んで、歴代の君主が太陽と冥王星のアスペクト持っている傾向が強いとのことだが、その場合は東西冷戦時代以降における優位性は揺るいでいるように見受けられる。アメリカ合衆国にしろソビエト連邦にしろ世襲ではない共和制政体を保持する国家が Suzerain States として君臨しはじめたからである。戦後民主主義の日本でもライツ冥王星にアスペクトを持っていない影響力の強い首相もいた。でも今また世の中の階級が固定しがちになっているグローバル資本主義における君主や権力者って表立って姿を現さないのでアスペクトを知る機会が無いので興味深い話ではある。
特に太陽と冥王星のハードアスについて思ったことは全般的に「失う物が無い」人々であること。もう既にどん底でこれ以上人生において華やかな展望が望めず絶望の中にニヒリズムで身を潜めているという意味だけではない。ヨーロッパの知己でライツ冥王星ハードアスもっている人は福祉が充実しているしこの人自身が特に生活に困ることが無いというのもある。幸いこの人は月冥王星ハードではないのであっさりした性格で太陽冥王星オポ故に結構人生の歩み方はダイナミックである。この失う物が無い性質の中で驚いたなかには「日本に日本人(完全でなくとも)として住んでいるだけで幸せ。」というのもいる。
あと小生はイギリスで生活していて末端の貴族に悪友がいたことがあります。貴族の家系であるため補助金はでるので失業しても生活は保証されています。ただ生まれながらにしての宿命という意味ではすっごい苦労を背負わされているため性格が凄くねじくれてしまった感じがしました。生まれの関係があって普通の庶民の生活をしようとしても、自分の生い立ちがバレるのと彼の生い立ちにより形成された性格により無理があるでしょうね。もうこの人に会えることは無いと思うが、もし生年月日を聞くことがあれば、なーんかライツ冥王星ハードアスなにか持っていそうなきがします。
いっぽう小生は冥王星ノーアスであります。それでノーアスについて調べたら、海王星と冥王星がノーアスの場合は悪影響が無いとのことです。むしろ他の星がノーアスの場合にそのノーアスの星の象意で振り回され苦労される話はよくききます。あと、あの哲学界の帝王と呼んでも過言でもないイマヌエル・カント先生が小生と同じ冥王星ノーアスなんですよね。つまり冥王星アスと帝王になることって完全な相関関連があるわけではないんですよね。特に近代以降においてはその相関関連は薄くなった。それにカント先生は水星土星がTスクエアなんです。確かに口下手で文章も解り難いところがあると言われていますが、それでもあれだけ体系化された論法で至極抽象的な概念を具現化した功績を遺したわけです。やはりアスペクトって使い方次第なんだろうなと思います。
それに最近特に思うことは冥王星にしろ別の星にしろハードアスペクトを持っているかどうかの違いが大きいのかと思います。ただ冥王星ハードアスペクトが一つでもあるとそのハードアス度合のバロメーターが上がり複合ハードアス並みのレベルにあがるというところか。
今この世の中過渡期ですが、興味深いことは意外にハードアスが少ないソフトアス多めの人々が苦悩している傾向にあることです。むしろ、小生を含めハードアスペクト多めの人々の方が常に何かしらのチャレンジに苛まれてきたので、人生における試練が立ちふさがったときの解決策を見出すことが容易なのでしょうね。まぁ、まだまだいろいろと大変ですが、ハードアスが少なかったりソフトアス多めの人々が「いやぁ嫌な世の中になりましたねぇ・・・。」と愚痴る中、小生は「いやぁ、今までの世の中で結構苦しい目に合わされたよぉ。今の世の中の方がむしろ生き易い面も多いヨ。」と回想する次第。
ちなみに小生も失うものが無い人と見受けられガチですが、小生にはやらなきゃいけないことがけっこうあるんです。まだ失いたくないもしくは失ったらまずいものが多いので、ここで躓いたらそれが達成できなくなる不安があります。未成年の頃から何かと感じていた使命のようなものがあるのです。なかなか俗世の巷の人間に理解されにくいことです。
あと自分で言うのもなんですが、芸術家肌の人々って本当に繊細な人が多い。小生の師匠もほんとナイーブな方であった。彼の最期もメンタルをやられてから身体に影響が出てしまったので、今でも思い出すだけで涙がでてきます。恐らくものごとへの感性を研ぎ澄ませられる代償としてメンタル制御にコツがいるのだろう。
だから我々はあの太陽冥王星スクエアかつ個人天体に水象が無いあの無神経さとは対極にあるのだろう。良い意味でも悪い意味でも、メンタル強すぎて無神経な人にはクリエイターとしての性質もなければ理解も乏しいのだろう。