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Art&Blue-Liberalism:青き自由主義 復刻版 など 

アダム・スミスとマックス・シュティルナーの思想を参考にして自由に個人が生きる世を目指す!

占星術的に2022年4月5日以降に予測された金融崩壊

2022-03-20 17:13:45 | 政治・経済・社会
*占星術に関するこの分析では、以下の仮定は科学的でも客観的でもないため、誤差の分散が非常に大きいことに注意してください。 ご清聴ありがとうございました。

火星は通常、火星がアセンダントを横切るときに接続詞などの強い側面を形成するときに、主要な側面を形成する標識の側面に関連する爆発的なイベントのトリガーとして機能します。 2022年4月5日、火星はすでに天王星との広場の側面を形成している土星との接続詞を形成します。次に、土星と天王星の正方形の次の現在の状態を検討します。

-天王星は、自発性と革新を表す天王星にとって有害な立場である、財産/富を表すおうし座のアセンダントを越えています。

-土星は水瓶座のアセンダントを横切っています。天王星自身のサインは自発性と革新を表しており、土星の夜の支配サインは構造/社会と時間/忍耐を表しています。

-天王星と土星は、正方形の難しい側面を形成します。四角は通常、殺されて隠されていることを示します。

全体として、この時点で経済は弱体化しています。火星が水瓶座のアセンダントを横切っている間に土星との結合と天王星との正方形を形成するとき、憂鬱な経済状態を推測するこの難しい側面の爆発的な効果を引き起こすと予測されます。

天王星も暗号通貨に影響を与えると考えられています。暗号通貨は経済のための両刃の刃として認識されています。それは革新的な力で経済を刺激する一方で、すでに確立された安定したシステムに挑戦することによって経済を混乱させます。有名な占星術師は、これらの暗号通貨は彼らの市場で巨大な壊滅的なショックに直面するだろうと警告しました。


一方、うお座のアセンダントを横切る木星とネプチューンの結合は、経済と国際金融について話している間、無視できません。 「計量経済と西洋占星術:世界GDPを木星海王星アスペクトに回帰分析!」で述べたように、木星と海王星の側面は富を表しており、経済の総売上高を示す世界のGDPと高度に相関していることが証明されています。活動。

木星と海王星はまだ結合を形成しているので、三角形とセクスタイルの主要なソフト面ほど確実ではありませんが、世界のGDP成長が期待されるべきです。さらに、有名な占星術師は、金や銀などのいくつかの主要な商品は木星によって表されているため、最近は金や銀の価値のバブルが発生すると説明しています。したがって、これらの商品を保有し、すでに富を確立している人は、

キャッチは、彼らが海王星と夜の支配者の独自の兆候である魚座のアセンダントを横切っていることです。そのため、海王星と魚座の両方が、精神的、夢、そして曖昧さを含む地球外生命体を表しています。海王星とうお座が彼らの強さを誇張するとき、腐敗と物質的な幸福の過度の誇張に対して制裁が加えられる傾向があります。

したがって、現在の世界金融のいくつかの厳しい修正プロセスは、世界経済に打撃を与える可能性があります。さらに、海王星とうお座はさまざまな問題を混乱させる津波を表しており、木星は良い面と悪い面の両方の相乗効果を表しており、それらの現象を増幅します。次に、多くの個人がこの期間中にポートフォリオのパフォーマンスの混乱する津波を経験する可能性があるため、この期間に安定した資産で富をヘッジする方が安全かもしれません。

聖剣伝説3のクラス3パーティ

2022-03-19 20:59:38 | 政治・経済・社会
小生の思春期入り始めた頃に発売されたスクエア(現、スクエアエニックス)から発売された人気シリーズ第三作目(スーファミだと第二作目)である聖剣伝説3。こちらは、ゲームとしての面白みや完成度だけでなくキャラ萌え要素が盛りだくさん。特にリースにはマジ恋した(爆)。女戦士という設定でありながら謙虚で華奢な女性的なお淑やかな魅力がある感じの設定であり、頼りがいのありかつ女性を感じさせるお姉さんタイプ。この時代、なんか女性の華奢な魅力のあり肉体系能力の強い女性があらゆるロールプレイングゲームやシミュレーションゲームに登場したが、その先駆けがリースである。今、大人になって冷静な観察眼をもってみたら、当時のスクエアのこういう些細なレベルでのマーケティング戦略の勝利といえましょう。

そしてついに思春期の思い出であった聖剣伝説3のリメイク。もうこの年になるとゲームを購入してじっくりやろうという時間も気力もない。だが、YouTubeで投稿されている実況プレイ動画等を観て感動した!当時のスーファミの技術で再現しきれなかった聖剣伝説3のファンタジーワールドがリアルに描かれ臨場感が加わった!あと、リメイクのキャラデザというとというとロマサガ1の期待外れなキャラデザリメイクを恐れていたが、聖剣伝説3のキャラデザリメイクはむしろ想像以上にパワーアップしていて感激した!そして初恋のリースもオリジナルのデザインを活かし残しつつも更に可愛く綺麗に描かれていることにとても感動した!あとホークアイもかっこいい!聖剣伝説3のおきにNo.2は冷静で合理的だがユーモアあふれるホークアイでる。ちなみに小生にはホークアイ似のインド系の友人がいる。小生が使用キャラ診断テストの結果はホークアイ。つまりやっぱホークアイのような男性が同性の友人とかとして相性が良いんでしょうね。

まぁ思い出話云々はここにおいておいて、聖剣伝説3でのキャラ選択とスーファミ版での最終クラスのクラスレベル3の選択について話したい。始めてプレイしたときのキャラ選択はまず迷わずリース。そして次がホークアイ。最後がシャルロットである。ちなみにシャルロットを3番目の仲間にしたら他のキャラを仲間にするより介入時期が早くフルメタルハガー戦を3人パーティで挑めるだけでなくレベル上げのばらつき問題も起こりにくくなる。

本当に各キャラごとのクラスチェンジをじっくり考えてキャラ選出をした。まずもともと接近戦でのゴリ押し脳筋プレイが趣味ではないためデュランとケヴィンは脱落。前作、聖剣伝説2の経験から攻撃魔法の有用性を思い出したのでアンジェラも考えたが、ホークアイの闇クラスだとデバフ効果が追加である攻撃魔法(特殊能力の忍術だが取得条件が知力なので攻撃魔法としてみる)を覚えるので、ホークアイの方が武器アタッカーとしても使えるのでお得感があった。まぁ、実はオリジナルのスーファミ版聖剣伝説3って攻撃魔法の効果が弱めにチューニングされているんですよね。だからアンジェラって光でも闇でも攻撃魔法専門で使用するキャラとしてのバラエティに欠けるため人気が低迷した。だがリメイク版では攻撃魔法の効果が見直されコストに見合うものにリメイクされ、更に3Dフィールドにおける攻撃範囲の組み合わせとか攻撃魔法を使ったゲームの面白さが加わったためアンジェラの株も上がったようですね。ですが、やはりホークアイの闇クラスの方がまだまだ個人的にはお気に入り。それに全体魔法ならリースの召喚魔法を使いたいし。

リース: 光:ワルキューレ⇒スターランサー


リースでプレイするんだったらスターランサー一択でしょ!まぁどのクラスチェンジも美しいが特にスターランサーが大好き!もともと小生のサイトの名前で分かるように青色系が好きで、それがシャープなシルバー色のプレートアーマーとスターゲイザー(最強装備槍)で決まっていて良い!スーファミ版だと公式イラストが無くドット絵のみだったが、このリメイク版では自分の脳内変換で想像していたイメージに近い感じで素晴らしい!

