花水木法律事務所の小林正啓弁護士が,次のような記事を公表し,BLOGOSにも掲載されているようです,
参照記事:中坊公平氏死去(花水木法律事務所)
http://hanamizukilaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-fed3.html
小林弁護士は,色々言っていても結局は法科大学院推進派とみるしかない人物であり,時々支離滅裂な論理を展開されるのですが,放置しておくと小林弁護士の言説を真に受ける人が出てくる可能性もあること,また記事のうち『「中坊のせいで(司法試験合格者年)3000人政策が決まった」とか、「司法改革のA級戦犯」といった薄っぺらな批判なら、しない方がマシだ。』とする部分は,黒猫の記事に対する批判とも解されることから,一応反論を書いておくことにします。
○ 「800人の5年間据え置き論」は誤りか?
小林弁護士は,1995(平成7)年12月21日(ただし,資料を読む限り1994年の誤りと思われる)に行われた日弁連臨時総会で,司法試験合格者数800人の5年間据え置きを決議したことが全てをぶち壊した,この決議を提案した辻誠元日弁連会長(故人),これを受け容れた故土屋公献日弁連会長(当時)等こそが,このような事態に至った「A級戦犯」であると主張しています。
黒猫自身は,この決議が行われた当時はまだ弁護士になっていなかったので,業界の事情は知る由もなかったのですが,『司法改革の失敗』(花伝社)の46頁以下では,この決議が行われた経緯について詳細に書かれています。
上記決議の背景としては,まず1990年に発足した中坊日弁連執行部による路線転換に触れなければなりません。以前の日弁連は,司法関連予算の増額や官僚司法の打破,法曹一元などの裁判所改革を強く主張し,これらの主張が受け容れられなければ合格者数増員も受け容れないという方針を採っていたようなのですが,中坊会長(当時)はこのような従来の路線を批判し,むしろそれまで日弁連と対立していた法務省の尻馬に乗るような形で,弁護士のみの増員を受け容れる路線を採るようになりました。
その関係で,従来年間500人前後だった司法試験の合格者数は,平成に入ってから次第に増加し,1995(平成7)年には738人に達していたのですが,司法試験の合格者数を1,000人に増員するという日弁連執行部の路線は,中弁連有志の会員投票で反対が77.1%を占めるなど,当時の会員の大多数は,執行部の進めていた急激な増員路線に反対していました。
無理もありません。他の士業団体でも,試験合格者数が短期間で一気に2倍となれば,合格者の就職や養成等に問題が生じるのは必定であり,合格者の質の低下も懸念されます。また,弁護士業界の需要が伸びなかったのは,官僚司法制度の下で裁判所が権利救済に消極的であったことが主な原因であり,裁判所改革を行うことなしに弁護士の需要が一気に伸びることは通常考えられませんが,当時の日弁連執行部は裁判所改革を求めず,弁護士のみの単純増員を推進しようとしていました。
そのような中,中坊路線に反対する有志によって臨時総会の開催が請求され,これによって実現したのが1994年12月21日の臨時総会です。臨時総会では,法曹人口問題に関する執行部案と有志案が対立する形となりましたが,大多数の会員が弁護士だけの大幅増員に反対であることが明らかになったため,最終的には双方の提案者が話し合い,司法試験の合格者数については今後5年間800人程度を限度とする,といった内容の決議がなされました。
日弁連は,会員の総意に基づいて運営されるべき団体であり,このような意思決定プロセスが特に不当であるということはできません。小林弁護士は,この決議がきっかけで日弁連は国民から支持されなくなって発言権を失い,当事者の椅子から引きずり降ろされたなどと批判していますが,実際にはその後の日弁連は,結局その後も執行部主導で反対会員の意見を押さえつけ,法務省に追随して法曹人口の増員を推進する政策を採り続けました。
