正論 亀仙流ヨ-ガ健康術

40年間の病気の挙句、禅の修行修行によって、健康得ることができました。
現在は東漸寺の小島老師と禅を指導してます。

宗教 (10)

2008-03-31 05:11:54 | Weblog
似非宗教は
他の宗教は神・仏の存在が自己以外にあるのだ、全く無責任なことで、カシコイ信者は、いつまでも迷うことになるのだ。
全く可笑しいことだ、他に神・仏があるならば、信心深い人が一生懸命に信仰しても、体が十分健康になることも、寿命が延びることもないのである。
『信仰深い人は死ぬ前に神・仏の御許にと、心静かに死ねるという』福音だけだ、それが信仰というものは全く淋しいことである、ある新興宗教だが、ガンの人が教祖に言われていたが、「ここは病院ではない、修行の道場である」と非情なものである。私は宗教(禅)とは健康法であるのは間違いのない事実である。
真の宗教は究極においては、健康法である、真剣に修行するなら、そこには病気は存在しない、何故なら病気はストレスによって体に生じた歪みを取るためである、その手段は呼吸であり、姿勢である又食事の作法と適量と適食を知るということである。


宗教 (9)

2008-03-30 05:12:35 | Weblog
仏像
慈悲のこころは、大切なものだと、世界に広まり、お釈迦は、信者が自分を神・仏化されることを恐れられて、自分の死体を焼かれた。『キリストではアガペ-』
俗物がその骨を拾ってきて祭った。その歴史はシア-ク族から始まる。シア-ク族は仏像がないと、満足できないので、又仏教徒が布教のために承認してしまった。至る所で仏像が普及してしまったのだ。

慈悲
慈悲はもっとも力のあるものだ、人間は笑顔した仏の顔した人を切ったりすることはできない、笑顔ほど強いものはないのだ。
動物にもそれでは、慈悲の心があるかということだ、この間、動物園の猿山に行って、テレビで実験したことだが、全く私も驚いた。
人間が怒った面を被って、猿の餌を取ろうとすると怒った、次に笑顔の面を被るとやはり怒った。
その顔はダマそうしていると感じたそうだ、最期に泣き顔の面であると、抵抗しないで、少々は良いと食べさした、全く驚いた、猿にも慈悲の心があるのだ。

宗教 (8)

2008-03-29 05:14:30 | Weblog
お釈迦様
結局はお釈迦の教えが真の教えだ、このことを言うと、大抵の人はお釈迦の教えは、神・仏を信ずる宗教と思っているのだ。
初めから信仰者は過ちを犯している、お釈迦の教えは神仏が存在しない宗教だ。
宗教には一元論と二元論があり、『お釈迦の教え』だけは一元論だ、それ故に神・仏は存在しない。神・仏は自己だから、自分の魂以外に存在しないのだ。
禅は宗教でないので、排他的なカソリックの人も、龍沢寺で座禅をしているのである。
信者は自分の間違った行為が結果をもたらしているのにも、かかわらず、余りにもその行為を曲げて解釈して、神仏の責任にするのだ、この行為はリラックスが出来るが、自己本来の進歩はないのである。
自己の仏を知るということは、自己の修行以外にないのである、その為には今まで得た知識が障害になり、長い間の修行が必要になるのである。

閑話休題

2008-03-28 05:28:00 | Weblog
今の社会

社会の異常性
先日無作為に八名殺したのがいる、又刑務所に入りたいと、電車から他人を突き落としたのがいるのだ。

人口の稠密
我々の周辺に何か異常なものがあるということ感じている人がいるのは多いと思う、この現象の根本的なものは何かということである。
大体日本の人口は稠密すぎるのだ、他の国から較べると日本の人口は多すぎるのである。
日本の人口は三千万から六千万で十分である。
ネズミを一メ-トル四方の百匹入れると、互いに殺し合いが始まり,最期は二十匹位になる。戦うネズミもいるが、集団自殺するのもいる、そして最期は適当な数になるのだ、南極の食料少ない所でも行われるのだ。しかもどういう事か、強いものから自殺するのである。
狭いところで済むためには、人口が減るか、最小の食料で生きる方法、一畳の畳で生活出来る、修行すべきである。このことは禅をやれば、空気から『気』エネルギ-を取ることが出来るから、食事の量は極度に減らすことが出来るのだ。

