太公望も竿のあやまり

田舎暮らしと鹿島灘での釣り三昧の日々

生体腎移植

2009-03-27 16:08:39 | 健康
今から6年前突然 本当に突然腎不全という病気を告げられた。
まさに青天の霹靂であり自分が生きていくには、透析をする以外に道はなかった。

透析には腹膜透析と血液透析がありまだ会社に勤めている我輩としては自分で出来る腹膜透析選択した。

腹膜透析を始めてから3年経過した頃、宇和島の徳洲会病院の病気腎、生体腎移植のニュースが毎日流れた。
我輩は、腎移植など到底考えてもいなかったが「妻が私の腎臓を一つあげるから移植を申し込みましょう」と繰り返し言ってくれるので、真剣に移植について調べ始めた。
当時自分が腹膜透析で通院している病院では、夫婦間の生体腎移植は、扱ってなかったので日本でも数多い症例を持つ新宿の病院に転院する事になった。

転院先の病院では、驚いたことに移植の待機者がたくさんいて2年から3年待たなければ移植ができない事がわかった。

妻(ドナー)から夫(レシピエント)への移植が可能かどうか検査に入り移植の日までは遠い道のりだった。
申し込んでから2年後に一旦手術の日が決まったもののドナーの体調に変化がありそれを治してから改めて申し込みをしなければならなかった。
ここで最初に戻らなければならない。我々は苦悩した。
我家のように高齢になると体調にも日々変化が見られ健康を維持するのは結構大変なもがある。何とか移植の日を早めたいそう思った我々に、嬉しい知らせが舞い込んだ。女○医大のスタッフが埼玉県のある病院で移植手術をしているという事実でした。
我々は、すぐにその病院を紹介していただきそちらに再度転院しました。こちらの病院でも待機者は多く1年待ちの状況でした。
このときお世話になった方は、移植の体験者で6年前に移植を受けていらっしゃいましたが信じられないほどお元気でした。

埼玉県の病院で移植前には、6ヶ月以上出来れば10ヶ月の血液透析が必要だといわれ新たにシャントの手術をし腹膜透析に別れを告げました。去年の4月の事です。
腹膜透析から5年経過し、腹膜炎も起きたりして腹膜透析の限界の時期だったようです。

こうして我々は、移植に向けての準備を始めました。
人との出逢いが大きく人生を左右します。
たくさんの方との出会い、支えのなかで移植できるその日を待ち続けました。


そして遂に我々にも順番が回ってきました。

移植のための最終検査のため1月に入院し、不整脈などの治療をして2月には、妻のドナー検査に至ったのです。

全ての検査の結果、二人とも生体腎移植に耐えられるということで、3月に移植をしようと主治医から告げられました。
我々は、主治医のこの言葉をどんなに待ち望んだ事でしょう。


そしていよいよ

移植に向けて我輩は、3月4日に入院した。
移植前10日の事ですが移植の日までに熱が出たり風邪を引いたら移植は延期になると聞かされ風邪を引かないよううがいと手洗いマスク着用を心がけた。

3月11日ドナーである妻が入院した。
ここでやっと手術が確定したのです。
手術日は3月13日金曜日に決定しました。



生まれ変わった日

当日、ナースステーションから何時ものように平成21年3月13日とモーニングコールがあり遂に今日生まれ変われるんだと武者震いをした。
朝から浣腸をしたり術着に着替えたりして準備をしていた。
9時ドナーの妻がオペ室に行きながら「頑張ろうね」といって笑いながら子供たちや妻の妹に見送られてオペ室に入っていった。

約1時間後の10時 我輩も、何の不安もなくオペ室に入っていった。
カーテンで仕切られた隣のオペ室にはドナーである妻が手術を受けているはずだ。隣の様子が気になって仕方がなかったが手術中であるにもかかわらず時折笑い声が聞こえてくる。
あぁ~順調にオペが進んでいるんだと非常に安心した。

ベッドの上で最後の同意書にサインをした直後、麻酔にてバタンキュウ・・・

誰かに呼ばれたような気がして目を覚ますと主治医をはじめとする移植チームの医師達が一人一人挨拶に来てくれました。手術は大成功と耳元で告げられ「あぁ~我輩は生まれ変われたんだ」と実感しました。
その時、時計を見ると19時でした。

世界レベルの医師団に支えられ我輩の腎移植は成功に至りました。
妻から貰った腎臓は、非常に元気で何リットルもの尿を我輩の身体に溜まった毒と一緒に排出してくれている。
お陰でクレアチニンがみるみるうちに下がっていった。

ICUに3日程お世話になり、4日目に一般病棟に移りました。一般病棟に移った途端血液濃度が少し高くなり「しゃっくり」が出てこれが傷にさわりとても痛かった事を除けば思っていたより辛くなかったように思います。

我輩は、この6年間の間に4ヶ所の病院6名の主治医、多くの関係者の方々に大変お世話になり生体腎移植を実現する事が出来ました。
皆様との素晴らしい出会いに心から感謝致します。誠にありがとうございました。


6年間の透析生活を支えてしかもドナーになってくれた妻に対しては、言葉では表せない感謝とこれからの人生のパートナーとしての絆を更に深めました。
折角頂いた腎臓を大切に、大切にして残りの人生を共に元気に歩んでいきたいと思います。

命を分けてくれた愛する妻へ

かけがえのない二人の子供とかけがいのない命を授けてくれた妻よ!
生まれ変わっても絶対君と出逢いたい