それでデザインはさておき、ゲームプレイにおけるステータスや魔法について。槍での物理攻撃力ではヴァナディースが最強である。だが他の面を考えるとスターランサーにはどうしてもステータススペック的にも戦術バラエティ敵にも見劣りしてしまう。まずスターランサーのバフ(味方ステータスアップ)魔法は全キャラにかけれる。それに、ヴァナディースのフレイヤ召喚の追加効果が不確かだが、スターランサーのマルドゥーク召喚は敵キャラを沈黙させられるため魔法と必殺技の双方を封じられる。実は聖剣伝説3はフィールド上の敵キャラが使う魔法と必殺技が凶悪なため沈黙効果はかなりお得。しかも後半ダンジョンになるとフィールド上の敵キャラも結構HPあるためリースの召喚魔法にはだいぶ助けられる。デバフ(敵ステータスダウン)魔法を覚える闇クラスも悪くはないが、デバフ効果のある攻撃魔法を覚える闇クラスのホークアイがいればお得感は無くむしろ損。

ホークアイ: 闇:ニンジャ⇒ニンジャマスター


多くのプレイヤーはホークアイといえばナイトブレードが大人気だった。確かにクラスレベル3の必殺技もナイトブレードの方が攻撃力が全クラス中トップかつ全体攻撃でかっこいい。ただ、少年時代から変わり者で多数派が選ばない通な道を行きたがる衝動が強かったのもあるが、やはり前作の聖剣伝説2の影響で属性効果のある攻撃魔法を全体にかけれるニンジャマスターに趣向が向いた。どうせクラスレベル3の必殺技なんてボス相手ぐらいにしか使わないし、それよりもすぐにデバフ効果追加の全体攻撃魔法使えるようになりたかった。そんでリメイク版、デザインの方もいかにもって感じで良いですね。

んで前作の聖剣伝説2の影響から行くとホークアイの光クラスチェンジの一つであるルナ(月)とドリアード(木)の魔法をほぼ使えるワンダラーにはとても興味あった。だが、光クラス2のレンジャーに面白みを感じなかったのでやっぱホークアイは闇クラスチェンジになる。光だと運が、闇だと素早さが高い。リメイク版だと運の強さでクリティカルヒットが出るという機能が付いたためホークアイの光クラスの株も若干上がったかな。特にスーファミ版のローグなんて論外だったが運が全キャラ中最高位なのでリメイク版では使いどころが増えた。

シャルロット:イビルシャーマン以外どれでも

当時は光クラスに進んでいた。その理由は取り扱い説明書の魔法効果解説の説明が実際のものと違っていたからである。だからンブラックカースの使えるシャルロットの闇クラスのネクロマンサーがシャルロットのクラスチェンジで最強ということはしらなかった。んでもこちらも前作である聖剣伝説2の影響から最もセイバー系魔法(装備している武器に属性効果を与える)を使える光クラスチェンジに趣向が向き、セイントビームを覚えかつセイバー系魔法を全体がけできるセージを選んだ。でもシャルロットもしくはケヴィンが主人公にした場合は、最終ダンジョンでアンデットがわさわさ出てくるのでターンアンデット使えるビショップが楽。でも、闇クラスでもHP回復のヒールライトは全体がけできるし、ステータス異常回復のティンクルレインもイビルシャーマン以外ならぜんたいがけできる。そう思うと無属性だけど攻撃魔法も使えるネクロマンサーは確かに最強かも。でもまぁシャルロットはどのクラスチェンジでも便利。





Riesz from Trials of Mana 3, the princess of the mountainous Wind Kingdom of Laurent, has been my most favourite gaming character since I was a teen years old while playing the original Trials of Mana 3 with Super Nitendo Computer (SNC). I confess that Riesz is the first girl I fell in love at the first time in my life at the contemporary time. The remake of this game has been released recently and I have been astonished by the great quality of this game movies especially because the design of my first love is really depicted as almost same as the imagine I used to create in my mind! Good job Square-Enix! (It was Square before these two were annexed when I played the original SNC version!

では「日本deサバイバル」は

2022-03-07 16:50:18 | 政治・経済・社会
否応なしに日本に残らざるを得ない人そしてあらゆる選択肢の中でどうしても日本に残ることを考慮している人々のためにも一考いたしました。正に「日本deサバイバル」についてです。

まず、日本は経済的にも文化的にも貧しくなるでしょうね。たぶん、今よりも余暇に使えるお金も減りかつ周りのエンターテイメントもつまらないものとなっていくでしょう。

ですが、石油の輸入さえ止まらなければまず食料はなんとか自給できるようです。その場合は食べれるお肉の量や食卓のバラエティは減少するでしょうが、野菜は日本国内で自給できますし魚介類も全人口を補えるレベルとはいいがたいが動物性たんぱく質の摂取頻度を下げて漁業を何とか支えていけばなんとか日本国民は養えるようです。つまり、昔ながらのつつましい日本人の食卓に戻ればまず食料に関してはそこまで恐れることはないでしょうね。

ただ日本人の可処分所得も減っていくことでしょうから貯蓄もままならないギリギリの生活をする日本人は多くなる恐れはございます。その場合は、本当に身近な家族や親族そして近しい友人関係により重きを置きその尊さを実感するでしょうね。ですから、家族や親戚との関係が特別悪くないのなら無理して日本出る必要もないのかと思います。

あと日本人男性諸君等に強いていうなれば「日本人男性はマジでモテないよ~。」ですね。小生の10年連続で海外生活をして感じたことで、冷やかしで無くマジで!しかもこれから今でも既に亡くなった経済大国としての面影ですが、これから更に貧しくなると日本人男性のブランドってなくなりますよ。

外国人男性が未だモテるのは、確かにあふれ出るテストステロンと男性的文明で育ったその男性的なふるまいだけでなく経済力と文化力の双方を含めたその文明の支配力にも裏付けされています。小生よりも若干年配の世代であれば日本の経済力と文化力における影響力をバックボーンに海外の女性からのアプローチもあったことでしょう。しかし、もう小生の時代ともなるとその効力は無く、もう外国で異性からモテるなどしようと思えば徹底的に自分個人のブランドを磨く必要がございます。それがいかにかっこ悪くても一回会えば忘れられることのないぐらいのインパクトを持たせるぐらいの勢いはなければなりませんよ。

ってか多くの日本人男性諸君にとってそこまでして海外行って生涯のパートナー探すのってそこまでメリットあるの~?って思いますよね。むしろそんだけ努力すんなら言語や文化の壁が無い日本で日本人女性ねらい目じゃね?って思いますよね。

それに日本も20年前と比べて店頭にならぶ外国人女性系のエロ物がだいぶ少なくなりましたし、外国人に萌ることってなくなってきたのかもしれませんね。まぁ、戦後直後の日本では溌剌で骨格と肉厚の良い外国人女性は男性だけならず女性にとっても憧れの対象でしたが、日本も一時的に豊になりそういう意味での外国に対する憧れも男女ともに薄れていったのかも。それで、今度はより女性らしさを求めて東洋人、特に生活環境も殺伐とせずお肌の手入れが整えやすい日本人女性への回帰があったかも。

でも、運動音痴で引きこもりのオタク系でどちらかというとデブで陰キャで色白な場合は、日本よりもむしろ東南アジアの方がモテますよ~。日本だと嫌がられる傾向にありますが、東南アジアを含む発展途上国では、色白でポッチャリなら金持ちで余裕があるとみられ羨望の眼差しでみられます。それに向こうの女性もそういう日本人男性に対して母性本能をくすぐられる傾向もありますので、そのような男子諸君は是非海外という選択は有りかも。

あと、男性諸君にとって朗報かどうかわかりませんが、もし「2024年以降の日本は事件と覚醒の時!」で記載されたことが、あまり当たって欲しいとは思わないが、もし現実となれば、女性出生人口が大幅にあがります。ですので、男性の希少価値が上がり、現在日本の女尊男卑的傾向は修正される傾向があるかもしれません。それと、もしこの事態が現実となるとすれば外国人の日本への進出にも歯止めがかかるようです。まぁこのあるかもしれない出来事も含めて日本の貧困化が引き起こされるとも言えますが、その中でもそれなりに得になることは見つけられると思います。

そしてその事象が現実化した場合に独身女性も多くなるという話もありますが、これは悲観的になることはないですね。あの日本で個人所得税で納税額一位になった斎藤一人さん曰くも「男は女がいなくては生きていけないが、女は男がいなくても生きていける!」とのことです。そもそもその時点では、人工授精による出産も当たり前になってきますので男性の配偶者がいなくても望むならば子供を授かることができます。

まぁ、経済が貧しくなるということでそれが引き金になって起こる社会問題は発生しそうではありますが、恐らく外国がらみの問題は減っていくことになるでしょうね。理由は、日本も貧しくなりますが、欧米も庶民レベルでは同時にそこそこ貧しくなっていき、そもそも大勢が外国にまで出向いて何かをするという時代ではなくなるからです。これからの世の中、国家間の貧富の差は縮小していく中その中での個人間の貧富の差が拡大していきますので、ある意味世界は平等になっていくのです。

おそらく確実に世界中での貧富の差は拡大し、そこで世界中の裕福層は自分達の利権保護のために進化し続けるテクノロジーを駆使していくでしょう。その中でその他大勢を支配していくためには、各国に人種や国籍を問わず彼等の傀儡を何人か置いておいてシステムを運営しながら間接的に大衆個人等から収奪していくシステムが既に確立しているからです。

PS もし日本で生活していてマジで困ったら迷わず『生活保護』を取りましょう!小生のブログで生活保護関係YouTubeチャンネルを紹介しておりますので詳しく知りたいお方はそちらもご参照願います

北欧型福祉国家こそ資本主義を徹底的に極めた制度

2022-03-02 15:56:35 | 政治・経済・社会
私自身はどちらかというと北欧諸国はそこまで気に入っていないのですが、経済や軍事における合理性はとことん見習いたいと思っています。

