正論 亀仙流ヨ-ガ健康術

40年間の病気の挙句、禅の修行修行によって、健康得ることができました。
現在は東漸寺の小島老師と禅を指導してます。

教育(1) 真の教育

2008-04-30 04:53:13 | Weblog
真実
『人間は誤りから真実に進むことは決してない、真実から真実に
只真実の程度をますことができるだけである』

今の教育と政治
知、徳、体が教育の根本でありながら、もっとも重大な魂と徳の教育していないのだ、知識に重点を置いて、知識のみの教育を行っているのだ。
魂と徳の教育というものが、教育者には、理解出来ていない、教育者が無知である限り、正しい教育ができる道理がないのだ。
馬鹿な教育関係の人間が、道徳は押しつけるものではないといっていたのには、馬鹿さ加減も良いところである。
人間の人生の指針である、道徳も教えてないで何をしているのだ。

宗教(36) 診断

2008-04-29 05:09:31 | Weblog
禅と診断・治療
自分の診断は、禅をやっていると『気』エネルギ-の流れが分かるので、『気』エネルギ-の切断したところ感じると、その部分が患部だから、すぐに診断ができる。
私は医者の治療で胃も十二指腸も取っている、その為に副作用で苦しみ、癒着しているので、毎日自分で自分の体を修理している状態だ。
他人対して治療の方法も指導できる、しかし所詮は私が病気を治す事はできない、本人の治すという意欲だけである、私も正しい治療法をお教えするだけである。

強い剣
一番の強い剣はバングリ-と『気』エネルギ-の剣だ、二番目は小食によって、『気』エネルギ-を溜めた剣だ、3番目は身を守る剣だ。
治療法については詳しくは『お釈迦様が教えた健康法』叢文社又は近刊の『仏陀の教えた不老長寿の道』を参考にしてくれ。はっきり言って、禅は宗教ではない、神・仏は一切存在しない。そして修行によって、自分の免疫力を高めて病気を治すのである。
禅の修行といっても、自己の頭を子供の時代に戻すだけだ、まことに簡単なことだ。

毎日決めた時間にしている食事の代わりに、時間を決めた呼吸と、ユックリとモッタイナイ、感謝すると間違いなく健康になる。

皆さんの健康をお祈りいたします。

正直

2008-04-28 05:40:56 | Weblog
正直
お宝鑑定を見ていたが、偽のお宝でだまして借金した人は、たいていが末路は良くないで、最期は何処に行ったが分からないという人が多いが、だまされると言うことには、2つある。
当人がだまされていると言う場合と、初めからは偽物として、知っていてだます人、どちらも末路は良くない、だまされる人は、鑑賞眼がなく、しばしばだまされてていると言うことである。
しかし救いはある、鑑賞眼さえ養えば、次第に良くなる。
しかし始めからだますつもりの人は良くない、やがて末路が良い人は見たことがない、大抵は、病気したり、行方不明になったりしている。
正直者に神宿ると言うことは、誠のことである、自分の誇りを消してまで、金を儲けても自分が傷つき年取ってから良い生活が出来る道理もないのだ。
目先の金銭を程恐ろしいものはないのだ。

宗教(35) 出世

2008-04-28 05:18:27 | Weblog
出世
I 氏
お弟子さんの一人のI氏は、私と同じ会社に勤めていたのだが、45才で出世もできないで、女の子に使われている状態だったが、彼も悩んで、禅をやっていたらしい、私が梅城老師に入門すすめたところ、快く承諾してくれた。
その後一緒10年間、一緒に禅を修行したが、窓際族から一挙に出世して、課長までなり、今も一緒に座禅をやっている。

G君
もう一人のお弟子さんG君だが、2年前に私に入門した、彼は喘息の患者で10年医者にかかったが、治らないといういう事で私の所にきた。私に対して約100の質問したのは、子供と同じだ。私が彼に対して納得した回答したので、かれは感激した。
私が治す方法を教えると、早速歩き方を変えたので、私は大丈夫と思ったが、彼は帰った時には喘息は治っていた。
彼はそのことをメ-ルで教えてくれたのである。
今は会社の考課も最高になったという事だ。大変に禅の功徳を受けたと喜んでいた。
初めのうちは母親はそんな新興宗教ものを信じたら駄目ともう反対であったが、今は習いに来たいという事である。お父さんは今月から出席しているのだ。

N先生
整形外科の先生が、医者の癖にガンになって、友人の勧めにも、絶対手術はしないで、禅で治した。未だに再発してないので、大丈夫だ。
其の他多数人が、完治してる。私の実体験によるもので、決して他の宗教のように、信じたら治るという安易なものではないのである。