しかし,それでも司法制度改革審議会では,日弁連出身の委員は一人も選任されず,国民やマスメディア向けのスタンドプレーと日弁連執行部への影響力を期待して,中坊氏が一本釣りされる結果になりました。これは,800人決議が直接の原因というわけではなく,むしろ当時の日弁連が増員を進めようとする執行部とそれに反対する会員との間で内部分裂の様相を呈していたことから,政府関係者に侮られた結果とみるべきでしょう。
○ 別に脅威ではなかった6,000人論
中坊氏は,自ら言い出した合格者数3,000人論を当時の日弁連執行部に認めさせる際,経済界からは5,000人論や6,000人論も挙がっている(もっとも極端な議論では,合格者数12,000人論というのもあったらしいです)から,これを抑えるためには3,000人を認めるべきだ,という論法を用いたことで知られています。小林弁護士も「3000人は法科大学院制度を導入できる最低限の数字」などと述べていることから,中坊氏が3,000人論を言い出さなければ合格者数が5,000人または6,000人にされていたかも知れない,という前提に立つようです。
しかし,法科大学院の修了を司法試験の受験資格にしないのであれば,政府の恣意によって司法試験の合格者数を6,000人にしたとしても,少なくとも現状に比べればさしたる脅威ではありませんでした。当時の経済界が主張していたのは,さすがに合格者数が3,000人を超えると司法修習制度は維持できなくなるので,例えば司法試験に合格した後「弁護士試補」という肩書きで2年以上の実務経験を積めば弁護士として登録できる,というような制度であったと記憶しています。
司法改革と時をほぼ同じくして,公認会計士試験についてもこれと似たような制度改革が行われ,一時は公認会計士試験の合格者数が年間3,000人に達したこともありましたが,実際には合格者の多くが監査法人等に就職できず,登録に必要な実務経験を積むことができない「待機合格者」になってしまいました。経済界も,待機合格者の質を理由に採用を拒否し,金融庁の提案した待機合格者の救済策は公認会計士業界から断固として拒否されたため,待機合格者は見捨てられる形となり,今では合格者数を大幅に削減させています(ちなみに,平成24年度の合格者数は1,347人です)。
司法試験についても,上記のような制度を採用すればおそらく大量の待機合格者が出現し,実際には合格しても上位1,000人くらいに入らなければ法曹としての就職は望めないという,おそらくはドイツと似たような制度になっていたでしょう。経済界もマスコミも,弁護士業界が新人を採用しないことを非難することはできません(仮に非難すれば,それなら自分たちが司法試験合格者を採用すればよいと言われかねません)し,現に弁護士の就職難が大変な問題となっている現状でも,経済界やマスコミからそのような非難は起きていません。
それでも現行制度のように,司法試験の受験資格を取得すること自体に大変なお金と時間のかかる制度にならなければ,現状のように優秀な人材が法曹界から逃げて行く,といった事態は起こらなかったでしょう。大量の待機合格者を生み出してかなりの混乱があった公認会計士試験も,依然として人気資格であることに変わりはなく,受験者数も平成24年度はやや減ったものの,少なくとも法科大学院のように極端な人気低下はみられません。
当時の世論も,司法試験の難易度をむやみに引き下げて合格者の質を低下させることを無条件に容認する空気ではなく,むしろ合格者数3,000人を世論に容認させるために,法科大学院制度を作って合格者数を大幅に増やしてもその質が確保されるという幻想を振りまいた面があります。
要するに,司法試験の合格者数をむやみに増やせというのは,合理的な根拠のない一時の思想的熱狂であったに過ぎなかったことから,日弁連としては,たとえ当面の合格者数が何人になろうと,法科大学院の修了を司法試験の受験資格にするとか,あるいは簡単な司法試験に合格しただけで司法修習も実務経験もなく弁護士登録できるようにするといったふざけた制度の導入さえ阻止できれば,致命的な被害は回避できたのです。政府も頭を冷やせば,司法試験の合格者数もやがて減らす方針に転換したことでしょう。
○ 大学は,最も共闘してはならない相手だった
