出家ってなんでしょう。
仏道に励み極楽往生を願うことのようですが、
明子の子息は若くして出家しましたし、
道長の父親の兼家も晩年に出家でしたね。
昨夜のドラマでは、
藤式部(紫式部)の父の為時も出家でした。
42回では、
藤式部(紫式部)が出家しようかしらなんて言ってましたし、
詮子(一条天皇の母)は円融法皇が崩御した後に出家。
定子は出家しながら内裏へ出入りしてました。
(実資の日記には批判が書かれてありましたよ)
彰子は万寿4年(1026年)39才で出家してますが、
母親の倫子は長歴3年(1039年)75才で出家と遅いのです。
以下の青文字は、
NHK「光る君へ」の冊子コラムからお借りいたしました。
平安時代中期になると、
貴族たちは極楽浄土へ行くことにこだわるようになっていました。
そのための方法の一つが出家です。
出家には、
極楽浄土にいる御仏に仕える身となって奉仕し、
少しでも極楽へ行けるようにという願いが込められているんですね。
なので晩年に自分の意志で出家する人もいましたし、
病気で倒れた方の死を覚悟し、
家族が当人の極楽往生を願って、
剃髪(ていはつ)を受け入れることもあったようです。
当時の貴族たちは「必ず極楽へ行きたい」という、
純粋な願いから出家をしていました。
若者の場合には寺で修行のようですが、
大人の場合は在家出家で、
出家しても政の相談にはのっていたようですし、
現世(現生)とキッパリ手を切ってということではないのですね。
昨夜放送でも藤式部の娘の賢子が、
出家をするという為時に、
家に居て会えるなら、
おじじさま、それでは何も変わらぬのではないですか。
などと言ってましたね。
良くわからない平安時代の出家ですが、
出家すると男性は剃髪(ていはつ)にしたようです。
このドラマでは、
道長の父の兼家・花山天皇・一条天皇・
三条天皇・藤式部の父の為時が剃髪でしたねぇ。
女性が出家の場合は直ぐに剃らず「尼削ぎ(あまそぎ)」という、
肩くらいの長さで切りそろえた状態にするのだそうです。
そして後に、
男性のように剃髪されることもあったらしいです。
出家してない女房たちの長い髪は大変だったでしょう。
髪の毛は御盆のような箱に入れて寝てますね。
(以前の放送)
男性にせよ女性にせよ、
髪を切るって神聖な行いなのですね。
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第44回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
昨夜も盛沢山。
三条天皇の姫皇子を道長の嫡男頼通(よりみち)の妻にと言う、
三条天皇からの申し出に頼通は、
そのようなことを私にお命じになられるなら、
私は隆姫を連れて都を出ます。
道長と藤式部(まひろ)もかってそういうことがありましたね。
ふたりで藤原の家を出て遠い国へ行こうと。
道長はそのような自分の若き日の苦悩を想いだしたのか、
婚姻を断るために頼通に病になれ怨霊のために重病だと噂を流し、
嫡男の頼通を守ります。
文句言うな隆姫を守るためじゃ。
大声で頼通に言うところにはちょっぴり胸を打たれました。
まひろ(藤式部)と父・為時。
わしは官人にはむいておらぬゆえ皆には苦労をかけたなぁ。
父上長らくご苦労様でございました。
月明かりの中の二人の対話は、
いつもしみじみとしていい感じですね。
暮のあいさつに参ったと藤式部の房を訪ねた道長。
道長さまの想いが頼通さまに伝わらなくも、
次の代その次の代と、
一人で成せなかったことも時を経れば成せるやも。
このドラマの伏線のような話をしましたね。
(私にはそう感じられたのですが)
この時の道長の顔つきは、
とても安堵しているような落ち着きが出てました。
でもそこへ倫子さま。
えっ?殿の物語を書いてほしい?
赤染衛門に頼むのではなく?
