正論 亀仙流ヨ-ガ健康術

40年間の病気の挙句、禅の修行修行によって、健康得ることができました。
現在は東漸寺の小島老師と禅を指導してます。

国益

2008-04-20 05:28:56 | Weblog
国益
各新聞社が、サンケイ・朝日が国益について論じていたので、一言各新聞は誠に幼稚である、国益とは確かに必要であるが、人間でいうと利己主義である。
一国の利益が、他国を侵害するのである、今の中国やチベットの資源の強奪、日本の石油の泥棒、これが国益である。
日本も国益を行えば、中国と同じく世界から非難されるのである、アメリカも原爆を持つという正当性は何もないのだ、だからやがて衰退するのだ。
新聞は国益をある程度非難しているが、其れでは何して良いが分かっていない、石橋総理を見よ、彼は正論だけである、そして世界の平和に貢献したのである。
びくびく者の新聞社は、正論に目をつぶりたいのだ、今の日本国民の代表である。今やるべき正論と実行は、日本はアメリカに原爆の放棄を勧めるべきである、日本は勇気を持ってやルへ来てある。
憲法第9条の守られないものを放棄して、永世中立宣言をして、徴兵制度をしき他国を侵略する国に対しては、原爆を持っても断固として、戦うべきである。

宗教(29) 不退転の決意

2008-04-20 04:38:54 | Weblog
北条時宗
蒙古襲来のときに、彼は無学祖元を中国から招待して、禅の指導受け、蒙古を破ったのだが、その時の彼は決意するために、蒙古の使者を切り、来襲に備えたのだが、それは一国をかけた大勝負であった。背水の陣は奇跡を起こすのである。
時宗も恐ろしかったと思う、彼は禅によって魂と知恵の能力を高め、予知力を発揮し、気力を充実して勝ったのだ。
日本の侍の戦いぶりも凄かった、負けるとは思っていわなかった。時宗の念力によって、思い上がっていた(増長慢)フビライは判断を間違い、もっとも危険な季節に来襲して、神・仏の力で台風にあったのだ。
諸葛孔明は彼も風を起こして、赤壁の戦いで勝利している。神・仏よる力とは信じがたいが事実は現実だ、念力によって相手が判断を誤るのだ。
第二次世界大戦中も神風々々と言っていたが、禅もやってない軍人に神風がくることもない、机上の空論で、戦略上のミスばかりしていて、勝てる道理がないのだ。

禅の悟りとは
それは簡単に言うと、禅の教えは、子供に帰れと言うことだ、まことに簡単なことである、今まで持っていた知識を捨て、金銭的欲望に従った思考を捨てると、自然が自分を導いてくれるのだ、これが天道である。
これほど気楽なことはないが、我が強いと、流れに棹さし、ストレスを生ずる。天道に従わないのは、高速道路を逆走していると同じなのだ。正しいこと知るためには、禪や瞑想以外はないのだ。
禅こそ日本を救う道だ、タイやミヤンマ-のように、大多数の人が小乗仏教や瞑想を修行したら、日本は江戸時代のように世界で幸福度一番のなることは間違いがないのである。

宗教(28) 集中力と仏

2008-04-19 05:00:03 | Weblog
禅と集中力
集中力は神・仏行為
究極に置いては、我々の力は、神・仏の力に相当するものだ、研ぎ澄まされた、職人の技や、芸術家の至芸は、自分の持っている仏の行為よるものだ。
なぜ昔は神・仏の存在を認めたかというと、昔の人は信心深かったということである、昔の人は木や山や川に精霊が宿ると信じて自然を敬った。
ヒンズ-教は神・仏を信じ、常に自然に逆らう行為は、罰を与えられると信じたのである。彼等はリンネを信じて田んぼに肥料として、米をまくのである。
彼等はリンネを信じて行為したことは、もっとも賢明で人間の幸福を助けるものだ。しかし現代人は、自然破壊を平気で行い、思い上がった人間は自然も征服ができると錯覚したのである。
此の間違った知識が、昔の賢人をバカにした行為が、金銭のタメには、何でもするという浅ましい行為を認め、やがて不幸に陥ったのである。
極度の程度の高い精神の集中は、自分以外の神・仏の存在を認める技術ができる。自己反省と自己責任を必要とする禅以外の宗教は成り立たないのである。

チベット紛争の続き

2008-04-18 05:05:48 | Weblog
チベットの暴動(続き)
チベットの大統領は27才である誠に若いのである、しかししっかりした物の考え方をもっている、それは瞑想の国であるからである。人間は25才で完全に成熟する、この人たちは思考で、魂と知恵(右脳)を働かしているのである。
だから若くとも失敗をしないのである、しかし日本の小泉チルドレンは本当のチルドレンである。
彼らの頭は知識でおおわれているので、金と名誉だけである、如何に日本の教育が頭脳を破壊しているかということが分かるのである。
彼等は100年の大系を立てる頭脳はないのだ。

無意識の行為

2008-04-18 04:50:26 | Weblog
歩くとき
脚下照顧
散歩している人を見ると大抵の人が、しゃべりながら、物を考えながら、散歩している、このことはせっかく散歩していても、足に意識が行ってないので、足は強くならないのだ。
病院で一週間も寝ていると、足が弱る、クマを見よ、三か月も冬眠しても、すぐに立って歩くことができる。無駄なことに頭を使ってないのである。人間は常に金のこと、バクチ、色欲、食欲に頭が充満している。
知識の内容は食べること、色欲、賭け事である、大乗的なことはないのである。誠に今の学問は役に立たないものである。

歩々これ道場(禅語)