小林弁護士は,『「3000人」は法科大学院制度を導入できる最低限の数字であるから、文科省や大学とも共闘できる』などと主張しており,何やら文科省や大学と手を組んだことが3,000人論のメリットであったかのような主張をしていますが,現実には文科省や大学と手を組み,法科大学院修了を司法試験の受験資格とする制度(法科大学院制度)を作ってしまったことが,法曹界をめぐる現状をここまで悪化させた最大の原因であり,中坊氏最大の罪は,そのような制度作りに荷担したことであるとも言えます。
法科大学院制度を作ったことで,法曹を目指す人たちは「懲役2年,罰金300万円」などと揶揄される強制収容所(法科大学院のことです)に入るか,あるいはむやみに難易度の高い予備試験を突破しなければ,司法試験を受験することができなくなりました。なお,その強制収容所で行われることは,基本的には司法試験にも実務にも関係ないただの労役や,役に立たない学者たちの妄言を延々聴かされ続けることばかりです(一部の強制収容所では,文科省の目をかいくぐって受験指導をしてくれるところもありますが,受験指導なら予備校の方が安くてしかも丁寧です)。
そして,法科大学院は司法試験制度に寄生する害虫であり,司法試験の合格者数が減少すれば存続できないため,法曹に対する実際の需要がなくても,ひたすら司法試験の合格者数を増やせと言い続けます。いまや,司法試験の合格者数については経済界からもアメリカからも増員の圧力はなく,合格者数減員に反対する最大の抵抗勢力は法科大学院ですが,逆に言えば今まで政府が合格者数の減員に踏み切れなかったのは,ひとえに法科大学院を作ってしまったからです。
法科大学院の創設は,学生を予備校から取り戻したいという単なる学者エゴの発想に基づくものであり,経済界も法科大学院制度の創設に特段の賛意を示していたわけではないので,日弁連がこれに反対していれば,おそらく法科大学院制度の創設は難しかったでしょう。中坊氏はマスコミ受けのする大改革を実現するために,関係者の利害関係の落とし所として合格者数3,000人と法科大学院制度の創設を言い出したのでしょうが,その改革はいまや明らかな失敗となっており,見通しの甘さはマスコミからも非難の対象になっています。
○ 日弁連サイドの要望を何一つ実現できなかった中坊氏
中坊氏の提案を丸呑みした2000年11月1日の日弁連臨時総会決議は,『司法改革の失敗』66頁によると,かなり強引な手法で行われたようです。日弁連の会長選挙で行われているのと同様に,東京や大阪の派閥から大量の委任状をかき集め,数の力を背景に50人以上の発言通告者が残っている段階で討議を打ち切って強行採決を行い,今日まで続く「会員の日弁連離れ」の原因を作り出しました。
。なお,株主総会等と異なり,日弁連の総会で一般会員は議案に対し書面で賛否の投票をすることが認められておらず,平日の昼間に長時間をかけて行われる総会に出席できない者は,委任状を出すか棄権するかの選択肢しかないのです。
小林弁護士は,『「法曹一元」によって、日弁連は再び団結すると考えたのだ。そして実際その通りになった。』などと述べ,あたかも中坊氏の政策により日弁連が団結を取り戻したかのような書き振りをしていますが,実際には中坊氏とその後継者たちの政策によって,日弁連の分裂は救いがたい状態に陥ったのです。
なお,合格者数3,000人を推進する決議の理由として挙げられたのは,弁護士経験者から裁判官を登用する「法曹一元」の実現ですが,実際には決議時点においても法曹一元が実現する見込みは全く無く,いわば中坊氏は出来もしない法曹一元を言い立てることにより,多くの弁護士を欺罔したのです。また,法科大学院制度を推進した弁護士の多くは,弁護士の主導による法科大学院教育を目指していたようですが,実際の法科大学院制度は完全に文科省と大学に主導権を握られました。
司法改革に関して,要するに中坊氏は弁護士業界に対し一方的に犠牲を強いるばかりで,弁護士業界からの要望は何一つ達成できなかったのです。司法改革の「功労者」として割の良いポストを提供されたごく一部の有力者を除けば,弁護士が司法改革に関し中坊氏を称賛する理由は何一つ存在せず,むしろ中坊氏によって弁護士業界に残された負の遺産の重さを考えれば,中坊氏を司法改革のA級戦犯とするのは,あまりにも当然の評価であると言わざるを得ません。
