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朝日の戦争責任

2015-06-29 21:27:41 | 日記


>>凄まじい戦争礼賛記事


 朝日新聞が軍部礼賛の記事を掲載し始めるのは、満州事変以後のことである。


 「満州事変以前の日本というのは、ちょうど現在の日本のような長期的不況に陥っていました」


 と、前出の稲垣氏がいう。


 「当時は、日本人全体に軍部に対する反感があり、軍人が軍服のまま電車に乗るとうしろ指をさされるような雰囲気
がありました。しかし、満州事変勃発以後、国民感情は転換する。満州国建国によって国内の閉塞感が一気に突き破
られる感じを受けたからなんですが、朝日はそれでもなかなか軍部を持ち上げるような記事は書かなかった。しかし、
そうした朝日の報道に九州の在郷軍人会が不買運動を始め、ライバルだった毎日新聞が、朝日は売国的だ、という内
容のビラを撒くようになる。そこで朝日は役員会を開き、方針転換をはかるのです。朝日は以降、堰を切ったように戦
争を肯定し、推進する論陣を張るようになりました。」


 その変わり身の早さは、戦後遺憾なく発揮されるが、とにかく実際に当時の新聞を見てみるとそれは凄まじいの一語
に尽きる。


<ヒトラー総統独裁>


 と表現していた朝日が、わずか2週間後の2月21日、ヒトラーが満州国を承認する発言をするや、その演説を、


<衝撃の大演説>


<獅子吼するヒ総統>


 と絶賛し、一気に擦り寄っていく。


 親独主義に転じた朝日は、ヒトラー・ユーゲントの来日にまで、


<若き防共使節団帝都入り>


<海路をはるばる来朝したお友達━━ヒトラー・ユーゲント代表>


 と、歯の浮くような歓迎記事を掲載するようになるのである。


 そして、実際に戦争に突入して以降、その軍国報道は驚くべきものとなる。


 いくつか実例を紹介してみよう。


 太平洋戦争勃発に対しては、


<ハワイ・比島に赫々の大戦果 米海軍に致命的大鉄槌>


<米太平洋艦隊は全滅せり>


 と、他紙とそれほどの差はないが、それ以降の工夫を凝らした戦争礼賛記事はやはり他紙の追随を許さない。


<我損害、率直に公表 米、苦しまぎれのデマ>


<”味方”に狼狽、同士討 無電むなし忽ち七十余機撃墜 笑止、ハワイの高射砲>


 と、米軍をさかんに揶揄した記事が出たかと思えば、


<確保せよ”南の富” 洋々たり、我が資源作戦>


 と日本軍の南方進出を誉めたたえ、この戦争が”大東亜戦争”と名付けられれば、


<大理想、直截に表現 対米英戦の呼称決す>


 と、これまた大礼賛を忘れない。そして破竹の進撃を続ける日本軍に、


<初作戦の落下傘部隊 南海の大空に純白の戦列 着陸!忽ち敵陣地へ猛攻 壮絶、海軍のセレベス急襲>


<この万歳 全世界も聞け 一億の歓喜と感謝 けふぞ爆発>


 とばかり、これでもかという称賛を送る。


 やがて、朝日新聞は、報道機関としての立場を完全に逸脱して、戦争遂行のために国民を洗脳し、扇動していく中心
的役割を果たすようになるのである。



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