宗教(34) 魂と知恵と剣

2008-04-27 05:10:50 | Weblog
魂と右脳の剣
剣禅一致というが、禅というものは、剣の訓練や修練をしないが、剣の練習は瞬発力と集中力であるので、禅の修行は剣の修行と同じだ。剣の戦いや、習字や其の他の芸術ができるかというということだ。
チ-タ-の動きを見たらよく分かる、彼等は魂と知恵で獲物を捕るのだ、だから空腹で『気』エネルギ-が無くなった時に全力がでるのである。
空腹の時がもっとも身が軽いのだから、腹が膨れると寝ている、子供は別として、親になると、獲物をとる訓練していたのを見たことがないのだ。
彼等は動物は寝て、腹式呼吸していて、逃げるときも早いのだ。彼等は獲物をとるコツが、技術ではなく、精神・仏力と『気』エネルギ-と集中力にあることを知っているのである。
知識だけの人間には、到底彼らの真似は出来ないのだ。

猛練習は無駄だ
人間も動物と同じ飢餓の技術をマスタ-すると、オリンピックの金メダルなんかイチコロだ。私が年なので、文書でしか教えること以外にできないのは、残念だが、賢明な方はこの文で十分と思う。
しかし私は書や写真や絵を一日勉強するとすぐに相当の書が書ける。習字の先生が私の2字練習し、3字目の字には一言もなかった。これは私が筆先に心を置き集中するからだ。
腹が膨れていて如何に猛練習してもそれは無駄である、昔ボクシングの石松が、減量で腹がペコペコであるにもかかわらず、選手権を守ったのである。
スポ-ツでも競技はそれは全て勝つのは気力である、肉体ではない、その為には禅によって臍下丹田に気力をタメるべきである。
私の『仏陀の教えた不老長寿の道』発売に『気』エネルギ-について詳しく載っているのだ。
気力のこもった字は美しいのだ。誰か一人でも、温故知新で、昔の武術を座禅によって会得してほしいものである。
スポ-ツ選手の猛練習は、活性酸素を溜めて短命に終わる、健康な生活を暮らすためにするスポ-ツが短命では意味がないのだ、是非動物を見習って欲しいものだ。呼吸法の練習してない人には、腹式呼吸(丹田呼吸)吐くことは激しい運動ということを知ってほしいのだ。宮本武蔵や塚原卜伝の禅による野生の剣である。

宗教(33) 宮本武蔵

2008-04-26 05:02:28 | Weblog
宮本武蔵
宮本武蔵は未だに何処で剣を学んだか不明だが、私は彼は先天的に野獣のような目で戦ったと、やはり沢庵禅師に禅の心を学んでいた。
現代のスポ-ツマンで剣道でも柔道でも、目を見て戦っているのを見たことがない、トラでも人間に睨まれると攻撃できない、しかし目をそらしたトタンに襲いかかるのだ。
然し時代が流れるに従って、キレイな剣に変わってきたのだ、このことは書でも『気』エネルギ-の書と近代ではキレイな書に変わってきた、今では良寛の書は貴重なものになった。
今の書は本当の書ではなく絵である。気力がないので、頼り体ものである。

禅とヨ-ガの瞑想
禅と瞑想は、何処が違うかというと、禅は常に現世の戦いだ、その為に相手が切りかかってくると、瞬時にかわす行為だ。
ヨ-ガの瞑想は来世の輪廻を絶つために修行する。切りかかられると切られる、無抵抗主義だからよけることができないのだ。
来世は輪廻を断ち、虫とか獣に生まれないための修行だ。瞑想と違って禅は、座禅の最中に常に半眼を開いて、畳を見ているのだ。
禅を習得すると、目を開けていなくても、『気』エネルギ-で気配を察してよける事ができるのだ。

宗教(32) 実戦

2008-04-24 04:52:21 | Weblog
捨て身
剣術の試合のときに、目を見ていると、相手の目と心が一瞬でも動くと、突いた、だから以前の剣はナリフリかまわないものだった。あるお百姓が、自分の父が打たれたので、何とか仇討ちをしたいと、申し出てきた、しかし相手は剣の達人だ。
師匠は仕方がないので、毎日10年の間、木に向かって、突きをいれたそうだ、10年の間に木に穴が開いたのだ。

実戦
師匠は、若し相手の目を見つめて、目が動いたら相討ちを目指してノドを突けと指導した、やっとは試合を申し込ましたが、相手はバカにしていたが、相手の目が動かないので、仕方なく自分から仕掛けて、突きを受け殺されてた、お百姓は本懐を遂げたのだ。
この物語が、禅と何処が関係があるかいうことだが、禅の修行は目が一点を見て動かさないことだ。だから剣禅一致と言われたのである。
相撲の白鵬の目は、禅をしているときの目だ、彼はその半眼によって、集中力を高めている。昔の剣術は突きが主であったので、直刀が多かったのである。