その後,中坊氏はRCC時代の不正を追及され,検察による起訴を免れるのと引換えに自ら弁護士を引退することになりましたが,弁護士業界から中坊氏を擁護するような声は全くと言って良いほど挙がらず,最晩年には恥知らずにも弁護士再登録を試みたようですが,これは小林弁護士も指摘しているとおり,中坊氏の復帰を歓迎する声はほぼ皆無でした。大多数の弁護士が中坊氏をどのように思っているかは,この事実からも明らかでしょう。
○ 結語
中世のビザンティン帝国では,皇帝の放蕩生活により国庫が破綻寸前になり,皇帝の歓心を買おうとしたある大臣は,こともあろうに海軍の軍船を競売で売り払う「金策」を提言したそうです。それが原因でビザンティンの海軍は無力となり,やがて首都を海上から攻撃されて滅亡する原因となったそうですが,中坊氏がやったのはこの大臣と似たようなことです。
運が悪ければ,中坊氏の行為により日弁連は滅び,弁護士そのものも司法書士とアメリカのローファームに挟撃され,消えて無くなるでしょう。運良く生き残ったとしても,日弁連と弁護士業界は「愚将」中坊公平が残した負の遺産に,少なくとも今後数十年は苦しみ続けることになるでしょう。
参照記事:中坊公平氏死去(花水木法律事務所)
http://hanamizukilaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-fed3.html
小林弁護士は,色々言っていても結局は法科大学院推進派とみるしかない人物であり,時々支離滅裂な論理を展開されるのですが,放置しておくと小林弁護士の言説を真に受ける人が出てくる可能性もあること,また記事のうち『「中坊のせいで(司法試験合格者年)3000人政策が決まった」とか、「司法改革のA級戦犯」といった薄っぺらな批判なら、しない方がマシだ。』とする部分は,黒猫の記事に対する批判とも解されることから,一応反論を書いておくことにします。
○ 「800人の5年間据え置き論」は誤りか?
小林弁護士は,1995(平成7)年12月21日(ただし,資料を読む限り1994年の誤りと思われる)に行われた日弁連臨時総会で,司法試験合格者数800人の5年間据え置きを決議したことが全てをぶち壊した,この決議を提案した辻誠元日弁連会長(故人),これを受け容れた故土屋公献日弁連会長(当時)等こそが,このような事態に至った「A級戦犯」であると主張しています。
黒猫自身は,この決議が行われた当時はまだ弁護士になっていなかったので,業界の事情は知る由もなかったのですが,『司法改革の失敗』(花伝社)の46頁以下では,この決議が行われた経緯について詳細に書かれています。
上記決議の背景としては,まず1990年に発足した中坊日弁連執行部による路線転換に触れなければなりません。以前の日弁連は,司法関連予算の増額や官僚司法の打破,法曹一元などの裁判所改革を強く主張し,これらの主張が受け容れられなければ合格者数増員も受け容れないという方針を採っていたようなのですが,中坊会長(当時)はこのような従来の路線を批判し,むしろそれまで日弁連と対立していた法務省の尻馬に乗るような形で,弁護士のみの増員を受け容れる路線を採るようになりました。
その関係で,従来年間500人前後だった司法試験の合格者数は,平成に入ってから次第に増加し,1995(平成7)年には738人に達していたのですが,司法試験の合格者数を1,000人に増員するという日弁連執行部の路線は,中弁連有志の会員投票で反対が77.1%を占めるなど,当時の会員の大多数は,執行部の進めていた急激な増員路線に反対していました。
無理もありません。他の士業団体でも,試験合格者数が短期間で一気に2倍となれば,合格者の就職や養成等に問題が生じるのは必定であり,合格者の質の低下も懸念されます。また,弁護士業界の需要が伸びなかったのは,官僚司法制度の下で裁判所が権利救済に消極的であったことが主な原因であり,裁判所改革を行うことなしに弁護士の需要が一気に伸びることは通常考えられませんが,当時の日弁連執行部は裁判所改革を求めず,弁護士のみの単純増員を推進しようとしていました。
