役者さんてすごいですね。
実年齢が30代で、
10代を演じたりするんですもの。
満年齢で表しますと、
高畑充希(定子)1991年生まれの33才で14才を演じる
見上愛(彰子)2000年生まれの24歳で12歳を。
吉高由里子(まひろ)1988年生まれの36歳で16才を。
柄本佑(道長)1986年生まれの38歳で20歳を。
黒木華(倫子)1990年生まれの34歳で22才を。
皆さん10才20歳くらい、
簡単に若返られるのね。
役を演じる幅があるということです。
(何か月も咲いてくれてるミニの胡蝶蘭)
また寿命というものは、
長生きする人も短命の方もいらっしゃいます。
定子は24才の短命。
彰子は86才の長命。
まひろ(紫式部)47才説~62才説。
道長は61才。
倫子は89才。
わかりやすいように、
いずれも満年齢で求めましたが、
生年はわかっても月日まではわかりませんので、
1才前後の開きがあります。
当たり前でしょうが、
同じ時代を生きていても命の長さは、
それぞれなんですね。
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第28回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
まひろ(紫式部)は賢子(けんし・かたこ)を産みます。
ドラマでは道長との子であるけど、
ないない!(実資の口調)
史実では夫・宣孝の子ですけど、
この物語は、
「源氏物語」とリンクさせてるようですから、
あるある!でいいのかも(笑)
でも実のところ、
本人に聞いてみないとわからないことですが、
今後どういう展開なんでしょうね。
道長と賢子の親子対面もあり得ますね。
まひろ邸の、
対の几帳は白を基調にしていて、
綺麗でした。
父親の出世や宣孝の妾(しょう)になってから、
どことなく、
華やかな屋敷になってきました。
そして一帝二后(いっていにこう)について、
蔵人頭の行成と一条天皇の場面は、
見ごたえがありました。
おそれながら、
お上はお上であらせられまする・・・
お上、
どうかお覚悟をおきめくださりませ。
実直な行成は自分の出世より、
苦労をしている、
道長を支えるという感じで、
事にあたったんだと思いますが、
相対する、
一条天皇の苦悩する表情の変化が秀逸でした。
定子は出家した身ですから、
彰子も后にという意見に、
反対する参議たちはいなかったのですね。
宣孝はまたまた、
道長に子供が授かったと報告に行くのですが、
馬2匹献上と言ってましたよね。
2頭でなく2匹??でしたが、
実資の日記「小右記」には、
別の方の話で疋(ひき)と記されてます。
左大臣に献上された馬6疋のうち、
1疋を実資は頂いたと。
定子と一条天皇。
2人の気持ちの通い合いも心に残るものでした。
定子は姫御子(姫皇子とも)を出産し、
世を去りました。
放映では25才でと言っておりましたが(数え年)、
悲劇の后(きさき)でした。
(976~1000)
その時々で発せられた聡明な定子の言葉の数々。
忘れられません。
かたや、
后に奉りたてられた彰子は12才。
見ていて痛々しくて。
彰子の立后の時に映った布で出来た赤い靴。
天皇に贈られたもので、
草鞋(そうかい)といい、
内裏(だいり)の正殿である紫宸殿(ししんでん)や、
大内裏(だいだいり)の正殿である、
大極殿(だいごくでん)で使う履物なのだそうです。
そして様々な過労が重なり、
高松殿(明子)の目の前で、
心(しん)の病で倒れ危篤になった道長。
三途の川を渡りそうになりますが、
「行かないで・戻ってきて」
まひろの声で、
現世に呼び戻されます。
「まひろ」
道長の「まひろ」とつぶやいたのを、
明子は聞いていますよね。
だから、
道長が意識を取り戻した時、
「明子でございます」なんて言ったのではと。
今は知らぬ「まひろ」と妻「倫子」への、
対抗の言葉だったのではと、
想うのですけれど、
明子は『源氏物語』の
六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)を、
モデルにしているようですから、
妻の倫子に向ける目も、
鋭いものでした。
あの方、
今後怖いですよ~~
でも正妻の立場の倫子の落ち着き。
堂々としてましたね~
まひろ邸で、
月に照らされ青色に浮かび上がる、
まひろの道長を想い涙する姿は美しい映像した。
非常に濃い内容の28回でした。
(映像写真はNHKよりお借りいたしました)
ではまた来週。