【米公文書館】従軍慰安婦は裕福な売春婦
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公文書館で確認された報告書
http://japanandworld.net/archives/683 ~引用ここから~
この報告は、1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮人「慰安婦」と2名の日本の民間人に対する尋問から得た情報に基づくものである。
(中略)
多くの女性が海外勤務に応募し、2~3百円の前渡金を受け取った。
(中略)
彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金額に応じて 6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。
(中略)
ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
(中略)
欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの暮らし向きはよかった
(中略)
慰安婦は接客を断る権利を認められていた。接客拒否 は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。
(中略)
1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める胸の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。
(中略)
これらの慰安婦の健康状態は良好であった。彼女たちは、あらゆるタイプの避妊具を十分に支給されており、また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を自分のほうからもって来る場合が多かった。
>>韓国「ニセ」慰安婦 50代の慰安婦も来日! 旧日本軍のへリコプター部隊にジープで拉致された??←第二次大戦中に日本軍はゼロ戦部隊だ!ジープはアメリカ軍!
http://blogs.yahoo.co.jp/ishikawaryou1/9410462.html 故郷の『朝鮮の村にジープに乗った日本軍』がやってきて誘拐され、
『日本軍のヘリコプター部隊』の基地に連れていかれ、
『クリスマス休暇中の日本兵』にコキ使われるなど
『昭和23年まで』解放されませんでした。
日本兵には毎日のように『ブーツで』けられるなど、イジメられましたが
日本兵たちは全員『8発も連射できるライフル』を持っているので、
逃げたくても、とても逃げきれないと思いました。
『ペニシリンを数週間ごとに』注射されて痛い注射を繰り返しうたれました
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日本軍ではないようニダ
韓国元慰安婦が米国で仰天の新証言 日本軍最強伝説! ジープ? ヘリコプター? クリスマス休暇? 「20万人強制連行」の次はこれw
https://www.youtube.com/watch?v=vnruOH_MKXk
>>日本軍撤退後の韓半島には、米兵相手の専門の売春婦がいました。「洋公主(ヤンコンジュ)」といいます。このときに
強制的に売春婦にさせられた女性たちが、日本統治時代のできごとと混同していいる人間が多いようです。
天下布富 多宮さんの写真をシェアしました。 いわゆる従軍慰安婦の証言、実は朝鮮戦争時の洋公主(ヤンコンジュ)だった
慰安婦の証言は、洋公主にピッタリと合致する、やっと、真実が明るみに出た。 洋公主という、名前まで付いているとは
知らなかったが、慰安婦の証言に在るように、軍(韓国軍情報機関員)が(共産狩りや赤狩りと称して)拉致して慰安婦 にされ、
連合軍兵士の慰み物として提供された、収入は極僅かで、その後も辱められ、それで、彼女らが韓国政府に謝罪と賠償を求めたのは当然だ。
狡猾な朝鮮政府は、賠償する代わりに、日本軍に拉致されたと偽証させ、日本に賠償させようと図ったのが、
今現在の慰安婦問題だ、日本は慰安婦を拉致した話は無いので、当然ながら拒否し、それで慰安婦=洋公主は貧しいまま
補償も無く、悪戯に老いていった。 朝鮮戦争の慰安婦だから、ジープに乗ったとか、クリスマスには忙しかったとか、
WW2当時は16歳だったとか、WW2の慰安婦としては不可思議な証言に満ちている。韓国軍「慰安婦」制度は、軍による
拉致された性奴隷制度であり、女性自身は性奴隷であったといえる。
WW2の慰安婦は、業者が新聞広告で募集し、収入も良いので進んで応募し、戦後も豊かに暮らせたから、
そもそも、自ら慰安婦だったと申し出る必要も無い。福島みずほや朝日新聞の記者が韓国政府と共謀して、
朝鮮戦争当時の慰安婦の問題を、無関係な日本に押し付けた。
朝 鮮戦争中は軍直轄の慰安所だったので、前線に慰安婦を送るときには1人ずつドラム缶に押し込み、“補給品”名目で
トラックに積んでいたという。「第5種補 給品」とも呼ばれた訳である。 韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書
「後方戦史(人事編)」には「固定式慰安所-特殊慰安隊」として記述があり、軍慰安所の存在を裏付けるものだ が、
現在は閲覧不可の状態になっている。朝鮮戦争後、それを管理していたのは朴大統領の父親、
朴正煕(パクチョソヒ)元大統領であった。