そのような中,中坊路線に反対する有志によって臨時総会の開催が請求され,これによって実現したのが1994年12月21日の臨時総会です。臨時総会では,法曹人口問題に関する執行部案と有志案が対立する形となりましたが,大多数の会員が弁護士だけの大幅増員に反対であることが明らかになったため,最終的には双方の提案者が話し合い,司法試験の合格者数については今後5年間800人程度を限度とする,といった内容の決議がなされました。
日弁連は,会員の総意に基づいて運営されるべき団体であり,このような意思決定プロセスが特に不当であるということはできません。小林弁護士は,この決議がきっかけで日弁連は国民から支持されなくなって発言権を失い,当事者の椅子から引きずり降ろされたなどと批判していますが,実際にはその後の日弁連は,結局その後も執行部主導で反対会員の意見を押さえつけ,法務省に追随して法曹人口の増員を推進する政策を採り続けました。
しかし,それでも司法制度改革審議会では,日弁連出身の委員は一人も選任されず,国民やマスメディア向けのスタンドプレーと日弁連執行部への影響力を期待して,中坊氏が一本釣りされる結果になりました。これは,800人決議が直接の原因というわけではなく,むしろ当時の日弁連が増員を進めようとする執行部とそれに反対する会員との間で内部分裂の様相を呈していたことから,政府関係者に侮られた結果とみるべきでしょう。
○ 別に脅威ではなかった6,000人論
中坊氏は,自ら言い出した合格者数3,000人論を当時の日弁連執行部に認めさせる際,経済界からは5,000人論や6,000人論も挙がっている(もっとも極端な議論では,合格者数12,000人論というのもあったらしいです)から,これを抑えるためには3,000人を認めるべきだ,という論法を用いたことで知られています。小林弁護士も「3000人は法科大学院制度を導入できる最低限の数字」などと述べていることから,中坊氏が3,000人論を言い出さなければ合格者数が5,000人または6,000人にされていたかも知れない,という前提に立つようです。
しかし,法科大学院の修了を司法試験の受験資格にしないのであれば,政府の恣意によって司法試験の合格者数を6,000人にしたとしても,少なくとも現状に比べればさしたる脅威ではありませんでした。当時の経済界が主張していたのは,さすがに合格者数が3,000人を超えると司法修習制度は維持できなくなるので,例えば司法試験に合格した後「弁護士試補」という肩書きで2年以上の実務経験を積めば弁護士として登録できる,というような制度であったと記憶しています。
司法改革と時をほぼ同じくして,公認会計士試験についてもこれと似たような制度改革が行われ,一時は公認会計士試験の合格者数が年間3,000人に達したこともありましたが,実際には合格者の多くが監査法人等に就職できず,登録に必要な実務経験を積むことができない「待機合格者」になってしまいました。経済界も,待機合格者の質を理由に採用を拒否し,金融庁の提案した待機合格者の救済策は公認会計士業界から断固として拒否されたため,待機合格者は見捨てられる形となり,今では合格者数を大幅に削減させています(ちなみに,平成24年度の合格者数は1,347人です)。
司法試験についても,上記のような制度を採用すればおそらく大量の待機合格者が出現し,実際には合格しても上位1,000人くらいに入らなければ法曹としての就職は望めないという,おそらくはドイツと似たような制度になっていたでしょう。経済界もマスコミも,弁護士業界が新人を採用しないことを非難することはできません(仮に非難すれば,それなら自分たちが司法試験合格者を採用すればよいと言われかねません)し,現に弁護士の就職難が大変な問題となっている現状でも,経済界やマスコミからそのような非難は起きていません。
それでも現行制度のように,司法試験の受験資格を取得すること自体に大変なお金と時間のかかる制度にならなければ,現状のように優秀な人材が法曹界から逃げて行く,といった事態は起こらなかったでしょう。大量の待機合格者を生み出してかなりの混乱があった公認会計士試験も,依然として人気資格であることに変わりはなく,受験者数も平成24年度はやや減ったものの,少なくとも法科大学院のように極端な人気低下はみられません。