実際、北欧諸国って福祉国家だから社会主義的にみている人多いですが、実はその北欧型福祉国家ってアメリカや日本よりも資本主義を突き詰めた形なんですよね。

実は北欧諸国の方が個人所得税の累進と消費に掛る間接税(ヨーロッパ諸国はVAT(付加価値税)で日本やアメリカなどの消費税とはかけかたがちがう)は日本より高いですが、法人税は北欧諸国の方が安いんですよね。

社会主義は経済の支配こそ政治という概念が強く企業の多くを行政管轄にしますが、北欧諸国の場合はアメリカよりも遥かに民営比率が高く、より成果主義的なんですよね。

つまり自由競争を主体とした資本主義と成果主義を前提に置くからこそいろんな意味で働けない人に無理してはたらかせずかつ企業に社会的負担を押し付けない政策をとるわけです。

むしろ、私は、資本主義の合理主義を極限まで極めたのが北欧諸国の政治経済モデルとみています。

実際、北欧諸国のフェミニズムって元来のフェミニズムから社会主義要素を取り払った社会政策モデルなんですよね。

衰退する中での撤退戦略

2022-01-31 11:09:39 | 政治・経済・社会
中西輝政氏とは政治思想的には合わない(小生はリバタリアン寄りのリベラル)ですが、この衰退論は一度購読してそれなりに覚えています。それで、このブログで冥王星が水瓶座を運行し始めてからしばらくは技術革新は加速するものの雇用の低下や政治的混乱の中で世界経済は減速し、日本にも冬の時代がやってくる(その中で魂が鍛えられ精神的開花が望めるが)という話題が出てきてこの中西論客の本、「なぜ国家は衰亡するのか」を思い出しました。

この「なぜ国家は衰亡するのか」の内容は、国家の歴史だけでなく、人間個人の人生戦略にも応用が効きます。もうこの日本で生活していてもバブル景気どころか高度経済成長期のような過去の影響は戻らないことを覚悟しつつ、更に進む少子化と平均所得の減少そして更なる社会問題の浮上など困難続きは枚挙にいとまがございません。

かつての栄光は戻らない。だからこそ植民地政策により世界の覇権を握っていたヨーロッパ諸国も過去の栄光にしがみつかず、ヨーロッパ連合(EU)を組織し強力しあいながら急激な衰退に陥らず緩やかに衰退していく道をたどりました。ヨーロッパ庶民もかつての栄光ある日々は戻らないことを自覚していて、全体の富を上げることよりも全市民への恩恵がまんべんなくいきわたる政策をとっています。

日本も衰退する中、我々日本人も緩やかに衰退するための撤退戦略が必要になります。これは否応なしに日本に残らざるを得ない個人だけでなく日本を脱出する日本人にもいえます。昔は海外に脱出する際も「日本で短期間で稼いで移民しよう」という傾向がありましたが、今はこれも難しいです。そして外国へ移住した先でも昔は日系企業を中心とした日本出身の心強さというバックボーンがございましたが、今はそれも過去の栄光となりつつあります。IT教育分野で遅れをとった日本人が海外で日本人以外と競争を強いられることは日本人にとって物凄い激務になること間違いないです。ただでさえIT分野、特に金融IT、では日本国内でもITに明るい外国人を受け入れられなければ事業が回らない状況です。

多くの保守論客の中で日本への外国人移民について杞憂する者が多かったですが、その心配は全くなくなるどころか、むしろ経済的動機で日本に渡る外国人は減っていくものと見込まれます。そしてIT分野は人手不足になるでしょうが、この分野ってすぐに即戦力を短期教育で養って実践投入できるようなものではないんですよね。今も既にそうなんですが、「日本は安い」というイメージが強いですね。

上記の事象を知り唖然として立ち尽くすのではなく、この状況かでいかにハードランディングを避け緩やかに撤退戦略を駆使しつつそれなりに満足のいく幸せな人生計画を練っていくことです。特に占術の世界でも、長所と短所は表裏一体です。ゲッターズ飯田氏も論じているように、厄年とか運気が下がる状況というのは「逆張り」でありつまり今までと同じ方法では行き詰まるので方法を変えていかなければならない時期であるとのこと。不景気の時にこそ売れる商品があるように衰退期だからこそ得られるものが必ずあります。ですから、皆さんお互いに頑張りましょう!

人民の敵バレンタインデーをぶち壊せ‼️

2022-01-25 10:43:11 | 政治・経済・社会
特にこのバレンタインデーが近づくほど、この善良な人民を惑わす忌まわしき習慣、

クリスマス、バレンタインデー、ホワイトデー

という悪しきトリコロール(三色旗)を打倒せんがために

王様を処刑しただけでなくクリスマスを廃止したオリバー・クロムウェル殿に憧れを抱きます。

打倒、人民の敵、悪しきCVW三色旗‼️

GDPはもう古い!これからはHPI(世界幸福度指数)の時代だ!

2022-01-11 17:40:58 | 政治・経済・社会
大多数の人々は、高可用性技術と力強く成長している総生産性と富、そして株価指数にもかかわらず、依然として自分たちの生活と周囲の社会経済的状況に不満と不満を持っているようです。 経済学の研究は、経済的幸福を拡大するための国内総生産に焦点を当てていることがよくあります。 さらに、これらのエコノミストは依然としてお金(法定通貨)を取引所の仲介者と見なしているため、市場の需要に対応しない過剰なマネーサプライが高価格のインフレを引き起こすと想定しています。

これらの要因は、つい最近まで真実であったに違いありません。それにもかかわらず、世界の社会経済学のパラダイムは確かにこの古典的なケースから大幅にシフトしています。さらに、マネーサプライの拡大によるインフレリスクは、恐れる価値のない迷信である可能性が非常に高いです。まあ、これはフィリップス曲線のようにインフレよりも失業を優先するという意味ではありません。それは、マネーサプライを増やすことによって、インフレを過度に恐れることを示唆することを意味します。

先を見越した金融政策は、伝統的に総供給の増加に焦点を合わせており、リターンの高出力によって価格インフレを相殺してきました。今日、このような工業化後の世界では、マネーサプライを直接注入することによってインフレによる悪影響を相殺することを約束する正確な産業はありません。言い換えれば、総供給はすでに個人とその生活を満足させるのに十分な高さです。唯一の懸念は、その多様化、つまり再配布です。

インフレを恐れる必要がなくなったのには理由があります。今日では、過剰な需要や供給不足が発生するたびに、産出ギャップを埋めるために別のサプライヤーが市場に飛び込んでいます。ロジスティクスや発明を含む金融投資と資源管理の両方の情報フローの速度は非常に速いため、マクロ経済のギャップはすぐに縮小されます。


そして、マネーサプライを適用することになります。最も重要な点は、これらのエコノミストが依然としてGDPに焦点を絞っているということです。 GDPは総生産的な用語であり、いくつかの非生産的な売上高を増やすことによって人為的に増やすことができるため、総計レベルでさえ経済的幸福の明確な尺度ではありません。

ターンオーバーが増えると、燃料を消費するロジスティクスとリソースを消費する生産プロセスが増えるため、環境へのダメージが増えることを意味します。したがって、GDPに過度に焦点を合わせると、環境破壊を助長する可能性があります。これは、GDPに過度に集中することを思いとどまらせるもう1つの理由です。

これらの重要な要素に加えて、GDPだけでなく、金銭面でのその他の利益にも過度に焦点を当てることに対する倫理的な懸念もあります。個々の経済主体が販売量と経済的利益を最大化するために競争し続けるとき、彼らの大多数がそのような非常に競争の激しい市場で生き残るために困難に直面することになります。それは最終的に、誰もが負けるような激しい競争か、少数の強力な経済主体だけが利益を独占する独占/寡占のいずれかを引き起こします。

このような社会経済モデルでは、家族や友人の親族関係、芸術、スポーツ、地元のお祭りなどの文化的活動など、人生の他の重要な要素を無視するのに十分な努力をし、最も重要なことに彼らの時間を節約するために、個人は単に疲れ果てています肉体的および精神的健康。

どうしてそんなに一生懸命働かなければ人生を楽しむことができないのかと不思議に思うことがよくあります。 GDPが最も高い上位3か国は、米国、中国、日本であり、国民は自立するために非常に懸命に努力することが期待されています。物価指数、つまり生活費も高いものの、彼らの収入獲得の機会はおそらく高いでしょう。

また、米国と中国の所得格差(言い換えれば相対的貧困)は非常に大きく、相対的貧困に関連するさまざまな社会問題を引き起こしています。日本の所得格差、つまり相対的貧困は1990年代以降大幅に拡大しており、それ以降、相対的貧困に関連する社会問題が拡大している。


