私の頭の中の鉛筆

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マルちゃん 世界のグル麺 アヒージョ焼きそば

2015-11-28 10:39:31 | グルメ

 

爺さんがショートにお出かけ

やわらかい羽を伸ばして

遅い朝ごはん

誰も食べない

マルちゃん世界のグル麺 アヒージョ焼きそば!

食べてみようかな

ところがであります

誰かのために作ったことはあるが

自分で食べるのは何年振り?

これがなかなかぴったりついているシートがはがれない!

なんで?食べるなってことか!

お湯を捨てる小さいのもはがれない!

包丁で切り込みを入れてお湯を捨てて・・・

なんか入れるんだよな・・・

ない!ソースがない!

フィルムと一緒にポリごみ入れに・・・・・

これが見つからないんだ・・・

なんか2つあったよな・・

ないんだって・・

ようやく粉末のソースが見つかった・・

だからもうひとつ

肝心な液体ソース?がない

まあいいか

おいしかったよ!完璧なものではなかったが

今度はソースを捨てないで食べてみましょう

 

むかしむかし

初めてカップ焼きそばを食べたとき

ソースをお湯の前に入れて…お湯捨てて

とても薄味のものを食べました

何かカップ焼きそばとは相性が良くないのか?

 

 

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日本では埋もれた話

2015-11-28 09:30:01 | 親日

 

>>親日国インドネシア独立記念パレード
(日本の軍歌を歌いながら、日本刀や竹やりを持ってノリノリでパレードをするインドネシアの人達)

 

 

>>日本人を祭る廟
あちらこちらの廟や祠に「日本人」が静かに祭られている地など、
日本を除けば世界で台湾をおいて他にあるまい。


嘉義県東石郷の副瀬富安宮では、
日本統治時代の明治三十六(一九0三)年にこの村で亡くなった森川清治巡査を今も祭っている。


画像追加 
副瀬富安宮
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学校をつくり、村の子供に読み書きソロバンや歌を教え、
衛生環境の整備まで身を粉にして働いた森川巡査の姿を、村人は忘れられなかったという。


画像追加 森川清治巡査

201210_morikawa2
http://a-eda.net/blogasia/

 

>>八田與一 

参考画像
940724烏山頭水庫八田與一墓像

統治した台湾で、「嘉南大?(かなんたいしゅう)の父」として
六十万の農民から畏敬の念に満ちた言葉で称えられている日本人です。


八田與一が成し遂げた未會有の大事業「鳥山頭水庫(うざんとうダム)」と、巨大水路嘉南大?。
十年の歳月と(当時のお金で)五千四百万円の日本の予算で、一九三〇年に完成した。

 

 

>>高雄市紅毛港の保安堂では、名も知らぬ日本軍の艦長のものとされる遺骨が祭られている。

日本軍艦の模型をご神体として、
漁民たちが海の安全や大漁を願って朝晩に祝詞の「軍艦マーチ」にあわせてお祈りをしている。
漁民たちは実に真剣だ。


戦後六十五年を経ても台湾の人たちが手を合わせる廟や祠。日本人こそ感謝せねばならない。


飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう) :日華(台)親善友好慰霊訪問団HPより

昔々パチンコ屋さんでは軍艦マーチが流れていたそうだが

パチ屋さんはかの国の密入国者が多いと

ではなぜ当時はそのマーチを流していたのだろう?

 

 

>>某知恵袋

日章旗に文句を言う韓国はパチンコ屋の開店ミュージックの軍艦マーチに何も言わないのは何故なの?

 

 

パチ屋での軍艦行進曲は、日本を貶めると言う目的があるのです。
    もっとも今のパチ屋で軍艦行進曲は掛かっていないでしょうけど

 


こういうニュースを見ることができない日本

2015-11-28 09:24:40 | 親日

 

>>★「やさしい日本兵の神様」が子供たちの歌に/台南市

(台南 1日 中央社)台湾南西部沿岸の台南市安南区海尾には戦時中、
地元村民を守るために自分
を犠牲にした日本人兵士を神として祭る
「飛虎(ひこ)将軍廟」が建てられている。

地元の安慶小学校
ではこのほど、この日本兵の精神を郷土教育の一環として物語や歌にし、
先月末、この神様の誕生日
に発表会が行われた。台湾紙・聯合報が11月30日付けで伝えた。

太平洋戦争(1941~45年)当時、
日本領だった台湾では各地で米軍機による空襲が頻発。

1944(昭和
19)年10月12日午前7時過ぎ、米軍機は海尾にも現れ、
杉浦茂峰曹長が零戦でこれに応戦、だが上空
で米軍の攻撃を受け零戦は大破した。

その時、杉浦曹長は落下傘で脱出することもできたのだが、戦闘機が集落に墜落して
村人たちに被害
が及ぶのを恐れ、そのまま畑と魚の養殖場まで操縦してから脱出を試みた。

しかしそこで米軍の機銃
掃射を浴びて地上に落下、戦死したという。

戦後この場所に亡霊が現れるとの噂から、
海尾の住民が道教の神、保生大帝にお伺いをたてた結果、


大惨事から村民を救おうとした杉浦曹長は将軍神(勇士)としてこの地に祭られることとなり、
1971年
道教式の廟が建てられ、以後村民による感謝の参拝は絶えたことがない。

そしてこのほど地元の安慶小学校では、
黄俊傑校長が郷土教育の中でこの日本兵の「みんなを思い
やる心」を児童らに学んでほしいと、
教諭・児童らで絵と漫画、「飛虎将軍の物語」を作成し、さらに
「安慶人のおてほん」を作詞・作曲、

11月29日、
飛虎将軍の誕生日(陰暦10月16日)に同校では一同
がお廟の前に集まり、
子供たちによる物語の朗読や歌が披露された。


この廟では現在、たばこ好きだった杉浦曹長のために
管理人が朝夕7本のたばこに点火して神像と
写真に捧げ、
日本の国歌「君が代」や軍歌の「海ゆかば」を祝詞として歌っている。

20121202010642_1_1

中央社日文新聞フォーカス台湾
http://japan.cna.com.tw/Detail.aspx?Type=Classify&NewsID=201212010007