当時の世論も,司法試験の難易度をむやみに引き下げて合格者の質を低下させることを無条件に容認する空気ではなく,むしろ合格者数3,000人を世論に容認させるために,法科大学院制度を作って合格者数を大幅に増やしてもその質が確保されるという幻想を振りまいた面があります。
要するに,司法試験の合格者数をむやみに増やせというのは,合理的な根拠のない一時の思想的熱狂であったに過ぎなかったことから,日弁連としては,たとえ当面の合格者数が何人になろうと,法科大学院の修了を司法試験の受験資格にするとか,あるいは簡単な司法試験に合格しただけで司法修習も実務経験もなく弁護士登録できるようにするといったふざけた制度の導入さえ阻止できれば,致命的な被害は回避できたのです。政府も頭を冷やせば,司法試験の合格者数もやがて減らす方針に転換したことでしょう。
○ 大学は,最も共闘してはならない相手だった
小林弁護士は,『「3000人」は法科大学院制度を導入できる最低限の数字であるから、文科省や大学とも共闘できる』などと主張しており,何やら文科省や大学と手を組んだことが3,000人論のメリットであったかのような主張をしていますが,現実には文科省や大学と手を組み,法科大学院修了を司法試験の受験資格とする制度(法科大学院制度)を作ってしまったことが,法曹界をめぐる現状をここまで悪化させた最大の原因であり,中坊氏最大の罪は,そのような制度作りに荷担したことであるとも言えます。
法科大学院制度を作ったことで,法曹を目指す人たちは「懲役2年,罰金300万円」などと揶揄される強制収容所(法科大学院のことです)に入るか,あるいはむやみに難易度の高い予備試験を突破しなければ,司法試験を受験することができなくなりました。なお,その強制収容所で行われることは,基本的には司法試験にも実務にも関係ないただの労役や,役に立たない学者たちの妄言を延々聴かされ続けることばかりです(一部の強制収容所では,文科省の目をかいくぐって受験指導をしてくれるところもありますが,受験指導なら予備校の方が安くてしかも丁寧です)。
そして,法科大学院は司法試験制度に寄生する害虫であり,司法試験の合格者数が減少すれば存続できないため,法曹に対する実際の需要がなくても,ひたすら司法試験の合格者数を増やせと言い続けます。いまや,司法試験の合格者数については経済界からもアメリカからも増員の圧力はなく,合格者数減員に反対する最大の抵抗勢力は法科大学院ですが,逆に言えば今まで政府が合格者数の減員に踏み切れなかったのは,ひとえに法科大学院を作ってしまったからです。
法科大学院の創設は,学生を予備校から取り戻したいという単なる学者エゴの発想に基づくものであり,経済界も法科大学院制度の創設に特段の賛意を示していたわけではないので,日弁連がこれに反対していれば,おそらく法科大学院制度の創設は難しかったでしょう。中坊氏はマスコミ受けのする大改革を実現するために,関係者の利害関係の落とし所として合格者数3,000人と法科大学院制度の創設を言い出したのでしょうが,その改革はいまや明らかな失敗となっており,見通しの甘さはマスコミからも非難の対象になっています。
○ 日弁連サイドの要望を何一つ実現できなかった中坊氏
中坊氏の提案を丸呑みした2000年11月1日の日弁連臨時総会決議は,『司法改革の失敗』66頁によると,かなり強引な手法で行われたようです。日弁連の会長選挙で行われているのと同様に,東京や大阪の派閥から大量の委任状をかき集め,数の力を背景に50人以上の発言通告者が残っている段階で討議を打ち切って強行採決を行い,今日まで続く「会員の日弁連離れ」の原因を作り出しました。
。なお,株主総会等と異なり,日弁連の総会で一般会員は議案に対し書面で賛否の投票をすることが認められておらず,平日の昼間に長時間をかけて行われる総会に出席できない者は,委任状を出すか棄権するかの選択肢しかないのです。
小林弁護士は,『「法曹一元」によって、日弁連は再び団結すると考えたのだ。そして実際その通りになった。』などと述べ,あたかも中坊氏の政策により日弁連が団結を取り戻したかのような書き振りをしていますが,実際には中坊氏とその後継者たちの政策によって,日弁連の分裂は救いがたい状態に陥ったのです。