多くの人々は、GDPを増やすために一生懸命働くことは、彼らの幸福を一般的に考えるのに本当に価値があるのか​​どうか疑問に思い始めています。これが、New EconomicFoundationによって導入されたHappyPlanet Index(HPI)などの代替手段が、社会経済的幸福を拡大するためのGDPの代替手段として普及している理由です。

このHPIは、幸福の調査ポイント、平均余命、および所得の平等(相対的貧困の低さ)を1つの変数、エコロジカルフットプリント(環境被害)で割った3つの変数の累乗によって計算されます。

最初の変数は、ある国でランダムに選ばれた人々に、ポイントから10までの幸福を記録するように求める単純な監視です。これは主観的であり、気候の影響によって影響を受けることがよくあります(私のブログ記事「君主制に関連する幸福、1つ」も参照してください。党、そして民主主義」)。それにもかかわらず、それは人々が全体的に幸せであるかどうかを直接測定する重要な変数です。

2番目の変数は、個々の人々の健康と生活社会における彼らの安全をスケーリングする単純で表面的な尺度です。健康的な栄養価の高い食事、満足のいく医療サービス、汚染のない澄んだ自然環境へのアクセス、現時点での不安の少ない前向きな見通し、そして市民の死亡事故を防ぐ安全なコミュニティ。

3番目の変数は最近新しく導入されました。個人の幸福を考えれば、相対的貧困にまつわる社会問題は無視できないからかもしれません。個人間の所得格差が大きくなると、富裕層の独占効果で物価が上昇し、基本的な必需品や贅沢品を手に入れることが難しくなる。さらに、多くの個人市民は、非常に幸運な個人市民の豊かなコホートよりも価値が低いと感じているため、惨めに感じる傾向があります。そのため、不平等の分散が広がると、犯罪率も自殺率も上がる傾向にあります。

4番目の変数は、天然資源の採掘や自然環境に害を及ぼすさまざまな種類の汚染などによる自然環境の悪用のペナルティを示しています。これは、人間の個人に値する経済活動に対するカウンターウェイトの必要性を主張しています。特に今日では、社会経済的指標は、個人自身と母なる地球の彼らの生活環境の両方の持続可能性をとるべきです。

HPIに対する多くの懐疑論があり、それらのいくつかは本当に明確であり、このインデックスを参照することの不利な点をもっともらしく思います。まあ、社会経済的幸福を全体的に測定する完璧な指標をまだ誰も発見していません。言い換えれば、完璧なインデックスはありません。ただし、HPIは少なくともより有用で正確であり、特にパラダイムが変化し始め、この変化がまだ進行中の現在の時期に、社会経済的幸福を拡大することが求められているようです。


これらの前述の要因を考慮して、この世界のこの新しいパラダイムの経済政策は、現在の現状によって実施されるカウンターパートに代わるマネーサプライ管理の測定を必要とするでしょう。国/地域経済の繁栄を可能にするためには、特にこのパラダイムシフトの最近では、通常の教科書には示されていないまったく新しい革新的な経済政策を導入する必要があります。

それは、J.M。ケインズが雇用・利子・お金の一般理論を発表するずっと前のことでしたが、ケインズ経済政策に似た驚くべき完全に革新的な政策を使用した高橋光清の経済政策を模倣するようなものになるでしょう。

彼の時代には、お金(法定紙幣)を想定した金融政策理論は、単なる交換の仲介者であるため、中立的でした。したがって、この古典的な経済理論は、マネーサプライは経済活動に対して中立であると見なします。つまり、現時点で存在しないものに過剰なお金を供給することは意味がありません(マネーサプライは既存の経済生産に調整されます)。

対照的に、高橋氏は、港湾建設などのさまざまなインフラ建設など、進行中のさまざまな公共事業にマネーサプライを積極的に投入しました。彼の政策は、この金融政策が実施された時点では存在していなかった公共財とサービスを注入することに専念していた。これは、現代のどの教科書にも言及されていなかった、まったく新しい革新的な独自の経済政策でした。

高橋主義の金融政策を現在の世界に転生させることを主張する理由があります。プライベートバンクは、HPIを増加させる可能性のある銀行に投資することを非常に嫌がる傾向がありますが、投資の金銭的見返りをすぐには返しません。 HPIに代表されるかもしれない社会経済的幸福のさらなる上昇は、今日、中央銀行による金融政策チャネルのような莫大な公共部門の支援を必要とするかもしれません。

中央銀行が民間部門であろうと公共部門であろうと、中央銀行とその機能は、内部利益の最大化を気にせずに公共の福祉に値するはずの公共財とサービスと見なされるべきである。人々が供給されたお金(法定通貨)を使い、信頼し続ける限り、セントラルは他のすべての銀行の中で破産する可能性が最も低いです。

たとえば、ビジネスパーソンやメーカーの重要性によって抑圧されている芸術家や作家の重要性を再評価する時期かもしれません。芸術家や作家自身が即時の現金を生み出すのは大変な仕事ですが、彼らの中には、彼らが育った地元のコミュニティや国を宣伝するのに十分な成功を収める人もいます。経済的な不安のない芸術と執筆の可能性は、将来の有名人の芸術家や作家を育てる可能性が高くなる可能性があります。

前述の準イデオロギー政策だけでなく、HPIを高めるために対処すべき非常に新たな現実的な問題もあります。実際のところ、世界のほとんどすべての国は、HPIと決定的に相関している教育と医療サービスに公的支出を十分に投資していません。現在の世界経済では、高等教育が求められています。それが義務的であるかのように大学。金銭的投資は、即時の経済的利益をほとんど提供しないため、医療や医療から転用される傾向があります。

経済学の父であるアダム・スミスは、防衛、教育、医療は自由市場経済で成長するとは考えられないとさえ述べました。スミスは、利潤最大化や自由貿易に関係なく、防衛、教育、医療に必要な公的支援を強調しましたが、経済と社会全体を繁栄させるためには、その存在が必須です。したがって、教育や医療サービスへの投資が直接内部利益に変換されない場合でも、教育や医療を担当するこれらの機関のために十分なリソースを確保する方法が必要です。

高橋是清は、アダム・スミスがそこで述べたことに気づいたに違いありません。現代の日本の時代には、軍事インフラは投資の優先事項でしたが、多くの民間部門は、交易路を確保し、国を守るために投資することに消極的または利用できませんでした。国民経済の繁栄を可能にするためには、民間投資家が投資に消極的であったとしても、これらのインフラストラクチャのカテゴリ、防衛、教育、および医療が存在することが不可欠です。

今こそ、今日の高橋主義の経済力学を思い起こさせる時です。 経済全体だけでなく、すべての個人とその社会が繁栄するために存在しなければならない一方で、経済見通しに直接関係しない何かが常にあります。 それが金融市場や経済見通しに直接貢献するわけではありませんが、人気のある芸術やサブカルチャーは、そのような才能のあるキャラクターを育てる地域に、より多くの外国人を引き付けるでしょう。 教育、ヘルスケア、革新的な精神に裏打ちされた確立された文化は、多くの起業家を惹きつけ、ビジネスを始めるための新しいインスピレーションを得る可能性があります。

全体として、金融政策のマネーサプライチャネルと、HPIに代表されるような文化的および精神的幸福を組み合わせることは決してナンセンスではありません。 マニフェスト新高橋主義はここにあります!

きけば誰でも納得できる、もう葬式をやらなくてよい理由

2022-01-07 17:12:45 | 政治・経済・社会

Genuine question: I wonder why people hold a funeral? I find it is pointless at least for me to have a funeral because it costs a lot especially in Japan and I despise to spend my money for a religious institute for a funeral fee. The law (in Japan) only states to properly cremate the dead body. It is not poking; I genuinely find it is very difficult for me to understand their feeling. I understand it is sad for us to lose our loved ones. But, I don't understand why the funeral hosted by a religious institute with a cash fee shouldn't be entirely optional. Even when I die, I will request people around me not to host a funeral because I despise to see those looking after me wasting their money, time, and energy for a corrupt religious institute!
そういえば最近思うのですが思うんですけどどうして人は宗教施設に金だしてめんどくさい葬式なんて行うんでしょうかね?火葬は法律で義務付けられているから仕方ないですが、葬式やらなくても法律に違反しませんし。これは煽っているわけではなく、本当に私は他者の理解に苦しんでいます。確かに愛すべき人が亡くなるのは悲しいですね。でも宗教施設に金払って執り行う葬式はオプショナルでよいはずです。小生が死ぬときも宗教法人に金一銭も払いたくないので遺言で葬式拒否しますね、小生を看取った人々に金、時間、余力を浪費してほしくないので。



きけば誰でも納得できる、もう葬式をやらなくてよい理由

無理に働いて稼がなくても幸福に暮らせる社会にしたい!