無意識の行為
年をとるとだんだんと物忘れをする、老化で致し方がないと思っている人がいるが間違いだ、気力が充実していると肉体は衰えることはないのだ。
最大の老化の原因は、長年の習慣になっている無意識の行為だ、物を置くとき、カギを閉めるときに無意識でやってしまうと、思い出せなくなってのだ、このような行為がボケや老化につながっているのだ。
必ずやった行為を確認することが必要だ、行為したときに状況を、必ず今一度振り返ることだ、それでもまだ忘れるのは、常に心が急いでいるのである。
無意識で歩くとしばしばケツマズいたり、事故の原因になる。無意識の行為は危険が山ほどある。
左脳は老化しても、魂と右脳は老化しない。

聖者の秘伝

2008-04-17 05:39:10 | Weblog
参考
私の文が『太る散歩・やせる散歩』が4月8日号の女性自身に掲載されました、私の写真入りです、私は来月79才ですが、若いので驚いて、編集長初め諸々の方がビックリしています。
一度お読みください。
なお近々私の『お釈迦様が教えた健康法』再版と『仏陀の教えた不老長寿の道』が発売されます。健康に関心のある方はお読みください、前者が病気を治す方法です、後者が長命のための『気』エネルギ-を蓄積する方法です。
これは私の全て実体験で、ヒマラリヤのヨ-ガの聖者の秘伝に匹敵するものです。
よろしくお願い申し上げます。合掌

チベットの紛争

2008-04-17 05:16:16 | Weblog
チベットの紛争
何故、中国が、このようにチベットで紛争を起こしているか分からなかったが、全く中国と言う国は泥棒と同じである、結局はチベットの地下資源が欲しいのである。
地下埋蔵資源や広大な山林・水だ、これら資源を強奪しょうとしているのである、チベット人がため込んだ。財産を臆面もなく、取りに来るのである。
全くずうずうしい、にも程がある、ダマイラマは話し合いに応じるといている、多分頭を下げたら、地下資源を分けてくれるのである、仏教徒は慈悲深いのである。
昔は中国は礼節の国と尊敬されていた、共産党になってから泥棒になったのである、日本の取るべき道は勇気持ってオリンピックをボイコットすべきである。
日本の地下資源も一部取ろうとしている、いやもう取っているのである、断固とし戦わないと、日本も中国の属国となる、政治家はしっかりしてほしいものである。
しかし日本の政治家よりましである、国民のために必死なっているからである、何もしてもらえてない、日本の国民よりましである。

宗教(26) 在家の修行者

2008-04-17 04:55:33 | Weblog
在家の修行者
しかし、在家の人は、しはしば、増長慢を作ると社会に弊害がでるのだ。財新興宗教ほど恐ろしいものはないのだ。
臨済禅は、システム上において、白隠禅師がお考えになった、公案があるので、公案をあたえられて、自信を喪失する、反省し修行積むことになる,社会に弊害を残すことはないのだ。
道元のように偉大な僧でも、在家の人に対して止観只座だけと言う間違いを起こすのである。しかしそれは在家の人に対する間違いだけである。


食事のとき
不作不食
働かないということは、食べるべきではない。気力があると万難を排しても食べ物を捜すのだ、働いて食べる意欲がない老人は、生きるという権利を放棄したのだ、幸にも、人間は食べないと、食べ物を得るために、元気になるのだ。
食べ物を得るために、体内に活力が満ちる、そして断食期間中によって、丹田呼吸で元気が回復して、獲物を取ろうとする気力がわいてくるのだ。
社会福祉は真の慈善に反する。働く意欲を失わせ、生きる気力も駄目にしてしまうのである。

無意識の行為
無意識で食べる、物を考えながら食べている、またテレビ、新聞、しゃべりながら食べている、ひどいのになると歩きながら食べていると、頭の神・仏(神経)が食事の方に行かないために、どれだけ食べればよいか、よい食べ物か判断ができないので、必要以上に食べるのだ。
適正な量と適正な質を、頭と腹脳が感知できなくなる、メタリックシンボド-ムやその他、いろいろの生活習慣病になるのだ。
禅の作法では静かに食べること、しゃべることも音さえ出すことを禁じている。これは食事中に精神・仏集中の習慣をつけるためである。
禅ではささいなことでも、何かの教え(仏)が存在している、一切の行為が仏(自己の心の指導)ということである。

太る散歩

2008-04-16 05:14:11 | Weblog
今週の週間女性自身の4月8日号に、私の写真と文章がのっています、材料は私の『太る散歩やせる散歩』下地にしたものです。
私がモデルを使って、悪い姿勢を示し、良い歩き方教えています、今までとは、方向が違い、科学的な論拠に基づいて書いたものです。
皆様の参考になります、ご照覧ください。

宗教(25) 禅の修行

2008-04-16 05:04:32 | Weblog
禅の修行
禅と増長慢(傲慢)
集中力を欠くということは、人間の長寿の妨げになる、集中力の欠如は障害や病気を招くのだ。集中力は免疫体と関連しているのである。
しばしば陥りやすいことは、禅の修行中に、いつの間にか、マキョウに入って、それが悟りとサッカクして、自己が仏になったとサッカクするのだ。その典型が浅原彰香だ。
マキョウという現象は単なるサッカクにしか過ぎないのだ、しかしこのような状態になると困る。
臨済禅ではそれを野狐禪とか、増長慢として、警策(肩を叩く)や公案、難しい問題を授けることによって、自慢の鼻をたたき折る、正しい道を選択させ、真の悟りに導くのだ。
なぜ、浅原彰香は彼の虚言かもしれないが、彼はスワミ・ヨ-ゲシバラナンダという高僧で、私も一度お会いしたが、立派な人だったが、彼はその人に指導を受けながら、このように失敗をしているのだ。
これは指導者のシステムの問題にあるのだ、ヨ-ガや曹洞宗の禅は専門家を作り、お寺で一生修行するなら、それもよいのである。