なお,合格者数3,000人を推進する決議の理由として挙げられたのは,弁護士経験者から裁判官を登用する「法曹一元」の実現ですが,実際には決議時点においても法曹一元が実現する見込みは全く無く,いわば中坊氏は出来もしない法曹一元を言い立てることにより,多くの弁護士を欺罔したのです。また,法科大学院制度を推進した弁護士の多くは,弁護士の主導による法科大学院教育を目指していたようですが,実際の法科大学院制度は完全に文科省と大学に主導権を握られました。
司法改革に関して,要するに中坊氏は弁護士業界に対し一方的に犠牲を強いるばかりで,弁護士業界からの要望は何一つ達成できなかったのです。司法改革の「功労者」として割の良いポストを提供されたごく一部の有力者を除けば,弁護士が司法改革に関し中坊氏を称賛する理由は何一つ存在せず,むしろ中坊氏によって弁護士業界に残された負の遺産の重さを考えれば,中坊氏を司法改革のA級戦犯とするのは,あまりにも当然の評価であると言わざるを得ません。
その後,中坊氏はRCC時代の不正を追及され,検察による起訴を免れるのと引換えに自ら弁護士を引退することになりましたが,弁護士業界から中坊氏を擁護するような声は全くと言って良いほど挙がらず,最晩年には恥知らずにも弁護士再登録を試みたようですが,これは小林弁護士も指摘しているとおり,中坊氏の復帰を歓迎する声はほぼ皆無でした。大多数の弁護士が中坊氏をどのように思っているかは,この事実からも明らかでしょう。
○ 結語
中世のビザンティン帝国では,皇帝の放蕩生活により国庫が破綻寸前になり,皇帝の歓心を買おうとしたある大臣は,こともあろうに海軍の軍船を競売で売り払う「金策」を提言したそうです。それが原因でビザンティンの海軍は無力となり,やがて首都を海上から攻撃されて滅亡する原因となったそうですが,中坊氏がやったのはこの大臣と似たようなことです。
運が悪ければ,中坊氏の行為により日弁連は滅び,弁護士そのものも司法書士とアメリカのローファームに挟撃され,消えて無くなるでしょう。運良く生き残ったとしても,日弁連と弁護士業界は「愚将」中坊公平が残した負の遺産に,少なくとも今後数十年は苦しみ続けることになるでしょう。
小林弁護士は、日弁連評論家みたいなおいしい位置を得るために日々尽力し、その中で意図的におかしな言説も振りまいているように思います。黒猫さんからこうやって指摘していただくと、一般の人や弁護士が、「ちょっと待て、これを信じてよいか」と立ち止まるきっかけになってよいと思います。
「私の周りの若い弁護士も、皆収入に四苦八苦しています。」
これって名言ですよね。
かつて少なくない弁護士が、「二割司法」を解消するべきであるといっていなかったでしょうか。単純に考えて、「二割司法」が八割司法になれば、弁護士が扱う事件数は4倍になるし、当然、弁護士数も4倍になるべきだ、ということになるでしょう。
弁護士増員によって、弁護士が身近になり、被害者が気軽に裁判に訴えられるようになれば、被害者が泣き寝入りしたり怪しげな連中が跋扈跳梁することも無くなる、というのが、「司法改革」が具体的に動き出した時点で弁護士増員派の描いた未来像だったのではないでしょうか。
schulze先生が中坊氏に関連して「弁護士の過信、驕り」ということを指摘していますが、あらゆる、とまでは言わないにせよ、社会生活上の大部分の事件は弁護士が解決するべきだし、弁護士には解決する能力もあると考えたら、論理必然的に弁護士増員という結果にならざるを得ません。
出向とかの法科大学院の教員等のポストもあって困らないし、若手弁護士の育成は、ヤメ判、ヤメ検の仕事の確保の邪魔にしかならん。
法科大学院廃止運動、若手弁護士の育成なんか積極的にやるわけない。
若手弁護士と官僚司法の利害は一致しない。
もちろんない。なぜなら自由競争において相手を育成する義務など毛頭ない。
渡しの周りの若い弁護士のことなど,他人事なのです。
そんなの当たり前。なぜ山岸弁護士をはじめとする他の弁護士が、あなたの周りの若い弁護士を助けなければいけないの?その法的or道義的根拠は何?
そんなに救いの手を差し伸べて貰いたいのなら、いっそのこと、ビルゲイツやバフェット、柳井正、孫正義、麻生太郎、鳩山由紀夫などに助けを請えば?