2022-01-07 11:28:11 | 政治・経済・社会
なんか稼がなきゃ文化的生活水準を謳歌して生きてけないって嫌ですね。

だから小生はアメリカ移住や中国移住は考慮しませんでしたし、日本もそうだとほんとやるせないです。

私はGDPよりもHPI(Happy Planet Index)を重視してますのでアメリカと中国よりもブータンの方をロールモデルとしてます。

それか、西ヨーロッパみたいに平均所得が日本より高く仕事なければ直ぐに無条件で生活保護受け取れる国が羨ましいですね。

今後の日本と中国の経済の行く末

2021-12-31 14:53:46 | 政治・経済・社会
本来は年末になると円高になる傾向があるのですが、今年の年末は円安が進んでおります。それとTOPIXの値動きも今朝は反発して上昇したもののここ数日下がり続きでした。そして現在の名目上の値上がりも円価値下落に相殺されて世界市場における実質価値は低迷しています。おそらく某大手S社が保有している中国株が下落し時価総額が暴落(会計法が変わる前の原価総額会計なら含み損)しましてなおかつ欧米大手企業から訴えられているという騒動も要因しているかと思われます。

そこで、日本の西洋占星術の大御所「つぼぼ」さんのブログでかなり適格な日本と中国の経済模様を記した記事がございます(下記リンク先)。特に今現在でも中国ウォッチャー達の中でも騒がれている中国で2番目に大きい不動産会社の恒大集団 (Ever Grande Group) の分析も出ていますので参考になります。

更に天文学的な量のQE(量的緩和)で貨幣をガンガン市場に流して壮大な延命治療を続けてきた中国経済ですが、氏の予測でもそろそろ終焉が近づいてきます。っということは、恒大グループなどにCDS (Credit Default Swap: 社債に対する保険)をしているドイツ銀行も相当痛手を食いますし、中国経済のBubble Burstによるハードランディングは欧米にとっても日本にとっても対岸の火事ではないですよ~!

恒大集団(中国)の問題ですが(星占い師つぼぼ)

2021年最終動画 中国IT企業リストラの嵐

中国ウォッチャーの一押しによる報道。

やっと木星が魚座に入ってくれました!Congratulations!

2021-12-29 14:20:59 | 政治・経済・社会

ようやく先ほど木星が魚座に入りましたね!私のように固定宮(Fixed)にライツ(太陽&月)がありかつ水象が強い場合には本当にホッとした感じでかつ喜ばしい状況です。もう土星とともに水瓶座に停留しているときは、(ライツ水瓶座以外の固定宮ライツを持つ)我々にとっては本当に試練の時期が続きもう疲労でヘトヘトです。

特に日本国(1946年11月3日)にとっても10月~12月は567問題は日本ではほぼ終息した感じでも、その経済社会的影響が引きずりわけのわからない閉塞感が蔓延していました。

まだ土星が依然として水瓶座(土星の旧オウンサイン)に停留していてかつ天王星が牡牛座(天王星のデトリメンタル)とのスクエアなので、「2022年1月~」でも述べましたように経済と社会における足枷は依然として残る状況ではございます。

また、これも「2022年1月~」で記載したことですが、木星が今現在の海王星魚座(オウンサイン)と同じ宮に入りかつ4月から合となりますので、「計量経済と西洋占星術:世界GDPを木星海王星アスペクトに回帰分析!」で証明した通り、依然として産業や個人ごとに恩恵具合は異なる形となるかもしれませんが、世界全土合計GDPは上がるでしょう。ですので、個人レベルだけでなく世界レベルでもハッピーでめでたいことなのですよね。

ただよく勘違いされることは木星の反作用(木星の作用は広げる、オープン、だが組み合わせによっては逆の閉ざされた、クローズ、になる)と土星威力倍増はその閉塞感と苦みから悪や凶と一概にみなしてしまうことがございますが、これは「試練」の時であり、これはこれで我々に何かを教えてくれる重要なアスペクトであります。実は苦労と閉塞感との戦いでなかなか見向きしなかったかもしれませんが、この時期に頑張ったことにより学び将来の肥やしとなることを多く得とくされたはずです。

木星も土星も少なくともトラサタではないので、苦労や閉塞感は有ってもそれに対して正しく向き合っていたならば、振り回されるような酷いことは起きなかったはずです。もうトラサタだったら「えー--、なんでぇ?!」とか「うわぁぁぁぁぁぁぁ、ドジこいたぁぁぁっ!」っということ普通に起こりえますので。そんで、トラサタだったらご褒美の与え方がなかなか実感しづらいこととタイミングも結構ラグが生じています。一方、木星と土星のご褒美は物理的で見える化されていて割とタイムリーに提供されます。

まだ多くの固定宮ライツの方々にとって試練の年であった2021年ももうすぐ終わりです。旧暦ですと来年の五黄の寅年は2022年2月1日が年明けとなります。よろしくお願いいたします。

下記の動画でも紹介されている通り、あえて苦しい立場に身を置くことによってそれが魂にとっての修練になります。どうしても善悪、吉凶、ポジティブネガティブで物事を見てしまいがちですが、悪にも凶にもそれぞれ存在意義があり、個人および世界そして宇宙の進化と発展のために存在している一要素であるわけです。

ですが、これは困難や悪、凶、ネガティブを引きずり自分が常に不幸である状況に置くことではなく、その不幸な状況から脱却し幸せになるために困難や悪、凶、ネガティブなどが「そっちにいったらダメだよ」と方向修正を示してくれているのです。 「どんなに不運や不幸が起ころうとも、波動を下げず、思考や感情に振り回されないでいること」ですね。


壮絶な過去世を見てしまった9歳の少年【善悪の意味とは】

魂の意識レベルの数値化/地球人の行く末


協調的自由主義:2020年代以降の新しい形の自由主義

2021-12-25 22:38:23 | 政治・経済・社会
In order to defend Liberalist philosophy and ethics in the current world socioeconomic environment, we, Liberalists, need to introduce a new form of political ideology. As stated in the previous blog posts, the laissez-faire policy which Classical Liberalists, Libertarians, and the Objectivists claim for no longer stimulate the free market competition.

1. Equality of the opportunity requires a certain degree of the equality of the outcome

The world economy has already become so complex and bureaucratic and requiring the huge economic scale to compete against each other. Only the economic agents with the significantly high capital investment advantages may survive in the current market economy. Therefore, the world market in general tends to be almost always the oligopoly while some markets are even in the monopoly or the monopsony.

In order to encourage the competition, the positive intervention by the public sector is more likely to be required than the past. In the past, letting all individuals do alone in a natural competition could often stimulated them to form a diverse market competition providing the equality of opportunity. By contrast, the new entrants in most of fields are struggling to compete without any supports because the capital requirement for joining the market has become too high for market entrants.

Firstly, private banks hardly lend money for new entrants because the risk premium of investing to new ventures is high nowadays. The already established enterprises and economic agents in one industrial field have already secured their capital required for survival in the market of this industrial field. On the other hand, small enterprises and individual entrepreneurs need a high level of investments from the others to enable them to survive there. Private banks prefer lending already established big enterprises and rich entrepreneurs from the other field to lending those ventures and entrepreneurs with little capital.

Secondly, the opportunity of individuals joining market requires a significantly higher skill level than the past. The education (Not only the higher education but also the job experiences and the transferable skills) for allowing individuals to compete with the already established corporations and the other talented educated individuals from all over the world. The tertiary education such as college education has become necessity rather than complementary so individuals usually invest their time and income to graduate from a college/university. Moreover, individual economic agents are expected to have both experiences and skills on the top of studying for their tertiary education. All in all, the education requirement for surviving in the market competition is so severe that it depends on not only the talent but also the naturally endowed fortune of individuals are mandatory to not only win but also survive there.

Thirdly, the information symmetry for both investment and moral is a big concern. Because the world infrastructure such as transportation links, the information technological networks, and the production optimisation and logistics, there is almost no industry still robustly growing and certain for individuals to gain a profit from by investing them. Furthermore, while the access to various abundant information resources is highly available nowadays, individuals are often confused with their right decision and the right duty to make. The ethical principle does no longer seem to be universal for all the human individuals to follow so they are often confused to derive their moral decision and ethical practices.

On the top of these aforementioned situations, the current development of the artificial intelligence (AI) is expelling human individual workers, of not only the blue collar jobs but also the white collar jobs, from their employment. As Yuval Noah Harari described in his book 21 Lessons for the 21st century, human individuals are furthermore divided to the aspiring elites and the non-working useless classes. In case of this situation, the laissez-fair claimed by Classical Liberalism and Libertarianism is quite likely to let human individuals to lose their life.

