも思える。開発者としては失格である。

 10月に差し掛かり、そろそろ就職活動しないといけないなぁと思うようにもなってきた。友達に聞くと、リクナビに登録したというので自分もリクナビに登録。この時から医療機器に携わりたいと思っていたので、下旬に京都にある糖尿病を扱う医療機器会社の会社説明会に参加した。
 いわば、就職活動デビュー戦ということもあり、会社説明会のあとに筆記試験が行われたのだが、気楽に受けた。アンケートも気楽に書いて、相手に言いたい事を分かりやすく伝えるためにカラーペンを使用したりしていた。本当はカラーペンはダメらしいけど使っていた。まぁ、デビュー戦ということで、そういう決まり(常識)も知らないわけですよ。結果はもちろん不合格。
 その次は12月に2戦目。2戦目は東京にあるシステム開発の会社。5時間の長丁場となる会社説明会のあとに筆記試験が行われたのだが、出来は良くなくて不合格。不合格は別に気にしてはいないのだが、【東京に行くのが初めてで、ノープランで行ったために大して東京を楽しむ余裕もなく帰った】というのが辛かったかもしれない。余裕が全然なかったので、今思うと「逃げ帰った」という解釈が正しいかもしれない。

 就職試験に初めて合格したのが3戦目であった。その会社は現在、最終選考の結果待ちになっている会社であり、眼科診療機器開発会社である。1次選考はES提出であり、初めて合格通知がきた会社であった。また、そこから不合格が続いたものの2月からは合格の知らせが多くなった。事実、1次選考は2月までは1勝3敗であったが、それ以降は5勝3敗1結果待ちという結果である。
 4月中には内定を一つ取りたいと思っている。10月から就職活動を始めて、4月で6ヶ月になる。6か月もやっているから、なんとか内定は欲しいなぁと思う。就職においての希望は医療情報技術者になることである。それを目指して就職活動を行ってきた。それが結果につながれば良いんだけどね。

 研究や就職活動、大学院で色々な経験をしてきたのだが、それ以外にも大きな経験をした。それが直近で起きた東京マラソン2010である。
 東京マラソンの内容はマラソン記に書いてあるので読んでもらうとして、東京マラソンは本当に良い経験になったと思う。「自分には、こういう能力があるんだ。」「誰もができるわけではないことをやりのけた。」と自信を持つ事が出来たのがかなりデカかったと思うし、目標(4時間30分をきる)を達成することはできなかったが、「参加する事に意義がある。」というラインを超えて、結果を出せた事に更なる達成感を得る事が出来たと思う。
 また、友達がわざわざ関西から東京に来てくれて、応援に駆けつけてくれた事は本当にうれしい出来事であった。普通、友達が東京マラソンに出るからという理由で交通費・宿泊費を自腹で東京に来るか?。お金があるからとか、そういう話は関係なくて、わざわざ俺のために時間を割いてきてくれた事に本当に感謝したいと思う。俺は本当に良い友達を持ったと心から思う。


 2009年度は例年になく、たくさんの経験をしたと思う。今までは全然実りのない1年を過ごしてきたかもしれないな。
 そういう意味で、2009年度を一言で表すなら




経験

 だと思う。まぁ、今まで「経験」という言葉を何回も使っているので、今年度1年のキーワードは「経験」になるのは分かってたとは思うけど、たくさんの経験をしたと思う。この経験が、ちゃんと身に付いたのかどうかは明日からの2010年度にかかっている。
 現時点で【研究が進んでいないので、経験が身になったのかは微妙】と言われるのは仕方がないと思う。それでも来年度はさらに頑張っていきたいと思っているし、結果を出したいと思っている。1日1日、スケジュールを立てて、1日を大事に過ごしていきたいと思っている。

 さぁ、明日から修士2回生だ!2回生になるという自覚を持って、毎日を過ごしたい。

2009年度総集編

2010-03-31 01:54:09 | 大学院生活
 「ゲゲ!今年度最終日じゃねぇか!」ということで、忘れないうちに2009年度総集編というか、2009年の1年を振り返って記事を書いてみようと思う。
 ちなみに、これから目指す道も総集編みたいな記事なので、総集編パート2として読んでいただけたらと思う。


 2009年4月、医療情報学を学びたくて大学院に入学した。大学院受験では、本命の大学院は惨敗に終わり、もう1つ大学院を受験したものの不合格に終わったので、決して勝ち組とは言えない大学院進学である。それでも、医療情報学に携わることができるということに関しては喜べるべき事実であり、何ら不満もない進学であった。
 当時は、学部のときの友達の勤務地が神戸に比較的近いので、神戸に大学院があるというのは、皆と遊びやすくなるなぁとか思ったり、帰り道にラウンドワンがあるからボーリングができるや~とか冗談半分で思っていた。まぁ、実際は確かに前期(4~7月)は友達と神戸で遊ぶ時期が多かったけど、帰り道にボーリングなんてすることは無かったし、後期(9月~)になってからは神戸で遊ぶ機会が極端に減った。と、いうのは8月中盤から研究所に出入りするようになったから。

 前期は卒業単位を埋めるのに一生懸命だったと思う。単位をとるために午前中から授業に出て、ご飯を食べに行って、午後からまた授業に出るといった毎日。また、うちの大学院では外人が在籍(M1で1割ぐらい)しており、皆、日本語がペラペラというツワモノぞろいであった。すぐに溶け込み、M1の子らと結構仲良く過ごせたと思う。
 また、このときは結構お金を使ったかもしれない。友達にご飯を奢ってあげたり、飲みも何回か行き、今思うと食事代にお金が飛んだかもしれない。前期は結構友達と一緒にいて楽しい時間を過ごせたと思う。

 夏休みには、その大学院の友達1人とサマソニに行ってきた。その子が「サマソニ行こうよ。」と誘ってくれたので行くことにしたのだが、サマソニって何やねんって最初は思っていて、カナリでかいイベントだとは知る由もなかった。
 その友達には結構、洋楽とか教えてもらって、ビヨンセとかガガとかシャキーラの存在を知るのも、その子のおかげであった。サマソニはとてつもなく凄かった。FACTとか、スコット・マーフィーとか、観客の熱狂ぶりはすさまじかった。
 俺たちのお目当てはビヨンセで最前列に行こうと計画をしていたのだが、やはり他の皆もビヨンセがお目当てらしく最前列に行けなかった。友達もビヨンセを期待していたのだが、その子は背が低く(女の子だから仕方がない)て、全然見れない状況であった。さすがにそれは可哀想だということでオンブしてあげた。鑑賞後、彼女は十分にビヨンセを見れて満足していた。それを見て、良かったと思った。

 また、夏休みには学部のときの友達と自転車で淡路島一周に行ってきた。あのときの記録はブログに書いていなかったのだが、2日間で走行距離163.66km、消費カロリー2596kcal、走行時間14時間13分という記録を作った。
 多分一人だけだったら、もっと疲労感はあっただろう。そういう意味では友達に救われたし、友達をサポートしてあげたりと、4人で1つのことを達成したという達成感を味わえたということが俺の中にはあった。一緒に旅した友達はどう思っているだろうか。

 今年度の夏休みは今までに無い充実した夏休みだったと思う。実に3年ぶりの充実感である。3年前の2006年はオーストラリアに留学した時。それ以来の充実した夏休みであった。

 次に、研究・勉強の話をしたいと思うが、これ以上書くと、読みにくいと思うので次の記事に書こうと思う。