「私の周りの若い弁護士も、皆収入に四苦八苦しています。」
芸能人と遊んでいても,淘汰されないのです。
渡しの周りの若い弁護士のことなど,他人事なのです。
本当にめでたい
地獄があったら間違いなく落ちるでしょう
無間地獄に
それが自由競争です。雑魚が増えても所詮、強い者は簡単には淘汰されないのですよ。これは弁護士業界に限ったことではない。
自動車製造のベンチャーをこれから立ち上げても、トヨタや日産、ホンダなどが淘汰されないのと同じです。
それに年収1000万円や2000万円など、事業の経営をしている者にとって大した額ではない。この程度の金額を多額と見るのは所詮雇われ者の悲しい性。
むしろ弁護士業は他の事業の経営者のようなボロ儲けはできない、金銭面ではあまり夢のない事業とみるべき。
この程度で驚いているようでは甘い。
こちらのブログでも弁護士の年収のこと話題になっています。
しかし,芸能人と遊びまくって大儲けしている弁護士に言われても説得力がありません。
「私の周りの若い弁護士も、皆収入に四苦八苦しています。無差別に合格者を増やしすぎたツケですね。」
とか言っていますが,いかにも自分はという感じです。
イソベンにきちんと給料払っているんでしょうね。
ビザンティン帝国の話をすると、当大卒の黒猫先生はいつでもカタフラクトにジョブチェンジできるからいいですよな。
それでもオスマントルコの鉄砲持ったイュニチェリには適わないだろうという主張は痛いほど分かります。
それよか1番の問題は、他国に忠誠を誓い本国に人質を取られている第五列の人間が城内に大量に侵入してきている事でしょう。
怪しい人権派、何やっているのかよく分からない人間、日本人への成りすましが今後どんどん増えていくと思われ、同時にどうしようもない事業および弁護士、そして変な判決が急増することが予想されます。
雑兵の私と一緒にコンスタンチノープルを守りましょう。無理でいいけど。(笑)
私は基本的にスパイにせよ何にせよ、日本を内部から破壊してそれで幸せになるのであればそうすればいいと思います。お幸せに。
だから、「情報弱者」の人間は、もっとどんどん法学部に入学すればいいのです。
国家総合職を見なさい。ほとんど法律職がメインで、経済はオマケです。世の中、法律で動いているのです。
学生の傾向は常に間違います。人気はうつろいます。繊維、造船、ゼネコン、2000年前後は外資系証券金融、以降は公務員と、皆さん目先の事しか考えませんが、必ず浮き沈みがあるのです。
現在学生の方々の経験しただろう事項から考えると、例えば任天堂は2005頃には絶好調でしたが、今はソーシャルなんとかが好調でしょう。が、それで成功すると思う人間は今ゲーム事業を始めてみればいいのです。
結局、トレンドを後から無難に追いかけようとしていると、時代に取り残されてしまうのです。別に悪いとはいいませんが。
法科大学院に行ったらどうなんだろう?と悩んでいるならいけばいい。多分。
予備試験をバイパスして司法試験が受けられるならチャンスです。今までにない位、ハードルが下がっています。変な奴等だけにこの利点を渡すのは勿体無い。人数は為政者が勝手に腹の虫の居所で決める物です。
自分の進路は最後は頭で決めるべきです。
少し前の「司法改革の「A級戦犯」逝く」あたりのコメントで黒猫氏は、法曹界=弁護士業界、法曹界全体が敗退したと主張していたまぬけがましたが・・・
はっきりしてホッとしました。
ようやく、一般社会にも司法改革により貧困弁護士が急増していることが認知され始めたようですね。
というのは、表向きの話で、新たな問題が起こっています。合格したてで企業にいったところで、社内に先輩はおらず孤立しています。足元を見られているため給料は非常に安いです。補習所は有料で、非常に高額です。もともと監査法人勤務者は法人が負担するので、それを前提に価格設定されています。突如として吊り上げられることもありますが、法人勤務者は痛くも痒くもありません。自費負担の企業勤務者は吊り上げられても止むを得ず支払っています。10回の定期考査、6回の論文提出がありますが、法人勤務者は配慮してもらえますが、企業勤務者は配慮してもらえず追試を受けることが多いです。先輩から過去問をもらえず特攻している人も少なくありません。しかも追試は有料です。さらに補習所の最後に待ち構えるのが修了考査です。合格率は6割7割と言われていますが、監査法人勤務者はほぼ全員合格し、企業勤務者は・・・。修了考査の受験料も、これまた追加料理が必要で、企業勤務者は自腹です。予備校に払うお金もかかります。
修了考査の受験料は、協会の独断で決めることができるので、いくらでも吊り上げて監査法人以外に勤務する人を締め出しています。(まさに優越的地位の濫用)こんなことでいいのかなあ。