Overall, the positive intervention by the public sector will be all the more demanded by the majority individuals. The government role will eventually be big to satisfy the greatest sum of individuals' happiness in their life. The next chapter explains the idea to prop up individuals' liberty and autonomic right while


2. Big roles of the public sector while promoting individual liberty

As same as Libertarianism, this new form of Liberalism regards highly of the pluralism of freedom of expression, diversity of beliefs, ethnic groups, genders, and any physical and mental trait, cohabiting together. Although the laissez-faire economic policy could encourage such a pluralistic society, the laissez-faire nowadays contains a significantly high risk of impoverish the majority individuals without some degree of the positive intervention. The paradigm of ethics in politics is dramatically shifting.

Our society now needs a positive intervention to allow them cohabiting without fear of losing their income and means of living. The majority of individuals can be easily impoverished by losing their job or the stagnation of their income growth due to the aspect mentioned in the aforementioned chapter. Offering a high degree of liberty and autonomous right, the new paradigm claims for allowing individuals without merely judging them by means of the industrial and commercial productivity.

The new form of liberalism insists on a high provision of public goods and services whose welfare gain is shared among all the civic individuals. The shared economy is growing so that the demand of public goods and services is becoming notably significant. Furthermore, the flexible and inexpensive access to well-managed public goods and services may reduce individuals to cut their living costs so that it allows individuals and institutes including business enterprises to spare their income.

There is another reason why the public sector is becoming all the more important. Majority of individuals nowadays tend to lose their traditional communities such as family and company. There are many individuals having lost their interesting in marriage and these family members are becoming more individualistic than family oriented. The companies administration model nowadays are becoming more capital intensive than the labour intensive. In order to compensate for their loss of their traditional community, the public sector is going to function as their substitute community looking after individuals.

To enable the public sector to provide individual citizens with public goods and services with a high quality accessible level, the sufficient tax revenue is inevitably essential. This is what many supporters of the Classical Liberalism, Libertarianism, and the Objectivism because it enforces involuntarily sacrifice their income/property. However, in order to provide the majority of civic individuals with their liberty and right to live, it requires to forfeit some degree of economic liberty at the minimum optimum level avoiding too high taxation to hinder economy.

This public management policy sounds like socialism. Yes, this new form of Liberalism is admitted to be a part of Socialism although it is prevented from turning to be a radical form of socialism. The radical forms of socialism such as Communism and State-Socialism excessively penalise the high income earners by accusing the market economy. By contrast, this new form of Liberalism still aspires to maintain the robustly growing market economy combined with the optimum positive planning by the public sector. In another word, it allows the high income earners to contribute back to their community of individuals having enabled them to earn their high income to thank their belonging economy and society.

The biggest concern of allowing such a significantly major role of the public sector such as government is the possible violation of their authority. In many socialist nations with an obsolete socialist political stance, the power of government encourages their corruption with their violation of their public management authority. In order to discourage their power violation, the public sectors such as government have to be constantly monitored and moderated through their citizens' view. Many welfare state nations in Europe put their countermeasures against this authority violations, they maintain a high degree of the freedom of expression, the guarantee of individuals' autonomic right by questioning any authorities, and the freedom of media coverages which whistle-blow their public sector bodies.



3. Importance of the Progressive Tax and the Public Sector Provision

This new form of Liberalism regards highly of individual liberty and each individual's autonomous right as same as Classical Liberals, Libertarians, and the Objectivists. At the same time, it regards highly of the cohabitation of unique individuals living in society so that individuals are encouraged to cooperate together at the same time.

For example, in order to develop their convenient life style, the public sector growth is typically demanded. It satisfies each individual own egoistic interest even after sacrificing their tax contribution by splitting some share of their income.

The tax should be progressively taxed due to the degree of the negative effect on individuals' utility varying across their income level. The utility declining rate of the lower income individuals is significantly higher than the higher income counterparts. Therefore, in order to increase the total sum of their utility, the progressiveness of the taxation is crucially important.



There is a claim that the progressive tax may encourage the high income earners escaping from where they contribute to the public sector finance. However, another study shows that the tax rate change is more likely to affect the lower income earners than the higher income earners. The background aspect is that the high income earners gain benefit from taking their geographic advantage of their residence while the lower income earners merely exchange their own physical labour with their income.

Even though the high income earners pay a high share of taxation, they can benefit from the safe and culturally well-off environment where the public sectors are eager to prop up such an environment. In addition, the high public investment toward the public education will increase the abundant supply of the human capital which individual citizens may produce a high income together by sharing the benefit of these public goods and services in this region. This place may become attractive for rich private investors to invest for their high return. All in all, the overall return of paying the high tax for the higher income earners will be high enough to cover their cost.

For the low income earners, it is important for them to access their fair opportunity for growing their income to satisfy their utility. Sharing the public goods and services is necessary for them to save their income as well as to encourage their accesses to education, public transportations, high security, and information resources.

In addition, it might be also important to provide enough lump-sum state benefits especially for the deprived individuals. The old Liberalists often claimed for the meritocracy where all individuals compete to achieve with their own efforts and skills with a minimum support. By contrast, because the income gap is widened and the access to the competition is limited far more than the past, a certain degree of the equality in outcome is all the more unavoidable to achieve the equality in opportunity.


4. Cooperative Liberalism: Reformist rather than Revolutionary

This new form of Liberalism encourages individuals to cooperate to establish the environment for their liberal life style satisfying the greatest sum of individuals' happiness as well as offering the safety and the opportunity for the least fortunate member. Therefore, it is called Cooperative Liberalism.

Cooperative Liberalism is not a collectivism such as state-socialism and communism: It still retains the market economy, private property right, and financial industries' capital market operations. It still retains the philosophy of Liberal Economism which regards highly of liberal rewards for each individual's contribution and merit to another individual or the whole market.

This policy actually preserves the market economy just with some positive intervention into it instead of replacing it with another by revolution. The degree of the intervention is tuned depending on each situation. Instead of establishing a rigid socioeconomic political system based on the perfectionist philosophy, it admits the imperfection of economy and society of the world.

The vector direction of Cooperative Liberalism is resemblance to Anarchism which defies both the excess government autocratic intervention and the big corporations' monopoly and exploitation. As same as Anarchism, Cooperative Liberalism attempts to protect individuals' autonomous right, oppose unethical laws and orders established by both government autocrats and corporate tycoons, and individuals' voluntary cooperation within their spontaneously unified community.

At the same time, unlike Anarchism, Cooperative Liberalism still relies on government and bureaucrats' rational authorities for the public good and service provision and encourages the private enterprises' profit maximisation as long as individuals' liberty is protected and encouraged. These institutes will be allowed exist while individuals are allowed to question these authorities against their power violation.

All in all, Cooperative Liberalism is distinguished from Classical Liberalism (including Libertarianism and the Objectivism) as well as the majority socialism. The closest allies are Social-Democracy (Majority ardent socialists call "Friendlier version of capitalism" and Anarchism (by means of its vector direction; not its vector magnitude). Cooperative Liberalism attempts to secure and encourage individuals' liberty in terms of the new socioeconomic paradigm of the current and the near future world.

計量経済と西洋占星術:世界GDPを木星海王星アスペクトに回帰分析!

2021-11-28 22:15:38 | 政治・経済・社会

・・・・・・・おいおい、やべぇ、マジでほぼほぼ想定していた相関関連がでちまいましたよ!これ、世界のGDPを木星海王星の角度を三角関数で出して最小二乗法で係数だしたら正にほぼほぼ想定通りの数値でましたよ!

下記が最小二乗法(Ordinary Least Squares 略して OLS )の回帰分析に用いた方程式です。

B1の係数で木星海王星の吉角と呼ばれる120度(トライン)と60度(セキスタイル)の優位性(*)を、B2の係数で木星海王星の凶角と呼ばれるものの一つである90度(スクエア)の、B3でB1で拾えなかった0度(コンジャンクション)の吉の影響そしてB2で拾えなかったもう一つの凶角180度(オポジッション)の凶の影響を診ます。B1が+係数、B2が-係数、B3が緩やかに+係数となる想定です。なお、GDPは年間ごとに増加してますので、TimeTrendというダミー変数も入れています。

* 係数B1の120度(トライン)と60度(セキスタイル)で1に、0度(コンジャンクション)と90度(スクエア)と180度(オポジッション)で0になる数式は「数学モデルの作成」を参照。

そしてOLSを用いた回帰分析の結果は・・・なんと想定通りの結果です!

自分で作ったソフトアスペクトキャッチャー(「数学モデルの作成」を参照)の相関関連はポジティブで相関、スクエアを表す|sin()|はネガティブで相関、そして前者で拾えなかった0度のポジティブ相関と後者で拾えなかった180度のネガティブ相関を表すシンプルなcos()は緩やかにポジティブ!

・・・・まぁ、世界GDPっとシングルチャートのトランジットアスペクトなのでかなりおおざっぱなだけに流石に緩い相関関連ですが、これでも西洋占星術が経済景気を示すバロメーターとしての信憑性を示せる一つの布石になりますよ!!!!