企業のために
何故今の政府が少数出産と大騒ぎしているかというとその理由は簡単である、企業のためである。
馬鹿な学者の中には、人口が減ると国力が落ちるという馬鹿な奴がいるが、全く杞憂にしか過ぎないのである。
適正な人数になると、ネズミのように自然の淘汰が済むと、必ず落ち着くものである。人口が減ると何故困るかという言うと、人口が少ないと労働賃金が高くなる、それは無能な経営者には持てする問題である。
今の人口は食べ過ぎた、国土か肥満になって、ダイエットの必要があるのだ。それにもかかわらず馬鹿な政府は人口を増やそうとしている、又外国から労働者を入れようとしているのである、こういう政策は自然に逆こうしたもので、上手く行く道理がないのだ。

今はダイエット。
江戸時代を見てみると分かるのである。豊かな生活であったのだ。 戦前の日本の方が住みよかった事は確かである、子供も生き生きとしていた、今のように死んだ目をしていないのである。
日本の企業は如何に上手くやったとしても、賃金の安い国に勝てる道理がない、勝つためにはどうしてもソゴが生じるのである。
その例がインドで生産さした、車の安さである。

日本の行くべき道
日本はもっとも金のかからない観光産業に主力を注ぐべきである、これは過去の遺産で食べられるということである。
幸い日本には例を挙げると、甲州印伝という高度の技術がある、外国の下らない、ブランド名だけで売っている詰まらない鞄を買うより中身の詰まったものであるから、彼等のものより高く売れるべきである、其の他日本には素晴らしい鞄がある。
又陶器や仏像の製作等世界に冠たる物があるが、政治家の努力不足で、世界に宣伝が行き届いていないのである。
高度の技術で、高価なものを売れば誠に結構な生活が出来るのである、しかしそれの技術習得のためには、極度の集中力を要するので、座禅の修行が必要である。

宗教(7)

2008-03-28 05:11:38 | Weblog
お釈迦様の意図
仏教もお釈迦様の意図に反して、シャ-ク族が仏像を作った。シャ-マン(予言者)から、次第に人間自身が神・仏になり、神・仏格化されることになったのだ。
仏像を作るという行為が間違いの基で、お釈迦様の意に反したことである。初代は、まだ増しであったが、二代目は、欲にかられて権力を伸ばすことになるのだ。

偶像崇拝
神・仏様を祈り、それによって助けを求めるのだ。その代表的なものが、イエスやマリヤの偶像信仰である。
確かによい点も有るのだが、しかし、キリストが迫害を受けたタメに行為が残り、行為は恨みから、絶えず戦争を起こし、十字軍や南北戦争から、第二次世界大戦に至り、アメリカは80回以上の戦争を繰り返しているのである。
迫害を受けた宗教は常に敵対的で、羊の皮を被った狼だ。日本の日蓮にもいえる。
『キリスト教は魂や知恵の宗教ではなく、所詮知識の宗教である。』
お釈迦様はそのようなカルマの問題と間違った宗教を解決するために、真の宗教を説かれたのだ。
キリスト教の信仰も指導者がそのことを理解すべきである。

宗教 (6)

2008-03-27 05:06:49 | Weblog
勧誘
新興宗教の信者が、他人を「勧誘するのに貴方の不幸の原因は、神仏のバチが当たっているので信仰せよ」という言葉は根本的に間違いである。
神・仏様がいないのに罰が当たる道理がない、このようなインチキなことをいって勧誘するのだ、この行為は、勧めている人が人が平気でウソをついている。この人は逆に罰が当たる、死んだらエンマさんが舌を抜いてくれるのだ。