宮本武蔵
宮本武蔵は未だに何処で剣を学んだか不明だが、私は彼は先天的に野獣のような目で戦ったと、やはり沢庵禅師に禅の心を学んでいた。
現代のスポ-ツマンで剣道でも柔道でも、目を見て戦っているのを見たことがない、トラでも人間に睨まれると攻撃できない、しかし目をそらしたトタンに襲いかかるのだ。
然し時代が流れるに従って、キレイな剣に変わってきたのだ、このことは書でも『気』エネルギ-の書と近代ではキレイな書に変わってきた、今では良寛の書は貴重なものになった。

宗教(31) 捨て身

2008-04-23 05:14:18 | Weblog
見切る
見切るという、戦いのときにやっていたのだ。如何なることかというと試合のときに、相手の目の中を見ていた。
目を見ていたのではない、集中力によって、相手の目の中を見ていたのである。目を見るという事と目の中見るという事は全然違うのだ、心の中まで見ていたのである。
しかし今の剣術は防具を着けているので、目を見ることはできない、竹刀の先の動きを見ているのだ。
だから今の試合では目を見ている人はいない、戦国時代は、スポ-ツではなく、実戦だから、負けたら死ぬのだから、自分の身を捨てても相手を倒す必要があったのである。

捨て身
剣術の試合のときに、目を見ていると、相手の目と心が一瞬でも動くと、突いた、だから以前の剣はナリフリかまわないものだった。あるお百姓が、自分の父が打たれたので、何とか仇討ちをしたいと、申し出てきた、しかし相手は剣の達人だ。
師匠は仕方がないので、毎日10年の間、木に向かって、突きをいれたそうだ、10年の間に木に穴が開いたのだ。

捨て身

2008-04-22 04:58:00 | Weblog
見切る
見切るという、戦いのときにやっていたのだ。如何なることかというと試合のときに、相手の目の中を見ていた。
目を見ていたのではない、集中力によって、相手の目の中を見ていたのである。目を見るという事と目の中見るという事は全然違うのだ、心の中まで見ていたのである。
しかし今の剣術は防具を着けているので、目を見ることはできない、竹刀の先の動きを見ているのだ。
だから今の試合では目を見ている人はいない、戦国時代は、スポ-ツではなく、実戦だから、負けたら死ぬのだから、自分の身を捨てても相手を倒す必要があったのである。

捨て身
剣術の試合のときに、目を見ていると、相手の目と心が一瞬でも動くと、突いた、だから以前の剣はナリフリかまわないものだった。あるお百姓が、自分の父が打たれたので、何とか仇討ちをしたいと、申し出てきた、しかし相手は剣の達人だ。
師匠は仕方がないので、毎日10年の間、木に向かって、突きをいれたそうだ、10年の間に木に穴が開いたのだ。

宗教(30) 能力開発

2008-04-21 05:00:42 | Weblog
能力の開発
禅は如何なる能力を高めるか、禅を習得することは、あらゆる分野に置いて技術を習得して、権威者になることは間違いないのだ。
其れではなぜこの様に能力を高めることができるかというと、座禅は正しい姿勢、正しい呼吸しているので行動に歪みがなく、すべてが正しい判断ができるのである。魂と知恵が発達するのだ。

左脳(知識)のスポ-ツ
今の剣法は、あらゆるスポ-ツは左脳(知識)働きを中心にしたものだ。スポ-ツの時の左脳は大体左脳の働きは自利だから、常に保身を主にしたのものだ。
次第に近年になって実戦と言って、古武道の木刀や真剣の試合、寸止めだ。次第に衰えていったのである。
これは進歩ではなく、剣術においては退歩であった。塚原卜伝以前の剣は攻撃だけだ、宮本武蔵時代の剣は違うのである。
どこが違うかというと、今の剣術は、攻撃の剣より防御を主体としているのである。
今の選手は猛練習によって集中力を高めているのである。これも誠に結構であるが、実際には必要がないのである。
昔の道場で合理化したのは、吉岡剣法であるが、宮本武蔵によって簡単に破れてしまうのである。
棒振りの剣法が野性の剣法に勝てなかったのである、それは彼は対して棒振りはやらなかった、沢庵禅師について、禅の修行をしただけだ、技術が気力を圧倒したのである。
無駄なことをしている、スポ-ツ選手は活性酸素を溜めるので寿命も短いのである。