Data references:


実際に世界の総GDPが木星と海王星のアスペクトに影響されていることを統計学的に証明できました。 占星術が迷信の領域を超えてある程度実践経済にかかわっていることが相関関連で出ています! 特に木星海王星のスクエアを表すsine(角度)の絶対値の優位性が高くかつ係数もかなりGDPと反比例している数値が出ていますのが興味深いです。

あとかなり強引に開発したソフトアス120度と60度を示す説明変数なので優位性が90%でも95%まで届かなかったですが、GDP比例関係を表す数値はそれなりに高いですよ! 最後の0度と180度を拾うためのシンプルなcosine(角度)の優位度は95%未満だが90%以上。そして想定していた通り緩やかにポジティブですので、0度のポジティブ影響と180度のネガティブ影響があることを証明していいますね。係数が緩やかになってしまうのは、トラインの地点を通るときも-領域に触れていたりと、流石にどうしてもすべてを考慮してくみ取れるわけではないので、むしろここの説明変数の係数は緩やかであることは想定内。

・・・いやまてよ、R二条だけでなくP値、あと3つの赤池クライテリアを含む3つのクライテリア(*)がこの統計の優位性は社会科学にしては超高いですよ!単体で評価するR二条やF統計のP値もモデル99%以上です!ですから個々の説明変数の係数が90%以上95%未満でも統計モデルとしての方向性は間違っていないことになります。

* 赤池クライテリアを含む3つのクライテリアは2つ以上のモデルがあるときにモデルを比較してクライテリアが小さい(マイナスならなおのことよし)方の数値が統計推量としてのブレが少ないとみられる。これは1つのモデルで特に比較を行っているわけではないが、思った以上に3つのクライテリアがマイナスの数値出してくれていますので、この部分で「強い」とみれます。

もっと弱い説明変数のモデルになると自分でも想定していましたが、回帰分析統計の指数をそれぞれ見ると、かなり制約のある中で分析したのにも関わらずこれだけの数値が出るのですから、やはり西洋占星術で導き出されるアスペクトの世界経済への影響、強いことになりますよ!


ってことは年明け以降の木星海王星コンジャンクションで世界GDPは回復するでしょうね。あと2020年までの欧米政府の財政出動による景気喚起はセキスタイルの影響と相関関連あるかもです。 あとコロナ渦で忘れられがちですがやっぱ2019年は木星海王星スクエアがもろに出ていて香港問題が発端となったアメリカ中国の貿易戦争で相当世界景気は落ち込んでいました。


日本経済9つの不思議とベーシックインカム導入の薦め

2021-11-21 23:47:15 | 政治・経済・社会
------ おかしな精神論 ------
最近この世の中で、成功するか失敗するかは自分のせいであり社会、世の中、国政、他人のせいにしてはいけず自己責任を追及される風潮が強いです。他責をしている限りは己が失敗のスパイラルからは抜け出せない、自分の非を顧みて自責を行うことで成功の道が開けると説かれております。そして、その個人の「気」や「振動数」が問題であり成功までの鍵であるという精神論を掲げる思想まで現れる始末です。

この文章を読まれた方々は深層心理では気が付いているはずです、もう人間個人の力で貧困や社会での立ち位置の不安そして自分自身の将来に対する不安や悪質な人間関係から脱却することはよほどのことが無い限りできないと。個人の貧困やワーキングプアの問題を自責とし、悩みや不安そして人間関係を経済問題から切り離した精神論にすり替える。我々は既に気が付いているはず、これはこの国そしてこの世界の支配者階級の思惑であると!


------- おかしな銀行 ------

まず、銀行口座に預けたときの貯金から考えてみよう。通常預金の金利は預けているお金の量にかかわらず一律である。それでいて更に金利はほぼゼロ。定期預金や国債への投資も、生活費などに回さず定期預金や国債投資をできる人はそう多くないだろうし、こちらも金利はほぼ一律かつ金利もそこまで高いとはいえない。それに金利は一律だからもちろんお金を多く預けられる人ほどお金が入りお金が少ない人ほど金利よりも手数料の方が高くついてしまい損をします。株式投資やFXについてはもう言うまでもないですね。

日本国だけでなく多くの先進国と呼ばれる国々が国の税収が低く国債が膨れ上がっているから税金を増やさなければならないという。そして借金の利子を払わなければならないので返済できなければ更に支出が増え赤字になると言います。確かに、これを聞いた限りでは国の収入が無く借金を背負っているので、家計簿に例えて借金抱えて国家の家計が火の車であると聞こえてしまいます。

------ おかしな国債 ------

では、その国は誰から借りているかよく考えてみましょう。特に日本国の場合は国債の約9割を購入しているのは日本銀行(日銀、日本の中央銀行(つまり銀行の銀行))および民間銀行そして一部の裕福層個人に当たります。実は先ほどの銀行預金の金利の話をしましたが、多くの民間銀行はその皆様から預かったお金で国債に投資しています。それよりも日本国にお金を貸しているのは実は日本国で権力のある日本人の裕福層が殆どで、その利子の支払先も日本国そのものになるわけです。

ではなぜ国政は税金を上げず赤字財政にして国債を発行して利子を払い続けるのであろうか。まず税金を上げるとなると権力者側である裕福層および彼らが所有する大企業に対する課税率が増え彼等の富が減る。次に国債を発行して権力者側の裕福層と大手民間銀行に対して利子として利潤を提供できる。つまり、所得税の累進課税を上げず赤字を言い訳にして国債を発行する理由は、お金を投資に回す余裕のない多数派の一般市民から税金を取り、そこで得た税収を利子支払いという名目で裕福層に還元するための支配スキームなのです。

このスキームは日本だけでなく諸外国でも取られていますが、日本の国債発行率と高税率に対して一般市民が公的部門から受けられる恩恵の少なさを垣間見たら今現在の日本ではその傾向が大きいでしょう。この日本国の赤字財政も正しい景気喚起政策を行いつつ税収を上げる直接税を導入することですぐに改善できますでしょう。 たとえば、将来の経済の担い手への公的部門を通しての援助。そしてこれからの経済活性の主役となるベンチャー企業群に対しての補助金を充実させるなど。


------ おかしな税率 ------

あと所得税の累進ですが、高度経済成長期の時の方が累進課税率は最大90%まであったとききます。今の最大累進課税率は高くて50%です。それに加え今では多数派の一般市民は年金なども収める義務もありますし、実は経済成長期よりも経済が低迷している今の方が累進課税率は平たんであり、経済成長の時の方が裕福層に対する税率は高かったのです。

それに加えて消費税の増税。この消費税といものは所得の大小にかかわらずお買い物をした個人に対してかかります。だいたい一般市民よりも10倍の所得を稼いでいる人の胃袋が10倍あるわけでもないですし、みなさん生活必需品とそれなりに人生を楽しく過ごすための物品やサービスの購入を行います。一か月に1,000,000円を出費に使う余裕がある人と100,000以下では出費と貯蓄の比率が大きく変わります。日本の物価でしたら後者は消費税増税前でも、住宅費や光熱費の支出もあるので、もはや貯蓄をする余裕はないでしょう。それなのにも関わらず後者に対して負担がのしかかる消費税率の増加ですので、余計に一般庶民の生活は苦しくなる一方です。

そして、消費税には「輸出戻し」がございます。これは外国へ輸出した場合に消費税は掛らず払った分がこちらに戻ってくるものです。大量生産もしくは最先端の技術が使える大企業であれば外国に自社製品を輸出した際にその分の消費税が戻ってくるのです。つまり、これら大企業の幹部やその企業の株主が企業の利益の幅により配当での恩恵が大きくなりますので消費税増税に対する打撃は小さいです。

世界レベルでみますと、確かに文化的なものも含めた生活水準およびインターネットを通じた知的活動は向上いたしました。しかし日本国内の政治経済を垣間見ますと、政治が多数派の一般市民のものから徐々に少数の権力を持つ裕福層寄りになってきているように見えます。これは私の杞憂かもしれませんが、制度を一つ一つ見ていますと、そのように思えてくるのは不自然ではないように思えます。


------ おかしな株価 ------

ですが、これだけ生活の余裕を感じられるほどの景気を感じられないにも関わらず、株価が上昇しているのも不思議です。これはパンデミック下での政府の経済喚起政策により日銀が株を買い続け政府が補助金を出しているからという意見もありますが、それとは別の背景がございます。実は儲かっている企業は本当に儲かっています。特にこの世の中でリモートワークが加速し、電子的な取引が増えていることでハイテク産業や金融業界、医療関係の会社は本当に儲かっています。

