皆さんお久しぶりです。
トレーナー、副将の西川志歩です。
皆に続き、私の四年間を語らせて頂こうと思いますので、少々お付き合い下さい!!
「ねぇねぇ、ホッケーしない?」
「ホッケー?何それ、せぇへん。うちバスケやるから」
これが翔子と千滉との出会いでした。
二人のお誘い、バッサリ断ってごめんね!笑
そのまま夏になり、たまたま翔子と電車で遭遇。
今考えると、ここで翔子にたまたま会ったことが、
私の大学生活を大きく変えることになったのかなーと思います。
私はとにかく夏休みが暇だと翔子に話したところ、
「男子ソフト部がマネージャー募集してたで」
「男子か~男子には興味ない」
「。。。ホッケー部でよくね?」
「あ、いーねー決定!」
とまぁこんなにも軽く入部が決定したのでした。笑
そう、入部理由、夏休みが暇だったから。
ただそれだけです☆←
そんなこんなでホッケー部でのマネージャー生活がスタート。
後輩のみんな、私初めはマネージャーだったんだよ~!!
そんな私がトレーナーに転職?したのは、有美さんの存在があったからです。
有美さんはマネージャーの私に、
基本的な救急処置、テーピングを教えてくれました。
マネージャーとして、存在意義に悩んでいる中、
有美さんのプチ講義が楽しくて楽しくて。。。
その年の早慶戦の交歓会で、当時の監督、錦織さんに
「私、トレーナーになります!」
と宣言したのでした(^^)
そこからは有美さんの優し~い指導のもと(笑)、
解剖学やリハビリ、トレーニングなどを、マイペースに学ばせてもらいました。
今考えると当時ちゃらちゃらした私によく根気強く教えてくれたなぁと思います。
私だったら
「まずエクステ取って髪色暗くしてこい」
と激怒したでしょう。。。笑
そんなこんなで有美さんが引退され、一人でチームを任された3年生。
未熟な私の意見を尊重してくれる周りの環境に、
いつもプレッシャーを感じていました。
他の部と違い、
・トレーナーの指導者がいない
・人数が少なく怪我人を出せない
・現場、リハ、コンディショニング、全てを担わなければならない
・充分な器具が揃っていない
というホッケー部の環境。
スポーツ医学を勉強してたった1年。
自分は間違った指導をしていないだろうか。
私のミスでチームが負けてしまわないだろうか。
実はいつもいつも不安でした。
でも、周りからの、
頼りにしてるよ
志歩のおかげでよくなったよ
という言葉で私はとっても救われました。
今出来る全力でチームをサポートしよう、
もっともっと、チームの役に立てるようになろう、と思えました。
春にアリゾナでの解剖実習も経験し
3年生は私が一番大きく飛躍できた年かな、と思います。
4年生では、本当に好き勝手させてもらいました。笑
年間でコンディショニングのスケジュールも立てることもでき、
ある程度仕事の能率も上がってき、少し余裕も出てきました。
まだまだこれからという時期。
そーんな矢先に引退なんて。
とってもとっても寂しかったです(T_T)
4年間、スタッフではあったけど
楽なことばかりではありませんでした。
ここまで頑張れたのは
ホッケー部の皆のおかげです。
皆に元気よくホッケーをしてほしくて、活躍してほしくて。
そう思えたから、深夜の解析もfeedbackも、
毎日のリハも頑張れたんだなぁとつくづく思います。
皆ほんとにありがとう(>_<)
最後に、ホッケー部に入るきっかけをくれた偶然と、
早稲田ホッケー部に関わる全ての方々に感謝致します。