古人の信仰
昔の人の信仰心はそれなりに役に立ってきたのだ、それは全て宗教の信者が自然をウヤマイ、恐れたのだ。
そして木の精、山の精、海の精、動物の精、あらゆるものに神・仏が宿るという信仰を持っていたのである。
全て人が自然と調和をしょうとしたのだ、自然と人間が一体化したために、神・仏は常に必要だった。木を一本伐るにも恐れたのである。
神・仏の存在は一時的な方便だが、今はその時代は済んだ、昔の人の物を大切にする、モッタイの精神・仏である。
信仰心の厚い、昔の人には大変に意味があり、功徳があったのだ。
このごろのように想像力のない人間は神・仏を恐れることは無くなったのだ、誠に想像力の欠如は悲しいことだ、立派な芸術は生まれなくなったのだ。今でもヒンズ-教は、一切の万物を崇拝している。
今や人間は全てを神仏として、恐れ敬う心を会得するための修行すべきである。


宗教

2008-03-26 05:16:22 | Weblog
迫害
教会で銃乱射事件が起こる、このような事件は過去においてキリスト教が迫害されためだ、仏教の言う因果応報だ、キリストの霊が事件を起こしている。何時も訳がわからない事件である。
明智光秀が織田信長を殺したのは、比叡山の焼き討ち事件と関係があるのだ。また浅原焼香の事件も日本人が韓国人を苛めたのが原因である。
仏陀は言う一切の事件で、一切偶然というものはない、必ず原因があって結果があるのである。

お釈迦様の因果応報の教えには、常に正しいのだ。

キリストはもっとも大切な因果の理法を無視して理論を展開しているのだ。だから必ず正し宗教ではないのだ。


宗教(4)

2008-03-25 05:07:01 | Weblog
宗教と戦争
一神論のキリスト教では二つの神様が出来ると、お互いの神様がケンカしているのだ。兄弟ケンカのようなものだ。二つの神の思し召しで、十字軍が戦争しているのだ。
キリスト教は大変に戦争の好きな神様である。教会で乱射事件が起こる。これはイエスが過去において迫害された、過去のイエスが苛められた行為の業(カルマ)だ。
このような間違った宗教は終焉に近づいている、キリストは信者は良いのだが、キリストが持っている先祖の業(カルマ)が悪いのである。
キリストが、ライ病の人の膿を吸って治したという伝説があるか、こういう奇跡的な事はお釈迦様の一切嫌っておられた。お釈迦様には奇跡が出来たと思うが、お釈迦様は無視されているのである

宗教(3)

2008-03-24 05:07:05 | Weblog
迫害
教会で銃乱射事件が起こる、このような事件は過去においてキリスト教が迫害されためだ、仏教の言う因果応報だ、キリストの霊が事件を起こしている。何時も訳がわからない事件である。
明智光秀が織田信長を殺したのは、比叡山の焼き討ち事件と関係がある。また浅原焼香の事件も日本人が韓国人を苛めたのが原因である。
仏陀は言う一切の事件で、一切偶然というものはない、必ず原因があって結果があるのである。

お釈迦様の因果応報の教えには、常に正しいのだ。

キリストはもっとも大切な因果の理法を無視して理論を展開しているのだ。だから必ず正し宗教ではないのだ。

宗教

2008-03-23 05:12:57 | Weblog
金とり宗教
多額のお金を差し上げると、神・仏が助けてくれるということは、神・仏が貴方と商売しているということだ。
キリスト教はイエスの像をスリが懸命に拝んで、其れでザンゲして、明日は又スリに励む、自己本来の自分はなく、何事も常に神・仏次第であるから、神・仏様の許しさえあれば良い如何なることも許されるということだ、まことマンガのようなだ、因果応報という宗教で一番大切な問題を置き忘れてきたのである。

宗教と戦争
一神論のキリスト教では二つの神様が出来ると、お互いの神様がケンカしているのだ。兄弟ケンカのようなものだ。二つの神の思し召しで、十字軍が戦争しているのだ。
キリスト教は大変に戦争の好きな神様である。教会で乱射事件が起こる。これはイエスが過去において迫害されためだ、過去のイエスが苛められた行為の業(カルマ)だ。
このような間違った宗教は終焉に近づいている、キリストは信者は良いのだが、キリストが持っている先祖の業(カルマ)が悪いのである。