双寿丸が登場しましたが、
彼は武士(ぶし)なのではなく、
武者(むしゃ)ですね。
双寿丸は、
ぶしゃと言ったように聞こえましたが、
発音は現代と平安時代では、
違うでしょうからいいと思いますが、
江戸時代などで言う武士とは違い、
平安時代の武士は、
<系譜が明らかなこと><位階と官職を持つこと>
だそうです。
つまり、
朝廷に認められたのが武士なのですから、
そうでなければ、
ただの武者だそうです。
(光る君へ時代考証 倉本一宏さんのお話)
なお、
武士は貴族から生まれ、
貴族が武士を育てたとのことですが、
次第に力を持っていきますよね。
ドラマでは、
武士が政権をとるまで、
まだ180年あるあたりですが、
もうそういう萌芽がでているのですね。
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第41回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
東宮の敦成(あつひら)親王
あの撫子の花の色は、
灰鼠の衣装の色合いに映えてましたね。
そして中宮の歌もいい歌でした。
見るままに 露ぞこぼるる おくれにし
心もしらぬ なでしこの花
三条天皇は、
なかなかのやり手のようで、
人選が今までとは違いますね。
一条朝を、
改革?しておられるような感じに思いました。
一条天皇が身罷られ傷心の、
中宮彰子を励ます歌の会。
御簾越しに見える色合いが美しく、
その場で詠まれる歌も情緒あって、
女房の宮の宣旨(小林きな子さん)の表情に、
心が和みました。
というのに、
ききょう(清少納言)の登場でぶち壊し。
ここは、
私が歌を詠みたくなるような場所ではございません。
何だか失礼な清少納言。
ドラマですから脚色されてますが、
確かに『紫式部日記』には、
清少納言の悪口は書かれているのです。
実際に紫式部と清少納言が、
面識があったかどうかは別として。
ほの暗い月を見あげる藤式部と道長。
政権トップとしての、
道長は孤独なのでしょう。
そんな中で、
藤式部(紫式部)だけは自分を理解してくれる。
と、
思いたいのでしょうね。
でも、
2人の気持ちが少しずれ始めてる??
定子のお子である敦康親王は、
彰子を母のように思い慕っているのですから、
(少しは恋心はあるかも)、
元服をしたのにも関わらず、
御簾をあげて入ってきてしまいます。
(後方に控えているのは行成)
そのことを行成は、
道長に強く咎められるのですが、
恐れながら、
左大臣様は敦康さまから、
多くのことを奪いすぎでございます。
と、
道長に意見しました。
行成あっぱれ!!
俺に意見するのか
と、
左大臣(道長)は行成に言うのですが、
左大臣様がおかしくおわします。
と、
返すのです。
上司に向かいハッキリと意見を言える、
行成は立派です!!
今回は、
左遷を覚悟で言ったのでしょう。
中宮彰子もまた、
この先も父上(道長)の意のままになりとうない。
と、
決意します。
妾(しょう)明子の次男:顕信(あきのぶ)について、
顕信には蔵人頭はまだ早いと、
父親の道長が三条天皇に断ったために、
私は父上に道を阻まれたのですね。
私はいなくてもよい息子なのでございますね。
と、
顕信は出家をしてしまいます。
顕信さま、
お若いのですから、
急いては事を仕損じますぞ。
もう間に合わないですけれど。
妾(しょう)の明子も、
けっして貴方を(道長を)許しませぬ。
なんて言ってしまうんだし。
ああ~ああ~
明子さま方は感情的過ぎます。
お怒りはもっともなんですけどね。
正妻:倫子の長男は、
次男が先に取り立てられても、
長男(頼道)は耐えてますよ。
色いろ盛りだくさんで目が廻るような回でした。
(写真はNHKよりお借りいたしました)
ではまた来週。