何だか嫌がらせのように見えましたけど、
彼女はみんなお見通しですものね。
場面が変わり、
闇だ・・・
闇でない時はあったかのう。
闇を共に歩いてくれて嬉しかったぞ・・・
三条天皇は無念であられたことでしょう。
敦明親王(あつあきらしんのう)も父である三条天皇に亡くなられ、
先行きに不安を覚え、
自ら申し出て東宮を降りることになり、
後一条天皇(道長の孫)の弟の敦良親王(道長の孫)が、
東宮の座に就いたのですね。
このことには棚ぼただったというような気持ちの、
道長だったことでしょう。
そして、
道長の娘の威子が後一条天皇の中宮になり、
それを祝う宴席。
彰子が太皇太后、妍子が皇太后、威子が中宮と3つある后の席が、
道長の娘。
道長の息子は後一条天皇の摂政ですから、
「全て満たされた」という想いはあったでしょうね。
かがり火のなかでの頼通と教通の兄弟の舞は良かったです。
雅楽は琴・太鼓・笙(しょう)でした。
二人の衣装も華やかでしたし、
盃を回すときの音楽が良かったですね~
美しい品のある旋律が印象的でした。
宴席より月に向かって歩いて行く道長が、
月を観ながら歌を詠むのですが、
このドラマでは若き頃、
廃邸でまひろ(藤式部)と見た月とも重なり合ってるのですね。
そして以前、
めずらしき光さしそう盃はもちながらこそ千代もめぐらめ
藤式部(紫式部)が若宮の祝宴で詠んだ歌に対して、
道長は、
よい歌だ。覚えておこうといっておりました。
ですので、
藤式部(紫式部)の歌に呼応する形で、
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば
と、
詠まれたのだとドラマではなってるのかな。
長くなるので、
この歌の部分は次回へ持ち越します。
ではまた来週。
出家により、死後の幸せを願ったとしても、多くの方が出家で救われるのなら良いと思います。
御盆の上の髪の毛は、上から映していた女房方の映像で観ましたが、髪の毛邪魔だったでしょうね~~
長~い髪は貴族階級だけだったと思います。庶民は働くのに邪魔でしたでしょうし。
仏教は奈良時代・平安時代・鎌倉時代と変わっていきますね。
鎌倉時代は武士も庶民も出家があったようですね。当時は出家と言うだけで、気持ちが少し穏やかになったのかな?救われたような❔感じで・・・
昨日、さらっと見たドラマでしたが、ここまで深く解釈なされていることには驚きです。
もう、『なるほど!』だらけでいっぱいです。
私は、このドラマ、二人が無言で視線を交わしあう場面が、想像が膨らんで、たまらなくすきなんですけど・・・。
それを、ここまで的確に言語化してもらえると、これはこれで、面白さが深まります。
ありがとうございました。
次回も楽しみにしています。
私の勝手な感想だけです。文章表現が上手くないのですが、今回のドラマを楽しんでます。
昨晩は、本妻である倫子の満ち足りた顔と、道長と、少し戸惑いながらの藤式部の表情とが特にあらわされましたね。
そういう表情をどのように読み取るかは個々の想像でしょう・・・
私の記事は、紫式部日記や源氏物語や、このドラマの構想やらがごちゃごちゃになってますので読みにくいと思います。
でもあと4回・・・義理で観られない夜はNHKオンデマンドでみて書こうと思います。
最後まで楽しみましょう(^^♪
今回は私も出家に関して考えました。時代があまりにも違うので難しいのですが、昔の本を読むとかなりの人達が出生する事が何となくですが、分かった気がします。
皇室でも、昔は女性皇族が大きなお寺に出られ事があり、何とお気の毒と思ったりもしました。
それにしても髪の手入れなどは本当に大変だったでしょうね。現代に生まれて良かったと思います。あと残り少なくなりましたが、楽しです。なおとも
出家ってなんなんでしょうって思って・・・
でも少しは、もう世俗から離れたいというお気持ちからかな?
出家と女院号宣下は必ずしも関係はなくというようなお話で○○院とついても出家は関係ない?
戒名に「院」が付くことが多いような(我が家神道でよくわかりませんが)。
皇女が出家と言うお話は聞いたことがあります。尼寺へかな❔不勉強です。
わからないままに、ああでもないこうでもないと書いて、あと4回楽しみます。終われば師走の半ば…(;^_^A
(⋈◍>◡<◍)。✧♡
今日は来客で、それも客間でなくダイニングで~との爺様のお達し。お客様目線でのお掃除をしました(笑) リビング側にはウサギもいるし(笑)
>アイコンタクトが、なんとも秘めた恋で
これでもか、これでもかと映してましたよね~~
私も倫子さまの目が気になりましたが、彼女は非常に満ち足りた余裕のおもむき!!でしたね~~
今日は非常に冷え込んだと思います。茶々丸くんと暖かくしてお過ごしくださいね♪
まひろとの思い出のほか、道長には何が残ったんだろうとか思って・・
得意絶頂ではなかったんだな~って☁
>まひろとの思い出のほか、道長には何が残ったんだろうとか思って・・
私は今回のドラマで傲慢ではない道長像が描かれるのではと期待してました。
そういう意味では、>得意絶頂ではない 道長が描かれてました。
道長が藤式部を振り返る場面・・・別れを予感しました。
大石さんは、紫式部と道長を結び付けてソウルメイトとしてますので、少し道長像は軽くなるのかな??
あと4回・・・楽しんで?見ていきましょうね(*^^*)