ではなぜ企業の収益が多数派の一般市民に還元されないのか。それは、儲かっている企業ほど大量雇用を必要としないからです。そもそもIT企業や最近の金融業界で伸びているところはいかに情報技術(IT)と儲けがでる金融資産市場に参入できたかが鍵となります。成功しているメーカーも機械によるオートメーションとIOT(技術と情報技術の融合)を薦め人件費に頼らずに操業できる分野が成長を続けています。

盛んに人手不足と叫ばれておりますが、これはそれら企業が求めている技術や知識そして経験をもっている人材が見つからないということです。そもそも今失業もしくは望んでいる給料や待遇をもらえていない方々が学校教育を受けていた頃にはそのような技術を学校では重要視していなかったと思います。そして、今現在では英語やプログラミングを学校で教えるようになりましたが、あと10年後に求められる技術や能力にマッチするかという保証はございません。つまり、常にアップデートされた教育を成人してからも受けられるような体制が必要になります。


------ おかしな倫理観 ------

そして、これら業績の良い企業が求めている人材になるためにはその技能を得るための教育と就労経験が要ります。教育と能力を得るためにはお金がかかるし、就労経験もそもそもその業界に入るだけの教育と能力が必要です。もともと企業の生産モデルの採用規模が縮小している中でそれなりの経験を得れる個人の人数は少なくなる一方、その教育と経験を得ることにあやかれた個人はどこいっても引っ張りだこなので、より待遇の良い企業へ転職していき、その人材を引き抜かれた企業が「人手不足」だと叫びます。

その一方、どうしても仕事が無い、あったとしてもその給料で全うな生活ができないという個人が増えてきております。これで上記のまやかしの財政赤字と株価上昇を言い訳にして支援のための支出がしぶられています。それでいて、「働かざる者食うべからず」という倫理観がまだ横行しております。本当に仕事が無い、生活に困っている(将来に対しても余裕を持てない)人々が多くいるなかでこの倫理観が横行していることこそ倫理的でないように思えますが。

そもそも上記の経済政策から見ても万人がフェアに競争できる状況ではないです。あの競争主義国家と呼ばれるアメリカ合衆国でも、機会均等を促すにはある程度の結果平等が必要であるといった学者と政治家がいました。成果主義というのもある程度の結果平等が保証されない限りは、中身のない精神論でしかありません。


------ おかしな批判 ------

このような文章を書くと「お前は社会主義者だ!」とレッテルを貼られますが、私は資本主義を壊さず時代に合わせた改革をして資本主義の長所を生かしつつ万人が幸せに生活できることを切望しております。資本主義は裕福に楽しく便利に自由に生きたいというその人間を利己的欲望をマーケットを通して利他に還元することができた優秀な経済社会システムです。だからこそ、自由市場に基づいた資本主義は壊したくないし、裕福層を打倒したいとも思わないです(なんか上記の文章では裕福層を否定しているようですが、私としてはみんながそれなりに幸せになると同時に裕福層も多面的な意味で幸せになる世の中になることを切望しております)。

よく社会批判をしている人々が言われれることは「もし貴方が権力を持った裕福層になったら今言っていることは言わなくなる」ということがありますが、そうはなりたくないです。そもそも、その世の中でとびぬけて裕福になることができたのであれば、その人個人の努力だけでなくその方が裕福層になることへ導いた世の中の人々の支えもあるからです。

そこで裕福層はチャリティー(慈善活動)を催し社会貢献しているという意見もございますが、その個人のチャリティーですと私的活動の領域となり多数派の一般庶民が恩恵を得れる部門に還元されているという保証はございません。多数派の一般庶民が恩恵を得れる部門へ彼らの富の一部を還元させるには、やはりその公(パブリック=大衆)の機関を運営する機構、公的部門への納税がチャリティーよりも確実です。

それに実は「働かざる者食うべからず」という文言はあのソビエト社会主義連邦共和国の初代書記長のウラジミール・レーニンが言った言葉です。私は社会主義者と違い無理に働かせるような制度は要らないと思います。今までの資本主義では労働は直接的に労働は強制しなかったが、遺産相続とか投資活動とかリスクを取って起業した会社からの収益が無い限りは働いて賃金をもらわないと生きていけない制度でした。ですが、今では働きたくても働く先が無い状況、もしくは働いてもその価値に値しない賃金レベルであるという状況にあります。


------ おかしなベーシックインカム批判 ------

そこで、やはりベーシックインカム(労働の有無にかかわらず万人に対して一定の所得を常に保証する制度)は必要でしょう。これでは勤労を放棄する個人が大勢でてくるという批判がありますが、むしろ生活が苦しくなるほど低い賃金で働かざるを得ない状況を押し付けていることそのものがおかしいです。これだけオートメーションとIOTが進んでいるのですから、単純労働と呼ばれているものも人間個人に対する負荷の低いものに転換し、危険汚いと呼ばれてきた職場にも最新技術を導入しより先端的でプロフェッショナルな作業にした方が効率は上がります。

ベーシックインカムを導入すると堕落すると懸念している人もいますが、むしろ生活に余裕ができるほど心の荒みが無くなり文化的な活動へ積極的になります。酒や賭博、麻薬に走る個人は暇であるわけでなく人生への絶望への痛みによるものです。今後の生活や人生においての不安が減れば、健康を害してまで超短期的に快楽を得る衝動には駆られないでしょう。

あと、物書きやアーティストを目指さなくとも、ブラック企業を退職する自由を与え、安心して落ち着いて別の会社へ転職する機会も与えることができます。ベーシックインカム制度ができても働き甲斐のある仕事であれば自分の活躍する企業での就労を望む個人が殆どです。ベーシックインカムで生活を保障しより全うで遣り甲斐のある就職を斡旋することにより、ブラック企業を減らしより善良な企業が増えるようになります。今のベーシックインカムが無く雇用条件を選びにくい状況であるから、ブラック企業がはびこり善良な企業が淘汰されてしまう悪循環にあります。雇用側に選ぶ権利をもっと与えることでこの悪循環を断ち切れます。

これからの時代は、直接的に企業の利益になる活動だけでなく、長期的にその国民経済の恩恵にもなるような物語の作者やアーティストの卵が経済的な不安なく生活できる世の中であってほしいです。人の能力は本当に多岐にわたりますので、今までのような収益に直結するような経済活動だけでなく、長期的に国民経済への還元が施されるだけでなく、皆さんが楽しく精神的にも豊かに楽しい人生を満喫できるような世の中になることを切に願っております


------ おかしな生活保護批判 ------

そして、現行の生活保護を批判している人は生活保護受給者および今後のベーシックインカムを納税に貢献しないごく潰しと責める人々がいます。彼等は勤労し納税しているが勤労しない個人は納税へ貢献しないと悲しい批判を行っております。しかし、本当にこの国の公的部門を支えるだけの納税を行っていると言える個人は所得税を月間300万円おさめている個人だけでしょう。所得税がそれを下回る個人は、少ない税率にも関わらず月間300万円以上納税している個人等と公的サービスを享受しているのであるから、納税を理由に誰かをごく潰し扱いするならばその批判している大勢の個人もごく潰しであるため、天に唾吐いて自分に降りかかってくるもので滑稽です。

前の項目で裕福層を批判しているように聞こえるでしょうが、裕福層自体を攻めているのではなくて制度の不備を指摘しているだけです。資本主義の素晴らしいところは、裕福になれる個人がいてかつその裕福な個人が累進課税を通じてその恩恵を与えてくれた世の中に感謝を還元できる制度だからです。社会主義ですと、全体的な生産力が低迷しますので、たとえ口先だけで弱者の味方と言っているものの、結局は税収や資源の不足により、生活保護などによる弱者への恩恵を施せなくなる傾向がございます。

むしろ、生活保護というセーフティネットを用意し、将来においてベーシックインカムで万人にある一定の所得を補償することで、購買活動が活性化し資本主義を引っ張っている資本家とよばれる裕福層にも利益が還元されます。確かに資本家と呼ばれる裕福層に対する税負担は増やさざるを得ないでしょう。

しかしたとえ所得税の累進課税率を上げ生活保護の拡充とベーシックインカム導入を行っても、資本主義の市場経済をそのまま温存しますから、裕福層へ流れるお金の量が劇的に減ることはないです。むしろこれで利益が減る資本を所有している裕福層は、それだけ多数派の一般市民に対して特をする製品やサービスを提供できていなかったわけですから(可処分所得が増えた一般市民がそちらに出費しないから)その資本を失うべくして失うことになります。

つまり、生活保護の拡充とベーシックインカム導入でより多くの個人に消費活動の選択の自由を与えると同時に裕福層どうしでも競争を活性化させることができます。もし社会主義を否定し資本主義の明るい未来を願うならばこそ、市民の生活の自由と資本家どうしの競争を促すためにも、財政政策の見直しと生活保護の拡充とベーシックインカム導入が必要でしょう。